えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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フィンランドの巨匠、ミカ・カウリスマキ監督の『世界で一番しあわせな食堂』を見ました。

同じくフィンランドの巨匠、アキ・カウリスマキ監督とは兄弟で、ミカ・カウリスマキお兄さんなんだね。二人とも、日本の巨匠、小津安二郎監督を尊敬していて、ミカ・カウリスマキには「静かなる反抗者」という論考もあるそうなのだが、ぼくは未だそれは読んでいない。『世界で一番しあわせな食堂』の主人公は、フィンランドの片田舎の町に訪れた妻を亡くした中国人のコックで、アキ・カウリスマキ監督の前作『希望のかなた』の主人公はフィンランドにやって来たトルコ人で、二人とも、ネーションやらステート、いわゆる国家という怪物、化け物に絡めとらわれてしまいつつあるこの世界に静かなる反抗を企てているのかもしれない。

この『世界で一番しあわせな食堂』は何のストーリー展開もなく、淡々と進んでいき、おしまいの方ですこしハラハラしつつ、ハッピー・エンドで締めくくられ、全編を通してほっとするようなユーモア溢れる多幸感に満ちていて、見てよかったな、と思いました。

どちらがいいともいえないのだけれど、小津映画はなんとも惜別とした別れでエンディングとなり、カウリスマキの映画は出会いの後の希望でファイナルとなるのですね。

この映画に出てくるフィンランドの人たちのやさしさにぼくのハートはあたたかくなる。

映画『世界で一番しあわせな食堂』 公式サイト
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西川美和監督の『すばらしき世界』を見る。

殺人を犯した罪により服役した刑務所から戻ってきたやくざ、三上正夫を演じる役所広司さんがすごい。刑務所帰りの九州の男を演じているというより、刑務所帰りの九州の男が映画の中のそこにいるようだ。

ステレオタイプに当てはめて見てしまうのは、よいことではないと知りつつも、なんだか、ぼくの父の生まれたところが福岡県の田川で、その土地の空気を吸って育った男たちのことを少しは知っているからだろうなのか、九州の男にはこういうところがあるな、などと思ってしまった。いいや、間違えた、九州の男にはこういうところがある、というより、九州にはこういう男がいて、それは、『無法松の一生』の無法松のような人で、純情でやさしく、だが喧嘩っ早い。

映画を見始めて、すぐにこの役所広司さんの演じる、やくざの世界から足を洗おうとしつつ自分を曲げられず、暴力に走ってしまう三上正夫のことが憎めなくなる。役所さんはシカゴ映画祭で演技賞を獲得していて、これは審査員の受賞理由コメント。

「役所広司は巧みながらかつ違和感なく、主人公に深みと様々な真に迫った感情を与えている。その演技により、一見容赦ない社会の中でしっかりとした普通の生活を手にいれようと奮闘する主人公の姿を我々も共に辿ることができ、彼の力強い演技によって映画全体がしっかりと築き上げられている」

三上正夫と懇意になる近所のスーパーの店長、松本良助を演じる六角精児さんの素晴らしい演技にもなんだか注目してしまった、この人はNHKの「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」に出ている人ではないか。「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」を見ながら、なんだか、おいらと同じことが好きな、おいらと同じような感覚の人がいるな、と思っていたのだが、役者とか俳優であったことは知らなかった。どんな人かと調べてみると、おいらと同じ学年であることを知った。なんだか他人と思えないっす。

おもしろいセリフもたくさん出てきます。

「金持ち連中を枕を高うして眠らせるために温和しく生きるほど、俺らはお人好しじゃなかけん」

世間の片隅でこまいく(福岡の方の言葉でちいさく)なって生きているぼくは、三上正夫がやくざのおかみさんにこの世界に戻ってきてはいけないと説得される、このセリフになぜか、ギクリとしたのです。

「娑婆は我慢の連続ですよ。我慢のわりにたいして面白うもなか。やけど、空が広いち言いますよ」

1990年に出版された佐木隆三のほぼ実話を元にした小説「身分帳」をこの映画は現代の時代背景に翻案していて見事で、西川美和さんはとても丁寧に映画を作られておられり、詩的でありながらリアルな全編であるけれど、映画のラストは鋭く、そして、深い問いを見た人に残すでしょう。

すばらしい映画をありがとう。

映画『すばらしき世界』オフィシャルサイト|大ヒット上映中
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坪川拓史監督の『モルエラニの霧の中』を見ました。

途中で休憩の入る3時間48分の大作は北海道の室蘭で撮られ、特別な登場人物は一人も出てこず、たいした事件も起こらないのだけど、それでも、心に染み入る何かがあって、とても感動しました。

今は亡き大杉漣さんや小松政夫さんが出演しています。大塚寧々さんや香川京子さんも出ています。「土佐源氏」の一人芝居の名優、坂本長利さんが機関車の元機関士、今は公園の動かない展示物のD51の老いた整備係りの役で出演していて、これが素晴らしかった。高校生役の久保田紗友さんもよかった。あまり笑わない少女役。

ふるさと映画の『モルエラニの霧の中』、俳優ではない人たちもたくさん出演していて、映像は詩的でありながら、とてもリアル。室蘭ロケの7話の連作で、それぞれの物語は人と人でつながり、話ごとに主人公が入れ替わり、あっという間の4時間近くでした。

一番好きなシーンは、坂本長利さん演じる怪我をした展示物の機関車の整備係りを竹野留里さん演じる高校生が病院に訪ねて、二人で屋上で製鉄所のもくもくと煙をあげる煙突が並んでいるのを眺めるところです。高校生がこうつぶやく。

「室蘭って機関車みたい…」

この映画の話はすべて、室蘭に移住したというより生まれたところに戻った坪川拓史監督自身が町の人から聞いた話だそう。そして、「モルエラニ」とはアイヌ語で「小さな坂道をおりた所」という意味らしい。監督は室蘭についてこんな風に言ってもあります。

「室蘭の人たちは、口癖のように「何もない町」って言うんです。でも僕から見たら、こんな素敵な町はない。それを映画で伝えたいという思いもありました」

いつか行ってみたいところが、またふえてしまった。

モルエラニの霧の中
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福永壮志監督の『アイヌモシリ』を見ました。

アイヌ民族の近年、行われなくなってしまった祭礼「イオマンテ」について、現代の視点から描かれています。どんなに観光化されようが、ある民族の祭りには、生活やら死への考え方、道徳などの起源ともなるある民族のもっとも大切なエートスが伝えられているような気がするのです。淡々とした描き方の中に、この『アイヌモシリ』は、近年、途絶えてしまった「イオマンテ」などの諸々のことについて、問いを鋭く発しているようにも思え、ぼくは、口をつぐまざるえなく、簡単な答えを出せそうにはないのだけれども。

この映画のエンドロールを見ながら、深く感動している自分がおりました。古く伝えられたアイヌの心も、アイヌモシリ(アイヌ語で「人間の静かなる大地」を意味する言葉、また16世紀以降で、北海道を指すアイヌ語の地名)の自然や動物たちも美しい。

アイヌモシリ
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廣田裕介監督の『映画 えんとつ町のプペル』を見ました。

原作は関西のお笑い芸人だという西野亮廣さんという人なのだが、最近、そういうテレビを見なくなってしまって、誰だろう? となってしまう。けれど、先入観なしにこのアニメーション映画を見れたことはよかった、と思います。

途中でストーリーの筋書きが、なんとなく、こうなるだろう、と思っていたとおりに話は進んでいったのだけれども、それでも感動して、胸がじーんとしてしまった。舞台は、今の日本のようだ、とも思ってしまった。それでも、星や空を見る人は見ているのです。

『映画 えんとつ町のプペル』公式サイト | 大ヒット上映中!
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ダニエル・ロアー監督の「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」を渋谷のホワイト・シネクイントで見た。

ザ・バンドとはカナダ人とアメリカ人の混成ロックバンドで、1968年から1978年に活躍した5人編成の最も偉大なロックバンドだと思う。アルバムはすべて持っているけれど、ぼくはやはりファーストの"Music From Big Pink"とほぼラストの"Northern Lights - Southern Cross"が大好きです。"Northern Lights - Southern Cross"の後に"Islands"があるけれども補遺集のような気もするのです。

15歳ぐらいのころから、ギターのロビー・ロバートソンとドラムスのリヴォン・ヘルムは高校もやめて、ロニー・ホーキンスのバンドで巡業していたことに驚く。その後、ベースのリック・ダンコ、ピアノのリチャード・マニュエル、キーボードのガース・ハドソンが加わり、ロニー・ホーキンスの元を離れると、バンドに化学反応が起こり、今までのロックンロールやサイケデリックでもない渋く深い音楽を奏で始める。そして、そのころから、シンガーでもあった3人、リヴォン・ヘルム、リック・ダンコ、リチャード・マニュエルに、ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンを死に追いやったアレの魔の手が入り込み、蝕み始める。

このロビー・ロバートソンからの視点のザ・バンドの物語に、ぼくはロビーとリヴォンの対立の話はもういいだろうとも思う。ビートルズの4人のように、ザ・バンドはこの5人で、誰ひとり欠けてもザ・バンドではないではないかしら?

この映画を見終わって、昔、20年近く、ほぼ同じメンバーでバンドをしてきた経験のあるぼくは、やはり弾き語りではなくバンドがしたいなと思うのだった。にもかかわらず、今のぼくがバンドができていないのは、すべて因果応報、自業自得のなせることでもあるのだけれども。

さて、ぼくの大好きなザ・バンドのGeorgia On My Mindを紹介します。崩壊寸前のザ・バンドが演奏した1976年のハローウィン前夜のサタデーナイトライブというアメリカの人気番組でのライブです。

映画「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」公式サイト
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外崎春雄監督の「鬼滅の刃」を見ました。満員の映画館で映画を見るのなんてひさしぶりです。右にティーンエイジャー、多分、ローティーンの女子たちがいて、左にお母さんに連れられた小さな女の子が座っておりました。

主人公は炭焼きの少年で、額に聖痕のようなあざがあります。炭焼きといえば柳田國男が大正時代に書いた「山の人生」を思い出してしまいます。

夢のまわりに無意識があり、その中に精神の核が浮いているという話など、なかなかアバンギャルドなアニメで、夢と現実が折り重なり、大正時代という設定もあって、わけがわからないところも多々あり、1970年代や1980年代の「アングラ」とか呼ばれた演劇を思い出しました。気づいたものたちは夢から覚めて、鬼たちと戦わなくてはならない?

左にいた小さな女の子は、途中、結構、退屈しているようで、あと何分、とお母さんに聞いていたりしてましたよ。ぼくは泣けなかったけれど、右にいた女子たちはラストシーンでシクシクと泣いているようでした。大正時代の設定であるにも関わらず、映画の物語の不思議は、今の時代の状況をくっきりと映し出しているようでもあるのです。シクシクと泣いている女子たちに、何か、正義が叶わないような深い葛藤があるのかもしれない、などとぼくは思っていたのです。

こんな映画にも泣けないぼくの心が、どこか、かわいてしまっているような気もし、若い魂がうらやましい。これから、ぼくは若返るぞ。

劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編公式サイト
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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