えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

青山にある根津美術館の「曼荼羅展」に行ってきた。初めの方に展示してある「両界曼荼羅」や「金剛八十一尊曼荼羅」では、この夏の暑さのせいか、その暑さのせいで心身ともに少し不調であるせいなのか、はたまた、私という人間が凡人をはるかに下回っているような人間であるからなのか、立ち昇るエロスのエネルギーのようなものを感じ入り、見とれ立ち尽くした。もしも、古い仏閣でこれらを見たならば、ぼくは何と感じるのだろう? 万物は生々流転しているといいます。それが、数えきれない仏の放つまばゆい光となっている、そんな景色をほんの少しの間だけ、感じられたようなのです。
http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html


町田市立国際版画美術館の「反骨の画家 利根山光人展 -バイタリティを求めて-」を見た。メキシコ、日本、スペイン、インド、、馬や牛、ドンキ・ホーテ、戦争と色々なテーマを変遷しながらも、爆発しお祭りしているおびただしい数の版画を見た。あぁ、情熱の命の輝きです。利根山光人の芸術の方向を決定づけしたかのようなメキシコ渡航なのだが、そのメキシコについて、このように書いてもいる。
「メキシコは革命を通過しながらも至る所に矛盾が露出し、さまざまな人間の顔であふれている。メキシコは人間生活の原型が至る所に露出していて、不思議にも今まで見えなかったものが次第に見えてくる」
フリーダ・カーロのメキシコはロシアの革命家、レオン・トロッキーの没した場所でもあって、そのフェスタは日本の岩手の宮澤賢治の愛した鹿踊りに古層においてつながっているらしいのだ。メヒーコ、万歳!
そこで、ぼくの歌う「メキシコの山」をメキシコ賛、利根川光人賛として、僭越ながらも自らここに引用させていただきます。
「あの高い山に登れ
あの高い山に登れ
あの高い山に登れ
リュック・サックにブルーズを詰め込んで
てっぺんまで登れ
てっぺんまで登れ
てっぺんまで登れば
ごきげんなものがいっぱいあるぜ
そりゃああの娘はいいやつさ
どこまでもおいらに意地悪するぜ
キリマンジャロを越えて ヒマラヤの峰を渡り
あのメキシコの山の向こうまで行くぜ」
反骨の画家 利根山光人展 ―バイタリティーを求めて―


町田市鶴川「あとりえう」でたくさん畦地梅太郎さんの版画を見て来ました。住宅街の中のちいさな小屋にところせましと絵が飾られていました。
山に登ったりする人はどこかの山小屋とかのお土産コーナーで一度はこの人の絵を見たことがあるのじゃないかしら。本当に日本の山と自然が好きだったんだろうな、と見ていると伝わってきます。
ぼくも山歩きが復活しているのです。縁は円のように戻ってきたりするのだけど、少しづつ違う景色を見せてくれて、山もそうだし、絵もそうなのです。
あとりえう


神奈川県立近代美術館鎌倉へ「生誕100年 松田正平展 陽だまりの色とかたち」に行ってきた。五十歳を過ぎてから少しづつ絵が認められ、確かにそのころに松田正平さんは、誰のものでもない松田正平さんの絵を描き始めたのだった。
それまでにどうしていたかというと、戦前に東京美術学校西洋画科、今の東京芸術大学に入学しパリに留学時しかの地で第二次世界大戦が勃発、帰国、戦後の三十歳になるちょっと前までは学校の先生をしながら絵を描き続けていたのだが、宮内庁ご用達の洋裁師をしていた奥さまから、私は学校の先生と結婚したのではありません、と言われ、教員の職を辞してしまうのだが、絵が画廊で売れ始めたのは、六十歳からだという。なんかいい話だなぁ、でもないか。
生涯、祝島の風物を愛し続け、描き続けてもいる。その祝島、今は原発の立地候補とその反対運動で人の口吻にものぼるのは、また別の機会に。その祝島で絵を描いていた松田さんに島のある女の人は、うちの子もちょうどこんな絵をかくよ、と言ったという。そう言われた松田さんは満面の笑み。九十年の生涯を過ぎた偉大な画家は生きることの達人であったのかな。




この前の大きな大戦がヨーロッパで起こるころベルギーからヒットラーの政治を嫌い一人の青年がパリに逃れてきた。彼の名はフリードマン・エンドレ・エルネーといい、写真室の現像助手として細々と生計を立てていたのだけど、同じくポーランドからヒットラーの支配を嫌い逃れてきたゲルタ・ポホイルという女性の出会い、恋に落ちる。ゲルタはエンドレに、妙な一案を授ける。ニューヨークからやってきた裕福な写真家、ロバート・キャパという名前で売りだしてはどうかと。そして、不思議なことにロバート・キャパという名前をかたり初めてから、フリードマン・エンドレ・エルネーの写真は売れ始め、雑誌に掲載される。
いつしか、エンドレから写真術を得たゲルタも同じく、ロバート・キャパとしてエンドレと共同して写真を発表し、ロバート・キャパの名ははスペイン内戦を撮った写真によって、決定的なものになっていく。けれども、独立心旺盛な進取の女性であったゲルタはロバート・キャパではなくゲルダ・タローという名前で写真を発表していくようになる。エンドレと行動を別にしたスペイン内戦の取材の時、ゲルタは不慮の事故により、二十七歳で夭折してしまう。その知らせを聴いたエンドレは三日三晩泣きとおし、数ヶ月、部屋に閉じこもっていた。ゲルタの生きているころのエンドレを叱咤激励する声、もう半歩、前に出て写真を撮るのよ、という幻の声を何度も聞いたのかもしれない。
さて時は過ぎ、パリもヒットラーの軍隊に陥落し、エンドレはニューヨークに逃れる。しかし、彼にはまだ撮らなければならないものがたくさんあった。アメリカとカナダとイギリスの連合国のフランスのノルマンディー海岸の上陸部隊に従軍カメラマンとして参加した。兵士たちとともに、雨あられのような銃弾のふりそそぐ遠浅の海のなかをエンドレは進んで行く。彼の武器はカメラのみ。その時、エンドレの耳にこだまするのは、ゲルタのあの声で、こう語りかける。
「エンドレ、振り返って写すのよ、写真を撮るのよ、勇気を出して、あなたはロバート・キャパよ」
横浜美術館で「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」という展覧会を見て、こんな物語を想像してしまいました。
http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2012/capataro/index.html


山梨県身延の下部温泉から西に少し行ったところにある富士川切り絵の森美術館に寄ってみた。小さな美術館に飾られた切り絵を見て回ったのだけど、素晴らしかったです。光と影の絵が連想させる懐かしいそのようなものに静かにたたずんだ。そして、幻燈のような酒井淳美さんの切り絵にいつまでも見とれていたのです。田舎の小さな美術館にいるのは、ぼく一人で、あたりまえのように時間はゆっくりにしか流れなかった。
http://hikari-no-kirie.main.jp/index.html
http://hikari-no-kirie.main.jp/index.html


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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