えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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最近、寄席で落語や色物を見るのが楽しくて、小野寺恵美さんがイラストを描き、稲田和浩さんの著した『ゼロから分かる!図解落語入門』を一気読みしました。落語初心者には最適の一冊でありました。この本で「落語の泥棒は決して悪人ではない。生き方がヘタだから、泥棒をやっているのだ。」というが、確かに落語の登場人物にダメな人、変な人はたくさんいるけれど、悪い人はいないような気もします。アメリカのブルースの世界では落語で登場するような人は「Strange Cat People」などと申しますな。あー、寄席通いはやめられません。








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與那覇潤さんの著した『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』が面白くて、一気読みしました。小津安二郎の生涯を追ったものではなく、小津が彼の生きた同時代、昭和をどう見て、その映画に表象されてしまっていて、その時代がどのようなものであったかを考察した本です。

読了して、初めて、ぼくを惹きつけてやまない映画監督、小津安二郎の墓碑に「無」とあるかの理由が少し分かった気がしました。この本を読んで、小津の死んだ後のテレビでのホームドラマと小津の映画には決定的に違う何かがあるような気がしていたのは確信となりました。三度の従軍経験がありながら、戦争を直接には撮らずして、戦争について映画の中で言及し、戦争を滔々と流れる底流として、戦争を描いた小津の映画。この本の「終章 呪わしき明治維新―『東京暮色』賛」の驚くべき結論となります。小津安二郎の映画に少しでも惹かれる人は本書を読んでみてください。









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内田樹さんの著した『街場の成熟論』を読みました。

この本を読みながら、ぼくは会社勤めをしていたころのあるシーンを思い出していた。そのシーンとは、とある会社の朝会の時、役員と肩を並べるある部長が、口角泡を飛ばしつつ、激しい口調で、白か黒かはっきり結論づけて、決着し、責任を取れなどと言っているらしかった。隣でそれを聞いてある年下のぼくの同僚は、ぼくに、サカイさん、白か黒かとか言われても、人間、大概、白か黒じゃなくて、グレーですよ、まったく白い人も、黒い人もいないですよ、どのぐらいグレーかが大事じゃないですかなどと耳元で囁いたのだ。ぼくはその同僚の彼を尊敬する心で見て、なるほど、あの激しい口調で発言している人よりも遥かに彼の方がはるかに大きな人、大人、成熟した人だと思い、敬意をいだいたのであった。その彼の囁きは、白か黒か、どうせ人間ははっきりしないのだからと、冷笑的になるのではなく、どの程度グレーなのかを見極めて、その時その時の熟考の末に留保付きの判断なり決断を下すしかないのではないかということも含意し、その成熟さにぼくは驚き、敬意をいだいたのであったと思う。

さて、本についてに戻り、ぼくは『街場の成熟論』を書いた内田さんと同様に、この本の書かれているように、これからの日本人にグレーのどこかにあるかをよく考え、決してニヒリズムに陥らず、真実をわきまえつつ、常識的であって欲しいと願ってもいるのです。そして、ぼくなどは小さい人間ですが、この社会の明日のために、この本が多くの人に読まれることも願っているのです。








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新渡戸稲造が著し、須知徳平が訳した『武士道』を読む。その昔、司馬遼太郎が昭和という時代を批判しつつ、武士道の電気のようなものがどこか日本人に残っていた時代まではよかったが、それが失われ、日本の国家も日本人も堕落してしまったというようなことをインタビューで話していて、その武士道は何だったのかと思い、この『武士道』を読んでみたという次第。ぼくは司馬遼太郎が称揚する明治がそれほどよい時代とは思えない。ぼくは、明治維新によって多くの武士の精神を有していたと思われる若者の命が争った双方で失われ、明治以降の日本を作ったのは残りかすの卑怯者ではなかったかとも思ってしまう。だからこそ、孤立の士であり新渡戸の盟友でもあった内村鑑三は『代表的日本人』を英文で書き、同じく孤立の士であった新渡戸稲造は英文で『武士道』を書いたのではなかろうか?








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平山周吉さんの著した『満州国グランドホテル』を読む。前の大戦での中国での戦争において日本が「王道楽土」、「五族協和」を謳い、でっち上げ的に作り上げた満州国を、グランドホテルに見立て、そこに出入りした、さまざまな人たちを一人一回、一章で取り上げ、全三十六章、全565頁の大著であった。

その冷静な筆致に満州国に出入りした魑魅魍魎のような人たちがくっきりと浮かび上がりかのようで素晴らしい。三十六人の人以外の超有名人、甘粕正彦、岸信介、李香蘭などは何度もこの本に登場する。

ちなみに甘粕正彦はベルナルド・ベルトリッチ監督の『ラストエンペラー』で坂本龍一に演じられたけれど、この映画の描く満州国はそのさまざまな細部においてフィクションばかりの嘘ばかりなのを思い出す。坂本龍一さんはベルトリッチ監督の甘粕正彦の割腹自殺の最期を抗議し、ピストル自殺に改めさせたが、それすらフィクションで、史実は青酸カリの服毒自殺であった。この『満州国グランドホテル』や山口淑子(李香蘭)の著した『李香蘭 私の半生』によれば、天皇が敗戦を宣言するその前日か何かに満洲映画協会の社員が一同集められ、甘粕は敗戦を明らかにし、日本女子はその貞節を最後まで貫かなくてはならないと言い、全女子社員に小さな宝石箱が配られたという。その集会が終わり、宝石箱を開けると、中には致死量の青酸カリが入っていたが、それを服用し、自殺する人はいなかった。事実はベルトリッチの考えたフィクションよりも奇なり。

さて、『満州国グランドホテル』に戻り、最終章の「第三十六回 「北海道人」島木健作が持ち帰った一匹の「満州土産」」では柄谷行人の批評文も引用しつつ、満州国に批判的に迫ろうとしている。あまりに鋭い柄谷さんの文を引用する。

「この点にかんして参照すべきものは、日本と並行して帝国主義に転じたアメリカの植民地政策である。それは、いわば、被統治者を「潜在的なアメリカ人」とみなすもので、英仏のような植民地政策とは異質である。前者においては、それが帝国主義的支配であることが意識されない。彼らは現に支配しながら、「自由」を教えているかのように思っている。それは今日にいたるまで同じである。そして、その起源は、インディアンの抹殺と同化を「愛」と見なしたピューリタニズムにあるといってよい。その意味で、日本の植民地統治に見られる「愛」の思想は、国学的なナショナリズムとは別のものであり、実はアメリカから来ていると、私は思う」

さて、この『満州国グランドホテル』に登場するのは軍人、官僚、映画人(笠智衆、原節子、小暮美千代)、文学者(小林秀雄)、小説家、言論人(石橋湛山)、右翼活動家(世界的なクラシック音楽の指揮者小澤征爾さんの父)などエリート層ばかりで、一般の民間人、開拓民、庶民は後景の遠のいている。そのことについて、平山周吉さんは深く後悔しているらしいことを「あとがき」で知った。第五回の八木義徳のに出てくる、八木の聞いた満鉄に揺られながらの夫婦の言葉「広うおまんな、広うおまんな」が常に平山さんの胸に、その後、その夫婦はどうなったかのかという思いとともに繰り返されたという。その声にまだ十代の若さのぼくの亡き父の「広いのう、広いのう」という九州弁が重なるかのようだ。敗戦後、生死をさまよう辛酸をなめて帰国したらしいが、父がそのことを詳しく語ることはなかった。本を閉じる。






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五木寛之さんの著した『歎異抄手帳』を読む。この本は、浄土真宗の開祖、親鸞聖人の弟子、唯円が聖人の本当の教えを著したとされる『歎異抄』を五木寛之さんが現代語に訳した「私訳 歎異抄」を手帳の体裁にしたものであります。いろんな『歎異抄』の現代語訳を読んでみましたが、この五木寛之さんの訳が一番ぼくの心に届き、心の奥にまで落ちるようであったのは、五木さんがこの本の中の「「私訳 歎異抄」まえがき」で書かれたこのようなことであったからなのかもしれません。

 他人を蹴落とし、弱者を押しのけて生きのびてきた自分、敗戦から引き揚げまでの数年間を、私は人間としてではなく生きていた。その黒い記憶の闇を照らす光として、私は歎異抄と出会ったのだ。

その「黒い記憶」がどのようなものであったかの詳細は生涯、五木さんは明かすことはないだろうけれど、だからこそ、この五木さんの訳のよる「私訳 歎異抄」は切実でやさしいような気がします。釈徹宗さんのすぐれた解説「五木私訳『歎異抄』について」と歎異抄の原典も付けられております。釈徹宗さんは浄土真宗の住職でもあられ、歎異抄の原典を音読することを勧めておられ、ぼくも音読してなるほどと思いました。五木寛之さんの伴侶であられる五木玲子さんの素敵な画もさしはさまれております。

何度も読み返すだろう現代語訳の『歎異抄』にやっと出会えました。






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旅先の宿で一晩で藤平光一師匠の著した『中村天風と植芝盛平 氣の確立』を読んでしまいました。何度目か再読です。

藤平光一さんを師匠と表したのは、ぼくの通う合氣道の道場の会「心身統一合氣道会」を創立した偉大な人であられるからであります。この『氣の確立』を読めば、「心身統一合氣道」がどのような武道であるのかが、合氣道を経験したことのない人でも、よく解るように説かれているように思われます。しかも、この本は藤平光一師匠の自伝ともなっていて、藤平光一師匠が人生をかけてこの「心身統一合氣道」を確立したことが丁寧に著されてもおります。

まだ準五級のぼくですが、これからも継続して、地道に修行、精進してまいりたいと存じます。




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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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