えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

眠れないので仕方ないから読みかけの「武満徹エッセイ集-言葉の海へ」を読了してしまった。この高名な現代音楽の作曲家はなぜかぼくと趣味が似かよっていて、語られるのは、フェリーニの映画だったり、ヴェンダーズの映画、そう、あの「パリ・テキサス」だたり、グレン・グールドだったり、デューク・エリントンだったり、ビートルズだったり、もちろん、ジョン・ケージやメシアンの名前も出てくる。その中でも多く文が書かれているのは代表作「ノーヴェンヴァー・ステップ」とバリで武満が聴いたガムランやケチャについて。西洋と東洋の音楽の違い、とくに東洋の楽器の多くに見られるさわりについて。
なんか、ぼくとこの世界的な作曲家の趣味が似ている、感じ方が似ているのはどうしてだろうと思い、ジャズについて書いたこのような文章にぎくりとしてしまったのです。引用します。
「ジャズには黙示録的な欲望がありそれは人間的というよりはいっそう獣的であり、調和への願望は深く、ジャズ・メンはいつも傷ついている。そして悲劇的なのは、何故自分たちが傷ついているかに気づかないことだ」
ジャズ・メンとは誰のことだろう? チャーリー・パーカーやセロニアス・モンク、ジョン・コルトレーンでなくとも、ありとあらゆるところに、そうきみのそばにもジャズ・メンはいるし、きみやぼくがジャズ・メンなのかもしれない。
ぼくの大好きな「ダニー・ボーイ」を武満さんも好きだといい、こんなことも書いている。
「私は「ダニー・ボーイ」が好きだ。戦争によって、すでに二人の息子を失くした父親がのこされた最後の息子のためにうたった歌-
いとしい ダニー・ボーイ
戦いに出ても 戻ってきてくれ
私が逝ったあとでも
おまえは生きて 私の墓にもどってくれ
これは真に孤独な感情であり、それだから訴える力をもつのだ。この歌は、個人的な感情から発しているがために、新しい連帯の可能性をもつのである」
ああ、親愛なる武満徹様、ぼくにあのたいせつなことを教えてはくれませんでしょうか? 秋の夜に未明が来つつあります。
なんか、ぼくとこの世界的な作曲家の趣味が似ている、感じ方が似ているのはどうしてだろうと思い、ジャズについて書いたこのような文章にぎくりとしてしまったのです。引用します。
「ジャズには黙示録的な欲望がありそれは人間的というよりはいっそう獣的であり、調和への願望は深く、ジャズ・メンはいつも傷ついている。そして悲劇的なのは、何故自分たちが傷ついているかに気づかないことだ」
ジャズ・メンとは誰のことだろう? チャーリー・パーカーやセロニアス・モンク、ジョン・コルトレーンでなくとも、ありとあらゆるところに、そうきみのそばにもジャズ・メンはいるし、きみやぼくがジャズ・メンなのかもしれない。
ぼくの大好きな「ダニー・ボーイ」を武満さんも好きだといい、こんなことも書いている。
「私は「ダニー・ボーイ」が好きだ。戦争によって、すでに二人の息子を失くした父親がのこされた最後の息子のためにうたった歌-
いとしい ダニー・ボーイ
戦いに出ても 戻ってきてくれ
私が逝ったあとでも
おまえは生きて 私の墓にもどってくれ
これは真に孤独な感情であり、それだから訴える力をもつのだ。この歌は、個人的な感情から発しているがために、新しい連帯の可能性をもつのである」
ああ、親愛なる武満徹様、ぼくにあのたいせつなことを教えてはくれませんでしょうか? 秋の夜に未明が来つつあります。


秋の夜は長いのです。眠れない夜に眠り薬として、聖書なんぞを読み始める。すると「雅歌」というのが旧約聖書の中にあって、それが目に入り、そこを読むと、ロビー・クリーガーが作詞したドアーズの歌("Light My Fire"や"Love Me Two Times"、"Yes, The River Knows"はロビーの作詞だということです)のようで、何か、感動してしまった。
あと、連想してしまったのは三島由紀夫の「潮騒」です。再読してみたくなりました。
おやすみZZZzzz.....
雅歌
あと、連想してしまったのは三島由紀夫の「潮騒」です。再読してみたくなりました。
おやすみZZZzzz.....
雅歌


佐藤美由紀さんの著した「世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉」を読了しました。ホセ・ムカヒさん、現在の柔和なお顔からは想像できない激しい人生を送られた方であることもわかりました。むしろ、そんな激しい人生だったから、今の世界へのやさしさがあるのかもしれません。




トールモー・ハウゲンの著した「ヨアキム」を読む。読んで、子どもの頃もいろんな悩みや痛みがあって、そのころのそれをなんだか、感覚として思い出してしまい、それらが、夢とか悪夢とかろないまぜになって、うっすらと詩的に美しく光っているような、文章、文体、小説だと思った。この本は、この前、読んだ「夜の鳥」の続編で、北欧の文学の生んだもっともすぐれた深さの名編だとも思う。
ぼくも子どものころも悩んでいたようだし、今も悩みが尽きず、人生ってなんなのだろう、と思ったりして、そんな中で、少しでも美しい何かを感じたくて、人は本を読んだり、絵を見たり、映画を見たり、歌を歌ったり、はてまた、恋をしたりするのでしょうか? ぼくには本当のところは何にもわからないとため息をつき、今夜は本を閉じます。


寺尾沙穂さんの著した「南洋と私」を読了した。昔、日本の領土であもあった南太平洋で生活をしたいろんな人たちへのインタビューをもとにした随筆、随想集。夢が無残な悪夢に変わっていってしまう、そのような世界とそのような世界をもたらしてしまう偏狭で自分勝手な、心をなくした人たちのことを書いた本でもあるし、それに苦悩し引き裂かれながら生き延びた人たちの物語の集りでもある。帯にも書かれていたこんな言葉。
「アメリカと日本が戦争をして家壊したりしてわれわれを人形みたいに弄んだ。辛かったよ、涙が出るよ。
私は(日本に)感謝はしてるが。可哀想だよ」
そんないたたまれない何かを思うと同時に、夢の残り香を嗅いだかのような気持にもなって本を閉じた。おやすみZZZzzz.....


