えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
原宿の喫茶店「シーモアグラス」の店長、坂元織衣さんの編んだ『喫茶店のはなし。』を読む。巻頭に谷川俊太郎さんの詩「カフェ」があり、巻末に忌野清志郎さんの詞「君が僕を知っている」があり、23人の人が文をよせている。喫茶店をめぐるエトセトラ。
喫茶店というと古淵の「喫茶ナチュラル」とか相模大野の「トロワアンジュ」を思い出す。この前「喫茶ナチュラル」に行ってみたら、いつの間にか閉店し「食堂喫茶より」となっていた。「食堂喫茶より」も「喫茶ナチュラル」と同じく、なかなか感じのよいお店で安心した。「トロワアンジュ」は今でも健在。美味しいコーヒーを飲みながら、ならんだコーヒーカップをちらちらと見つつ、流れているクラシック音楽に耳をそばだてる。
さて、最近よく行くのは新宿の「BERG」で、この『喫茶店のはなし。』に副店長の迫川尚子さんが「この場所にふさわしい店」を書いていて、「BERG」の歴史やいきさつを知りました。「BERG」には「パレスチナ人虐殺反対」のポスターや「左翼に投票しろ」のポスター、「反戦」のポスターが貼られていて、それもぼくには心地よい。ばくは日本の文化が好きな日本主義的なところのある人間だが、今のご時世、左翼がいなければ、この世界は闇だとも思う。
居心地のよい知らない喫茶店を見つけに、町を散歩しましょう。
シーモアグラス坂本織衣 - 喫茶店のはなし。
藤本タツキさんの著した漫画『ルックバック』を読みました。是枝裕和監督の映画『ルックバック』の原作であります。解決のないラストが切ない。感動しました。誰もが重荷を背負っていくしかないのかもしれません。
映画の『ルックバック』は原作とほぼストーリーは変わりませんでした。映画には映画のよさがあり、漫画には漫画のよさがあることを再認識しました。両者とも『ルックバック』は芸術であります。
ルックバック - 藤本タツキ - 少年ジャンプ+
ブレイディみかこさんの著した『それはどこでも起こり得る 壊れゆく世界への抵抗』を読む。今、リマイグレーションの吹き荒れるU.K.からの鳥の目(俯瞰)と虫の目(凝視)による報告書であります。ブレイディみかこさんは英国に移り住んで、30年になろうとするリマイグレーションされる当事者でもある。今、英国では「リマイグレーション」のデモが吹き荒れているらしいことはニュースでも見た。「リマイグレーション」という言葉についてのブレイディみかこさんの解説を本書から引用します。
「マイグレーション(migration=移住)に、「再び」「後ろに、元の場所に」を意味する接頭語(re-)をつけた言葉で、あえて日本語に訳せば「再移住」となる。が、真の意味は、非白人の少数民族、特に移民(時には国内で生まれた市民権を持つ人々も含む)を人種的祖先の場所へ大量に追放することであり、「ソフトな民族浄化」とも呼ばれる。」
なんというグロテスクなことがこの世界で進行していて、まるでナチスに世界が覆われつつあるかのようだ。アメリカではトランプの私兵であるかのようなICEが市民を撃ち殺している。日本も一歩だけ遅れているだけなのかもしれないという警鈴の意味を含めてのこの本のタイトル「それはどこでも起こり得る」ということらしい。そして、「第7章・リマイグレーションの政治」はこう結語する。
「このように、リマイグレーション政治は、独裁や権威主義的体制を効果的に行うための手法なのだから、移民だけの問題ではない。最終的にはすべての人々にツケが回って来る。自立性を奪われ、すべての市民権が消えた状態で、家畜ならぬ国畜のように生きていく社会が、リマイグレーションの先にある。
抵抗か、それとも国畜にされても最適化か。そういう分岐点に、わたしたちは立っているのだ。」
ぼくは国畜になるのなんて嫌です。その抵抗のまずは第一歩として、この『それはどこでも起こり得る 壊れゆく世界への抵抗』は現在という時代を批評的に、懐疑的に理解するための最良の本であります。
『それはどこでも起こり得る 壊れゆく世界への抵抗』ブレイディみかこ | 単行本 - 文藝春秋
日下部尚徳さんの著した『自分ゴトとして考える難民問題 SDGs時代の向き合い方』を読みました。ロヒンギャの人たちの苦難を知るために読んでみました。『自分ゴトとして考える難民問題』は若い人たちにむけた1冊です。この本の「7章 難民を通して世界とつながる」の「特別編 先輩インタビュー」に出てくる若い人たちが大いなる希望です。と同時に自分でもできることをしたいな。近所にある外国の人の営むエスニック・レストランに行って、美味しいものを食べようかな、などとも思います。まずは小さいことからも大切です。
自分ゴトとして考える難民問題/日下部 尚徳
ナンシー・フレイザーさんが著し、江口泰子さんが訳した『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』を読了しました。白井聡さんが「解説」を書いております。読み進めるのがなかなか難しい本でありましたが、読んでよかった。資本主義の一丁目一番地のアメリカ合衆国から政治哲学のこのような本が登場したことに驚いております。と同時に当然だとも思います。本当に資本主義の終焉がやってきているのかもしれません。本の内容を紹介するために目次を引用します。
序章 共喰い資本主義―私たちはもう終わりなのか
第1章 雑食―なぜ資本主義の概念を拡張する必要があるのか
第2章 飽くなき食欲―なぜ資本主義は構造的に人種差別的なのか
第3章 ケアの大喰らい―なぜ社会的再生産は資本主義の危機の主戦場なのか
第4章 呑み込まれた自然―生態学的政治はなぜ環境を超えて反資本主義なのか
第5章 民主主義を解体する―なぜ資本主義は政治的危機が大好物なのか
第6章 思考の糧―二一世紀の社会主義はどんな意味を持つべきか
終章 マクロファージ―共喰い資本主義の乱痴気騒ぎ
さきほど、市内のどこかで土砂災害の起こる可能性のニュースを聞きました。無尽蔵だと思われてきたものが、本当は有限であり、それが無秩序を引き起こし、氾濫し、復讐しているのかもしれません。関連したことは『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』の「第4章 呑み込まれた自然―生態学的政治はなぜ環境を超えて反資本主義なのか」にも出できます。大雨の壁と屋根を叩く音を聞きつつ、2022年に原書の出されたこの本は予言的であったと実感し、今、それが実際に現在進行しているようなのです。
白井聡さんは「解説」の中で宇野弘蔵の経済学の影響を指摘していますが、なるほど、と思いました。けれども、それ以上に宇沢弘文の経済学に近く、宇沢の説く「コモン(社会的共通資産)」は直接的な大きなヒントとなっているような気がします。
今という時代に登場したもっとも重要な理論書の本書には具体的な解決策は提示されておりません。柄谷行人さんの『力と交換様式』にあるように、その解決はやってくるものでしょうか? 今は資本主義社の最後のパーティーで、柄谷行人さんの『力と交換様式』や斎藤幸平さんの『人新世の「黙示録」』と呼応し、『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』は資本主義の後の未来のための小さな点のような光を灯してもいるかもしれません。
『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』ナンシー・フレイザー
哲学者の宮野真生子さんと人類学者の磯野真穂さんの取り交わした往復書簡を本にした『急に具合が悪くなる』を読みました。濱口竜介監督の映画『急に具合が悪くなる』の原作となっておりますが、内容はかなり違います。濱口竜介監督さんは宮野真生子さんと磯野真穂さんにレスペクトを込めて原作としたのかもしれません。
本の『急に具合が悪くなる』ですが、二人の女性が一年にも満たない間に、シスターフッドからソウルメイトとなる奇跡のようなやりとりが綴られております。などと書くと、宮野真生子さんと磯野真穂さんのお二人に「シスターフッド」とか「ソウルメイト」とかって、そのラベル付けな何、と抗議されそうです。「『急に具合が悪くなる』の舞台裏」と「付記」を読みながら、ついにぼくの涙腺はおさえられないような状況となってしまいました。やはり、これはラインにより深く刻まれた奇跡なのだ、とぼくは思うのです。
急に具合が悪くなる
パウル・クレーの画集に谷川俊太郎さんが含意に富んだ美しい詩をそえた『クレーの絵本』を読む。ふと、ぼくのもっとも好きな画家はパウル・クレーかもしれない、と思い、この本を手に取った次第であります。スイスで生まれ60歳で1940年に没したパウル・クレーは、その晩年期、ベルリンの芸術学校、バウハウスで教鞭を取っていたのだけれど、ナチスから「退廃芸術」という栄光ある烙印を押され、弾圧される。パウル・クレーはその芸術において、表現主義、超現実主義、構成主義のどれにも、どこにも属さなかった。パウル・クレーの墓碑にはこうあるという。
「この世では、ついに私は理解されない。なぜならいまだ生を享けていないものたちのもとに、死者のもとに、私はいるのだから」
『クレーの絵本』(パウル・クレー,谷川 俊太郎)
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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