えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
今日は新宿末廣亭で令和五年十一月下席昼の部でございます。玉川太福師匠の新作の浪曲「佑子のスマホ」が楽しい。きょうこ師匠の奇術は和装、江戸風で風情がありますな。和装の奇術というのを初めて見ました。桂南なん師匠の「身投げ屋」に大笑いします。今日の主任は桂歌春師匠で、話は「天災」。大概のことは鷹揚に天災みたいなものだと怒らず受け止めなさいってな話でありました。飄々とした味になるほどなとも思いまする。
夜は相模大野のアコパでいのうえともやすさんのお呼びつけライブでゲストはよしだよしこさん。ぼくは真摯なメッセージのある歌が好きで、よしだよしこさんの歌も大好きです。ふと、プーチンやネタニヤフに教えてやってくれ、人の道ってやつをね、などとも思います。ニヒリストにならず、諦めずに、声を上げ、歌を歌っていきましょう。
朝、起きたら二日酔いっぽかったです。飲みすぎちゃいけません。
三牧聖子さんの著した『Z世代のアメリカ』を読む。
アメリカ合衆国という国は、ベトナム、イラク、アフガニスタンと戦争を行いつつ、ぼくは、何に善いものは世界にもたたらさず、むしろ腐敗と悪、老廃をもたらしている、と思う。しかも、イスラエルを支援しているアメリカはパレスチナのガザにたくさんの子どもたちに死もすらもたらしている。ウクライナで戦争をする米ソ冷戦の当事者ロシアも地に堕ち、アメリカも同様で、そのようなアメリカを相対化し、今までの見かたとは違う見かたで見ている人たちが、1990年代半ば以降に生まれたZ世代に多いとのことが『Z世代のアメリカ』に書かれていて、彼らこそ何か、倫理的に、政治的に、社会的に正しいことを指向しているらしい。
ガザの惨状を目の当たりにしている今、本書の「第五章 人道の普遍化を求めて ―アメリカのダブル・スタンダードを批判するZ世代」にぼくは明日の希望の一筋を見いだもする。その「第五章 人道の普遍化を求めて」の項に「日本、そして私たちにできること」があって、アフガニスタンに水路を作ったペシャワール会の先人、中村哲医師の話もあり、クリスチャンの中村医師が好んだ言葉が天台宗の開祖、最澄の「一隅を照らす」という言葉だったそうだ。ぼくも「一隅を照らす」ことが出来れたらいいのにと思いつつ、本を閉じました。
アメリカ合衆国という国は、ベトナム、イラク、アフガニスタンと戦争を行いつつ、ぼくは、何に善いものは世界にもたたらさず、むしろ腐敗と悪、老廃をもたらしている、と思う。しかも、イスラエルを支援しているアメリカはパレスチナのガザにたくさんの子どもたちに死もすらもたらしている。ウクライナで戦争をする米ソ冷戦の当事者ロシアも地に堕ち、アメリカも同様で、そのようなアメリカを相対化し、今までの見かたとは違う見かたで見ている人たちが、1990年代半ば以降に生まれたZ世代に多いとのことが『Z世代のアメリカ』に書かれていて、彼らこそ何か、倫理的に、政治的に、社会的に正しいことを指向しているらしい。
ガザの惨状を目の当たりにしている今、本書の「第五章 人道の普遍化を求めて ―アメリカのダブル・スタンダードを批判するZ世代」にぼくは明日の希望の一筋を見いだもする。その「第五章 人道の普遍化を求めて」の項に「日本、そして私たちにできること」があって、アフガニスタンに水路を作ったペシャワール会の先人、中村哲医師の話もあり、クリスチャンの中村医師が好んだ言葉が天台宗の開祖、最澄の「一隅を照らす」という言葉だったそうだ。ぼくも「一隅を照らす」ことが出来れたらいいのにと思いつつ、本を閉じました。
こんな夢を見た。ぼくは広いイギリスかどこかの芝生のはられた庭園で昼下がりに腰をおろしている。あたりを見ていると、そこに死んだ飼っていた犬のレオがいる。あっ、レオだと気づき、近づいて、手で撫でてみる。やっぱ、死んでいなかったんだ、とぼくは思う。近くにレオそっくりの子犬がいて、レオの後を追ってくる。その子犬がレオそっくりを小さく丸くしたみたいでかわいい。
そこで目が覚めた。たまに今でもレオの夢を見るなぁ。どうしたのかな?
そこで目が覚めた。たまに今でもレオの夢を見るなぁ。どうしたのかな?
横須賀美術館に『となりの国の絵本 躍動する韓国イラストレーションの世界』展を見に行きました。美術館の中は遠足の小学生で一杯。きっと、子どもたちは、こうして偏見という牢獄からいつまでも自由になるんだ。偏見や差別こそ、それをする人を不自由にする、などと思いつつも、ぼくは、昔話の絵本や、数十年前のできごとを題材にした絵本に列島と半島の民俗の違いを感じていたりします。けれど、それらもなぜか無性に懐かしい。きっと、人と人、民族と民族は地下茎でつながっているんだね。韓国と紀州を行き来し、韓国も紀州も半島だと喝破した中上健次は、おれはどこにでもいる、とご機嫌になると言っていたという。おれは、新宮にも、韓国のソウルやプサンにも、ジャマイカのキングストンにも、パレスチナのガザにも、アフガニスタンのペシャワールにも、ニューヨークのブルックリンにもいる。そして、『となりの国の絵本』にもどれば、スージー・リーの絵本は国境、民族、人種を軽々と越えてコスモポライツでその普遍はダイナミック。それこそが素晴らしい未来の予感ではなかろうか?