えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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臨済宗円覚寺派管長であらせられる横田南嶺さんの著された『こころころころ はがきで送る禅のこころ』を読みました。横田南嶺和尚が檀信徒の皆さんに送られた葉書の言葉から『こころころころ』はなっており、やさしく仏教、禅の心が説かれておりました。この前、ぼくが鎌倉の円覚寺に訪れた時にこの本は購入したものであります。ご紹介に一節を引用します。

「うたたねの ひととき楽し 蓮の上」
 これは私が作った歌で、辞世の句にしても良いと思っています。人の一生というものは、仏様の蓮の上でうたたねをしているようなもの。孫悟空がどんなに動き回っても仏様の手の上であったように、私たちがいろんなことをやっても結局は仏様の手の平の上であり、蓮の上と表しました。
 これを仏心といいます。蓮の上で懐かれながら、悩んだり苦しんだりしているこの場所が、仏心の中なのです。そう信じてゆったりとした気持ちですごすことが大切です。

ぼくは円覚寺の近くの建長寺の大仏を見上げながら友だちのふとつぶやいたことを思い出してしまいます。

「すべてを見ているんだよ」






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大江健三郎の著した『晩年様式集』を読了した。この小説の背景として、東日本大震災とその後の原発の廃炉を求める運動があり、虚実ないまぜとなった作家自身の一人称で書かれた小説であった。とても読み進めるのが難しかったのは、先行となる多くの小説を読んでいなくては、分かりにくい部分もあったように思われる。大江健三郎という大きな物語群が終わってしまって、やはり寂しい。いつか、先行するたくさんの大江健三郎の小説を読んでから、再び『晩年様式集』を手にしたいと思います。







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小川さゆりさんの著した『小川さゆり、宗教2世』を読みました。読み進めると苦しくなってしまう。旧統一教会、家庭連合やそれと類することをしている宗教法人は、日本での宗教法人の資格を取り消されるべきだとも思う。「第6章 「小川さゆり」の誕生」での呪縛から逃れ、はばたいた小川さんの生き方に感動し、何だかビリー・ホリデイの"God Bless the Child"という歌を思い出す。こんな歌詞です。意訳してみました。

♪♪♪
得る人があれば
失う人もいます
聖書は福音を説いているのです

ママももっています
パパももっています
けれど、神様は自分でつかむ子供を祝福するのです

そう、強いものはさらに強くなり
弱いものは小さくなっていく
かっらぽのポケットの中にはやっぱり何もない

ママももっています
パパももっています
けれど、神様は自分でつかむ子供を祝福するのです

お金があれば友だちはたくさん
ドアの前には人だかり
使い切って一文無しには
誰も来なくなる

金持ちの親戚からパンのかけらをもらっても
それ以上のことはしてくれない

ママももっています
パパももっています
けれど、神様は自分でつかむ子供を祝福するのです

もう何も心配することはないよ
あなたは自分でつかんだんだもの♪♪♪

小川さゆりさんに幸あれ。






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鮎川誠さんの『'60sロック自伝』を読みました。鮎川さんが広い意味でのRock'n' Rollを語りまくっておられます。面白かった。天国でもシーナと一緒に誠さんはRock'n' Rollでぶっ飛ばしているに違いありません。Rock'n' Rollは永遠だし、SHEENA & the ROKKETSも永遠です。








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内田樹さんの著した『街場の天皇論』を読む。『代表的日本人』の名著のある内村鑑三の書いたものに『余は如何にして基督信徒となりし乎』があるけれど、この『街場の天皇論』は内田さんの「余は如何にして天皇主義者となりし乎」なのであった。

読みながら、つらつらと今の天皇陛下が即位した儀式で、首相であった「天皇陛下万歳」と手をあげる安倍晋三を睥睨し、まったくの怒気のこもった目で見ていた、その目を思い出した。この本の中の「「日本的状況をみくびらない」ということ―あとがきにかえて」では、三島由紀夫について論じているのだけれど、読みながら、昔、テレビか何かで見た三島由紀夫の市ヶ谷の自衛隊駐屯地での演説をする光景を思い出す。三島は四方八方から自衛隊員の怒りに満ちた罵声をあびせられていた。即位の日に安倍を見据えていた天皇陛下の怒りの目は、三島に罵声をあびせていた自衛隊員の怒りの罵声と通底しているのではないか、という異論を内田さんに提出したいとも思い、本をとじた。

天皇という存在は日本人の意識にものぼらない、けれど、確かにそこにあるエートスなのかもしれない。







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横須賀美術館で『キャラクターデザインの先駆者 土方重巳の世界 ブーフーウーと仲間たち』展を見ました。

こんなかわいい展覧会は初めてです。しかも懐かしくもある。ゾウのサトちゃんにも再会。こどもの頃が心に甦りもします。

季節ごとに展示変えをしている谷内六郎館も楽しい。

夢の中のひとときのようでございました。
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水口憲哉さんの著した『淡水魚の放射能 川と湖の魚たちにいま何が起きているのか』を読む。

ぼくは、人類が原子の力を得てしまった時から、その稚拙で幼稚な倫理と道徳によって、滅亡の道を歩いているような気もしているのだけれど、魚という生きものの研究者である水口憲哉さんは、これから来るものたちのために警鈴を鳴らすかのように、このような本を書いているようにも思われるのです。この本を2012年9月1日に緊急出版したフライの雑誌社による推薦文を引用します。

「福島第一原発事故以前、日本では淡水魚の放射能汚染はまったく研究されていませんでした。第1部ではチェルノブイリ事故をはじめ、世界の知られざる淡水魚の放射能をくわしく掘り起こします。第2部では福島第一原発の大事故により、日本の川と湖の魚たち起きている放射能汚染の実態を見つめ、汚染の仕組みを考えます。そしてこれからの汚染の行方を予想します。私たちが選ぶべき暮らしの有り様がそこに見えてきます。」

そういえば地方統一選が近いな。『淡水魚の放射能』を読みながら、ぼくは、ぼくの思うところの希望を持って、投票ということによって石つぶてをぶつけたい、そんなことも考えていました。

選ぶべき未来は森と川と魚たちが教えてくれる。─『淡水魚の放射能 川と湖の魚たちにいま何が起きているのか』(水口憲哉=著) | フライの雑誌社

2023年の淡水魚の放射能汚染まとめ/放射能汚染を釣り人としてどう受け止めるか
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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