えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

諏訪湖を旅して、四社をめぐって来ました。四社とは諏訪大社上社前宮、諏訪大社上社本宮、諏訪大社下社秋宮、諏訪大社下社春宮の四社です。
茅野の駅を降りて、諏訪大社上社前宮に向かいます。小高い所に雪につつまれたある古い社です。
それから、諏訪大社上社本宮に向かいます。ここでの大きな人の背丈の何倍もある和太鼓の大きさに驚く。叩いたなら、どんな音がするのだろう?
てくてく、上諏訪に駅に向かって歩いていると、かりんちゃんバスというバス停を見つけ、バスが来るのをしばらく待って、バスに乗った、小学生がたくさんで、スクールバスのようでした。
上諏訪の駅から下諏訪の駅まで一駅、下諏訪の駅を降りて、諏訪大社下社秋宮に向かい、お参り。
旧中山道を歩きます。
諏訪大社下社春宮へ。御神籤をひくとお諏訪さまからのありがたきお諭し。
「信濃国一宮
諏訪大社おみくじ
43番 大吉
風吹けば
風吹く万ま々に
港よしと
百船千船
うらつどいつ々」
万治の仏に無病息災をお頼みしました。
下諏訪の駅から上諏訪の駅に戻る。夕方、宿に入り温泉につかり、街も近くなので、居酒屋の夕食を食べに、お酒を飲みに出かけました。入ったのは「ばんや」という居酒屋で、諏訪大社のお神酒ともあなる日本酒「真澄」を飲みながら、鹿肉や馬肉を食します。そこで、右となりにいた、日本のグラフィックデザインのくわわけでもあり、数々の居酒屋についての本も著している太田和彦さんにそっくりな人に声をかけられて、楽しくおしゃべりもしていました。山が好きだといっていたその人は、ぼくがあこがれもする太田和彦さん、その人かも知れず、諏訪大社、御柱祭、御神渡り、はてや、長野県の予防医学についてお話を聞かせていただきました。長野県の予防医学を進めた若月俊一医師は頼まれもせず、いろんな村を訪れ、予防の医学を説き、今では長野は日本一の長寿県です。そして、気候が暖かくなりここ数年は見られていない御神渡り。「御神渡り」と書いて、「おみわたり」と読みます。諏訪湖全面が凍結し、氷上に上社から下社までつづくせりあがった氷の道ができるそれを、上社の男の神さまが下社の女の神さまに会いにいったしるしだと伝わっています。ありとあらゆるところに神さまの顕現を見てきた日本人。そういえば、子どもの頃は冬はもっと寒くて、毎朝、霜柱が神奈川県でも立っていたように思い出します。あの太田和彦さんに似た人は、もう一軒、顔を出したい店があると言い置きして、出ていきました。やっぱ、太田和彦さん、その人だったのかな?
次の朝、もしかして、御神渡りが見れるのではないかと思い、諏訪湖の湖畔に行ってみましたが、神さまの逢瀬のあとは見れませんでした。けれど、湖畔を歩き、古い明治時代の建物の諏訪市美術館に入ると「上諏訪中学校+源馬菜穂 ―わたしの風景―」と題された展覧会が開かれ、そこに源馬菜穂さんの美しい御神渡りを描いた絵を見ました。とても良かった。
湖畔をてくてくと歩き、ハーモ美術館へ。アンリ・ルソー、カミーユ・ボンボア、アンドレ・ボーシャン、ルイ・ヴィヴァン、グランマ・モーゼズらの素朴派と呼ばれる人たちの絵がすばらしく、それから、グランド・ピアノが真ん中に置かれた併設のコンサート・ホールにところせましと飾られた敬虔なカソリック教徒でもあったジョルジュ・ルオーの版画に圧倒される。
そういえば、電車の中では読みかけの遠藤周作の「沈黙」を読んでおりました。帰りの列車の中で、いつか、御神渡りを見てみたいと思うのです。
茅野の駅を降りて、諏訪大社上社前宮に向かいます。小高い所に雪につつまれたある古い社です。
それから、諏訪大社上社本宮に向かいます。ここでの大きな人の背丈の何倍もある和太鼓の大きさに驚く。叩いたなら、どんな音がするのだろう?
てくてく、上諏訪に駅に向かって歩いていると、かりんちゃんバスというバス停を見つけ、バスが来るのをしばらく待って、バスに乗った、小学生がたくさんで、スクールバスのようでした。
上諏訪の駅から下諏訪の駅まで一駅、下諏訪の駅を降りて、諏訪大社下社秋宮に向かい、お参り。
旧中山道を歩きます。
諏訪大社下社春宮へ。御神籤をひくとお諏訪さまからのありがたきお諭し。
「信濃国一宮
諏訪大社おみくじ
43番 大吉
風吹けば
風吹く万ま々に
港よしと
百船千船
うらつどいつ々」
万治の仏に無病息災をお頼みしました。
下諏訪の駅から上諏訪の駅に戻る。夕方、宿に入り温泉につかり、街も近くなので、居酒屋の夕食を食べに、お酒を飲みに出かけました。入ったのは「ばんや」という居酒屋で、諏訪大社のお神酒ともあなる日本酒「真澄」を飲みながら、鹿肉や馬肉を食します。そこで、右となりにいた、日本のグラフィックデザインのくわわけでもあり、数々の居酒屋についての本も著している太田和彦さんにそっくりな人に声をかけられて、楽しくおしゃべりもしていました。山が好きだといっていたその人は、ぼくがあこがれもする太田和彦さん、その人かも知れず、諏訪大社、御柱祭、御神渡り、はてや、長野県の予防医学についてお話を聞かせていただきました。長野県の予防医学を進めた若月俊一医師は頼まれもせず、いろんな村を訪れ、予防の医学を説き、今では長野は日本一の長寿県です。そして、気候が暖かくなりここ数年は見られていない御神渡り。「御神渡り」と書いて、「おみわたり」と読みます。諏訪湖全面が凍結し、氷上に上社から下社までつづくせりあがった氷の道ができるそれを、上社の男の神さまが下社の女の神さまに会いにいったしるしだと伝わっています。ありとあらゆるところに神さまの顕現を見てきた日本人。そういえば、子どもの頃は冬はもっと寒くて、毎朝、霜柱が神奈川県でも立っていたように思い出します。あの太田和彦さんに似た人は、もう一軒、顔を出したい店があると言い置きして、出ていきました。やっぱ、太田和彦さん、その人だったのかな?
次の朝、もしかして、御神渡りが見れるのではないかと思い、諏訪湖の湖畔に行ってみましたが、神さまの逢瀬のあとは見れませんでした。けれど、湖畔を歩き、古い明治時代の建物の諏訪市美術館に入ると「上諏訪中学校+源馬菜穂 ―わたしの風景―」と題された展覧会が開かれ、そこに源馬菜穂さんの美しい御神渡りを描いた絵を見ました。とても良かった。
湖畔をてくてくと歩き、ハーモ美術館へ。アンリ・ルソー、カミーユ・ボンボア、アンドレ・ボーシャン、ルイ・ヴィヴァン、グランマ・モーゼズらの素朴派と呼ばれる人たちの絵がすばらしく、それから、グランド・ピアノが真ん中に置かれた併設のコンサート・ホールにところせましと飾られた敬虔なカソリック教徒でもあったジョルジュ・ルオーの版画に圧倒される。
そういえば、電車の中では読みかけの遠藤周作の「沈黙」を読んでおりました。帰りの列車の中で、いつか、御神渡りを見てみたいと思うのです。




新しくT字型のトレッキング・ポールを1本買って、それを使ってみたくなり、鎌倉にハイキングに出かけました。
浄智寺をふりだしに葛原岡神社、銭洗弁財天宇賀福神社、大仏の高徳院、十一面観世音菩薩の長谷寺、鶴岡八幡宮を参り、詣でし、帰ってきました。東の方も鎌倉、竹の寺、報国寺なども行きたかったのですが、鶴岡八幡宮を出たころにはもう冬の四時近くになっており、次の機会を楽しみに待ちます。
長谷寺の大きな観音菩薩など、大好きなのです。その前で、手を合わせると、おまえの本心からの願いを、その大きな慈悲の手で掬っていただけるような気がするのです。凡夫であるぼくには、自分の本当の願いが何であるかもわからないのですが。
鶴岡八幡宮では倒れた大銀杏の大木の切り株のようなものが残されていて、そこに小枝のような接ぎ木がされていて、そのに数枚の葉をつけていました。その小枝の様な接ぎ木が大木になるころには、ぼくもきみも、ここに参拝しているたくさんの善男善女も、この世界にはおりません。
さて、葛原岡神社でひいた御神籤にこんなお言葉をいただきました。
「第二十番 御神籤
いそしみし
しるしはみえて
ゆたかにも
黄金なみよる
小山田のさと
運勢 大吉」
ゆめゆめうたがふことなかれ
(誰か、低山ハイキングの好きな人はおりませんか? ぼくは誰よりも登るのも降るのも遅いのですが、もしかして、それはぼくの人生と同じです。でも、てくてく歩き続けます。つまずき、ころびながら)


