えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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スパイク・リー監督の『アメリカン・ユートピア』を見ました。デイヴィッド・バーンの2018年の最新アルバム「アメリカン・ユートピア」を基にした70歳まじかの白髪のデイヴィッド・バーン自身が11人ものミュージシャンたちと歌い、演奏し、踊るブロードウェイのミュージカルをそのまま、スパイク・リーがキャプチャした映画。

デイヴィッド・バーン、元気です。

なぜ、スパイク・リー監督なのかな、と疑問にも思って見てるいると、映画のラストの方で、その疑問も氷解しました。二人には熱い連帯があります。それは見てのお楽しみ。

デイヴィッド・バーンというとポストパンクの名バンド、Talking Heads。セカンドアルバムの"More Songs"とサードアルバムの"Fear of Music"は高校生のころ、よく聴いておりました。ライブの映画「ストップ・メイキング・センス」が評判のころ、デイヴィッドは、ぼくが演じているのはニューヨークの良き共和党員なんだよ、などと言っていて、しゃれのきつい人だな、とぼくは思っていたっけ。

この『アメリカン・ユートピア』で一番かっこいいのは、それまで、歌えや、踊れで、演奏していなかったバーンがギターを手渡されて、"I Zimbra"を鋭すぎるカッティングで弾き始めるところかな。ニューヨークの薄汚れたライブハウス、CBGBで演奏するTalking Headsって、どんなだったのだろう? ティナ・ウェイマスのベース、最高で大好きでした。けれど、再結成とかして欲しくはないよ。それよか、この「アメリカン・ユートピア」のミュージカルの客席に笑いながらティナとジェリー・ハリスン、クリス・フランツの三人がいて欲しい、などと思っていたのです。

映画『アメリカン・ユートピア』公式サイト
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すでにDVDで視聴済みでしたが、映画館の大きなスクリーンと大音響で『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』を見ました。もう最高です。

1972年のアレサ・フランクリンの客席が200人にも満たないカリフォルニア、ワッツにあるブラック・ゲットーにあるパブティスト教会でのライブ。バックはバーナード・パーティー、チャック・レイニー、コーネル・デュプリーらの腕利きの面々。

映画の初めの方で、足踏み鳴らし、歌いながら、客席に中を歩きながら、登場するサザン・カリフォルニア・コミュニティ・クワイアの姿に鳥肌が立ち、さらにアレサも登場し、一曲目の「ホーリー・ホーリー」を歌いだすと、早くもぼくの目頭は熱くなっていました。

大げさでもなく、精霊が降り注ぎ、神が降りてきているようだ。彼女の神を讃えるバラードを聴いていると、ぼくの眼に自然に涙が流れてくる。「クイーン・オブ・ソウル」、「レディー・ソウル」、そんなふうに呼ばれもする彼女だけど、ブラック・コミュニティーの人たちは親しみを込めて、シンプルに「アレサ」と呼ぶ。そして、こうつづけるのだよ。

「もっと歌ってくれ」

ぼくも唱和する。

「魂の歌をもっと歌ってくれ」

アレサは、スポットライトに照らされて、たくさんの汗をかき、目に涙を浮かべながら、笑みをたたえ、ゴスペルを歌ってくれている。






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貞末麻哉子監督のドキュメンタリー映画『普通に死ぬ~いのちの自立~』を見ました。

2年前ほど前に友だちのヨガ教室の先生にして舞踏家であられるきららさんの催した上映会でこの『普通に死ぬ~いのちの自立~』の前作である『普通に生きる~自立をめざして~』は見ていて、『普通に死ぬ』は『普通に生きる』でしっかりと撮られていた静岡市富士市にある生活介護事業書「でら~と」の人たちのその後を追ったもの。きららさんのつなげてくれた映画との、そして、人との縁を思ってしまいます。

「でら~と」でいろんな困難なことが起こり、カメラは、自信をなくしかけた「でら~と」の副所長の坂口えみ子さんと旅に出る。訪れるところは兵庫県の伊丹市の「こうのいけスペースしぇあーど」。「しぇあーど」代表の李国本修慈さんの素晴らしい人柄と熱く良心に満ちた思い。そして、坂口さんは李国本さんが師と仰ぐ清水明彦さんの西宮市の青葉園を訪れる。この清水明彦さんが素晴らしい。人が人と繋がり何か大切なことが伝えられていくということをぼくは思っていまいた。

映画にとらまえられた「でら~と」の人たち。生、そして死にも目をそむけないこの虚飾のないこの映画に出てくる人を見ていると、エゴなつまらない自分が恥ずかしくもなります。

映画に時おり、写しだされる富士山がすべてを見守っているようでもありました。

この映画を作り、届けてくれた貞末麻哉子さん、感動をありがとう。

ドキュメンタリー映画「普通に死ぬ~いのちの自立~」の公式HP
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アーロン・ソーキン監督の『シカゴ7裁判』を見ました。法廷劇で時間は法廷での裁判の進行通りに流れ、それ以外はあまり多くないの回想シーンが挿まれるのみですが、まったく退屈しませんでした。

時はアメリカがベトナム戦争をしていたころ、8人の人たちが政治集会とデモで「暴動を煽った」罪で逮捕、起訴され、物語が始まります。初めはシカゴ7ではなくシカゴ8だったのです。その8人のうちの一人、ブラックパンサー党のボビー・シールの審理停止が言い渡されたあたりで風向きが変わり、登場人物とそっくりな芸達者な俳優たちによって、驚きと感動のラストに向かっていきます。

映画を見終わって、民主主義って素晴らしいな、と思っていました。と同時に、今、アメリカではBLM、Black Lives Matterが起こり、アジア系へのヘイト犯罪への抗議が起きています。いつまでも民主主義は進んでいかなくてはいけない。

日本では自死した赤木俊夫さんの裁判が進められています。この裁判で日本国側は森友学園問題での決済文書の改ざんについて赤木さん自身が記したファイルの存在をやっと認めました。

世界も、もちろん、その中の日本も正義が叶う、そんな社会であってほしい、とぼくは願うばかりです。

シカゴ7裁判
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ユン・ダンビ監督の『夏時間』を見ました。

ある夏休みにおじいさんの家で過ごすこととなった一家を少女の視点から描いたこの韓国映画は、なにやら、足踏み式のミシンやら、虫除けの蚊帳やら、大きなステレオセットやら、懐かしいものにあふれれていました。そのおじいさんの家の舞台の道具と同じぐらいに、展開のない序破急の筋のこの映画自体が、あたかも時の止まったのような夏の時間の懐かしさにあふれているようで、主役の姉オクジュ役のチェ・ジョンウンの微妙に揺れう動く少女の心と相まって、とても素敵でした。

長い、長い序の末に破れ物語がおしまいを急ぐありふれたストーリーのラストシーンを見ていると、家族を描き続けたあの偉大な日本映画の巨匠、小津安二郎の映画を思い出しました。小津映画とのいくつもの共通点を見つけて、ぼくは少しだけニヤリ。マーチン・スコセッシ監督が選んだ100本の映画の中で小津の『東京物語』がナンバーワンであったような、偉大な映画監督の影響力を思い出しました。

川崎アートセンターの中の映画劇場、アルテリオ映像館を出た後、ぼくは、この映画は昔どこかで見たことがあると思い、その昔どこかで見たことのある映画を思い出そうとして、何度もこの映画『夏時間』を心の中で反芻していたのです。この既視感、デジャブは何なのだろう? 静けさが美しい、映画自身が昔見たことのある光景であるかのような、そんな不思議な映画でもありました。

映画『夏時間』公式サイト
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リー・アイザック・チョン監督の『ミナリ』を見ました。この映画は韓国系アメリカ人監督がアメリカの南部を舞台にして撮った映画で、けれど、昭和の、1970年代の日本映画のようでした。家族を描いた直球、ど真ん中の映画で、ついに映画のラストのあたりでぼくの涙腺は決壊してしまったのです。

農業をしにアーカンソーにやってきた韓国からの移民の悪戦苦闘する1980年代の物語だけれど、差別のようなことは描かれず、小さなことの積み重なりが淡々と描かれます。これは、コールドウェルやスタインベックの小説からドラマの「大草原の小さな家」まで、多くのアメリカ人にとって普遍的な家族の物語のような気もします。

ところで、『ミナリ』の時代背景の1980年代というと、韓国は軍政下にあって、10年間つづくねばりづよい民衆の反体制運動の時でもあり、たくさんの韓国人がアメリカに移住した時でありました。この映画『ミナリ』はアカデミー賞の最有力候補で、去年の『パラサイト 半地下の家族』につづき、お隣の国での果報であります。いろんなところで日本を追い越していったかの国にぼくはすなおに讃嘆しております。

映画『ミナリ』公式サイト - GAGA
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クロエ・ジャオ監督の『ノマドランド』を見ました。企業の破たんと共に、長年住み慣れたネバタ州の住居も失ったファーンがバンを改造したぼろぼろのキャンピングカーに乗って、行先のないいつ終わるともしれない旅に出て、そこでいろんな人たちに出会うという物語。めぼしいストーリー展開はなく、ただ人と出会い、広大なアメリカ中西部や西部の大地に身を置く主人公の後を観客は追いかける。

フランシス・マクドーマンド演ずるファーン以外はほとんど、実際にキャンピングカーで放浪している人たちで、ぼそぼそと実話の自分の身のうえ話を語る、ある意味、とても退屈な映画なのだけど、心に染みました。この映画はケン・ローチ監督の作る社会派のそれではなく、ほんもののロード・ムービーで、年老いた登場人物はそれぞれに心に癒されぬ傷を負い、資本主義の抑圧から背を向けて、自由な自ら定住しない車上の生活を選んでいるかのようなのだ。

監督のクロエ・ジャオは北京生まれの米国に定住する中国人で、多分、本当にアメリカが好きなのだろう、とぼくは想像する。スイス生まれの写真家、写真をまさしく芸術の域まで高めたロバート・フランクがアメリカを愛したように。ただただ広いアメリカの大地にかろうじて繋ぎ止められているかのように彷徨い生きているアメリカ人たち。広大なアマゾン社の荷物集積所、広大なキャンピングカーのキャンプエリア、それすらも点のような、広大なアメリカの大地。

ノマドランド|映画|サーチライト・ピクチャーズ
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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