えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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ついさっきの土曜日から日曜にかけて、「禅は、今ここ。」という本を読んだよ。1960年にカリフォルニアから全米に禅の精神を広めた曹洞宗の老師、鈴木俊隆さんが弟子のアメリカ人たちに言った言葉、その思い出を集めたとっても魅了的な本でした。

そう、1960年代のカリフォルニアのヒッピーやカウンター・カルチャーの深奥にはこの鈴木俊隆という一人の禅師がいたらしいのです。それで、ぼくは、こんなの読んだら、今日はいつだってどうにでもなるさと、安心してしまったのか、夏風邪をひいてしまった。先週は働きすぎだったな、と思うけれど、もう戻ってはこないのさ。いくつもの美しい言葉がこの本にはあるのだけど、ぼくの今の心に一等響いこんな挿話をたった一つだけ引いておやすみなさいZZZzzz.....

「接心の間に鈴木老師の独参がありました。私は迷い、人生の居場所を失っていると、感じていました。大いなる心(ビッグマインド)も、同じく闇に迷うのかどうか、私は老師に尋ねました。 老師はおっしゃいました。「いいえ、闇の中に迷わず、闇の中で働くのです」老師はそれを千手観音のようだと言って、手を動かし説明されました。その瞬間、千手観音をこの世に出現させたのです」







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あぁ、七夕の夜に村上春樹さんの訳したスコット・フィッツジェラルドの名作「グレート・ギャツビー」を読みおおせる。これは定められた偶然の慶賀ではなかろうか。今や、ゼルダとスコットはもう苦しむこともなく、空の高みでたおやかな永遠の逢瀬に幸せのため息をついているのでしょう。

ささの葉 さらさら のきばに ゆれる お星さま きらきら きん ぎん 砂子 五しきの たんざく わたしが かいた お星さま きらきら 空から 見てる

おやすみZZZzzz.....







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村上龍さんの「ラストワルツ」を一気に読了した。村上龍って偏見のない抜群の知性でありながら、欲望やらの力も認めているっていうか、そこらへんの両義的、多義的なところも好き。昔、村上龍さんが自分の小説を定義している文があって、それは「答え」や「解」ではなく、解けなかった、解けていない「疑問符」なのだといっていて、なるほどと思った。

それから、今回、このエッセイを読んでいて龍さんってハード・ボイルドだな、となんとなく思った。情緒を認めつつも、それを一旦、わきに置いておいて、観察しつづけるようなところが、かっこよく、しかも、ニヒリズムに陥るのを注意深く避け、考えつづける。これは、もしかしてハードボイルドではないだろうか。

さて、この本の題名ともなったエンゲルベルト・フンパーティングの「ラストワルツ」のムービーを紹介します。村上さんが今、書いている小説は「失われたもの」、「失われていて、もう二度と戻ってこないもの」、「失われているもの」なのだそうな。「限るなく透明に近いブルー」からいつの間に遠いところまで来たんだなー。ぼくはそれをノスタルジーなどと呼んでいるのだけど、みなさんもこれを見て、ためいきをついて、おやすみなさいZZZzzz.....



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映画の「あん」がとても良かったので、ドリアン助川さんの原作の小説「あん」も読んでみた。

後半、映画にはないエピソードも語られ、重たい話だけれども、読んで本当に良かった、明るい幸せの暖かい光に包まれたかのような読後感だった。一生に一度の素敵な出会いの素晴らしい小説でした。







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村上春樹さんの訳したレイモンド・チャンドラーの探偵小説「ロング・グッドバイ」を読了する。村上さんは清水俊二さんの同小説"The Long Goodbye"を訳した「長いお別れ」に敬意を表しつつも、訳として大胆に渇愛している部分を、原文の大胆な英語の文体を現代の日本語で再現しようと、この訳を完成させ上梓したということだ。といってもぼくは「長いお別れ」は未読なのだけど。

ところで、アメリカの映画を見ていて疑問だったことがあって、アメリカ人は普段からこんな粋な洒落た会話をしているのだろうかと思っていたのだけど、その原型みたいなものを、ぼくはチャンドラーの小説に見てしまった気がする。

それから、このロサンジェルスを舞台にした小説を読んでいると、ドアーズのアルバム"L.A. Woman"を聴きたくなったよ。ヨーロッパのパリだかローマだかマドリッドを中心にすると西の果てに乾いた楽園の地、カリフォルニアがあって、そこにフィリップ・マーロウという主人公とする探偵の世界が花開いている。巻末にある村上春樹さんによる訳者あとがき「準古典小説としての『ロング・グッドバイ』」が出色。その中からチャンドラーの小説の主人公に言及した文章を引用し、ハードボイルド小説をほめたたえます。かっこいいなぁ。

「彼らはそのような宿命的な巨大な力をまず黙して受容し、そのモーメントに呑まれ、振り回されながらも、その渦中で自らをまっとうに保つ方策を希求しようと努める。そのような状況の中で、彼らに対決すべき相手があるとすれば、それは自らの中に含まれる弱さであり、そこに設定された限界である。そのような闘いはおおむねひそやかであり、用いられる武器は個人的な美学であり、規範であり、徳義である。多くの場合、それが結局は負け戦におわるであろうことを知りながらも、彼等は背筋を真っすぐに伸ばし、敢えて弁明をすることなく、自らを誇るでもなく、ただ口を閉ざし、いくつかの煉獄を通り過ぎていく」






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旅先の東伊豆のとあるコンビニで買ってしまった曹洞宗のお坊さんである桝野俊明さんの著した「競争からちょっと離れると、人生はうまくいく」を読了した。競争からまったく離れるのではなく、ちょっと離れてみる、ということが肝要なのだそうな。

この本の処世術を説くみたいなところは、まぁ、すみに置いておいて、競争などに勝ったことのないぼくだけど、やはり、禅の言葉には、人生のその時その時で惹かれる何かがあてって、この本に出てくる「自灯明、法灯明」という言葉には強く何かを感じてしまった。おれって、もともと集団とかなじめないし、どこか好きじゃないしな、一人ぼっちの変人だと思わば、思えよ、などとひがんでもいけなく、禅師、桝野俊明さんによれば、―他人と比べたりせず、自分自身に頼って生きなさい、真理に気づき、それを拠り所として生きなさい―、ということらしい。

喝!






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猪野健治さんの著した「テキヤと社会主義 1920年代の寅さんたち」を読了する。

まさに日本の近代の中でもっとも大きな分岐点、大正後期から昭和初期までの時間がアウトローの目からの叙景として生々しく写しだれるかのような本でした。島国の片隅にもメキシコ革命、中国の辛亥革命、ロシア革命、ドイツのワイマール共和国などの世界の大波は同時代として押し寄せてきていたらしいのだ。そんなありし日の世界をおおった大きな風も感じつつ、やっぱ、旅まかせの風来坊の孝心と信義に厚いアウトローたちって、どこか憧れてしまうな。

そして、エピローグに書かれた両刃の剣の悪法によって今の急速に失われつつあるてきや社会のことを考えてしまう。ぼくたちは失ったあとのまたもやその損失と空白の大きさに気付くのかしら?






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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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