えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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林家ペーさんの『ヨレヨレ人生漫談』を読みました。聞き書きしたのはフリーライターの野原広子さんで、一時期、野原さんは林家ペーさんと、林家パー子さんのマネージャーを務めていたそうです。林家ペーさんが自らの人生を振り返りつつ、ペーさんの寄席での漫談のように楽しい本でありました。この本を読んでよくわかったこと、ペーさんとパー子さんって本当のおしどり夫婦ですな。それから、ペーさんって、いい人だなぁ。ペーさん、ありがとう。

ヨレヨレ人生漫談 | 書籍
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手塚治虫の漫画『ながい窖(あな)』を読む。どのような本かなのか、紹介するために本の帯の言葉を引用します。

「手塚治虫の全集未収録作『ながい窖(あな)』。戦前から戦後にかけての在日朝鮮人の姿を通し、忘却された歴史の実態を克明に描き出した1970年初出の重要作が、原稿からの再スキャンによる復刻。作品の時代背景を精緻に紐解く80頁の解説を付し、手塚治虫の現代性を捉え直す。」

二段組の体裁の解説も重要な内容で、今こそ発刊されるべき内容の本書であります。その解説の題を僭越ながらも作者の敬称を略しつつも引用いたします。

差別を見つめる人 手塚治虫【四方田犬彦】
単線的な手塚像の修正を迫る作品【本浜秀彦】
強く日本人であること【李鳳宇】
在日コリアンと日本社会【神谷丹路】
まっとうな世界への序曲【林晟一】
「朝鮮人」の物語を今読むということ【李英美】

この本には、いい意味でとても心揺さぶられました。手塚治虫も今の日本ではある種の人たちから「パヨク」などと呼ばれるのかね? 愚劣な世界になったものだ。右とか左とか関係なく、本書は歴史の反動からの押し戻しのとても重要な何かであろう。初版はあっという間に売り切れたそう。出版元の方々、重版をお願いします。

ながい窖
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DNAからいきものの過去と現在を読み解く研究者、福島大学共生システム理工学類教授であられる兼子伸吾さんの著した『そのシカ、どこから来たと思います?』を読みました。この前、奈良を旅して、奈良公園のシカを見て、興味を持ち、触手を伸ばした本であります。シカのいろんなことが楽しく書かれております。

「第4章 シカが教えてくれること」では日本のシカやその周りの自然の保全ということについての厳しい内容を述べられております。例えば、兼子先生と同じくに、これから先の1000年の奈良公園のシカの人、自然の穏やかな結びつき、環境が守られていくことを願わずにはおられれません。読了し、ぼくに何かできることはないか、と思案し、本を閉じました。

そのシカ、どこから来たと思います?
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奈良国立博物館で自分へのお土産として買ってきた、金峰山寺修験本宗の宗務総長と執行長であられる五條永教さんの著した『金峯山寺の365日』を読了しました。映像作家の保山耕一さんの制作したDVDも付いております。口絵の写真も美しいこの本は吉野のお山への旅を誘うかのような本でありました。その旅に誘うかのような本は、祈りを誘うかのような本でもあります。

金峯山寺の山伏さんや東大寺の僧侶の方々は「とも祈り」ということをされているそうなのです。宗派、宗教を超えて、「みんな、ようなれ」を合言葉に疫病退散や世界平和を祈念することだそうです。少しこの本から離れて、金峯山修験本宗の管長をされている五條良知さんの言葉です。

「新型コロナウイルス以降、奈良の東大寺様をはじめ多くの方々とともに毎日正午に「とも祈り」をしてきました。場所は違えども、時を同じくして、気持ちを同じくして祈るものです。どなたでもいつからでもご一緒しましょう。南無阿弥陀仏でもアーメンでもかまいません。ごちそうさま、ありがとう、おやすみ、おはよう。こうした挨拶で、随分と日々の生き方が変わってくるもの。分断ではなく、一緒に続けること。蔵王権現様は「過去現在未来を救うてやる」と言っておられます。思い煩っていることをお預けしていいんですよ。それで心身がちょっと軽くなったら、自分が今できることを頑張ってみる。今頑張れたら過去のことが報われます。今頑張れたら未来の道が開け、次世代の子供たちの世界が少し良くなるのです。人が人のために祈る。そういうことが大事だとお伝えしているところです」

とても美しい「信」があるように思えました。金峯山寺では今日も山伏修行の利他行が続けられ、別け隔てなく人びとを救うために祈りが続けられておるようなのです。

金峯山寺の365日

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詩と批評の雑誌『ユリイカ』の令和8年6月増刊号の『総特集 中上健次―生誕80年』が面白く、二段組で381ページもあるのに全部、読んでしまった。

とくに巻頭の3編、渡邊英理さんと内藤千珠子さんの 徹底討議「中上健次を更新する―ジェンダーとフェミニズムから問うそのアクチュアリティ」、渡邊英理さんの『奇蹟』論「「内戦」の「戦後文学」―中上健次『奇蹟』」、内藤千珠子さんの『奇蹟』論「ファシズムとミソジニー―中上健次『奇蹟』が問う戦争のフレーム」が今という時代に当然に出てきた批評だと感じさせ、とても興味深かった。

中上健次の朋輩と中上自身から呼ばれていた柄谷行人さんの「中上から遠く離れて」は「書くべきことがない」というようなものであった。柄谷さんは今は文学には何も興味はないということらしい。であるならば、編集者の依頼を徹底的に固辞して、書かなければよいのに、とぼくは思う。

その他の批評や論文も、どれも面白い。特に四方田犬彦さんは出色で、台湾に「路地」が通底しているかのような「春日、ふたたび」を書いていて、中上健次の文学の今の時代にも活きる生々しい別の者たちの抗議と抵抗の物語の有効性を感じた。そこで柄谷行人さんを、「俺が上半身で、中上が下半身だという柄谷の発言は、彼の中上に向ける視線が、植民地のイギリス人がインド人に向けたそれを連想させる」とし、鋭く批判していて、ぼくはなるほどと感心した。「中上から遠く離れて」と書く柄谷さんは、ここでも中上健次を搾取しているのではあるまいか?

近いうちに中上健次の小説を読み返そうと思いつつ、中上健次の小説に出てくる「秋幸」や「さと子」、「オリュウノオバ」、「トモノオジ」、「タイチ」や「イクオ」は、この21世紀、どこに行ったんだ、と思う。寂しいねー。中上健次が亡くなって、もう34年が経とうとしているのです。

青土社 ||ユリイカ:ユリイカ2026年6月臨時増刊号 総特集=中上健次
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「熊鷹」という掌篇の小説を書いてみたのです。披露いたします。


    熊鷹

 彼は下手な釣人であった。渓流の流れに虹鱒もしくは山女魚が見えるのだが、なかやか釣れない。釣竿を振り何度も毛鉤を川面に投げた。釣れない。空には熊鷹が舞っていた。羽ばたかず、風切り羽は空気を切っている。すると数十メートル先の川面に熊鷹は降下した。何度も降下した。そのうち熊鷹は空の向こうに行ってしまった。釣人は熊鷹の降下したところに来ると、そこは魚たちの溜まり場であった。熊鷹は狩りに失敗したようだった。釣り人は今日もかんばしい釣果がなかった。数匹は釣れた。釣り具をしまい、車に乗り、その川から離れていこうとすると、目の前に車を先導するかのように熊鷹が飛んでいた。熊鷹の鉤爪には一匹の鱒が握られていた。魚を見せびらかすかのようだった。釣り人は車のハンドルを握りながら、ついにやったか、と独りごちた。
 釣り人に月日が経った。昔、狩りをした熊鷹に会った川に釣竿を持ち立った。何匹も釣れることに、驚いた。釣り人は上達していた。これで十四匹目だ。今日は釣れるなどと気を緩し、毛鉤を外す時、魚の口の中の少し奥まった処を切ってしまったようだったが、釣り人はいつものように放した。大丈夫かなと思い魚を見つめていた。魚は泳いで行った。しばらくして、魚の鰓の辺りに血が薄く滲むようだった。さらに魚は泳がなくなり、白い腹を上にして漂う。失敗した。持ち帰って食べるか、毛鉤を外すのではなく、糸を切るべきであったと後悔した。糸を切ればほとんどの魚の毛鉤は反しを潰していれば、そのうち自然に外れるそうなのだ。釣人に苦々しい嫌な気持ちが広がった。悔みながら遠くでゆっくり流れて行く魚を暫くは目で追っていた。するといつの間にか熊鷹が空を舞っていた。あの時の熊鷹かもしれない。もしかしてと釣り人は思った。熊鷹は魚の回りの空を優雅に旋回しているようだった。何度でも旋回する。やはり駄目かと釣り人が魚から目を離すと後ろの方からばしゃっと音がした。熊鷹は川面で何かを掴んでいた。それはさっきの弱った魚であった。確かにその鉤爪が魚を掴み、熊鷹は空を飛びどこかへ帰っていくようだった。
 熊鷹の巣には熊鷹の雛がおり、その雛に親の熊鷹が口移しで、魚を少しづつ与える姿が釣人の心に浮かび、釣人は救われた気がした。魚の命は循環の中で救われた。小さな雛は魚によって命を繋ぐことができた。釣人の心は熊鷹に救われたかのようでもあった。王者というものがいるとすれば、熊鷹よ、おまえこそが森の、山の王者だ。空の高みから渓谷の川面に僅か数秒で降り立ち、悠々と音もなく空を飛び、狩りの獲物を鉤爪で掴み、雛の巣に帰るおまえが王者であることは、もう釣人には疑えないのだった。そうであればあの傷つけられ、熊鷹に捕らえられた虹鱒は神のごときものではあるまいか。森羅万象が輝き始めることを見とった釣人は、空を見上げかろうじて地に立ち嗚咽し泣き始めた。
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ぼくの町田にある道場に通っている心身統一合氣道会の会長であられる藤平信一先生の著した『力を抜く練習 動じない自分の養い方』を読みました。

合氣道には、心身統一合氣道の藤平信一先生の父君であられる藤平光一先生以前と藤平光一先生以降がある、ぼくは思っていて、この『力を抜く練習』を読んでもそれを感じました。それは、キリスト教にパウロ以前とパウロ以降があることに似ております。パウロは、割礼などのユダヤ律法の遵守よりも、キリストの信仰による救いを強調し、異邦人へ福音を広め、キリスト教を世界宗教に普遍化しました。日本では、親鸞から一遍にとつづく法然が、修行ではなく、念仏という信仰による救済を説き、日本の仏教を特別な修行者のみならず、誰ものために普遍化しました。

さて、心身統一合氣道は、この本の「あとがき―道場で培われる「あり方」を日常へ」から引用すれば、「師匠が遺したのは机上の空論ではなく、誰にでも実践でき、再現できる「生きるための智恵」です。複雑な現代を生きる皆さんの心に静かな灯火を点し、本来の輝きを取り戻すための一助となることを願ってやみません」ということだろう、と僭越ながらぼくも思います。

本書を読み、興味を抱かれた方がございますれば、ぜひ近くの心身統一合氣道の道場の扉をお叩きください。未熟ながらもぼくが畳の上で稽古して、投げたり、投げられたりしているかもしれません。

『力を抜く練習 動じない自分の養い方』藤平信一
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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