えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

『ティク・ナット・ハン詩集 私を本当の名前で呼んでください』を読んだ。ティク・ナット・ハンの説く「マインドフルネス」とは何だろうか、とずっと思っていた。この詩集の訳者である島田啓介さんが「訳者あとがき」で簡潔に「マインドフルネス」とは「今の瞬間を深く体験する心」と書かれておられ、ぼくは、この詩集を読んだあと、なおさらになるほどと合点した。ティク・ナット・ハンの詩は、心を閉ざすことではなく、心を開くことを、常に語りかけているように思われる。
連日、ウクライナでの戦争のニュースが目に、耳に入ってくる中、この詩集に出会えたことは、本当によかった。ウクライナと一概には比べれれないところもあるとは思うが、ティク・ナット・ハンの故郷であるベトナムが南と北との間で戦争をしていた時の苛烈に痛みに満ちた詩、南北の両政府の検閲によって発禁になった詩もここには収められてもいる。そうか、ティク・ナット・ハンの説く歩きながらの瞑想! この詩集を読みながら、ぼくも、何の呪文を唱えずとも、貧しくも未熟ながら、努めて、心を閉ざすのではなく、心を開く方にいきたいと思っていました。
私を本当の名前で呼んでください - 新泉社


『『世界』臨時増刊 ウクライナ侵略戦争』を読む。いろんな人たちがウクライナでの戦争を論じている。一番、印象に残った文章は、若い人たち、学生たちに向けてのロシアで政治を研究しておられるエカテリーナ・シュリマンさんの「戦禍に社会科学は何ができるか」と題された講演の記録を訳したもの。出口のなかなか見えない論ばかりなのだが、このエカテリーナ・シュリマンの講演は希望の一筋だとも思えた。なんだか、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を思い出した。この『君たちはどう生きるか』は戦争に向かっていく社会の中で書かれた。日本はロシアを他山の石とし、二度と同じ過ちを繰り返してはいけない。とにかく、ぼくも、世界から戦争がなくなるように、虚しくならず、小さいかもしれない抗議の声をあげつづけよう。


カーク・ディーターさんとチャーリー・マイヤーズさんが著し、坂東幸成さんの訳による『THE LITTLE RED BOOK OF FLY FISHING 鱒釣師のための250のヒント』を読了した。
クリスチャンにはバイブルがあるように、イスラム教徒にはコーランがあるように、ユダヤ教徒にタルムードがあるように、フライフィッシャーには『THE LITTLE RED BOOK OF FLY FISHING』があるのだ。しかも、バイブルと違って、読んでも眠くならない。昔、心理学者の河合隼雄さんは「法華経」のよいところは、読むと眠くなるところだと言っていたけれど、ぼくは眠れない夜、きまって聖書を読んでいると眠くなりました。
さて、ユダヤ教徒にとってタルムードがどういうものかは、ぼくはよく知らない。けれど、ぼくは、人生のこの先、『THE LITTLE RED BOOK OF FLY FISHING』を、クリスチャンが生涯、何度もバイブルを手に取るように、イスラム教徒が生涯、何度もコーランの詠唱を聴くように、日本の禅者が生涯、何度も般若心経を読経するように、読むことでしょう。
Sheridan Andersonの『Curtis Creek Manifesto』とこのKirk Deeter & Charlie Meyersの『THE LITTLE RED BOOK OF FLY FISHING』でフライフィッシャーは二冊の聖典を持つことができたのだ。


田坂広志さんの著した『すべては導かれている 逆境を越え、人生を拓く五つの覚悟』を読了しました。ビジネスの世界からなんだか気持ちとして遠ざかっていっているぼくだけれども、田坂さんの書いた本はときどき読みたくなります。昔、とあるビジネスマン向けの講演会で田坂さんの話を聞いて以来、ぼくは田坂広志という人が信をおける人のような気がして、書店で本を見かけたら、買ってしまい、読むことがあるのです。
今さっき読み終えた『すべては導かれている』は、会社などの何らかの組織のリーダー向けに書かれた本で、何かの困難をかかえた人に向けられて書かれてもいるそれは、実例や体験談をまじえつつ、ついにユング心理学の「コンステレーション」や「シンクロニシティ」、版画家、棟方志功の「我が業は、我が為すにあらず」を通り、「トランスパーソナル心理学」、「量子真空」、「アカシック・フィールド仮説」、「ゼロポイント・フィールド仮説」、仏教の「阿頼耶識」にいたる。そして「人生は、不思議な力に導かれている」ということ。面白かったです。
今さっき読み終えた『すべては導かれている』は、会社などの何らかの組織のリーダー向けに書かれた本で、何かの困難をかかえた人に向けられて書かれてもいるそれは、実例や体験談をまじえつつ、ついにユング心理学の「コンステレーション」や「シンクロニシティ」、版画家、棟方志功の「我が業は、我が為すにあらず」を通り、「トランスパーソナル心理学」、「量子真空」、「アカシック・フィールド仮説」、「ゼロポイント・フィールド仮説」、仏教の「阿頼耶識」にいたる。そして「人生は、不思議な力に導かれている」ということ。面白かったです。


山田美緒さんの著した『火星でフライフィッシングをするつもり?』を読みました。山田美緒さんは女性のフライフィッシングをする人で、フライフィッシャーはすべての釣りをする人の0.1%ぐらいで、さらに女性となると、それをする人は絞られる。この本の帯こんな言葉のにあるように、女性にこそフライフィッシングに向いているかもしれないけれど、携帯用の蚊取り線香を炊き、クマよけの鈴を鳴らし、クマ退治のスプレー缶を携帯し、背丈よりも高く生い茂る藪の見えないような轍をたどり、かきわけ、人里離れた山奥の川に入渓するなんて、すごいです。本の帯のにあった言葉を紹介しますね。
「フライフィッシングは力を必要としないこと、繊細なフライを巻くこと、美しい自然と魚に触れ合えることなど、女性にこそ向いているような気がする」
なるほど、女性のフライフィッシャーも増えてくれないかなぁ。最近よくCSのテレビ「釣りビジョン」にチャンネルが回ってしまうのだけれども、フライフィッシングの番組はとても少ない。
さて、この『火星でフライフィッシングをするつもり?』はフライフィッシングをかじり始めた人間として、あるある話満載で、読んでいてとても楽しい。ぼくも山田さんみたく釣りをした後は、どうしても温泉に入りたくなってしまい、立ち寄り湯に寄ってしまいます。そんな日をぼくは「完璧な一日」と呼んでいる。
山田さんは川辺でキャンプをし、焚火のふもとで、赤く空に光る火星を見て、昔の人類のことを思う。人類は地球から火星に移住し、そこでも自然破壊をし、地球に戻って来る。また地球を離れ、火星に移住する準備をしている。『火星でフライフィッシングをするつもり?』からの引用です。
「人間は愚かだから、ずっと同じことを繰り返しているだけなのかもしれない。今日の火星は、人類が大昔に捨てた、使い古された星なのではないか。私は火星で釣りなんてしたくない」
地球には美しいものがたくさんある。明日、世界が滅びるとして、今日、ぼくはフライフィッシングをして、酔っ払って、ギターを弾いて、歌を歌いたいのです。
この本『火星でフライフィッシングをするつもり?』は、浅里まゆみさんのカバーや挿絵もとても素敵で、フライフィッシングをしない人も手に取っていただきたい本です。


吾妻光良さんの著した『ブルース飲むバカ歌うバカ[増補改訂版]』を読みました。読みながら、吾妻さんのブルースという音楽への愛を感じていました。そして、ぼくもブルースという音楽が大好きです。
この本を読んで、吾妻さんが絶賛するブルースマン、ブルース・ギタリスト、あまりぼくが聴いたことのないアルバート・コリンズのモダン・ブルース・アルバムなども買ってしまって、読後感に浸りながら聴いてしまいます。
さて、「ブルース飲むバカ歌うバカ」という変なタイトルですが、「増補改訂版あとがき」によれば、ビッグ・ジョー・グリア―さんの歌う“Drinkin' Fool”だそうで、『ブルース飲むバカ歌うバカ』から吾妻さんの訳した歌詞を引用します。
♪ 俺が酔っぱらってる時には ブラックコーヒーをくれ
そう、俺が酔っぱらってる時には ブラックコーヒーをいれてくれ
でも俺がシラフの時にゃあ きつい酒をくれ
ママ、だってお前知ってるだろ 俺は飲みまくるバカなんだから
俺が寂しい時には ベイビー、黙っててくれよ
そう、俺が寂しい時にゃあ ベイビー、口をつぐんでてくれ
でも俺がハッピーな時には ちょこっとギターを弾いてくれ
ママ、だってお前知ってるだろ 俺は歌いまくるバカなんだから
俺が死んじゃっても 棺なんかは買わないでくれ
そう、俺が死んじゃっても 棺なんかはいらないさ
俺の体を川に投げ込んでくれよ
ママ、だってお前知ってるだろ 俺は泳ぎまくるバカなんだから ♪
ブルースはいつもおあとがよろしいようで。


水口憲哉さんの著した『桜鱒の棲む川 サクラマスよ、故郷の川をのぼれ!』を読みました。この本は、東京海洋大学の名誉教授であらせられる水口憲哉さんの、日本の河川から姿を消しつつあるサクラマスをどうやって再生させたらよいのか、その学術研究の成果がいくつものエッセイとして書かれた、少し難しい内容でありました。
「サクラマスよ、故郷の川をのぼれ」というのは、サクラマスというのは生まれたところの川から海にくだり、半年か一年を過ごしたあと、生まれたところの川を遡上する、その性質を述べた言葉で、あくまでも、サクラマスの故郷の川であって、観察者である人間にとっての故郷ではないところに、水口憲哉さんの生物に対してのやさしさを感じるようで、ぼくはうれしくもなる。
水口憲哉さんと同じく、ぼくも、原発を作り続け、ダムを作り続け、川を荒らしつづける日本の政治と行政に異を唱えたいと思う。環境省と水産庁が特定の魚を行政と政治、利権の都合によって、レッドデータブックの絶滅危惧種に出したり入れたりしているということをこの本『桜鱒の棲む川』で知り、その昔から続くご都合主義に唖然とする。「国破れて山河在り」というけれど、この三十年間、国政の失政がつづき、しかも、この国は山河すら破壊しつくそうとしているのかな?
『桜鱒の棲む川』にはサクラマスのしたたかな生き延びていく戦略のようなことについても書かれてれていて、それは微かな希の一筋ではあるのだけれども、この本の刊行は2010年でその後の今までの11年がどうなっているのか、とても気になり始めました。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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