えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

トッド・フィリップス監督の『ジョーカー』を見ました。ダークです。暗いです。視聴注意!
ありっこない話なのに、今というこの時代にぼくが生きているからか、映画を見ながら、怖いようなリアリティーを感じている。
いろんな映画を思い出すのはそれらの昔の映画へのオマージュのようなシーンがちりばめれらてもいるから。ぼくは、ポール・シュレイダー監督の『タクシードライバー』だったり、マイケル・チミノ監督の『ディア・ハンター』、ミロス・フォアマン監督の『カッコーの巣の上で』、フェデリコ・フェリーニ監督の短編『悪魔の首飾り』だったりする。もっといろんな映画を見ている人ならさらにいろいろ思い出すんじゃなかろうか?
ラストの30分ぐらいの暗い悪夢のような群衆のシーンは、映画でしか表現できない世界が圧巻だけど、見終わった後、ものすごく嫌な気持ちになった。それはスタンリー・キューブリック監督の『時計仕掛けのオレンジ』や『フルメタル・ジャケット』を見終わった時の感じに似ている。。そういえば、『フルメタル・ジャケット』の主人公の兵士の名前はジョーカーっていったっけ。近未来か、いつかの過去の時代らしきを描きながら、今の恐ろしさをリアルを表わしているいるかのような『ジョーカー』を見て、その嫌な感じから逃れたくも思って、山田洋次監督の寅さんの映画『男はつらいよ』みたいなのを見たくもなりました。
映画『ジョーカー』オフィシャルサイト


是枝裕和監督の『真実』を見ました。今回の是枝監督の最新作はフランスのパリに行ってのスタッフはフランス人に取り囲まれたフランス映画。フランスの二人の素晴らしい女優、ルイス・ブニュエル監督の『昼顔』、カトリーヌ・ドヌーブとレオス・カラックス監督の『ポンヌフの恋人』、ジュリエット・ビノシュ。パリを舞台にしたホーム・ドラマは、やっぱりいつもの小さな小さな物語。母と娘の二人にとりまく準主役の夫役のイーサン・ホークと子役のクレモンティーヌ・グルニエもとてもよかった。ジュリエット・ビノシュとイーサン・ホークとクレモンティーヌ・グルニエちゃんが本当の親子、家族にしか見えません。
是枝監督のいつもの控えめで細やかな演出、描写が、ぼくは大好きです。軽やかでどこか考えさせられるこの映画のラストでぼくは、心の奥の真実とか知っても、知らなくてもいいんだよって、すーっと心も軽く、胸は暖かくなりました。
是枝裕和監督作品 映画『真実』公式サイト - GAGA


マカロニ・ウェスタンの創始者であるセルジオ・レオーネ監督の1969年に公開された西部劇『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』を見ました。鉄道網が東から押し寄せ、開拓時代も終焉する時の砂漠の西部を放浪するガンマンたちへの挽歌を歌うかのような2時間40分でした。物語は冗長ですが、この長さに裏打ちされた独特の美意識に圧倒されました。本当にこんなドアップでむさくるしい男たちの仏頂面の顔を次から次へと見させられて、それがまたかっこいい。ガンファイトは多くなく、ストーリーも平板で、けれども、画面は圧倒的に砂ほこり舞う美しさで、叙事詩ならぬ、映像の抒情詩。
ヒロインのジル演じるクラウディア・カルディナ―レが素敵でした。奪い合う三人の男たちを演じるチャールズ・ブロンソン、ヘンリー・フォンダ、ジェイソン・ロバーズの渋いかっこよさ。男たちは去り、女は残り、そんなラスト・シーンでこうして一つの時代と男たちが終わっていったんだと思い、ほろりとしましたよ。
映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』公式HP


小林正樹監督の「東京裁判」を見ました。4時間50分にわたる長編ドキュメンタリー映画は「東京裁判」と呼ばれた極東国際軍事裁判(The International Military Tribunal for the Far East)、第二次世界大戦の敗戦の日本の戦争遂行者たちの裁判のアメリカ合衆国に残された記録映像とその裁判のは背景となる戦中のニュース映像などがさしはさまれる。4時間50分の間、眠くならずに、おもしろい。この映画は日本のみならず、世界のかけがえのない財産で、何か、世界がおかしくなり始めた時も、そうでないときも周期的にリバイバル上映してほしい。中学校や高校の視聴覚室で現代史の教材として、なにも補足説明せずに上映してほしい。反戦にして反骨の映画監督、小林正樹、偉大なり。
(ここからちょっとネタバレあります)
驚くことに、戦争犯罪人の弁護をアメリカ人の弁護士がとても真摯に熱心にしていること。ただ、それらの弁護のほとんどは、判決の時、判事たちに却下されている。ただ全員を無罪とするインドからの判事のような人もいたのだ。
28人の被告が指名されたのだが、それは、改造して作った法廷の被告席が28席しかなかったからという。その1席が空白なのは、1日目の法廷で前の席の東条英機の頭を叩いたり、泣いたり喚いたりする、民間人にしてたった一人の被告として、法廷に座らされた大川周明が、その奇行ゆえに退席させられ、精神病院に送られ、法廷にもどることを許されなかったことによる。ぼくはその時代随一の頭脳の大川周明が、まだ世界にたくさんの植民地の残るアジアやアフリカにある中、法廷で悪名高い「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」のイデオロギーを永遠と長時間ぶち、発信されるのを恐れたのかなと思う。けれども、当時の日本の軍部や政府は大川周明のそれとは違う植民地主義の他人族への抑圧の血にまみれていた。ABCD包囲網もことやら、南京虐殺のことも映画の出てくる。
裁判の終盤になり弁論席に座る姿の登場する、すべての勲章を外した陸軍の軍服姿の東条英機のふてぶてしさは、検察官や判事たちの逆鱗にふれたかのようだ。そして、マッカーサーの指示によりアメリカの主席検察官が天皇に戦争責任はないとの誘導的な証言を被告から取ろうとする。東条英機(元首相)は、その旨の証言をし、裁判は急速に結審に向かう。ちかごろの東条英機の靖国神社への合祀や天皇の参拝についてどう考えればいいのだろう? 憲法九条を擁護する梅原猛のもう一つの論、いわゆる「怨霊史観」に従えば、日本への怨みを呑んで死刑された東条英機のために東条神社を作るべきかもしれない。
こんな軍隊とかたくさん出てくる映画を見つつも、ぼくはやはり軍国主義は嫌で、それを復古しようとする人がたくさんいて、そんな人らが大きな力を握っているかのような今の日本が危うく、居心地悪く感じるよ。
映画『東京裁判』


ジョルジュ・ガショ監督の「ジョアン・ジルベルトを探して」を新宿のシネマカリテで見ました。
ロードムービーでありドキュメンタリのこの映画で、ジョルジュ・ガショはボサノバの法王と呼ばれたジョアン・ジルベルトに会おうと探し、リオデジャネイロの町を彷徨う。それは、先行してジョアンを探し求め、会えずに出版されたドイツの小説家、マーク・フィッシャーの著した一冊の本「Ho-ba-la-lá〜ジョアン・ジルベルトを探して」を携えての旅でもあった。「Ho-ba-la-lá〜ジョアン・ジルベルトを探して」の出版の直前に40歳という若さで自ら命を絶ったという。マークはこんな言葉も書き残しているらしい。
「ドイツをナチスの亡霊から解放し、ブラジル化しなくてはならない」
この言葉にぼくは自分の国に引き寄せて、復唱してみる。
「日本を大日本帝国の亡霊から解放し、ブラジル化しなくてはならない」
ぼくはブラジルのことをジョアン・ジルベルトらのボサノバやサンバの音楽でしか知らないのだけれども。
さて、ジョアン・ジルベルトに話を戻し、ぼくは二度、ジョアン・ジルベルトの日本での公演を見そこなっている。三度目の来日時に、予約しようとしたが、発売直後に完売し、見れず、これが最後の日本公演だろうと思われた四度目の公演はチケットを取れたのだけれども、ジョアンは体調不良で日本には来なかった。そして、ぼくはジョアン・ジルベルトは未だにいつでも聴いている。けれども、CDやレコードで聞くジョアンは本物のジョアン・ジルベルトではなく、ジョアン・ジルベルトの生き写しの幻影であるかのようなのだ。四度目の公演中止となった後、ぼくはアマゾンでその四度目のコンサートのパンフレットを見つけて、買って、大事にしまってあるのだけれど、ぼくも、ジョルジュやマークと同じように、本当のジョアンがどこかにいて、いつも心の片隅で探し求めているかのようなのだ。この「ジョアン・ジルベルトを探して」のラスト・シーンの監督の姿にぼく自身が重なり、なんともいえない気持ちになりました。
映画の中のコルコバードの丘やコパカバーナ海岸のあるリオデジャネイロの景色が美しかった。
映画「ジョアン・ジルベルトを探して」公式サイト


デヴィッド・ロウリー監督の『さらば愛しきアウトロー』を見る。
この映画、邦題より、原題の英語の方がしっくりくる。"THE OLD MAN & THE GUN"なのだけど、主人公の連続銀行強盗犯が拳銃をぶっ放すシーンは一度もない。
主演のロバート・レッドフォードは俳優引退を表明し、この映画を最後にスクリーンに映ることはないだろう、という映画。小学生のころぼくが背伸びして見た、「明日に向かって撃て」や「スティング」、「華麗なるギャッツビー」はもう遠く、ロバート・レッドフォードもオールドマンになり擦り切れて、映画は1970年代のニュー・シネマの趣で、派手さもなく、けれど、カーチェイスはCGを使わない迫力満点。「黄昏ギャング」と呼ばれた主人公はヒーローでもアンチヒーローでもないけれど、かっこいい。
女の人は誰でもこの映画のロバート・レッドフォードを素敵だと好きになるかもしれないなどと思ってしまう、苦くて甘い映画でした。
映画『さらば愛しきアウトロー』公式サイト


ポレポレ東中野で23年前に作られて長らくある事情により公開されなかったらしい森川時久監督の「夏少女」を見ました。公開されなかったある事情とは何となく察しというか、想像できるみたいなのだが、戦争の記憶が日本から薄れていくような今、公開されてよかったとも思う。
ルイス・ブニュエルの幻想映画のようでもあり、昔からの日本映画の真骨頂であるファミリー・ドラマのようでもあった。
間寛平さんと桃井かおりさんの演じる夫婦がとてもよかったけれど、さらによかったのが主人公を演じる子役の男の子と女の子。二人とも、この時のこの「夏少女」が初めての演技経験だったそうだ。そんな二人が夏の海の光のように美しくキラキラと輝いておりました。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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