えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
「生誕200年ミレー展 愛しきものたちへもまなざし」を見に行く。ぼくの大好きな「晩鐘」は国立新美術館での「オルセー美術館」に譲るとして、ミレーの初期の習作から肖像画を経て、バルビゾンに移る住んでからの農家を描いた生活を描いたもっともミレーらしい絵、そして、晩年の生まれ故郷、ノルマンディーへの望郷の募る風景画まで、ミレーという画家は愛しきものたちを描き続けた画家であったらしいことを感じ、そういことが絵画ばかりではなく、芸術の根底だよな、と思う。農村の風景、人々、ともに描かれた鶏、犬、猫、羊、それらの小さな人とともに生きる動物たちも愛おしい。生きるということは、動物や草花、人々、みんなととも生きることしかありえない、そんなことも感じさせてくれる展覧会でした。そう、そういうのが愛なんだなって思いました。
http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/millet.html
ある一枚の絵を見たいがために新国立美術館の「オルセー美術館展」に行きました。19世紀絵画の最も大きな潮流である印象派、マネの絵を中心のその成り立ちと初期の作品を展示していた。印象派に強く影響を与えた、バルビゾン派の絵画とは、印象派が芽を出すその直前にたくさんの当時の画家たちがフランスのバルビゾン村を訪れ、自然を、田園を、生活を、人々を描いた、それらを指す。その中の一枚、ジャン=フランソワ・ミレーの描いた「晩鐘」は、ぼくが一度は、本物、実物を見てみたいと思っていた絵。その絵の前で、長い間、たたずんていたのです。すると、誰かのひそひそ声が聞こえもしました。ずいぶん暗い絵だね、と話している。ぼくは、暗いなのだけど、その絵から、バルビゾンの村を清い空気でつつみこむかのような、夕暮れの鐘の音を聞いているみたいなのだった。その清浄さにあらがえない時間とか自然とかを感じつつ、この絵を見る喜びに満たされていたようなのだ。ついに見た「晩鐘」なのです。
さて、もう一つの閑話。印象派というよりその前夜のバルビゾン派の絵画ではじめて屋外の見た風景がたくさん描かれ始める。そこには19世紀初頭に発明されたチューブ入り絵の具の発明というのがありました。これによって、多くの画家は、はじめて絵の具を戸外に持ち出し始めたのです。そこで発見されたのが、目も前にある日をあびた風景の美しさだったのです。技術革新によって発見された世界観ともいえるわけで、それが新しい時代の果実だったのです。ひるがえって、今という時代は、世界はミレーたちが見つけた新しい美のようなそれを見つける前夜のような気もするのですが。
さて、もう一つの閑話。印象派というよりその前夜のバルビゾン派の絵画ではじめて屋外の見た風景がたくさん描かれ始める。そこには19世紀初頭に発明されたチューブ入り絵の具の発明というのがありました。これによって、多くの画家は、はじめて絵の具を戸外に持ち出し始めたのです。そこで発見されたのが、目も前にある日をあびた風景の美しさだったのです。技術革新によって発見された世界観ともいえるわけで、それが新しい時代の果実だったのです。ひるがえって、今という時代は、世界はミレーたちが見つけた新しい美のようなそれを見つける前夜のような気もするのですが。
渋谷東急のBunkamuraザ・ミュージアムに「デュフィ展」に行ってきた。暗いもののないデュフィの絵を見て、その楽しい、いきいきした線と色に気分がよくなりました。夜の海を航行する黒い舟ですら、デュフィの絵の中では、軽みをもって、きらきら輝いている。その楽しさと明るさに感動する。
その昔、ルノワールの絵を見て思った。もちろん、ピカソやゴーギャンも好きなのだけど、ぼくは、こういうルノワールやデュフィのような思想を感じさせない、ただ美しくて楽しい絵が実は好きなのだな。見ているうちに、言葉による思考ではない、普段は開いていない感受性が開き始めるのだろうか。心に翼が生えたように感じてしまい、そのダンスする自由の感覚が気持ちいいのです。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/14_dufy/
上野の東京都美術館へバルテュス展を見に行ってきた。
ピカソをして「二十世紀最後の巨匠」といわしめたというキャッチコピーに惹かれてではなく、この前、秦野のひまわり道場で久しぶりに再開したまーちゃんがバルテュス展がよかったと言っていたことによる。まーちゃんはエロスをロゴスに昇華していると言っていた。エロスは少しは分かるのだけど、ロゴスって何だろうか。
実物の絵を見ていくと、確かに思春期の少女をを描いた絵はエロティックなのだけど、混沌としてはいず、凛としていて、何か高貴なもの、猥雑さを寄せつけもしないものすらも感じてしまう。
バルテュスは自分が芸術家と呼ばれるのを嫌い、むしろ、画家とか、職人と呼んで欲しいと、言っていたそうだ。その芸術家の芸術とは何だろうかと思いめぐらすと、それは、美を超えて、情動や感情、未知なる感性のごときを喚起するものだとしたら、バルデュスの絵はやはり美術を超えた芸術であるのではないかしら。そのようなバルテュスは、膨大な画集を買いあさり、古典美術を常に研究していた、そういう努力家肌の研究者の面もあって、けれど、作品として完成された絵画はバルテュスそのものであるようなものなのだった。
懇意にしていた同時代の芸術家として、アントナン・アルトーやジョルジュ・バタイユがいたそうだ。なるほど。来日時は三島由紀夫を訪問していたりする。狂気と正気をあわせもち、超えていき、戻ってくる。
後半の人生でバルデュスは日本人の妻、出田節子さんを娶り、たいそうな親日家であったそうだ。
バルテュスの絵に登場する猫がなんとも印象的。これらの猫はバルテュスの魂のようなものかもしれないぞ。
http://balthus2014.jp
町田国際版画美術館に「パブロ・ ピカソ ―版画の線とフォルム―」展を見に行く。版画作品によってピカソの人生を振り返るというもの。ゆっくり歩いて見ていると不思議な「ミノタウロキア」の前で足が止まり、しばし見とれる。それより印象的だったのが「鳩」。この無垢さは何だろう? ピカソで有名なのはスペイン内線での空爆を描いた「ゲルニカ」が有名すぎるのだけど、この「鳩」はもう一つの「ゲルニカ」ではあるまいか。国際連合本部に飾られてれている「ゲルニカ」のレプリカは重要な議決の際には、展示から取り外されるという。どういうことなのだろう? 取り外されたなら、ぼくは、このピカソの魂そのもののような「鳩」を思い浮かべればいい。このピカソの「鳩」はぜひ実物の版画をご覧ください。
東京ステーションギャラリーの「生誕100年! 植田正治のつくりかた」展を見に行った。
植田正治の写真は演出写真などとも呼ばれ、忠実にある世界や生活の一瞬を切り取るべきだという写真手法、リアリズムを徹底的に追求すべきだという写真論に押され、一時期、過去の写真家ともなったらしいのだけれど、植田調と呼ばれたその独特の写真はむしろ常に海外での評価の方が高かった。
鳥取県の境港で生涯カメラ店を営む、アマチュア写真家のモノクロ写真を見ると、そのスタイリッシュなかっこよさの向こうに、写真を取る人と取られる人の笑い声が聞こえてきそうなのであった。
「お父さん、このポーズ、いつまですれば、いいの?」
「もうちょっと我慢しなさい」
「もう、疲れた」
「あっ、そこそこ、そこで止まって」
「もう、このへんでシャッター切ったら」
いつも日曜日になると植田正治は家族をつれて、鳥取の砂丘に撮影しに行った、という。その家族の楽しい声のこだまを聞いたような気もした。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/now.html
町田市立国際版画美術館に「縁起もの -版画と絵画で楽しむ吉祥図像-」展に行ってきた。次から次にと目に飛び込んでくるおめでたい絵に気分が晴れ晴れとし、いい気持ちになりました。
http://hanga-museum.jp/exhibition/schedule/2013-201
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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