えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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この8年間近くで、政治の権力に近い人たちならば、何をしても、法を越えて許され、優遇される、そんな日本になってしまったように思う。押し返し、しっかり、立て直さないといけない。終わって始まる。
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ぼくは人種差別反対と言ってきた。けれども、人種なんてあるのだろうか? 肌の色の白と黒の間には無数のグラディエーションがあって、それは肌の色のことで、人種なんてあるわけないだろうと思う。肌の色の違いだけではないかしら?

昔、ジョン・アップダイクの「ブラジル」という小説を読んだことがある。それは裕福で無垢な白人娘イザベルとスラム育ちの黒人青年トリスタンの恋愛小説で、その中でアップダイクは、すべて白く見えるものも近づいてよく見ればその中に黒い小さな斑点がある、すべて黒く見えるものも近づいてよく見ればその中に白い小さな斑点があるみたいなことを書いている。そして、その白い斑点も、黒い面も、黒い斑点も、白い面も、増えたり減ったりしている。黒だと思っていたものが、いつの間にか白のようになり、白だと思っていたものが、いつの間にか黒のようになる。いろんな層が織り込まれた「ブラジル」のテーマの一つはこのようなことだったと思う。

さて、「ブラジル」から元に戻り、人種なんてあるのだろうか? ぼくは民族差別に反対であるけれど、だからこそ、民族は歴史的な文化から生まれてきたもので、民族ということはあって、お互いに尊重しなくてはいけないと思う。もう一度、自分に問いかける。人種なんてあるのだろうか?

人種なんてない!





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このところ、George Floydさんの警官をによる殺害に端を発した全米での抗議のデモをCNNやtwitterで追いかけるかのように見ています。デモで声をあげる人たちを見ていると、Robert Flankの写真集「アメリカ人(The Americans)」や一年ほど前に長野の清里フォトアートミュージアムで見た展覧会を何やら思い出してしまう。


この既視感はどうしてなんだろう? Robertはきっと今ごろ、天国から降りてきて、瞬きもせずに写真を撮りつづけているのではないかしら? スイス人の写真家で生涯、アメリカに移り住んだRobert Flankがどうして、あんなにもアメリカが好きで写真を撮りつづけたのか、わかる気もして、それは、そうだ、ニュースで見る抗議の声をあげるどの顔もまぎれもない人生の主人公の顔をしているではないか。


あー、アメリカ、広大な大地にへばりつく移民の国、アメリカ、そのアメリカ人たちよ、この400年もの間つづいた悪魔の不正義をどうか乗り越えてくれ、とぼくは祈っていて、それを信じているものでもあるのです。
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ミネアポリスの警察官に黒人のジョージ・フロイドさんが無抵抗のまま膝で首を絞められ殺されたことにショックを受けています。ジョージの最期の言葉"I can't breathe"を掲げて、全米でデモが広がっています。ある人種とかある民族ならば、ナチスに殺されたユダヤ人のように、無抵抗に殺されてもいいのだろうか? 「暴力反対」の言葉すら空語のように思えてしまう。抗議する彼らへの共感と敬意ともに、ジョージ・フロイドさんを悼み、昔、読んだ精神科医でありアルジェリア独立運動の闘志でもあったフランツ・ファノンの「黒人の生体験」の中の言葉を引用させてください。

「しかし私は自分の全存在を賭してこの切断を拒否する。私は自分の心が世界と同じくらい広大なのを感ずる。真実、私の心は最も深い河と同じくらい深いのだ。私の胸は無限に広がる力をもっている。私はこの世へのささげ物だ。だのにその私に不具者の謙譲さを勧めるのか。きのう私は世界に目を開いたとき、空が顛倒するのを見た。私は身を起こそうとした。だが内臓を摘出された沈黙が翼もなえて私の方に逆流してきた。無責任に、〈虚無〉と〈無限〉に馬乗りになって、私はさめざめと泣き出した」

ジョージ・フロイドさんは、ブラック・コミュニティの中で若くして死んでいく人たちのことに心を痛めて、銃規制の運動をするようないい人だったそうです。

How the killing of George Floyd has upended America
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首相官邸のための忖度で報道機関としては、まったく信用のならないものとなったNHKだけれど、昨日、なんとなく、昔の3チャンネル、教育放送、今のEテレで「バリバラ桜を見る会~バリアフリーと多様性の宴~ 第2部」を見ました。笑いながら、感動している自分がいた。これは、民放も含めて沈滞するテレビ・コンテンツの中で、ひさびさの超ヒット作ではなかろうか。大笑いしつつも、今の日本に真摯に問いを発していて、面白くて、素晴らして、しかも感動した。

それから、小田急相模原のエルトピートで何度かお見かけしたTASKEさんも、とても元気そうでした。

次回は5月7日(木)夜8時からだそうです。見なくっちゃ。

NHK バリバラ
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平日には労働をいそしみ、土曜日や日曜日、休日につかの間の自由の時を持つぼくの少ない楽しみが、ライブ・バーにギターを持って歌いに行く、美術館に行き、展覧会を見る、映画を見るの三つぐらいなのですが、新型コロナウィルス禍でそのどれもできなくなってしまい、疫病の晴れる春の日を待つ身となってしまった。とてもつまりません。そんな中、小さな映画館が無くならないように「仮設の映画館」というこんな動きもできました。けれど、ヴァーチャルもなくはないが、やっぱ何か足りないと感じているぼくは、回復の日、また散歩がてら、ライブバーや美術館、映画館に行くのを待ちわびているのです。

配信での鑑賞料金を劇場に分配「仮設の映画館」4月25日開館、上映作品続々決定 : 映画ニュース - 映画.com

仮設の映画館
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日テレの金曜ロードシネマクラブで「アナと雪の女王」を放映していて見始めたらおもしろくておしまいまで見てしまった。この大ヒットしたディズニーの映画をまだ見ておりませんでした。見ながら、アニメーションは手書きからコンピューターグラフィックスに変わっているのだけど、子どものころ見た「101匹わんちゃん大行進」とか「ダンボ」も思い出す。どれもみんなすばらしい。

この「アナと雪の女王」、若い人の間では「「アナと雪の女王」は雅子皇后陛下説」があるそうだ。多分、雅子皇后陛下によってこの30年間の冬の時代の日本がもたらされたというのではなくて、若い女子たちは、雅子様によって冬の時代から春の到来がやってくていると想像し、のぞみの一筋を感じているのかもしれない。雅子様のあまりの良い方への変りぶりに、ぼくも驚き、昔々にあったこととか伝統とかはないがしろにできないぞ、と考えているぼくは、ほっと胸をなでおろしていたりするのです。

アナと雪の女王|ディズニー公式 - Disney
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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