えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
町田市国際版画美術館に『両大戦間のモダニズム 1918-1939』を見に行きました。この展覧会を見ながら、戦争というものは市民ももちろんそうだけれども、芸術家も著しく翻弄するものだと思いました。そして、版画という工芸によって制作される芸術だからこそ、作家の芯の部分がはっきりと表されるような気がするのは、どうしてでしょう? ウクライナでイランの爆弾によって市民、子どもが殺され、パレスチナのガザではアメリカの爆弾によって市民、子どもが殺されていき、自然環境の悪化による熱波によって生物が死滅しつつあるかもしれない今、2つの戦争を経験し、第二次世界大戦の戦後に『サーカス』という連作の版画作品をものにしたフェルナン・レジェのあまりの痛切な言葉を引用し、戦争のつづくこの世界に石礫を投げたいとも思うのです。
20秒で破壊できる樫の木が、再び芽を出すのには1世紀かかる。鳥たちはいつも素晴らしく着飾っている。進化という言葉は無意味だ。そして、世界に食物を供給する牡牛はこらからもずっと時速3キロで進むだろう。
夏井いつきさんの著した『2024年版 夏井いつきの365日季語手帖』を読了しました。1年間での毎日1句の季語とその季語の解説、その季語による俳句とそれを選んだ夏井さんの鑑賞文による本です。選ばれた俳人は無名の人から高浜虚子のような俳句の歴史に欠くことのできない人までさまざま。例えば今日である9月17日に選となったのは、季語は「名月」で、岡田一実さんの以下の俳句。
名月や痛覚なしに髪伸びて
毎日のそれぞれの季語と俳句に日本語の豊かさを感じ入ります。
『2024年版 夏井いつきの365日季語手帖』刊行
この前、奄美大島を旅して、帰りの空港で買って、自分の部屋に積んでいた、島尾ミホの中短編小説集『祭り裏』を読了しました。読みながら、ぼくの若かりし頃、熱心に読んでいた中上健次の小説の濃厚な世界を思い出したりもします。小説の舞台は奄美大島のすぐ南にある加計呂麻島で時は前の戦争からその直後でしょうか。どのような世界であるかは、この本に「付篇」として載せられた石牟礼道子の「書評『祭り裏』」にある『祭り裏』からの引用が表すかのような世界なのです。
幼い私にむずかしいことはわかしませんでしたが、神も人も、太陽も月も、海も山も、虫も花も、天地万物すべてが近所隣の人々と区別のつかぬ同じ世界に溶け合っていて、太陽はティダガナシ(太陽の神)、月はティッキョガナシ(月の神)、火はヒニャハンガナシ(火の神)、ハベラ(蝶)は未だあの世に行かずに此の世に留まっている死んだ人のマブリ(霊魂)、モーレ(海の亡霊)は舟こぼれした人のマブリ、などとみんな私と日常を共にしているごく身近なものばかりでした。
惨劇とも呼べる事件も小説のなかで発生してしまうのだけど、このようなところでこそ魂というものは育まれるのではないかしらと、ぼくは考えてしまいます。加計呂麻島語といってもさしつかえないような島の言葉のセリフをカタカナで表し、それに日本語の標準語訳のルビをふるという破格の文体もあり、書き言葉にはない芳醇さ、豊かさも素晴らしく、この『祭り裏』はフォークナー、ガルシア=マルケス、ジェームズ・ジョイスと並ぶ辺地から放たれた世界文学であるように思えます。
祭り裏
新宿末廣亭で令和六年九月中席昼の部を見ました。見た演目を書き出してみます。前座の三遊亭歌ん太くんの「桃太郎」、二ツ目の春風亭朝之助くんの「猫と金魚」、ニックスのお二人の漫才、柳家小平丸師匠の「二人癖」、桂扇生師匠の「辰巳の辻占」、遠峰あこさんのアコーディオンと歌、吉原朝馬師匠の「浮世床」、柳家小団治師匠の「鶴」、伊藤夢葉さんの奇術、古今亭志ん輔師匠「替り目」、柳家権太楼師匠の「黄金の大黒」で仲入りです。春風亭一蔵師匠の「太鼓腹」、ロケット団のお二人の漫才、柳亭こみち師匠の「応挙の幽霊」、柳家さん遊師匠の「長短」、鏡味仙志郎師匠と仙成師匠の大神楽曲芸、主任は春風亭一朝師匠の「片棒」でした。印象に残ったのは、古今亭志ん輔師匠「替り目」と柳家権太楼師匠の「黄金の大黒」で大笑い。そして、春風亭一朝師匠の「片棒」では、江戸の涼しくて気持ちのいい風が吹いておりましたよ。寄席はパラダイスですな。
この前、国立能楽堂で見た能の『善知鳥(うとう)』が強烈な内容で、頭から離れず、もう一度、反芻しようと、早稲田大学で名誉教授をしておられる能楽の研究者である竹本幹夫さんの著した『対訳でたのしむ 善知鳥 うとう』を読みました。上段の現代語訳があり、下段に小さい文字での原文の詞章の載せられた本です。再度、その内容を確認し、凄まじい何かを感じ、その粗筋を記したいと思った次第。
立山の地獄谷で修行の僧侶は成仏できずにいる亡くなった漁師に出会う。猟師は陸奥の国にいる自分の残した妻と子に会い、その妻の持っている自分の形見の笠と蓑に向かって読経し、冥福を祈って欲しいと頼む。その際には、片方の袖を渡すから、その袖が形見の服をぴったり合うはずだと言い、姿を消す。僧は修行をしつつ、陸奥の国にまで行き、泣きぬれている女とその子どに会う。形見の片方の袖のない服と僧侶の持ってきた袖がぴたりと合い、まさしく霊として会った猟師の妻と子であるのが判明し、僧侶は形見の笠と蓑に向け読経をする。そこに猟師の霊が現れる。霊は生前に行った善知鳥の狩りを再現するかのようなのだ。善知鳥という鳥の子は親鳥を真似て「うとう」と呼びかけると雛鳥は「やすかた」と答え、無邪気に寄ってくるのを、猟師は狩りをする。漁師は際限もなく夢中となり、むしろ殺生を楽しむように狩りをする。たくさんの親鳥は血の涙を流し、猟師の笠や蓑は真っ赤に染まれど、夢中となった猟師は狩りをやめない。その姿を霊となった漁師は、生きていくためにはそうするしかなかったのだが、初めて深く悔いる。そして、猟師は今は飛べない雉となり永劫に獣に追いたてられているというのだ。その姿を僧侶は救うこともかなわず、妻とその子は静かに見ることしかできずにいる。漁師は退場し、妻と子、僧侶も去っていく。
昔、高野山の金剛峯寺の長い参道のおびただしい墓の中にいくつもの生類の慰霊碑があったのを思い出したりする。それにしても救いのない強烈な内容に心は重くなり、今、ガザで行われていることはこのようなことではないかとも思い、戦慄した。停戦を願うのみ。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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