えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

オレール監督のアニメーション映画『ジュゼップ 戦場の画家』を見ました。
第二次世界大戦下、スペインから難民としてフランスに逃れた画家ジュゼップ・バルトリの生涯をいくつかのエピソードで切り取った詩的な映画はアニメーションというより、何かとても動く絵画的な映画でした。その絵画の動きも、それほどダイナミックには動かず、昔、テレビ朝日で放映されていた『まんが日本昔ばなし』を思い出してしまった。
物語が始まるのは第二次大戦の時で、当時、ヨーロッパにはヒットラーのドイツ、ムッソリーニのイタリア、フランコのスペインという全体主義、独裁の国歌があり、これを嫌い、バルセロナからフランスに逃れて来た、画家が主人公で、その難民収容所でも、フランスの憲兵たちから、共産主義のアカと罵られて、虐待される。その画家、ジュセップと、一人の良心を持った憲兵、セルジュとのちょっと不思議な友情がセルジュの語りによって描かれていました。
ぼくが一番好きなシーンは、難民収容所の脱走に成功したらしく、メキシコに渡ったジュセップがフリーダ・カーロに誘惑されるところ。若くしてメキシコの民族を代表するとも呼ばれた大画家フリーダは、ジュセップにこんなことを語りかける。
「あなたの絵はどうして線ばかりなの? 世界をよく見てみなさい。線でできているものなんか、ひとつもないのよ。世界は形と色のせめぎ合いで成り立っている。それが描けたら、あなたはもっと凄い画家になれるわ」
このセリフを聞いて、ぼくはなぜか、鳥肌立っていた。
ジュセップはフリーダの誘惑にあっさり降伏したらしいけれど、生涯、線で描くことはやまなかった。その引っ搔き傷のような線は、戦争で見た悪夢を退散させ、悪魔祓いをするために何度も引き裂いた引っ搔き傷ではなかったのではあるまいか。戦争の悪夢の悪魔祓い師、ジュゼップ・バルトリは死後、世紀をまたぐ戦争のやまない二十一世紀にまた発見された。
映画『ジュゼップ 戦場の画家』公式サイト


山田洋次監督の『キネマの神様』を見ました。おもしろかった。
舞台は2019年と2020年の古い老舗のフィルム上映の映画館。沢田研二さんの演ずる競馬で借金をし、酒浸りなだめなおじいさん、ゴウが松竹の大船の映画撮影所で助監督をしていたころの青春時代を回想するところから始まります。
沢田研二さんは新型コロナウィルス由来の肺炎で亡くなってしまった親友の志村けんさんの代役で、セリフとか、いかにも志村けんさん向けに書かれていたのだけれども、ジュリーのだめおじいさんとして、見事に演じきっております。すばらしい。ジュリーは年をとっても、太っても、なんかかっこいいなぁ。
回想シーンの1950年ごろだと思われる大船撮影所の空気が戦後の日本の青春という感じで、とても素敵です。この回想シーンは小津安二郎へのオマージュとなっており、撮影している映画は「東京物語」ではなく「東京の物語」。
小津安二郎らしき監督を演じているのはリリー・フランキーで自然な名演技なのです。若き日のゴウを菅田将暉くんが演じ、その恋人の淑子を永野芽郁さんがなんともかわいらしい。みんな、あのころのウブで夢も希望もはっきりと見れていた、そんな日本人になりきり、演じきっている。
そんななか、特に出色なのは銀幕女優、桂園子を演じる北川景子さん。北川景子さんの演じる女優が、小津映画の伝説の名女優、原節子に見えてきます。
そして、ゴウが若き日に書いた脚本と折り重なるかのように訪れる終幕の映画の魔法、マジック! とっても楽しめました。
映画『キネマの神様』公式サイト


メリーナ・レオン監督の『名もなき歌』を見ました。
この映画の物語は実話に基づき、1988年のペルーのリマで出産したばかりの子どもを盗まれたインディオの二十歳の少女とある新聞記者が出会うところから、それは動き始める。緩やかなサスペンスがモノクロームのイタリアン・ネオレアリズモのような手法で描き出され、昔のペルーの闇が浮き上がってくる。ラテンアメリカの映画はほとんど見たことがなかったのだけれども、メリーナ・レオンさんが初めて監督をした作品に何か意志のような、新年のような強いものを感じた。
この映画で描かれた状況の8年後のペルーの日本大使館で起きた「在ペルー日本大使公邸占拠事件」を思い出す。この事件を引き起こした14人の所属するトゥパク・アマル革命運動にも、その14人を全員を射殺した当時のアルベルト・フジモリ政権にも、ぼくは共感できなかった。ただ、その14人の中にたくさんの十代の少年や少女がいたことを、ただただ悼むことしかできなかった。
ペルーのこの若いメリーナ・レオン監督はそれがどんなに痛ましいことであろうと、昔を忘れるな、と声低く、世界に耳打ちしているかのようなのだ。そして映画『名もなき歌』のラストに「名もなき歌」がどんな歌なのかが明かされる。その歌にぼくは泣かずにはいられない。
映画『名もなき歌』公式サイト


横浜聡子監督の『いとみち』を見ました。
青森弁がきつくて、自閉的になって悩んでいる高校生、十六歳の女子の物語は津軽三味線の音楽の話でもありました。その十六歳の女子、相馬いとを演じる駒井蓮さんがかわいらしいのだけど、とてもリアル。監督の横浜聡子さんも、駒井蓮さんも青森出身なのだそう。
見ながら、青森の何気ない風景の中を旅しているようでもあります。青森は、昔、青春18切符で旅した時、岩手の盛岡から秋田に向かう列車の中で、通り過ぎてしまっていた。太宰治とか寺山修司の故郷で、三上寛さんとか、偉大な詩人、作家がいっぱいいます。主人公の相馬いとが冒頭のシーンで読みながらうたた寝をしてしまうのは、永山則夫の『なぜか、海』で彼は青森の出身であった。永山則夫が死刑になった時、国家とか権力というのはこういう風に人を殺して、その大きな集団の中に自分も確かに存在して、そんなことが理由であろうか、とてもいたたまれない嫌な気分になったことを思い出す。
さて『いとみち』は音楽によって自由になれて、それによって人とも何かの結びつきができて、それが多分、「いとみち」ということで、とても素敵な映画でした。
それから、豊川悦司さんは年をとっても、とてもかっこいい。こうありたいものです。
ところで、生で聴く太棹の津軽三味線の音は、ベンベンと叩く太鼓とギターとベースが合わさったようなハードロック的な爆音です。青森の人ではないぼくだけれども、津軽三味線には昔から伝えられてきたソウルがあると感じてしまいます。
映画『いとみち』公式サイト


清水ハン栄治監督の『トゥルーノース』を見ました。北朝鮮の政治犯やそれに類すると当局が決めつけた人たち強制収容所をすこしだけ古っぽいアニメで描いた映画でした。
目をそむけたくなる地獄の環境の中でもヒューマニティの輝きがあって、それを描いた清水ハン栄治監督は素晴らしい。いくつもの映画賞を受賞しています。清水ハン栄治さんは横浜生まれの在日コリアンの四世だそうで、自身にとっても、とても切実な問題を深くリアルに取り上げるべく、この映画は取材に十年かかっているそうです。
一党独裁の国、この映画で描かれた国やその隣に広がる大きな国の残酷な指導者におれは疑問を投げかけたい。人権ということに関して、内政干渉ということはあるのかね?
それから、日本も入国管理局でのあいつぐ死亡が報道されていて、G7の会合などに首相は出席しているけれど、本当に日本は民主主義と人権の価値観を共有できているのかね?
ほぼ二年前の板門店での北朝鮮の金正恩国務委員長、米国のトランプ大統領、韓国の文在寅大統領の三者会談って何だったのかね?
この『トゥルーノース』にこそ真実の欠片はあって、世界中で見られるべき映画だと思います。
映画『トゥルーノース』公式サイト


スパイク・リー監督の『アメリカン・ユートピア』を見ました。デイヴィッド・バーンの2018年の最新アルバム「アメリカン・ユートピア」を基にした70歳まじかの白髪のデイヴィッド・バーン自身が11人ものミュージシャンたちと歌い、演奏し、踊るブロードウェイのミュージカルをそのまま、スパイク・リーがキャプチャした映画。
デイヴィッド・バーン、元気です。
なぜ、スパイク・リー監督なのかな、と疑問にも思って見てるいると、映画のラストの方で、その疑問も氷解しました。二人には熱い連帯があります。それは見てのお楽しみ。
デイヴィッド・バーンというとポストパンクの名バンド、Talking Heads。セカンドアルバムの"More Songs"とサードアルバムの"Fear of Music"は高校生のころ、よく聴いておりました。ライブの映画「ストップ・メイキング・センス」が評判のころ、デイヴィッドは、ぼくが演じているのはニューヨークの良き共和党員なんだよ、などと言っていて、しゃれのきつい人だな、とぼくは思っていたっけ。
この『アメリカン・ユートピア』で一番かっこいいのは、それまで、歌えや、踊れで、演奏していなかったバーンがギターを手渡されて、"I Zimbra"を鋭すぎるカッティングで弾き始めるところかな。ニューヨークの薄汚れたライブハウス、CBGBで演奏するTalking Headsって、どんなだったのだろう? ティナ・ウェイマスのベース、最高で大好きでした。けれど、再結成とかして欲しくはないよ。それよか、この「アメリカン・ユートピア」のミュージカルの客席に笑いながらティナとジェリー・ハリスン、クリス・フランツの三人がいて欲しい、などと思っていたのです。
映画『アメリカン・ユートピア』公式サイト


すでにDVDで視聴済みでしたが、映画館の大きなスクリーンと大音響で『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』を見ました。もう最高です。
1972年のアレサ・フランクリンの客席が200人にも満たないカリフォルニア、ワッツにあるブラック・ゲットーにあるパブティスト教会でのライブ。バックはバーナード・パーティー、チャック・レイニー、コーネル・デュプリーらの腕利きの面々。
映画の初めの方で、足踏み鳴らし、歌いながら、客席に中を歩きながら、登場するサザン・カリフォルニア・コミュニティ・クワイアの姿に鳥肌が立ち、さらにアレサも登場し、一曲目の「ホーリー・ホーリー」を歌いだすと、早くもぼくの目頭は熱くなっていました。
大げさでもなく、精霊が降り注ぎ、神が降りてきているようだ。彼女の神を讃えるバラードを聴いていると、ぼくの眼に自然に涙が流れてくる。「クイーン・オブ・ソウル」、「レディー・ソウル」、そんなふうに呼ばれもする彼女だけど、ブラック・コミュニティーの人たちは親しみを込めて、シンプルに「アレサ」と呼ぶ。そして、こうつづけるのだよ。
「もっと歌ってくれ」
ぼくも唱和する。
「魂の歌をもっと歌ってくれ」
アレサは、スポットライトに照らされて、たくさんの汗をかき、目に涙を浮かべながら、笑みをたたえ、ゴスペルを歌ってくれている。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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