えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

鉄分補給ということで列車に乗る旅にでました。まだ乗ったことのない飯田線が目当てだったのですが、飯田線は偉大です。飯田線の駅のほとんどが、駅舎もあるかないかわいからないような無人駅だったのです。そして、伊那谷の知らない町にいる自分にやすらいでしまいます。
元善光寺に寄ってみました。長野の善光寺と伊那谷の元善光寺で両者そろうということになるそうです。小さなお寺でいいお告げももらいました。
飯田駅前のラーメン屋さん「新京亭」です。ふつうの醤油ラーメンがおいしかった。
飯田の知らない町を散歩します。
散歩していたら偶然発見した柳田国男館です。レトロモダンの風情。柳田国男の書庫兼研究室だったたてものを移築したそうです。
散歩していたらそこにあった飯田市立追手町小学校です。昔の風情がよかったです。
夜に宿でテレビを見ていたら、低いどーん、どーんという音が聞こえました。外を見てみたら、遠くで花火があがっていました。十五日の夜です。この美しさは写真には写りません。お盆ですね。あの町、この町、いろんな町に祖先の霊がやって来ているような気もしました。
元善光寺に寄ってみました。長野の善光寺と伊那谷の元善光寺で両者そろうということになるそうです。小さなお寺でいいお告げももらいました。
飯田駅前のラーメン屋さん「新京亭」です。ふつうの醤油ラーメンがおいしかった。
飯田の知らない町を散歩します。
散歩していたら偶然発見した柳田国男館です。レトロモダンの風情。柳田国男の書庫兼研究室だったたてものを移築したそうです。
散歩していたらそこにあった飯田市立追手町小学校です。昔の風情がよかったです。
夜に宿でテレビを見ていたら、低いどーん、どーんという音が聞こえました。外を見てみたら、遠くで花火があがっていました。十五日の夜です。この美しさは写真には写りません。お盆ですね。あの町、この町、いろんな町に祖先の霊がやって来ているような気もしました。




小田原くんだりまで散歩をしに出かけた。前に努めていた会社の社長が、何かと言って、二宮尊徳、二宮金次郎の話をしていた。今でも印象に残っている話で、よくしてくれたのが、芋洗い機の話で、芋をたらいのようなものに入れてかき回して、芋の皮をきれいに取る機械、というより道具なのだけど、芋がいろんな形、大きさがあるからこそ、芋はきれいになるそうで、そこから、いろんな人がいていいし、それを切磋琢磨することが大事なんだよ、というようなことを話してくれて、ぼくは、なるほどな、と思い、いまだに思い出したりするのです。
その二宮尊徳の生誕の地である小田原の富水から柏山あたりを散歩した。もしくは散策したのです。最近では散歩でもなく散策とも呼ばず、ウォーキングなどと称するらしいのだが、なんとなくあじけないと思う。尊徳記念館や尊徳の生誕の家やら、反乱した酒匂川にたたずんだりしたのです。
内村鑑三の名著「代表的日本人」に登場する人物の中で上田鷹山がアメリカ第35代大統領のジョン・F・ケネデの最も尊敬する人物であったことは有名だけれど、その本の中にも登場する二宮尊徳は、日本のリンカーンと呼ばれた人物でもある。百姓から身をおこし、貧窮にあえぐ小田原藩を再生させた、というより、救世済民に尽くし、それをそのまま民である百姓に還した人であったという印象を、尊徳記念館での係員のおじいさんの説明を聞きながら、受けた。昔、日本にはこんな立派な人がいたんだなぁ。アメリカ大統領のリンカーンと並び称させれるといことは、名手や村役を入り札、いわば投票で決めたこともあるけれども、武士と農民が対等に話合う機会をしばしば作り、それを「芋こじ」と呼んだこと。「芋こじ」とは前述した泥つきの芋を桶に入れてかき回すと芋どうしがこすれ合ってきれいな芋になるその道具を呼んだ。そう、それは「芋こじ」なんだ。農民にいろんなことを自分の経験から教え、あとは自分たちでやってごらんとさとした、大きな人が百数十年前にいたにちがいない。「芋こじ」で大きい芋もあれば小さい芋、おかしな形の芋あるけれど、きれいな芋になるよ、と空からの声を聞いた。








