えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

四方田犬彦さんの訳されたマフムード・ダルウィーシュの『パレスチナ詩集』を読了した。この詩集の中の訳文で90頁にもわたる長編詩「壁に描く」は、魂の血によって太古からある建造物に刻まれた言葉の群のようなのだ。それは今の言葉で書かれつつ、古い言葉の祈りの言葉すら召喚するかのようでもあるのは、四方田犬彦さんの本書のすぐれた「訳者解説」によって知った。マフムード・ダルウィーシュは、アラブ語圏のもっとも有名なベストセラー作家であるのだが、もっとも有名な詩の四方田犬彦さんによる訳文を引用しつつ、パレスチナの解放と平和をぼくは祈るのみ。
地がわれらを圧迫して、とうとう最後の路地にまで追い詰めてゆく。
われらは何とか通り抜けようと、自分の手や足まで捥ぎ取ったというのに
地はわれらを締め付ける。小麦だったら死んでもまた生まれることができるだろうが
地が母親だったら、慈しみでわれらを癒してくれるだろうに
われらが岩に描かれた絵であったなら 鏡のように夢が運び去ってくれるだろうに。
魂の最期の戦いのとき、われらの中で最後に生き残った者が
殺そうとしている者の顔を一瞥する。
われらは殺戮者の子どもたちのお祝いパーティーを想像し悲しむ。
われらは見た、この最後の場所に開く窓から、われらの子どもたちを放り投げた者の顔を。
星がひとつ、われらの鏡を磨いてくれるだろう。
世界の果てに辿り着いたとき、われらはどこに行けばよいのか。
最後の空が終わったとき、鳥はどこで飛べばよいのか。
最後の息を吐き終えたとき、草花はどこで眠りに就けばよいのか。
われらは深紅の霧でもって自分の名前を記すのだ!
みずからの肉体をもって聖歌を終わらせるのだ。
ここで死ぬのだ。この最後の路地で死ぬのだ。
やがてここかしこで、われらの血からオリーブの樹が生えてくることだろう。
マフムード・ダルウィーシュ - パレスチナ詩集

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