えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

近頃、閉館するという「丸の内TOEI」という映画館で山中貞雄監督の1935年公開の映画『丹下左膳余話 百万両の壺』を見て、小津安二郎監督の1953年公開の映画『東京物語』を見ました。いわずもかなの師弟のような二人の大監督であります。山中貞雄は戦争に従軍し、中国で亡くなってしまう。小津安二郎は年下の山中の夭折ともいえる無念の死を忘れることはなかったらしい。
『丹下左膳余話 百万両の壺』は小気味いい、エンターテイメント作品で、のんびりした話なのだけれど、幕間の現代的なモンタージュによって退屈させない。丹下左膳を演ずる大河内傳次郎もいいが、丹下左膳の居候する茶屋の三味線を弾き、唄う女将のお藤を演ずる新橋喜代三が元芸者の風情ある美人なのがいい。山中貞雄監督の映画はほとんど戦災によって焼失していて残っているのは、この『丹下左膳 百万両の壺』、1936年公開の『河内山宗俊』、遺作の1937年公開『人情紙風船』で、ぼくは『河内山宗俊』はまだ見ていないが、『人情紙風船』は悲哀に満ちた芸術性の高い名作であって、戦後の小津安二郎の映画の一つの手本ともなったような素晴らしさなのだ。山中の早折が惜しまれ、戦争が憎い。
小津安二郎監督の1953年公開の『東京物語』は、ぼくは繰り返し何度も見ている世界の映画に影響を与えた傑作なのであった。小津というとカメラのローポジションが有名だが、それよりも、相対する人物の視線を結んだ線をイマジナリー・ラインといい、それをまったく無視した人物を正面から撮る独特のカメラアングルこそが小津安二郎の撮影技法の独特なもので、ぼくはそこで映される、ある生々しい何かにいつも当惑してしまう。1953年というと戦争が終結した8年後で、東京という都市のある種の回復力にも驚いてしまう。1952年公開の『お茶漬の味』をはさんで、1951年公開の『麦秋』と同じく、何の活劇もないうちに、家族が静かに崩壊し、無常の中に消え行くかのようだ。『東京物語』の中で原節子の演ずる紀子のセリフの「仕方ないのよ、みんなそうなっていくのよ」は情緒を破り捨て、深く、重い。繰り返すけれど、日本映画の誇る傑作だと思う。

この記事にコメントする