えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

TOHOシネマズで「午前十時の映画祭」というのをやっていて、昔懐かしの映画が大きなスクリーンにかかるんです。たまに見に行きます。
今日はTOHOシネマズららぽーと横浜にスティーヴン・スピルバーグ監督の「E.T.」を見ました。何度か、テレビとかレンタル・ビデオで見ているのだけど、大きいスクリーンは格別で、とてもよかったです。特にあのETをカゴに乗せて自転車で空を飛ぶシーン、最高だわ。自転車って、神話と夢の世界からおりたってきたような最高の乗り物ですね。映画の面白さと感動のど真ん中をゆくような映画で、「E.T.」は何度、見てもすばらしい。
この「午前十時の映画祭」、来年の3月で終わってしまうそう。とても残念です。11月の「サウンド・オブ・ミュージック」は絶対、見に行くぞ。
「E.T.」上映作品詳細 - 午前十時の映画祭10 デジタルで甦る永遠の名作


黒澤明監督の「八月の狂詩曲」をレンタルDVDで見る。
この映画は黒澤組の最後の映画で、ラストの「終」の字を見ながら、黒澤明の壮大な何十年もかけて綴られた夢の世界も終わったのかと思い、なんともいえない感じ。そして、この映画は大林宣彦監督のふるさと映画の原型でもあるような気もし、平和への願いは今もかなえられずに、祈りのように静かにつづく。
夏休みに子どもたちがおばぁちゃんの田舎に家に帰ると、不思議なことがあるのは、ぼくも経験したことでもあるのです。
この映画は黒澤組の最後の映画で、ラストの「終」の字を見ながら、黒澤明の壮大な何十年もかけて綴られた夢の世界も終わったのかと思い、なんともいえない感じ。そして、この映画は大林宣彦監督のふるさと映画の原型でもあるような気もし、平和への願いは今もかなえられずに、祈りのように静かにつづく。
夏休みに子どもたちがおばぁちゃんの田舎に家に帰ると、不思議なことがあるのは、ぼくも経験したことでもあるのです。


カビール・カーン監督の「バジュランギおじさんと、小さな迷子」を見ました。なんと、世界一の年間2,000本近く作られるインドの映画の中でも歴代3位の興行成績なのだそう。迷子の子どもを隣国、パキスタンに送り届けるヴィム・ヴェンダースのようなストーリーもインドの映画では歌あり、踊りありのもりだくさんで、あきなく楽しい。迷子のシャヒーダーを演じる子役のハルシャーリー・マルホートラがとてもいい。ラストの想像していたとおりのめでたしめでたしの物語もすばらしく、共感してしまう。ロード・ムービーでのパキスタンとインドにまたがるカシミールの美しさ。映画に込められたてらいもない真摯なメッセージ。そうさ、国境の壁も柵も鉄条網もなくなってしまえ。
バジュランギおじさんと、小さな迷子


黒澤明監督の「どですかでん」を見る。暗く救いのない話を美しい映像で描いていた。物語とかストーリーもほとんどなく、黒澤組初のカラー映画は、フランスのヌーベルバーグというよりも、色彩のあるイタリアのネオレアリズモという趣。そして、ラストのシーンはほんのかすかな曙光のよう。1970年代にたくさん作られたインディーズ、ATGの映画は、この「どですかん」がルーツだろうかと思わせる。「どですかん」の残酷さの中の一筋のヒューマニズムに、ぼくは当惑し、この映画のように、空想の家を作ったり、空想の汽車を走らせ、いつか命の木は等しく枯れてゆく。


レンタルDVDでフェデリコ・フェリーニ監督の「フェリーニのアマルコルド」を見る。
フェリーニが子どものころ、それはファシスト政権下の北イタリアの小さな田舎町の一年間を描いた自伝的な美しいコメディー映画なのだった。こんなフェリーニの映画を見ると、どんな時代でも、どんなところにいようとも、人生は祝祭なのだって思えてくる。それは素晴らしい人間賛歌の映画で、音楽はもちろんニノ・ロータ。
フェリーニはこう言っていたそう。
「私は映画だ」
もう一度、大きなスクリーンで見たいよ。
フェリーニが子どものころ、それはファシスト政権下の北イタリアの小さな田舎町の一年間を描いた自伝的な美しいコメディー映画なのだった。こんなフェリーニの映画を見ると、どんな時代でも、どんなところにいようとも、人生は祝祭なのだって思えてくる。それは素晴らしい人間賛歌の映画で、音楽はもちろんニノ・ロータ。
フェリーニはこう言っていたそう。
「私は映画だ」
もう一度、大きなスクリーンで見たいよ。


おれらのスパイク・リーが戻ってきた。スパイク・リーの新しいジョイント(Joint)(スパイクは映画のことをジョイントと呼ぶのだけれど、ニューヨークのアフリカン・アメリカンのスラングなのかしら?)「ブラック・クランズマン」を見てきました。とてもおもしろかった。
ブラック・パワーを称揚する単純な映画でもなく、スパイク・リーらしいねじれたユーモアとアイロニーに惹きつけられてしまう。ついには白人至上主義のKKKと黒人の権利を主張する黒人の学生組織がシンメトリーな相似にも見えてしまうのだった。ラスト・シーンではこれは何の映像なんだと疑問に思っていると、それは1、2年前のアメリカ合衆国のバージニアだったのだ。ショックを感じてしまったのだが、このような光景は日本でも近ごろ、見てしまうものでもある。そして、スパイクのメッセージ。
"No Place for Hate"
かっこいい。人種差別、民族差別、性差別、反対。憎悪に行き場なし!
この真摯なメッセージの込められたラストシーンで、いわゆる名画ではなくなってしまっているのだけど、それこそがスパイクのジョイントなのだ。大好きです。
あっ、アフロヘア―の黒人女子闘志、パトリス・デュマス演じるローラ・ハリアー、凛としてとても美しくかわいかったです。
映画『ブラック・クランズマン』オフィシャルサイト


ピーター・ファレリー監督の「グリーンブック」を見ました。1962年の秋からクリスマスの冬にかけて、アメリカ南部を性格のまったく違う二人の男が車に乗って、旅をするうちに強い友情が芽生え、育つというような物語です。性格も違うけれど、一人は黒人で一人は白人、一人は上層階級で三歳のころからピアノを弾き、なんとレイナード・バーンスタインに「神業」と呼ばれたのピアニスト、一人は中下層階級の高級サパークラブ「コカパバーナ」に用心棒に雇われたやさぐれやくざ。そんな凸凹な二人のロード・ムービー。なんとも想像どおりのラストの物語の展開が気持ちよく、心がほっこりあたたまりました。黒人の側から生ぬるい白人視点の映画だとの批判の意見もあるらしいのですが、人種差別をいつの間にか越えてしまったかのような二人のとてもいい映画だと思いました。
この映画を見て、黒人・白人の混成リズム・アンド・ブルース・バンド、Booker T & The MG'sのスティーブ・クロッパーのインタビューでの言葉を思い出す。
「メンフィス・レコード・スタジオで録音していて、人種差別なんてなかったし、考えもしなかったけれど、ひとたびスタジオの外に出れば、それはあったんだよ。南部のツアーの時、白人しか泊めてくれないホテルしか見つからなくて、黒人のメンバーは白人のおまえたちだけで泊まれと言ってくれたけれど、それはできなくて、みんなでトラックやバスで夜を明かしたものさ」
Duke Ellington's "New World A-Comin'". Carnegie Hall 1955 (Don Shirley, piano)
Traveling While Negro Green Book
映画『グリーンブック』公式サイト


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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