えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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五木寛之さんの著した『歎異抄手帳』を読む。この本は、浄土真宗の開祖、親鸞聖人の弟子、唯円が聖人の本当の教えを著したとされる『歎異抄』を五木寛之さんが現代語に訳した「私訳 歎異抄」を手帳の体裁にしたものであります。いろんな『歎異抄』の現代語訳を読んでみましたが、この五木寛之さんの訳が一番ぼくの心に届き、心の奥にまで落ちるようであったのは、五木さんがこの本の中の「「私訳 歎異抄」まえがき」で書かれたこのようなことであったからなのかもしれません。

 他人を蹴落とし、弱者を押しのけて生きのびてきた自分、敗戦から引き揚げまでの数年間を、私は人間としてではなく生きていた。その黒い記憶の闇を照らす光として、私は歎異抄と出会ったのだ。

その「黒い記憶」がどのようなものであったかの詳細は生涯、五木さんは明かすことはないだろうけれど、だからこそ、この五木さんの訳のよる「私訳 歎異抄」は切実でやさしいような気がします。釈徹宗さんのすぐれた解説「五木私訳『歎異抄』について」と歎異抄の原典も付けられております。釈徹宗さんは浄土真宗の住職でもあられ、歎異抄の原典を音読することを勧めておられ、ぼくも音読してなるほどと思いました。五木寛之さんの伴侶であられる五木玲子さんの素敵な画もさしはさまれております。

何度も読み返すだろう現代語訳の『歎異抄』にやっと出会えました。






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旅先の宿で一晩で藤平光一師匠の著した『中村天風と植芝盛平 氣の確立』を読んでしまいました。何度目か再読です。

藤平光一さんを師匠と表したのは、ぼくの通う合氣道の道場の会「心身統一合氣道会」を創立した偉大な人であられるからであります。この『氣の確立』を読めば、「心身統一合氣道」がどのような武道であるのかが、合氣道を経験したことのない人でも、よく解るように説かれているように思われます。しかも、この本は藤平光一師匠の自伝ともなっていて、藤平光一師匠が人生をかけてこの「心身統一合氣道」を確立したことが丁寧に著されてもおります。

まだ準五級のぼくですが、これからも継続して、地道に修行、精進してまいりたいと存じます。




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鞍掛伍郎さんと角田陽一さんが執筆し、関根健司さんがアイヌ文化・アイヌ語監修をし、瀬川拓郎さんが監修した『カラー版 1時間でわかるアイヌの文化と歴史』を読みました。アイヌについて様々な方面からの概説入門的、網羅的な本でありますが、豊富なカラーの図や絵が楽しい一冊でありました。

自然を神としたアイヌの哲学、神話、宇宙は今の時代に新たに発掘され、生かされるべきとことも多いのではないかなどと思います。しかも、交易の民であったアイヌが日本文化の一つのルーツとなったことは容易に想像できるような気もします。叶わぬ夢ではありますが、ふと、文化人類学の祖であるクロード・レヴィ=ストロースがアイヌについて著述したならばどんな本となってであろうかとぼくは想像してしまう。






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このまえ、横須賀美術館の『new born 荒井良二』展で買った絵本『きょうはそらにまるいつき』を読みました。荒井良二さんの絵はなんて自由なんでしょう。『きょうはそらにまるいつき』の小さな物語はなんて清々しいのでしょう。普遍につきぬけてゆく願いと祈りも感じました。ぼくはふと今夜の空の月はどんな形だっただろうと思ってしまいます。







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マーク・カーランスキーさんが著し、片岡夏実さんの訳した『魚と人の知恵比べ フライフィッシングの世界』を読みました。この本でフライフィッシングという釣りの方法がどういう歴史をたどり、今のフライフィッシングとなったかを知り、その魅力がどこから由来するのかも少し分かった気がしました。

ぼくはいくつかの種類の釣りを試したことがありますが、渓流でのフライフィッシングに何か特別のぼくを惹きつけてやまない何かがあります。それは釣ってもフィッシング、釣れなくてフィッシングで、そこにあるものなのです。その何かに通じるような端的な言葉でこの本は締めくくられております。その言葉はぜひこの本をお買いになり、お読みください。

ぼくは一人で渓流に立ち、毛鉤を投げるぼく自身を思い描いたりします。それは、なんて自由で満ち足りているのでしょう。







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臨済宗円覚寺派管長であらせられる横田南嶺さんの著された『こころころころ はがきで送る禅のこころ』を読みました。横田南嶺和尚が檀信徒の皆さんに送られた葉書の言葉から『こころころころ』はなっており、やさしく仏教、禅の心が説かれておりました。この前、ぼくが鎌倉の円覚寺に訪れた時にこの本は購入したものであります。ご紹介に一節を引用します。

「うたたねの ひととき楽し 蓮の上」
 これは私が作った歌で、辞世の句にしても良いと思っています。人の一生というものは、仏様の蓮の上でうたたねをしているようなもの。孫悟空がどんなに動き回っても仏様の手の上であったように、私たちがいろんなことをやっても結局は仏様の手の平の上であり、蓮の上と表しました。
 これを仏心といいます。蓮の上で懐かれながら、悩んだり苦しんだりしているこの場所が、仏心の中なのです。そう信じてゆったりとした気持ちですごすことが大切です。

ぼくは円覚寺の近くの建長寺の大仏を見上げながら友だちのふとつぶやいたことを思い出してしまいます。

「すべてを見ているんだよ」






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大江健三郎の著した『晩年様式集』を読了した。この小説の背景として、東日本大震災とその後の原発の廃炉を求める運動があり、虚実ないまぜとなった作家自身の一人称で書かれた小説であった。とても読み進めるのが難しかったのは、先行となる多くの小説を読んでいなくては、分かりにくい部分もあったように思われる。大江健三郎という大きな物語群が終わってしまって、やはり寂しい。いつか、先行するたくさんの大江健三郎の小説を読んでから、再び『晩年様式集』を手にしたいと思います。







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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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