えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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ビルボードライブ横浜で吾妻光良 & The Swinging Boppersを見ました。定期的にこの日本語で歌うブルージーな八管のゴージャスなジャンプ・ブルース・バンドを見たくなります。一列目の管楽隊の真正面で見ると、曲と曲の合間のメンバーの世間話らしきものが聞こえてきます。いわく、さっきちょっとまちがえちゃった、云々。ゆるくても激しくホットなこのバンド、やっぱ最高ですな。
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四月一日、新宿末廣亭 令和七年四月上席昼の部を見ました。いつものように見た演目を書き出してみます。前座の林家十八くんの「穴子でからぬけ」、二つ目の古今亭雛菊さんの「平林」、春風亭柳枝師匠の「狸の恩返し」、岡大介さんのカンカラ三線、柳家小平太師匠の「ふだんの袴」、古今亭志ん丸師匠の「白犬」、林家八楽師匠の紙切り、三遊亭武蔵丸師匠の「不精床」、橘家蔵之助師匠の「猫と電車」、アサダ二世さんの奇術、林家種平師匠の「ぼやき酒屋」、入船亭扇遊師匠の「一目上り」でお仲入りでした。林家つる子師匠の「やかん」、ニックスのお二人の漫才、古今亭文菊師匠の「親子酒」、柳家三三師匠の「釜どろ」、翁家勝丸師匠の太神楽。主任は古今亭菊志ん師匠の「火焔太鼓」でした。

林家つる子師匠の「やかん」や古今亭文菊師匠の「親子酒」でおおいに笑いました。主任の古今亭菊志ん師匠の「火焔太鼓」は、古今亭志ん生の得意としていた演目で、古今亭の宝刀であることを見せつけてくれるかのような何ごとかを見せつけてくれたようなのです。

そこで、ぼくはCDでしか聴いたことのない古今亭志ん生の「火焔太鼓」のことを思ってしまう。昭和の戦後に遅く花咲いた名人は、その花ひらく前の人生は貧乏の辛酸をきわめていたらしく、志ん生にとっての「火焔太鼓」に出てくる火焔太鼓は落語そのものではなかったのか? まさに落語でしか昭和の破天荒な一世一代の大名人の人生は救われなかったのである。落語は素晴らしく、寄席はパラダイスなのです。
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幕張メッセで開催された『PUNKSPRING 2025』というコンサートに行きました。出演者は、IGGY POP、BAD RELIGION、ザ・クロマニヨンズ、SEX PISTOLS featuring FRANK CARTER、YELLOWCARD、PENNYWISE、The BONEZ。昼前の11時半から夜の9時半は長い。ビールやハイボールもたくさん飲んでしまった。お客さんはお母さんとかお父さんに連れられた小学校前の子どもから、おれみたく片足とか両足を老人の域に踏み入れた人まで、幅広い。トリはIGGY POPで、IGGY POPだけ、セッティング込みの演奏時間が2時間で、その他のバンドは1時間半。

知らないバンドだったけれど、PENNYWISEとか、よかった。SEX PISTOLS featuring FRANK CARTERではモッシュにもまれてしまう。ザ・クロマニヨンズ、最高。自分がこういうパンクとかロックのライブの爆音と熱量の高さが好きなのを再発見するかのようです。

お目当てのIGGY POPは初めて見たのだけれど、凄すぎる。それに、IGGYの歌う声って、胸にジンジンきて、しびれるほど、かっこよい。昔、高校生のころ、IGGY POPの3枚のレコード、『IGGY POP and STOOGES』、『The Idiot』、『Lust For Life』はヘビー・ローテーションしてました。今夜のIGGYのバッグバンドが、これまたドライブしまくる、強力な布陣でした。トランペットとトロンボーン、ドラムス、ベース、2本のギター、キーボードで、黒人と白人の混成部隊でギターの1本は女性が弾いていて、これがまたかっこいいんだな。ドラムスは巨体の黒人ミュージシャンで爆音で、ベースも負けていない。IGGYのパフォーマンスは熱すぎるパワーのかたまりで、オーディエンスは爆発して、乗りまくる。まるで今を生きる伝説を見たようなのです。IGGY POPこそパンクのゴッド・ファーザーにして、ロックンロールのキングなのだ。
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相模大野のアコパでDakota Dave Hullさんと浜田隆史さんのライブでした。Dakotaさんと浜田さんが交互にアコースティック・ギターを弾き、時には共演をする、という楽しいひと時でした。Dakotaさんは浜田さんのことを「Ragtime Ninjah」と呼ぶのに、ぼくはなるほどと思ってしまいます。ぼくはDakotaさんのことをアメリカの音楽、Blues、Ragtime、Jazz、Folky、Americanaの美しさをインストゥルメンタルのアコースティック・ギターでまさしく体現した人だと思う。

アコパ店内での打ち上げにも参加し、それも楽しいひと時。ぼくはDakotaさんがBob Dylanよりも前のもっとも偉大なギター弾き語りミュージシャンなDave Van Ronkと親友だったということで、彼をモデルにした映画『Inside Llewyn Davis』はどこまで事実に基づいているのか、と聞くと、まったく事実ではない、酷い描き方で、あの映画は二度と見たくないたぐいのものだ、との答え。そうだったか、とぼくは思いました。そして、買ったDakotaさんの最新のCD『Live in Japan』をリュックの中に入れ、家路に向かったのであります。
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かけこみ亭にて「マッキー企画 かわうそ亭 三杯目」とタイトルされたライブを見ました。出演した順に、オートハープとギターの弾き語りの野村昌毅さん、ギターの弾き語りの館野公一さん、コンサーティーナとギターの弾き語りのよねやまたかこさんでした。ラストは三人と店主のぼけまるさんを含めた共演の感動の大団円となりました。

今日はプロテスト・ソングがたくさん聞けたような気がします。音楽はそればかりではなくてもよいですが、戦争の世の今こそプロテスト・ソング、とぼくは思ってしまいます。ぼくは、プロテスト・ソングが好きで、例えば、変転するボブ・ディランというシンガーのアルバムの中で、特に「The Times They Are a-Changin」が好きであったりするのは、そういうことのようなのです。今夜は、野村昌毅さんがガザのことを歌ってくれた、館野公一さんは第五福竜丸のことを歌ってくれた、よねやまたかこさんは名曲「戦争をしない国」を歌ってくれた、そんな、胸が痛いような、心が素敵でもあるような、そんな夜となりました。
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四谷の紀尾井ホールでパソナ「夢」オーケストラのコンサートを見ました。なんと、パソナ「夢」オーケストラはアマチュア楽団でありながら、まったくそのように感じさせない、素晴らしきオーケストラです。このオーケストラで指揮をしているプロの指揮者の曽我大介さんの力と人間性の大きさにもよるとの話も聞こえてきます。

二部構成の一部のゲストがスウィング・ジャズの伝説、クラリネット奏者の北村英治さんで、オーケストラでの編曲によるガーシュイン兄弟などのオールド・ジャズを披露していただきました。北村英治さん、御年、九十六歳にして、まったく衰えておりません。つややかな音と絶妙なフレージング、フル・オーケストラにも負けないパワー、クラリネットの音がホールの後ろの壁にぶつかっているようで、ぼくは驚愕しました。

二部はリムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」。アラビアを舞台にした甘い憧れの恋から本当の愛へと変容する交響組曲が美しい。

ガーシュイン:パリのアメリカ人
ユービー・ブレイク:メモリーズ・オブ・ユー
ガーシュイン:アイ・ガット・リズム
ルイ・プリマ:シング・シング・シング
リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」
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いとうせいこうさんとジェイ・ルービンさんの共著による『能十番 新しい能の読み方』を読了しました。どういう本かというと、十の能の詞章が掲載されており、それをいとうせいこうさんが現代日本語訳にし、さらにそれをジェイ・ルービンさんが英語に訳しています。いとうせいこうさんは、いわずもかなの小説家であり、日本語ナラティブのラッパーであり、ジェイ・ルービンさんはアメリカ人の夏目漱石、村上春樹、二人の小説家の研究者であり、翻訳もし、能の研究者でもあり、小説も書き、ハーバード大学の名誉教授でもあられる。この本には「高砂」、「忠度」、「経政(経正)」、「井筒」、「羽衣」、「邯鄲」、「善知鳥」、「藤戸」、「海人(海士)」、「山姥」の能がとりあげられていて、どれも名作のはまれのものばかり。

それぞれにいとうせいこうさんとジェイ・ルービンさんの解説があるのもありがたい。例えば、ジェイ・ルービンさんは「高砂」の解説で以下のように記しておられ、日本人のぼくはアメリカ人のこの指摘になるほどと感心するところもあるのです。

「この世の現実性を疑うのが仏教だとすれば、五つの感覚で経験できるこの世の有難さを祝うのが、神道である。神能はいずれも、歌舞劇の歌と舞を駆使して人生の善さを祝っているが、『高砂』は五つの感覚の中でも聴覚を特に賛美する、神道的なポエムである。」

仏教に関していえば、ぼくは、現実性を疑うという哲学的思弁とともに、そこには信ずるという切実な何かでもある、と思う。例えば、日本の寺院には本尊というものがあり、そこには普段には公開されない秘仏というものがあり、さらには最高位の僧侶でさえ見ることのかなわない絶対秘仏というものがあって、ありていにいえば、その絶対秘仏がどのようなもおなのかは明かされない。信といことを顧りみれば、秘仏は朽ち果てていても、木の欠片でも、存在しないものであってもかまわない。あるのかないのか分からぬもの、それが切実な願いと祈りによって信じられてきたことこそ、冥利の神髄ではなかろうか?

閑話休題、『能十番』に戻れば、日本の古語で書かれた詞章、その現代語訳、さらにそれを英語に訳したものを並べると、日本の古語に、ぼくは「言霊」というものをことさら感じてしまう。そこにあるのは、セリフやト書きではなく、掛け言葉なども駆使した、韻律に富んだ、韻文であり、文字通り、詞であり、歌であり、唄であり、神と仏への捧げものであることをありありと感じてしまう。この本は何度も読み返してしまいそうです。

『能十番 新しい能の読み方』刊行記念 いとうせいこう氏インタビュー
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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