えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
国会議事堂の周辺でのフリー・コンサート『イットクフェス2025!』で歌いました。このコンサートを企画して、毎年、つづけて開催しているスタッフの皆さまに感謝の言葉しか申しあげられません。ありがとうございます。
一曲目は「ガザのために」と題した散文詩の朗読をしました。この詩を作ったのが、2024年の3月ごろで、状況が変わらないことに、アメリカに飼われているかのような日本の政府のふがいなさに、怒りと悲しみを感じます。
♪♪♪
私は殺され、死んだ子どもの姿を見過ぎたのだろうか。もう十分だ。もう十分だという声も被害者と称する選民たちには届かない。今では、病院の受乳容器の中で、餓死する子どもの姿が届けられる。誰も手出しするな、死なすのだとあなたは言うのかね?
ウクライナでも戦争は止まない。ミャンマーはどうなった? 私にとって、生きた時間より、これから生きる時間の方がはるかに短いというのに。
パレスチナ、ウイグル、クルド、チベット、ロヒンギャ。土地を持たない民族の悲惨さに、まだ、夜は続いている。国境がなくなればいいという夢の歌。二千年以上、はるか昔の物語には選ばれし民というが、それによって、命を含むすべてを奪われたらどうだろうか? 国歌と民族は同一ではない。国の中にさまざまな人種、民族がおり、むしろあなたは、あなたの国の中の壁の崩落するのを夢見たらどうだろうか?
獲物を食み涙する鰐の体の中で、魚は憤怒し、鱗を逆立てているのだ。言葉。その言葉を発することを私は止めてはならない。言葉は翼を持ち、すると、言葉ではない鳥のさえずりを聞くことだろう。自由。自由。その時、死んだ、洗礼を受けない、あなたにとっての異教徒の子どもらが、不滅の輪廻転生のように、復活するのを見るだろう。そのような夢の中ですべては逆流し、新宿駅の集会で在日パレスチナ人であるアイーダさんの言葉は響き、私は不覚の嗚咽をし始めたのだ。
「今起きている虐殺は前例を見ない。ホロコーストでさえ比較にならない。支援物資が届いた所でイスラエルは殺人を犯した。あと何人の血が、何人の死体が、何人のもぎ取られた四肢があれば十分か。私たちは黙らず、どこにも行かない。パレスチナ人はパレスチナ人だ」♪♪♪
ガザについては、今、歌わなくてはならない。自分で作った「ガザの平和ための前奏曲」も歌いました。
♪♪♪
戦争をやめろ 子どもを殺すな
武器を捨てろ 誰も殺すな
もしもわたしが死ななくてはならないのなら
あなたは生きなくてはならない
わたしの物語を伝えるために
いつか子どもたちの眠る
瓦礫に花を咲かせてくれないか♪♪♪
このコンサートで見た中川五郎さんの「ピーター・ノーマンを知っているかい?」は、圧巻のパフォーマンスでした。差別主義の復活し、跋扈する今の時代に、暴力ではない、言葉の力、歌の力による石礫を五郎さんのようにぼくも投げたい。愛と思いやりが底に流れうる言葉の力、歌の力をぼくは信じています。
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