えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

カビール・カーン監督の「バジュランギおじさんと、小さな迷子」を見ました。なんと、世界一の年間2,000本近く作られるインドの映画の中でも歴代3位の興行成績なのだそう。迷子の子どもを隣国、パキスタンに送り届けるヴィム・ヴェンダースのようなストーリーもインドの映画では歌あり、踊りありのもりだくさんで、あきなく楽しい。迷子のシャヒーダーを演じる子役のハルシャーリー・マルホートラがとてもいい。ラストの想像していたとおりのめでたしめでたしの物語もすばらしく、共感してしまう。ロード・ムービーでのパキスタンとインドにまたがるカシミールの美しさ。映画に込められたてらいもない真摯なメッセージ。そうさ、国境の壁も柵も鉄条網もなくなってしまえ。
バジュランギおじさんと、小さな迷子


黒澤明監督の「どですかでん」を見る。暗く救いのない話を美しい映像で描いていた。物語とかストーリーもほとんどなく、黒澤組初のカラー映画は、フランスのヌーベルバーグというよりも、色彩のあるイタリアのネオレアリズモという趣。そして、ラストのシーンはほんのかすかな曙光のよう。1970年代にたくさん作られたインディーズ、ATGの映画は、この「どですかん」がルーツだろうかと思わせる。「どですかん」の残酷さの中の一筋のヒューマニズムに、ぼくは当惑し、この映画のように、空想の家を作ったり、空想の汽車を走らせ、いつか命の木は等しく枯れてゆく。


レンタルDVDでフェデリコ・フェリーニ監督の「フェリーニのアマルコルド」を見る。
フェリーニが子どものころ、それはファシスト政権下の北イタリアの小さな田舎町の一年間を描いた自伝的な美しいコメディー映画なのだった。こんなフェリーニの映画を見ると、どんな時代でも、どんなところにいようとも、人生は祝祭なのだって思えてくる。それは素晴らしい人間賛歌の映画で、音楽はもちろんニノ・ロータ。
フェリーニはこう言っていたそう。
「私は映画だ」
もう一度、大きなスクリーンで見たいよ。
フェリーニが子どものころ、それはファシスト政権下の北イタリアの小さな田舎町の一年間を描いた自伝的な美しいコメディー映画なのだった。こんなフェリーニの映画を見ると、どんな時代でも、どんなところにいようとも、人生は祝祭なのだって思えてくる。それは素晴らしい人間賛歌の映画で、音楽はもちろんニノ・ロータ。
フェリーニはこう言っていたそう。
「私は映画だ」
もう一度、大きなスクリーンで見たいよ。


おれらのスパイク・リーが戻ってきた。スパイク・リーの新しいジョイント(Joint)(スパイクは映画のことをジョイントと呼ぶのだけれど、ニューヨークのアフリカン・アメリカンのスラングなのかしら?)「ブラック・クランズマン」を見てきました。とてもおもしろかった。
ブラック・パワーを称揚する単純な映画でもなく、スパイク・リーらしいねじれたユーモアとアイロニーに惹きつけられてしまう。ついには白人至上主義のKKKと黒人の権利を主張する黒人の学生組織がシンメトリーな相似にも見えてしまうのだった。ラスト・シーンではこれは何の映像なんだと疑問に思っていると、それは1、2年前のアメリカ合衆国のバージニアだったのだ。ショックを感じてしまったのだが、このような光景は日本でも近ごろ、見てしまうものでもある。そして、スパイクのメッセージ。
"No Place for Hate"
かっこいい。人種差別、民族差別、性差別、反対。憎悪に行き場なし!
この真摯なメッセージの込められたラストシーンで、いわゆる名画ではなくなってしまっているのだけど、それこそがスパイクのジョイントなのだ。大好きです。
あっ、アフロヘア―の黒人女子闘志、パトリス・デュマス演じるローラ・ハリアー、凛としてとても美しくかわいかったです。
映画『ブラック・クランズマン』オフィシャルサイト


ピーター・ファレリー監督の「グリーンブック」を見ました。1962年の秋からクリスマスの冬にかけて、アメリカ南部を性格のまったく違う二人の男が車に乗って、旅をするうちに強い友情が芽生え、育つというような物語です。性格も違うけれど、一人は黒人で一人は白人、一人は上層階級で三歳のころからピアノを弾き、なんとレイナード・バーンスタインに「神業」と呼ばれたのピアニスト、一人は中下層階級の高級サパークラブ「コカパバーナ」に用心棒に雇われたやさぐれやくざ。そんな凸凹な二人のロード・ムービー。なんとも想像どおりのラストの物語の展開が気持ちよく、心がほっこりあたたまりました。黒人の側から生ぬるい白人視点の映画だとの批判の意見もあるらしいのですが、人種差別をいつの間にか越えてしまったかのような二人のとてもいい映画だと思いました。
この映画を見て、黒人・白人の混成リズム・アンド・ブルース・バンド、Booker T & The MG'sのスティーブ・クロッパーのインタビューでの言葉を思い出す。
「メンフィス・レコード・スタジオで録音していて、人種差別なんてなかったし、考えもしなかったけれど、ひとたびスタジオの外に出れば、それはあったんだよ。南部のツアーの時、白人しか泊めてくれないホテルしか見つからなくて、黒人のメンバーは白人のおまえたちだけで泊まれと言ってくれたけれど、それはできなくて、みんなでトラックやバスで夜を明かしたものさ」
Duke Ellington's "New World A-Comin'". Carnegie Hall 1955 (Don Shirley, piano)
Traveling While Negro Green Book
映画『グリーンブック』公式サイト


渋谷のイメージフォーラムで強烈な映画を見ました。イ・ジュンイク監督の「金子文子と朴烈」です。「朴烈」と書いて「パクヨル」と読みます。強烈な映画というよりチェ・ヒソさんの演じる金子文子が強烈です。こんな日本女性がいたのか! けれど、何かとても魅力的。近代と現代のはざまでこんな史実があり、こんな人たちがいたとは知りませんでした。
見ながら今は亡き大島渚監督を思う。これは大島渚が撮るべき題材のような気もしてきたのですが、イ・ジュンイク監督のスピルバーグ監督のように正当な演出にエンドロールのとある場面で目頭が熱くなって、落涙してしまう。
時の内務大臣、水野錬太郎を演じるキム・インウさん、ヒールを演じて恐るべき怪演です。在日コリアン3世だそう。この役者さんがいなければ、これほどの緊迫感は出なかったでしょう。
愛は国境を越えるというけれど、金子文子は愛をもって自らの意志で国境や民族を越えて、超えていったのだ。小説家の西村賢太さんの「金子文子と朴烈」への賛を紹介してこの項をしめくくります。
「それぞれの思想とそれぞれの立場により、どのような観かたをしても勝手であるに違いない。ここに描かれた“個”における自由と、他者への愛の崇高さを胸に刻みつけてさえおけば――」
映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』公式サイト


仕事帰りにテアトル新宿に寄り、中江裕司監督のドキュメンタリー映画「盆唄」を見ました。ふる里についての映画だと思いました。東日本大震災の被災地、原発事故による帰還困難地域通貨の福島県双葉町の話なのです。静かにじわりと感動しました。
盆踊りって逝ってしまった人たちと一緒に踊る、逝ってしまった人たちのための踊りであるとともに、これから来るものたち、まだ見ぬ子どもたちに思いをはせる、そんな踊りなのですね。「盆唄」を見て、昔、今、これから、ぼくはそんなことも思っているのです。
夏がまたやってきて、祭囃子が聞こえると、ぼくはいつも泣いてしまう。
映画『盆唄』オフィシャルサイト


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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