えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
安曇野に小さな旅に行く前に、安野光雅の画文集『安曇野』を古本で見つけ、買って読みました。安野光雅は今は亡き水彩で風景を描く画家で、この『安曇野』を見ながら、このような画家としての身の立て方があるのかと感心もします。『安曇野』の絵はどれも淡く美しい。文は安積野の地を称賛しつつも、時の移り変わりを嘆くようなところもある。この画文集は1980年の初版で、ぼくはこの本の中にある美しさが、今もどこか残っていることを願うばかりです。
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そして小さな旅に行きました。
穂高神社に行きました。旅でどこかを訪れて、その土地の神社や仏閣に参り、神仏にご挨拶申しあげることはいいことだ。風鈴が涼しげです。
安曇野ちひろ美術館に訪れます。安曇野にある岩崎ちひろの美術館です。いわさきちひろさんの生涯をパネルと文書で表したコーナーがあり、それにはいわさきちひろさんの親にいわれたままの結婚の後、夫と満州の大連に移住し、夫は自殺したとある。短い二年間の結婚生活であった。ちひろは思春期と青春を戦争に奪われたのだと思う。そして、敗戦後、ちひろは青春を生き直すかのように生き、再婚する。いわさきちひろの絵のとても重要な秘密を知ったかのようなのです。長新太の企画展も楽しかった。美術館にある広大な公園には、黒柳徹子さんの子どもの頃をイメージした「トットちゃん広場」もありました。
泊まったところは大きな観光ホテルでビッフェ形式。生ビールがおいしい。「大雪渓」という辛口の日本酒がキレがあって、おいしく、それに合わせたアユの塩焼きがおいしかった。
次の日、野麦峠の方の渓谷に入り、テンカラ釣りをすれども、ボーズ(一匹も釣れないこと)でした。松本から安曇野まで、明治の時、岐阜の冬の閉ざされた寒村から群馬や各地の製紙工場に出稼ぎに向かう少女たちのひと息する中継地にして回廊のような細長い盆地であった。そのころのけなげな少女たちの姿が幻のやうに目に浮かび、ぼくの目頭は熱くなる。今は犬を連れた家族が山に入り、川で大きな黒いレドリバー犬が気持ちよさそうに泳いでいます。
大王わさび農場に行ってみる。わさびの田んぼは、わさびを守るための日よけの黒い網におおわれている。ここでロケーションされ撮影された黒澤明監督の『夢』はよかったなぁ。黒い網のはられていない、夏のくる前に来てみたいとも思います。
さて、美しい安曇野をぼくは見ることができたのか? 安野光雅の『安曇野』から半世紀近くが過ぎて、その時の流れは如何ともしがたい。安野光雅さんは、ぼくに、美しいものはそこに居着いて、暮らして、見つけるものだよと諭してくれるような気もするのでした。
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