えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
五木寛之さんの著した『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』が面白くて、一気に読みました。五木寛之さんがさまざまな人との交流の中で、対談の時などに聞いた何気ない言葉を思い出しつつ、書いたエッセイです。46人もの人との交流と印象に残った言葉が記されております。
例えば、批評家の小林秀雄さんは「人間は生まれた時から、死へ向かってとぼとぼ歩いていくような存在です」。例えば、女優の八千草薫さんは「激しい豪雨ではなく日本らしい雨期になって欲しいです」。例えば、C・W・ニコルさんは「きちんとひげを剃る。そんなタイプの男が、いざという時に強かったんです」。ぼくは読みながら、この本に書かれた今はもう亡くなってしまった人の気配にたじろいでしまいそうになります。
最後の章は、五木寛之さんの父君、信蔵さんの言葉「寝るより楽はなかりけり。浮き世の馬鹿が起きて働く」。戦中、戦後と時代に翻弄され苦労つづきで、早くに亡くなった父のことを五木さんは述懐し、父の「浮き世」は「憂き世」ではなかったのか、と慨嘆する。ぼくの亡き父も「寝るより楽はなかりけり」とよく言っていたのだけれど、その後の「浮き世の馬鹿が起きて働く」は、この本『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』で知った。などと思うと、生きているかのようなぼくの父の気配を少しだけ感じてしまい、恐れおののいてしまうのです。
『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』 五木寛之
エマニュエル・トッドさんの著した『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』を読了した。
この『西洋の敗北』読みながら、寺山修司がシュペングラーの『西洋の没落』を起点にし、1968年のフランスでの学制蜂起のスローガン「敷石の下は砂浜だ」を引用しつつ、西洋の歴史もただの敷石一枚だったと慨嘆したことを思い出した。けれども『西洋の敗北』はそんなロマンチックなものではなく、とても厳しくリアルなものらしい。
エマニュエル・トッドさんはウクライナの対ロシア戦争の敗北は、もう見えている、という。本当だろうか? アメリカ合衆国を含む西洋の倫理、道徳の崩壊によって、ニヒリズム、虚無主義が跋扈し、それが際限のない暴力と戦争をひき起こし、さまざまな統計を見れば、西洋は崩壊しつつあるのは明らかだ、という。
この『西洋の敗北』と文藝春秋の二月号でのエマニュエル・トッドさんのインタビュー『イスラエルは神を信じていない』を読めば、このフランスの先祖にユダヤ人の出自を持つ歴史人工学者、家族人類学者の目に何が見えているかは、明らかだ。イスラエルもアメリカ合衆国と同様に西洋で、西洋は「宗教のゾンビ状態」から「宗教のゼロ状態」に向かい、そのニヒリズムの腐敗は世界に堕落した暴力をもたらす、というのだった。そして、日本はかろうじて西洋からは逸脱しているらしいのだ。
米国と欧州は自滅した。 日本が強いられる...『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』エマニュエル・トッド 大野舞 | 単行本 - 文藝春秋
堀口茉純さんの著した『大江戸24時 浮世絵で庶民ライフを物見遊山』を読みました。全ページカラーで有名な浮世絵を手引きに、江戸時代の江戸の暮らしを解説した楽しい本です。江戸前の古典落語やNHKの大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』を見ている人にはお薦めです。けれども、野暮なことを承知で、江戸の栄華が、豪農というような人もいながらも、地方の農村の過酷な犠牲によって成り立っていることも忘れてはならないと思う。吉原の花魁言葉の成り立ちからしても、そのことは明らかだろう。などといいながらも、ぼくは一度、タイムマシーンか何かに乗って江戸の町に行ってみたいなぁと『大江戸24時』を読みながら、思った次第です。
大江戸24時 浮世絵で庶民ライフを物見遊山
岸田秀さんの著した『ものぐさ精神分析−増補新版』を読了した。この本は高校生の頃、読んでことがあって、二度目の読書でもあるのだ。
岸田秀ってどんな人と和光大学に通っていた友だちにたずねたことがあるのだが、鬱病っぽい人だよと答えられたことがあったのを思い出す。
この本のほとんどの文章が、岸田さんの考える一つの真理の変奏のように思われる。その真理とは、「人間は本能の壊れた動物であり、「幻想」や「物語」に従って行動しているにすぎない」とする「唯幻論」なのだ。
岸田さんは「我発見被殴打的根本原因」の中で小学生の頃は軍国主義で、よく教師に殴られ、大学で教師になってからは学生に殴られるようになったというのには、不謹慎ながらも、ぼくは笑ってしまう。これも幻想だろうと学生から殴られたとどこかで聞いたことがある。
「わたしの原点」の中では自らの強迫神経症や幻覚を治癒せんがために、フロイト派の精神分析の本を読みあさり、継母との関係における抑圧を発見する。すると、強迫神経症と幻覚はほぼ寛解となったそうだ。
岸田さん自身もこの本の中で少しはふれているのだけれど、ぼくは、岸田さんの生まれたのが1934年だったことも大きかったのではないかと思う。生まれてから11年間、「天皇」という強い「幻想」と強い「物語」の中にいて、その後も「天皇」の「幻想」と「物語」は「民主主義」に抑圧されながらも、社会のもっとも底のところを流れてきた。坂本龍一さんや浅田彰さんのいうところの野蛮な土人としての日本人の思想である。今、柄谷行人さんは、左派の文芸批評家のポール・ド・マンの擁護するベルギー王室についてこのようにいう。
「なぜベルギーではいまも王政が健在なのか。ド・マンを通じて考えて、分かったことがある。ベルギーは、フランス系とドイツ系と、フランドル系が合わさった国なんですね。民族的、宗教的一体性がない。何でまとまっているかといえば、王政によってです。王がいなくなったら、おそらく統一が保てなくなってしまうような国なんだ。王は、ただ存在していればいい。」
まるで日本の象徴天皇制ではないか。佐藤優さんは天皇について考える時、エマニエル・トッドの『西洋の敗北』を射程に入れなくてならないと主張する。野蛮な土人としての日本人の「幻想」と「物語」は何をもたらすのか、今、岸田秀さんに問いかけてみたくもあるのです。
ものぐさ精神分析 増補新版 -岸田秀 著|中公文庫
岸田秀さんの著した『続 ものぐさ精神分析』を読了した。この本は高校生のころ読んだことがあって、二度目ということとなるだろうか? 半世紀近く前に出された『二番煎じ ものぐさ精神分析』と『出がらし ものぐさ精神分析』の2冊の単行本から、よいと思う論文、批評文を岸田さん自身が選び、1冊の単行本にまとめたものが『続 ものぐさ精神分析』で、ぼくが高校生のころはよく読まれていたのだけれど、その内容の多くが古くなっていないことに驚いてしまう。
高校生のころも「性的唯幻論」などと称し、すべては幻想だと説く和光大学の教授であった岸田秀さんに、何やら胡散臭いものを感じながら、面白く読んでいたという記憶がある。ぼくはこの後、二十歳を越えたころから、岸田さんが師とするフロイトの精神分析ではなく、河合隼雄の説くユングの心理学に惹かれるのだけれど、『続 ものぐさ精神分析』の一章をさかれて書かれたユング心理学を批判である「ユングの元型について」は確かに鋭く、根本からの批判となっている。
しかし、今、ぼくがこの本で最も読みたかったのは、それではなく、来年の三島由紀夫百年生誕祭を控えての、岸田秀さんの「三島由紀夫の精神ははじめから死んでいた。この現実の世界に生きているという実在感の欠如に、彼の文学、その他の活動を解く鍵がある。」の書き出しから始まる「三島由紀夫論」なのだ。岸田秀さんの「三島由紀夫論」は、百年生誕祭を前に盛り上がるぼくの三島由紀夫熱を、甘いか、苦いかは分からぬが、良薬となってほどよく冷ましてくれるようなのだ。
ぼくは高校生のころから三島由紀夫の小説を面白いと思ったけれど、三島由紀夫の『金閣寺』よりも水上勉の『金閣炎上』の方が高く評価できると思った。三島文学マニアの瀬戸内寂聴さんはインタビューで「三島さんの作品って、文学というより、工芸品みたいなのよね」とおっしゃっていた。三島由紀夫の文学を愛するポール・シュレイダー監督の日本では公開されなかった『Mishima: A Life In Four Chapters』では、その背景が、市ヶ谷の自衛隊でのシーンを除いて、すべてハリボテのリアリティのないものとなっていた。ハリボテのおもちゃのような金閣寺やハリボテのおもちゃのような靖国神社が出てくることに、ぼくはなるほどと首肯した。
最近、三島由紀夫の『金閣寺』の題がもともとは「人間病」であったことが書簡によって発見されたが、どうしてぼくが三島由紀夫に惹かれるのだろうかといえば、正確には分からぬが、それはニーチェのいわんとする「病者の光学」といったものかもしれない。
続 ものぐさ精神分析 -岸田秀 著|中公文庫
鯨庭さんが漫画を描いて著した『遠野物語』を読む。原作は民俗学という日本独自の学問を確立した柳田国男。監修と解説は現在、東京学芸大学で名誉教授をされている石井正巳さん。6つの漫画から成り、それは「プロローグ」、「馬と花冠」、「河童の子」、「狐は夢」、「おおかみがいた」、「エピローグ」。
「馬と花冠」などを読むと、現代の世界文学のようだ。古くならないというよりも今という時代にこそ通じる何か特別なものがあるようなのだ。「おおかみがいた」を読むと、ぼくたち、日本人が日本狼という野生動物を滅亡させた民族であることに、あらためて気づかされ、胸に痛みを感じる。そして、柳田国男は日本で最も重要で、偉大な思想家であり、文学者、活動家であると思う。
「遠野物語」鯨庭 [コミックス(その他)]
山内若菜さんの著した『いのちの絵から学ぶ −戦争・原発から平和へ』を読みました。本を読みすすめると、ぼくが2021年に初めて原爆の図丸木美術館で山内若菜さんの絵を見た時のことを思い出します。ぼくは山内さんの絵ではなく、丸木位里、丸木俊の合作による「原爆の図」を見に行き、そこに山内若菜さんの絵も展示されていた、その山内さんの絵を見て、鳥肌が立つほどの感動を覚えたのでした。それから、山内さんの絵の展示される展覧会には何度か足を運ぶやうになりました。『いのちの絵から学ぶ』はそんな山内さんの絵を描くかたわら、もう一つの重要な活動である中学校、高校、大学でのいのちを芸術鑑賞授業、移動型展示講演会をまとめたものであり、そこには自伝的な内容も含まっているものでありました。
この本を読むと、驚くは、日本の芸術界というか画壇が、「平和」と「政治」ということをタブー、禁忌として扱い、表立って表現してはいけないこととしていることを知りました。そこからはみ出した山内若菜さんの苦闘と展示を含めた新しい表現の模索が始まり、抽象から具象の変化ともなったのかとも思い、驚いております。今のもっとも注目すべき芸術家である山内若菜さんの芸術をいろんな人に見ていただきたい。山内若菜さんの絵は、絶望から希望の光のさす圧倒的な塊です。
いのちの絵から学ぶ
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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