えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

本当に昭和の香りがぷんぷんする温泉旅館に泊まります。今日は団体客がいて、いつもより賑わっています。向かいの旅館が火事で焼失しているのは少しショック。やはりその写真は撮りませんでした。そんかわりに窓から温泉街の情緒ある町並みをパチリ。夕食前に温泉に入っていると、一見さんの団体客が入ってきますが、ぬる湯には入ろうとはしませんな。昔、初めて来た時に仲居さんが説明してくれたここの温泉を思い出します。まずわかし湯に入り、体を温める、そして、ぬる湯に入り長くつかる、さらに、わかし湯とぬる湯を入るのを繰り返す、あがる時にさっとわかし湯に入る。こうすると本当に気持ちいいのです。ぬる湯は30度ぐらいの温度で、入る時すこし冷たいと感じるのだけど、すぐに慣れて、慣れるとのぼせることがないので、いつまでも入っていられて、そのうちすこしだけぬめった湯が少しづつ肌に吸い込まれるようで、体中に小さな気泡に粒がまとわりつくのです。これが気持ちいい。いつまでも入っていたくなります。下部温泉のこの入り方とこの湯、最高ですな。
http://www.shimobe.org/


甲斐黄金村湯之奥金山博物館に行きました。金山のジオラマや再現模型、ビデオなどを見ながら、金山でにぎわっていたこの地に思いをはせました。このあたりは、温泉しかない先祖代々の貧しい地域であった、となんとなく想像していたのは大間違いで、女郎屋すらもあった武田信玄の昔から栄えていた金山だったのです。昔の人のにぎわう声が聞こえてくるようでした。
http://www.town.minobu.lg.jp/kinzan/


見延町丸畑生まれの全国を行脚した聖人、木喰上人ゆかりのさまざまなものを展示した小さな博物館「微笑館」に行ってみる。本当に辺鄙なところにあって、訪れる人も数日に数人ぐらいなのを訪問者が記念に書き残すノートを見て知った。ぼくは日付と自分の名前と「微笑」と書いて、その「微笑」を丸で囲みました。「木喰」と書いて「もくじき」と読みます。木喰戒とは五穀と魚、火食と塩味を断った修行のことで、93歳に入滅するまでに全国を布施をこいつつ独特の微笑をたたえた仏像を掘りながら、歩き続けた。木喰上人のいい言葉。
「まるまるとまるめまるめよわが心まん丸く丸くまん丸」
http://www3.town.minobu.lg.jp/lib/shiryou/mokujiki/index.html




車で朝霧高原を通過する。富士山がとても大きく見えます。こんなのが爆発したり、噴火したりしたら、とっても怖い、と思いました。
http://mohsho.image.coocan.jp/asagirifuji03.html


下部温泉の湯につかろうと、旅にでました。車で富士宮に向かいそこから北に向かう。新東名高速を初めて走る。新しい道路が気持ちいいのだが、道はほとんだがらすき。また自然を壊して無駄なものを作ったのだろうか、と思う。そういう自分も車で旅しているのだから、これも天に唾して、自分に落ちてきます。
http://www.c-nexco.co.jp/shintomei/
http://www.c-nexco.co.jp/shintomei/


下部温泉にはよく行くのだけど、そのあたりの観光地には足をのばしたことがないと思い、身延山久遠寺まで出かけてみた。
日蓮宗の総本山は人里離れた、山奥にあって、まわりには山村しかないような地なのであった。長く急な石の階段を息を切らせながら登ると、そこに大きな寺があって、日蓮上人の入滅のところだという。寺の中に入れば華美な黄金の伽藍が数人のアメリカ人かイギリス人の観光客と数人の参りに来たおばあさんのみいて、静かさが広がっていた。
日蓮上人というと、その生きた鎌倉時代でも一種の異端と呼ばれていて、その理由は他宗を批判、攻撃していたこと、もう一つは現世の社会改革というようなことを積極的に唱えていた、ということらしい。畢竟、日蓮は時の権力と鋭く対立し、弾圧を受け、佐渡ヶ島への流刑の話は有名で、そのような人がこのようなひっそりとした山奥で最期の時を迎えたことが、不思議なことでとともに、何か納得できるようなこととも感じた。そして、寺の脇の古びた社務所のようなところで、おばあさんから御札を授けてもらったのだけど、その物腰のやわらかい、やさしくおだやかな表情に数百年の時の流れも感じたのです。
さて、日蓮宗というと、「銀河鉄道の夜」を著した宮澤賢治の信心した宗教でもあるわけだけど、賢治の入会した日蓮の教えから端を発した国柱会の説いたは「八紘一宇」は日本のアジアへのある人は進出といい、ある人は侵略ともいい、ある人はアジアの欧米からの防衛ともいう、それを後押しした思想めいたものの大きな一つであることに、驚いたりもする。賢治のコスモポリタニズムと国粋主義は賢治自身の中でどう矛盾し、統合されもするのだろうか。
鎌倉時代の仏教といえば、日蓮上人よりも一遍上人に惹かれたりするのだけど、一遍や時宗、踊り念仏の話は、いつかまた別項に。
そんなことを考え、思い、山寺を歩いていたのです。
