えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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新潮文庫の三島由紀夫の小説集『手長姫 英霊の声 1938-1966』を読む。表題の二つの小説以外に『酸模―秋彦の幼き思い出』、『家族合せ』、『日食』、『携帯用』、『S・O・S』、『魔法瓶』、『切符』を所収。その中で『英霊の声』のみ特異な小説だという印象を受けた。

『英霊の声』は1966年に発表された小説で、三島自ら、この小説を書くために、戦後を、恥を忍んで、鼻をつまんで生きてきたと語っている。この『英霊の声』は、大江健三郎の『セブンティーン』と『政治少年死す』、深沢七郎の『風流夢譚』から連なる、大江健三郎いわく「天皇制を持っている国家」について考えるための最も有力なテキスト、ナラティブではなかろうか。そして、この後に、大江健三郎の『みずから我が涙をぬぐいたまう日』が続く。

三島由紀夫も大江健三郎も深沢七郎も戦争を経験した人間として、人生のある時期、天皇制を内面化しており、これらの五つの小説は、それぞれがそれぞれに反駁しつつも、共通の志を持った、日本という国を考える上で、最も重要な小説なのかもしれない。

『手長姫 英霊の声―1938-1966―』 三島由紀夫
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大江健三郎の著した『みずから我が涙をぬぐいたまう日』を読む。これは何度目かの再読かもしれない。明治から昭和にかけての特殊な時代の天皇制の天皇というテーマの『みずから我が涙をぬぐいたまう日』は、同じテーマの『月の男』も所収して一冊の本となっている。

これを読めば、いかにも三島由紀夫の『英霊の聲』や戦後、最も読まれた作家の切腹という自死に反訴していることは明かであるようなのだけれど、むしろ、『みずから我が涙をぬぐいたまう日』の方が「少国民」と呼ばれた大江自らの少年期の愛国の真情、情熱がほとばしるようなのだ。『みずから我が涙をぬぐいたまう日』に書かれた昭和二十年八月十五日までは、そのような真情が、八月十六日には、跳躍し、戦後となる。むしろ、戦争を忌避した日本浪漫派を出発した三島由紀夫に戦争の終わりは来たが、戦後は来なかったのではなかろうか? 永遠と続く戦争と終戦の永劫回帰のような中で、三島は遂には死者の後を追い、自害したことを最も理解しえた作家は大江健三郎しかいなかった。三島の死を多くの作家は狂気のように扱ったが、大江のみ自らのこととして、引き受けて批判しようとして、小説を書き、その小説の『みずから我が涙をぬぐいたまう日』の本意は「天皇陛下が、オンミズカラノ手デ、ワタシノ涙ヲヌグッテクダサル、という祈求の叫び」ということらしい。この本にある「*二つの中篇をむすぶ作家のノート」にはこんな詩の断片が記されており、その言葉は常に大江という作家の心のどこかにあったという。

 純粋天皇の胎水しぶく暗黒星雲を下降する

もう一つの中篇は『月の男』で、それは現人神たる天皇に謁見することを希求するNASAの訓練から逃亡したアメリカ人を主人公とする物語で、その主人公の緊張は、テレビで報ぜられる月の人類の到着で極点に達し、天皇の言葉を希求するのだった。戦後民主主義と戦後憲法の擁護者であった、大江健三郎は文字通り、その一条を含めた日本国憲法の擁護者であったのかもしれない。今では天皇こそ平和の擁護者だという声も聞かれる。しかしながら、作家は「著者から読者へ」というあとがきで、このような否定でも肯定でもない言葉を記してもいて、それは読者にアンビバレンツの疑問を投げかけるようでもある。引用して、この感想を了とします。

 天皇制を持っている国家と、そうでない国家とは―旧憲法のもとではもとより、新憲法のもとでも―すっかりちがう、一般的な国家像とはちがったその特別な国家に、われわれは生きているのだと、とくに若い人たちに繰りかえしいいたい気持を、ぼくは押さえられません。しかもそれをエッセイの文体では自分には書けぬ、危険な多様性を持った、ある深みまで、『みずから我が涙をぬぐいたまう日』は表現しえているのではないか、と僕は―希望的な観測も含めて―考えています。

『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(大江 健三郎)
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夏井いつきさんの著した『夏井いつきの世界一わかりやすい俳句の授業』を読みました。この本を読んで、俳句とは文学や文芸であると同時に、工芸であるように感じたのは、俳句が五七五の型や季語を有するからかもしれません。それはアメリカの黒人たちが育んだブルースが明瞭な型を持ちながら、とても自由であることに似ているような気もするのです。森羅万象のさまざまなこと、小さなことの美しい気付きをこのように表現できてしまう俳句は何て素晴らしいのでしょう。

夏井いつきの世界一わかりやすい俳句の授業
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谷崎潤一郎の著した『陰翳礼讃』を読みました。去年、太田美術館で江戸時代のもっとも後期の浮世絵画家である葛飾応為のほの暗い「吉原格子先之図」を見てから、古典の大家であり、ノーベル文学賞の候補ともなる文豪であり、ヘンタイな小説家である谷崎の『陰翳礼讃』を再読したいと思っておりました。

谷崎は、厠やら羊羹、屏風、障子、和紙、漆器、能、文楽などの日本のありとあらゆるものを持ち出してきて、日本の陰翳を礼讃しているのです。面白かった。

読んだのは中公文庫版で、『懶惰の説』、『恋愛及び色情』、『客ぎらい』、『旅のいろいろ』、『厠のいろいろ』も掲載。戦争をはさんだ昭和の時代、昭和五年から昭和二十三年に書かれた名随筆の案配です。

陰翳礼讃 -谷崎潤一郎 著
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イスラエルの歴史学者、イラン・パペ博士が2007年の来日時の講演と議事応答を記した『イラン・パペ、パレスチナを語る 「民族浄化」から「橋渡しのナラティヴ」へ』を読む。

イラン・パペさんは、シオニズムに疑義、反対意見を提示し、1947年のイスラエルの建国の際にパレスチナ人に行われたことは、民族浄化などによる追放だとし、イスラエルのすべての大学から任官拒否され、殺害予告され、イスラエルを出国せざるえず、今はイギリスのエクセター大学で教鞭を取っている。「共に生きることを望むなら彼らを二つの国に分けることはできない」のメッセージとともに、イスラエルとパレスチナは正式に二国家共存により解決されるのではなく、ユダヤ人とアラブ人のどちらが主導権を持つわけでもない一つの民族共生国家による平和をパペさんは主張している。

この本で主張されている「橋渡しのナラティヴ」は、まだ完成されていない概念のようだけれども、その困難さこそ未来に寄与され、何か明るいものを照射するかのようなのです。ぼく自身のことに話をたぐりよせれば、残った人生で「橋渡しのナラティヴ」に何かを寄与するような歌が作れ、歌えれば本望のような気もしてくるのです。そして、ガザの本当の平和を祈らずにはいられません。

イラン・パペ、パレスチナを語る
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本の帯から引用するに、多くの権力者を敵にまわすと同時に多くの民衆から愛された、パレスチナの風刺漫画家、ナージー・アル・アリーの『パレスチナに生まれて』を読む。この本の原題は『A Child in Palestine』で、この「A Child」とは難民として祖国から逃れざるえなかった子ども時代のナージー・アル・アリーその人ではなかったか? その少年にナージー・アル・アリーは「ハンダラ少年」と名付けていて、どのような少年であるかというと、この本を翻訳した四方田犬彦さんの解説から引用するに、「パレスチナの人たちの本当の姿はテロリストではなくて、貧しく無防備な、しかし誇りを失わずに状況を見すえる存在なのだということを知ってほしい」というような少年だ。ナージー・アル・アリーは五十歳で1987年に再びパレスチナの地を踏むことなく、ロンドンで銃撃され暗殺された。

ぼくがイスラエルという国に問題があり、イスラエルによる暴力とイスラエルがシオニズムと名付けた土地の収奪によるパレスチナ人の絶えざる受難と受苦を知ったのが、二十歳のころガッサン・カナファーニの小説を読んでからだから、その時から何十年も経ち、何の解決も見れず、ガザで最悪の事態にまでなっている。ぼくは、ぼく自身の数十年もの間の無関心を悔やんでもいて、漫画を描くナージー・アル・アリーのようなペンの力、文化の力、そして、ジョン・レノンが「Power to the People」で歌いもした大衆の力も信じつつ、パレスチナの人たちが、チリのビクトル・ハラの歌った「平和に生きる権利」を当然のものとする日がくるまで、力なくも、祈り、書き、言葉を発し、暴力に反対し、平和を歌いたいのです。

書籍: パレスチナに生まれて: いそっぷ社
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高橋源一郎さんの著した『一億三千万人の『歎異抄』』が面白くて一気読みしました。浄土真宗にとって最も重要な文章の一つ『歎異抄』は唯円によって親鸞の述べたことを書いた書物で、それを小説家の高橋源一郎さんが現代語訳したものがこの本で、とても平易な言葉で書かれつつも、原文を損なわず、歪めもしない優れた分かりやすいものでもあります。巻末に原文も掲載されていて、高橋さんの現代語訳を読んでから、原文を読むと、すっきりと胸に落ちます。「宗教って何だ(『歎異抄(タンニショウ)』を「翻訳」しながら考えたこと)」と題された高橋源一郎さん自身による解説も面白い。新しく優れた『歎異抄』の現代語訳本が出来上がっており、浄土真宗に何か縁を感じ、興味をいだいた人にお奨めの一冊であります。

一億三千万人のための『歎異抄』 - 朝日新聞出版
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えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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