えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

梅原猛さんの著した『梅原猛の授業 能を観る』を読みました。ぼくも齢を一巡りすると、たまたまぼくが生まれたこの日本とは何だろうかと思い、能に惹かれもし、鑑賞しますが、この『梅原猛の授業 能を観る』を読むと、梅原さんの多様で大胆な学識により、日本の文化の古層があらわになるかのようなのです。
高校生のころ、梅原さんの『地獄の思想』や『水底の歌 柿本人麿論』を読み、そのユニークな論の立てかたと思想に感銘をおぼえた記憶があります。神社の在り方の本来は、国に対して恨みをもつ霊を鎮めるためのものが大きいのではないかと、梅原さんは卓見を述べておられました。
梅原さんは、日本を愛し、西洋に対して日本を擁護する日本主義者であり、国際日本文化研究センターの設立に尽力された人でありつつ、憲法九条の会の発足のまず初めの呼びかけ人であり、靖国神社の立場に反対の意をとなえられておりましたのには、一貫した切れることなない過去からの細い糸があったようにも思われもするのです。
梅原猛の授業 能を観る - 文庫 - 朝日新聞出版


内田樹さんの著した『私家版・ユダヤ文化論』を読む。面白かった。「終章 終わらない反ユダヤ主義」は特に興味深く、難しい哲学の話にも関わらず、一気に読んでしまったけれど、これは反ユダヤ主義を称揚する内容ではなく、どちらかといえば、ユダヤ人の固有の文化性を褒め称えるような内容であった。
読みながら、昔、読んだ武田泰淳の『快楽』という小説を思い出していた。この小説では「快楽」を「かいらく」ではなく「けらく」と読む。俗世の「快楽(かいらく)」を抜け出すことこそ、仏弟子である僧侶の「快楽(けらく)」であるとしながら、主人公の若き僧侶は何度も躓くのだ。主人公は寺の御本尊に尋ねる。すべてを見通せている仏陀よ、なぜ、この世界を救ってくださらぬのかと。仏陀はすべてを見つつ、何も手をくださない。これはユダヤ人の神のようではないだろうか?
この本を読んでみようという動機として、内田樹さんがYouTubeでユダヤ人について、語りまくっている動画を見たことも大きい。『私家版・ユダヤ文化論』と動画で知らないことも知り、新しいものの見方を知った。ファシズムの起源はイタリアのムッソリーニではなく、フランスにあり、かの国のエドュアール・ドリュモンというジャーナリストの書いた蒙昧な大著『ユダヤ的フランス』であっとらしい。そこから、フランスはナチスを歓迎し、ビシー政権を作ったのではないかと動画は内田さんは指摘する。さらに動画での内田さんの指摘は過激といってもいいようなものにもなる。ドイツのイスラエル支持の隠された動機は、隣人としてのユダヤ人との共生を忌避したいがためではないか? イスラエルにいる正統ユダヤ教徒は、パレスチナを支持し、イスラエルを拒否し続けているともいい、アメリカ合衆国のユダヤ人も一枚岩ではない。
内田さんは、ユダヤ人であり敬虔なユダヤ教徒であり、現代を代表する哲学者であり、神学者でもありレヴィナスから直に教えを受け、薫陶を受けたという。神の後から来たという絶対的な有神論者であり、愛こそが報われることのない努めてであり、報われることのないからこそ他者への責務であるとする、世界中にいるユダヤ人とともに、今は、ぼくはガザで暴力が止むことを祈るばかりなのだ。
Amazon.co.jp: 私家版・ユダヤ文化論 (文春新書 519) : 内田 樹


宮田律さんの著した『ガザ紛争の正体 暴走するイスラエル極右思想と修正シオニズム』を読了した。擬制のイスラエル建国から現在のガザでのパレスチナ人へのホロコースト、ジェノサイドまでたどるこの本を読んでいると辛くなる。世界はこれを見ているだけでいいのか? もう9ヶ月も時は経ち、いいわけはないと思う。『ガザの正体』からイスラエルに殺害されたレファアト・アラリールの詩を引用。
もし、私が死ななければならないのなら
あなたはどうしても生きなくてはならない
私の物語を語るために
私の遺品を売って
一切れの布といくつかの糸を買うために
(色は白で、長いしっぽをつけてくれ)
そうすれば、ガザのどこかにいる子供が
天をまっすぐに見つめ返しながら
すでに炎の中に消えてしまったがー
肉体にも、自分自身(魂)にさえ
一言も別れを告げなかった父親を待ちながらー
その凧が、あなたが作った私の凧が
空高く舞い上がるのを見てくれるから
そうすれば、束の間、天使がそこに現れて
愛をよみがえらせてくれるから
もし私が死ななければならないのなら
それが希望をもたらしますように
それが物語になりますように
アパルトヘイトを無くさせた後の初代の南アフリカの大統領のネルソン・マンデラの言葉をこの本から引用。
アパルトヘイトは人道に対する罪であり、イスラエルは数百万のパレスチナ人の自由と財産を奪っている。それは著しい人種差別と不平等のシステムを永続化させ、国際法に違反して体系的に数千人ものパレスチナ人たちに拘禁と拷問を行っている。イスラエルは市民、特に子どもたち対する攻撃を行っている。
ネルソン・マンデラは世界史に登場するぼくのもっとも尊敬する人物なのだが、この発言はネルソン・マンデラ存命の時のもので、事態はさらに深刻、残酷なことになっている。そして、さらに、この本から小説家の堀田善衛の言葉を引用。
言論は無力であるかもしれない。しかし、一切人類が、「物いわぬ人」になった時は、その時は人類そのものが自殺する時であろう。
ガザ紛争の正体


平山周吉さんの著した『戦争画リターンズ―藤田嗣治とアッツ島の花々』を読了。平山さんの本は知らなかった不幸な戦争期の昭和について、何かを知らさせ、目を見開かされるようで、面白い。本の帯にはこうある。
名画「アッツ島 玉砕」が啓示する昭和史
凄絶な玉砕シーンに、藤田嗣治が丹念に描き込んだ「死者の傍らに咲いている花」はいったい何を語りかけるのか? 英霊たちが眠る厳寒のアッツ島には終戦七十年の秘密が冷凍保存されている。
この藤田画伯の「アッツ島 玉砕」は二度、竹橋の国立近代美術館で見たことがある。一度は若かりしころで、一度はこの前で、戦争画特集と称され常設展示されていた。昭和の戦争期に描かれた戦争協力絵画の一つとして展示されてあった「アッツ島 玉砕」にぼくは嫌悪感をおぼえながらも、惹き付けられ、たたずんでいた。
熊谷守一のように戦争を忌避し、絵筆を取らなくなるという身の処置の方法もあったろうに、藤田嗣治はさまざまな思惑もあっただろうが、ナチスのドイツによるパリ陥落の後、日本に戻り、オカッパ頭を坊主に刈り、戦争絵画を描いていく。戦後、それらの絵を美術史家や美術評論家から執拗に糾弾され、パリに戻り、客死する。アメリカに接収された戦争画は「無期限貸与」という形で昭和四十五年に日本に戻される。そのような藤田の「アッツ島 玉砕」をめぐる章が四十八章あるのこの本は、どの章も興味深く、読めば戦時期の日本の空気が本から匂い立つかのようなのである。
戦争に加担したという責任を問えば、どの有名な文化人も免れえず、小説の「麦と兵隊」や「土と兵隊」を書いた火野葦平などがもっともやり玉にあげられ、火野は昭和三十五年、睡眠薬による自殺を遂げた。
この本から離れ、ぼくの知るところによれば、戦争に批判的であった永井荷風はペンを置き、同じく戦争に批判的であった谷崎潤一郎は「細雪」を書き始める。谷崎は戦後のNHKラジオのインタビューでうるさい軍部の目眩ましとして「細雪」を書き始めたといっていた。戦後、詩人、彫刻家の高村光太郎は自分を罰し、山荘で自給自足の生活を始めた。
この「戦争画リターンズ」を読んで、ぼくはもう一度、国立近代美術館を訪ねて、ゆっくりと藤田嗣治の「アッツ島 玉砕」を鑑賞しつつも、対峙したいと思う。
戦争画リターンズ 藤田嗣治とアッツ島の花々 - 芸術新聞社


平山周吉さんの著した『昭和天皇「よもの海」の謎』を読む。小津安二郎の監督した様々な映画の笠智衆の演ずる主人公の名前を筆名とするこの著者の『昭和天皇「よもの海」の謎』に近代、現代の日本の歴史の研究者である東京大学教授の加藤陽子さんは「歴史の黒白を見事、逆転!」と、本の帯に推薦文もあり、読んでみた次第。本の裏表紙に加藤陽子さんの文ではないけれど、このような紹介文もある。
「「よもの海みなはらからと・・・・・・」、祖父・明治天皇の大御心が表現された和歌を、昭和天皇が読むあげた。東条英機は「陛下の御心は平和にあり」と了解した。それなのに、日米開戦への道は止まらなかったー。昭和16年の苦い記憶が、昭和50年秋の昭和天皇に甦る。戦争責任を問われて、「文学方面はあまり研究していない」と答えた理由とは?」
「よもの海」の短歌とはこのような御製である。
よもの海みなはらからと思う世になど波風のたちさわぐらむ
明治天皇はこれを日露戦争の開戦のおり、この和歌を読み、泣き崩れたという。なんと明治天皇の読んだ和歌は10万首の膨大な数にのぼり、そこには日々の天皇の心が残されてるのではあるまいか?
平山さんのこの本での推論は「第八章 アメリカで甦る「よもの海」の記憶」でクライマックスを迎える。なるほどと思いつつ、ここからはぼくの想像なのだが、昭和天皇にはこの「よもの海」を逆の意味として受け取られ、開戦となった苦々しい記憶とともに、三島由紀夫の自決という記憶も生々しく、それに対しての反駁の気持ちもあったのではないか?
茨木のり子の詩「四海波静」がこの本に載せられていることにぼくは感嘆した。平山さんは「昭和天皇が、もしこの詩を目にすることがあったならば(それはほとんどありえない仮定だが)、「ことだま」の見えない力をまざまざと感じ、おののいたのではないだろうか」という。ぼくは平山さんに同意しつつ、詩を引用したい。
戦争責任を問われて
その人は言った
そういう言葉のアヤについて
文学方面はあまり研究していないので
お答えできかねます
思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑い吐血のように
噴きあげては 止り また噴きあげる
三歳の童子だって笑い出すだろう
文学研究果さねば あばばばばとも言えないとしたら
四つの島
笑(えら)ぎに笑(えら)ぎて どよもすか
三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア
野ざらしのどくろさえ
カタカタカタと笑ったのに
笑殺どころか
頼朝級の野次ひとつ飛ばず
どこへ行ったか散じたか落首狂歌のスピリット
四海波静かにて
黙々の薄気味わるい群衆と
後白河以来の帝王学
無音のままに貼りついて
ことしも耳すます除夜の鐘
この詩を平成天皇と今の天皇はどこかで目にしたかもしれず、それゆえに昭和天皇いわくの明治天皇の「平和愛好の御精神」は代々と引き継がれているのだと、ぼくは信ずる。皇室の方々のもっとも嫌悪することは、その政治利用であるだろうことは明白だとも思うし、昭和天皇が時の政治の動きに異議を述べたことは二度あるといわれ、それは二二六事件の軍事クーデターの時と第二次世界大戦の終結があって、それに日米開戦時のこの「よもの海」も加わろう。東条英機らの文民の立場にあった戦犯らの靖国神社の合祀以来、皇室は靖國に参拝していない。それをとりやめた昭和天皇自身がはっきりと、それが私の心だと述べられているのだった。
『昭和天皇 「よもの海」の謎』 平山周吉
「「よもの海みなはらからと・・・・・・」、祖父・明治天皇の大御心が表現された和歌を、昭和天皇が読むあげた。東条英機は「陛下の御心は平和にあり」と了解した。それなのに、日米開戦への道は止まらなかったー。昭和16年の苦い記憶が、昭和50年秋の昭和天皇に甦る。戦争責任を問われて、「文学方面はあまり研究していない」と答えた理由とは?」
「よもの海」の短歌とはこのような御製である。
よもの海みなはらからと思う世になど波風のたちさわぐらむ
明治天皇はこれを日露戦争の開戦のおり、この和歌を読み、泣き崩れたという。なんと明治天皇の読んだ和歌は10万首の膨大な数にのぼり、そこには日々の天皇の心が残されてるのではあるまいか?
平山さんのこの本での推論は「第八章 アメリカで甦る「よもの海」の記憶」でクライマックスを迎える。なるほどと思いつつ、ここからはぼくの想像なのだが、昭和天皇にはこの「よもの海」を逆の意味として受け取られ、開戦となった苦々しい記憶とともに、三島由紀夫の自決という記憶も生々しく、それに対しての反駁の気持ちもあったのではないか?
茨木のり子の詩「四海波静」がこの本に載せられていることにぼくは感嘆した。平山さんは「昭和天皇が、もしこの詩を目にすることがあったならば(それはほとんどありえない仮定だが)、「ことだま」の見えない力をまざまざと感じ、おののいたのではないだろうか」という。ぼくは平山さんに同意しつつ、詩を引用したい。
戦争責任を問われて
その人は言った
そういう言葉のアヤについて
文学方面はあまり研究していないので
お答えできかねます
思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑い吐血のように
噴きあげては 止り また噴きあげる
三歳の童子だって笑い出すだろう
文学研究果さねば あばばばばとも言えないとしたら
四つの島
笑(えら)ぎに笑(えら)ぎて どよもすか
三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア
野ざらしのどくろさえ
カタカタカタと笑ったのに
笑殺どころか
頼朝級の野次ひとつ飛ばず
どこへ行ったか散じたか落首狂歌のスピリット
四海波静かにて
黙々の薄気味わるい群衆と
後白河以来の帝王学
無音のままに貼りついて
ことしも耳すます除夜の鐘
この詩を平成天皇と今の天皇はどこかで目にしたかもしれず、それゆえに昭和天皇いわくの明治天皇の「平和愛好の御精神」は代々と引き継がれているのだと、ぼくは信ずる。皇室の方々のもっとも嫌悪することは、その政治利用であるだろうことは明白だとも思うし、昭和天皇が時の政治の動きに異議を述べたことは二度あるといわれ、それは二二六事件の軍事クーデターの時と第二次世界大戦の終結があって、それに日米開戦時のこの「よもの海」も加わろう。東条英機らの文民の立場にあった戦犯らの靖国神社の合祀以来、皇室は靖國に参拝していない。それをとりやめた昭和天皇自身がはっきりと、それが私の心だと述べられているのだった。
『昭和天皇 「よもの海」の謎』 平山周吉


新潮文庫の三島由紀夫の小説集『手長姫 英霊の声 1938-1966』を読む。表題の二つの小説以外に『酸模―秋彦の幼き思い出』、『家族合せ』、『日食』、『携帯用』、『S・O・S』、『魔法瓶』、『切符』を所収。その中で『英霊の声』のみ特異な小説だという印象を受けた。
『英霊の声』は1966年に発表された小説で、三島自ら、この小説を書くために、戦後を、恥を忍んで、鼻をつまんで生きてきたと語っている。この『英霊の声』は、大江健三郎の『セブンティーン』と『政治少年死す』、深沢七郎の『風流夢譚』から連なる、大江健三郎いわく「天皇制を持っている国家」について考えるための最も有力なテキスト、ナラティブではなかろうか。そして、この後に、大江健三郎の『みずから我が涙をぬぐいたまう日』が続く。
三島由紀夫も大江健三郎も深沢七郎も戦争を経験した人間として、人生のある時期、天皇制を内面化しており、これらの五つの小説は、それぞれがそれぞれに反駁しつつも、共通の志を持った、日本という国を考える上で、最も重要な小説なのかもしれない。
『手長姫 英霊の声―1938-1966―』 三島由紀夫


大江健三郎の著した『みずから我が涙をぬぐいたまう日』を読む。これは何度目かの再読かもしれない。明治から昭和にかけての特殊な時代の天皇制の天皇というテーマの『みずから我が涙をぬぐいたまう日』は、同じテーマの『月の男』も所収して一冊の本となっている。
これを読めば、いかにも三島由紀夫の『英霊の聲』や戦後、最も読まれた作家の切腹という自死に反訴していることは明かであるようなのだけれど、むしろ、『みずから我が涙をぬぐいたまう日』の方が「少国民」と呼ばれた大江自らの少年期の愛国の真情、情熱がほとばしるようなのだ。『みずから我が涙をぬぐいたまう日』に書かれた昭和二十年八月十五日までは、そのような真情が、八月十六日には、跳躍し、戦後となる。むしろ、戦争を忌避した日本浪漫派を出発した三島由紀夫に戦争の終わりは来たが、戦後は来なかったのではなかろうか? 永遠と続く戦争と終戦の永劫回帰のような中で、三島は遂には死者の後を追い、自害したことを最も理解しえた作家は大江健三郎しかいなかった。三島の死を多くの作家は狂気のように扱ったが、大江のみ自らのこととして、引き受けて批判しようとして、小説を書き、その小説の『みずから我が涙をぬぐいたまう日』の本意は「天皇陛下が、オンミズカラノ手デ、ワタシノ涙ヲヌグッテクダサル、という祈求の叫び」ということらしい。この本にある「*二つの中篇をむすぶ作家のノート」にはこんな詩の断片が記されており、その言葉は常に大江という作家の心のどこかにあったという。
純粋天皇の胎水しぶく暗黒星雲を下降する
もう一つの中篇は『月の男』で、それは現人神たる天皇に謁見することを希求するNASAの訓練から逃亡したアメリカ人を主人公とする物語で、その主人公の緊張は、テレビで報ぜられる月の人類の到着で極点に達し、天皇の言葉を希求するのだった。戦後民主主義と戦後憲法の擁護者であった、大江健三郎は文字通り、その一条を含めた日本国憲法の擁護者であったのかもしれない。今では天皇こそ平和の擁護者だという声も聞かれる。しかしながら、作家は「著者から読者へ」というあとがきで、このような否定でも肯定でもない言葉を記してもいて、それは読者にアンビバレンツの疑問を投げかけるようでもある。引用して、この感想を了とします。
天皇制を持っている国家と、そうでない国家とは―旧憲法のもとではもとより、新憲法のもとでも―すっかりちがう、一般的な国家像とはちがったその特別な国家に、われわれは生きているのだと、とくに若い人たちに繰りかえしいいたい気持を、ぼくは押さえられません。しかもそれをエッセイの文体では自分には書けぬ、危険な多様性を持った、ある深みまで、『みずから我が涙をぬぐいたまう日』は表現しえているのではないか、と僕は―希望的な観測も含めて―考えています。
『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(大江 健三郎)


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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