えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
国立能楽堂で能楽を鑑賞しました。狂言は大蔵流『空腕』、能は喜多流『咸陽宮』。
『空腕』は怖いものなどないという太郎冠者が夜道に剣を渡され使いに出ます。本当は太郎冠者は臆病で夜道に怖いものばかり。これはドリフの笑いの原型ですか? 素朴な笑いが楽しい。
『咸陽宮』は泰の始皇帝の話。暗殺に訪れた二人、荊軻と秦舞陽に捕らえられた始皇帝が命の最後に后、花陽夫人の琴を聴きたいと頼み、それを許される。荊軻と秦舞陽は花陽夫人の秘曲の琴の音に聴き惚れ、暗殺は失敗し、荊軻と秦舞陽の仕えるう国は滅ぼされる。一場ものの劇的な内容でございました。
この能は平家物語の翻案でもあるそうだが、このような外国を舞台にした能も少なくはないように思われる。もっともな例は、英語で演ぜられるエルビス・プレスリーをシテとした新作能の『青い月のメンフィス』というのもあるらしい。しかし、能では中国の河は日本の川となるのです。アメリカのBASEBALLは日本では野球となるのです。日本に生粋のほんものなんてない。日本ではにせものをまっとうし、磨きあげて、ほんものとし、ほんものとなる。
受容と変容は日本を前に進める両軸で、その変容とは力によらない変容で、その力によらない変容によって受容されるものも変容し、日本も変容する。受容しなくなったなら、日本はすべてを失うだろう。変容しなくなれば、日本はすべてを失うだろう。力によって変容させようとすれば、日本はすべてを失うだろう。
(いつものように脱線してしまった。)
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