えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

竹橋の東京国立近代美術館で『コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ』を見る。これだけたくさんの「戦争画」と呼ばれる絵を見たのは初めてだ。気が滅入りながらも、何か懐かしいものを感じるのはどうしてだろう? 藤田嗣治の戦争画はその陰惨さによって、両義的でもあり、ぼくの目をいつまでも惹きつけてやまない。そして、戦時下の進軍喇叭の音に背を向けた松本竣介という画家がいたことが、ぼくに勇気を与えてくれる。
昭和元年から昭和二十年までは、日本人が罪を犯し、悪徳に染った、日本人にとってもっともいまわしい時代であった。それは、アジアを解放するといいながら、アジアを抑圧する欺瞞の日々でもあった。しかし、その時代に復古しようと主張する政治勢力がいて、強くなってしまったことが、ぼくには恐ろしい。記憶も、記録も忘れてしまってはいけないことだ。
靖国史観ではない、図録もあえて制作されないこの展覧会を企画したキュレーターに、ぼくは拍手喝采を送りたい。続投するという石破首相(ぼくは自民党員ではないが、なんと、自民党員の七割が続投を支持しているという)は、愛国者ならば、戦争の方に日本を行かせないためにも、この展覧会を見てほしいとぼくは願うものであります。


川崎市岡本太郎美術館で「戦後80年 《明日の神話》 次世代につなぐ 原爆×芸術」展を見ました。岡本太郎と現代の9人の美術家、及び広島市立基町高等学校の創造表現コースの生徒たちの原爆に関する絵が展示されております。
渋谷駅にある岡本太郎の壁画「明日の神話」の原画が展示されてあって、素晴らしい。現代の9人の美術家の作品も素晴らしい。しかし、この展覧会の白眉は、広島平和記念資料館からの依頼による、広島の高校生たちの被爆者から話を聞いて描いた原爆が落とされた、その町とその町の人が何に見舞われたかの絵であろう。全世界の人たち(とくに核爆弾を保持している国の政治家)に見てほしい特別な絵が何十点も展示されてあった。広島平和記念資料館と広島市立基町高等学校の生徒によるこのプロジェクトは今も続いていて、その絵は207点におよぶという。これらの絵に描かれた、地獄のような悲惨は人類が記憶しつづけなければいけない特別な何かであると、ぼくは思うのです。


VODで小津安二郎監督のの『宗方姉妹』を見ました。1950年の映画です。「宗方姉妹」と書いて、なぜか「むなかたきょうだい」と読むそうです。原作は大佛次郎による小説の『宗方姉妹』。
ダブル主演で姉の三村節子を田中絹代が、妹の宗方満里子を高峰秀子が演じています。姉妹の父の宗方忠親を演じ、三村節子の夫の三村亮助を山村聰が演じているているのだけれど、この山村聰の怪演が、悪魔に取り憑かれているかのような凄さです。映画の中では多くは語られない三村亮助(山村聰)は満州の大連でドイツ哲学か何かを教えていた大学教授で、日本の敗戦の後、公職追放となり、職も見つからず、飲んだくれて、すさんだ暮らしを送っている、のだとぼくは想像してしまいます。三村節子(田中絹代)の経営するバーの雇われバーテンダーを堀雄二が演じていて、特攻隊の生き残りなのだけれど、酔っぱらった宗方満里子(高峰秀子)から、おまえみたいのが特攻隊だったから日本は負けたんだ、とこっぴどく罵られる。
この映画の前景には昔風の考えの三村節子(田中絹代)と現代的な宗方満里子(高峰秀子)の対立があるのだけれど、後景の方が生々しく、敗戦後の五年後の日本人のいかんしがたい心の内側であるような気もするのです。


有楽町のよみうりホールで『みんおん演芸特選 林家つる子・一龍斎貞鏡・国本はる乃 落語×講談×浪曲 日本三大話芸の競演』を見ました。見た演目です。
二つ目の春風亭一花さんの落語「駆け込み寺」の笑いで一気に客席が暖まりましたね。
一龍斎貞鏡師匠の講談「四谷怪談 お菊様誕生」は夏らしい怪談です。「四谷怪談」をするときは、一龍斎貞鏡師匠はいつも於岩稲荷様にお参りに行くそうです。代々の講談師の家系、血筋にて、美人で、お坊様との間に五人の子どもがいるとのこと。なんか、物語の主人公のようです。この家系とか血筋というのは、ぼくはアレサ・フランクリンが子どものころから父、C.L.フランクリンのゴスペルをよく聞いていた、ということだとも思うのだか、何か、貞鏡さんには芸人としての花がありますな。今、講談師は日本に九十人しかいないとのこと。日本の伝統のためにも応援したくぞんじます。講談の長講を続けて何話も聴いてみたく思いました。
国本はる乃師匠の浪曲「若き日の大浦兼武」の歌のこぶしと語り口の素晴らしさ。
主任は林家つる子師匠の 落語「紺屋高尾」。林家つる子師匠によるアレンジの加えられたこの噺が、ぼくは大好きです。ふと、「紺屋高尾」とほぼ筋書きが同じ「幾代餅」を得意としていた古今亭志ん生がつる子版「紺屋高尾」を聞いたら、どう思っただらうか、などと空想をたくましくしてしまいました。
日本の話芸よ、残っていけよ。暗いこの世のつらさ忘れ、寄席の話芸は心のオアシスなのです。




中川右介さんの著した『昭和20年8月15日 文化人は玉音放送をどう聞いたか』が面白く、一気読みしてしまいました。この本でいう文化人とは、作家、マンガ家、映画人、演劇人、音楽家といった文化・芸能の分野の著名人のことで、数えあげれば135人が取りあげられていて、三島由紀夫に始まり、黒柳徹子のあと、著者による「あとがき」で了となる。「あとがき」にこんな言葉がある。
「同じ日の同じ出来事が何度も繰り返されるループものは、起きるたびに違いが出てくるところに面白さがある。この本も、同じ放送を同じ日に聞いているのに、反応は人さまざまだ。戦時体制ではあるが、人びとの心はひとつではなかった。」
敗戦を泣くものもいれば、喜ぶものもいる。所詮、人の心とはそんなものだ。すると、タイとガンボシアの国境線で戦争を始めたというニュースが入ってきた。兵士ではない住民も亡くなっているという。戦争は人類の犯す罪悪の愚行だ。
昭和20年8月15日 文化人たちは玉音放送をどう聞いたか


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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