えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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奥野修司さんの著した「魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く」を読んだ。

悲しく、寂しい聞き書き集なのだけど、なぜか心がほっこり暖かくなるのは、霊となって現れた死者たちのやさしさと、生きている人たちの逝ってしまった人への深い思いによる。これらの聞き書きした話は奥野修司さんも書いているようにもう一つの現代に現れた「遠野物語」のようでもあるかのようだ。これらの物語は柳田國男が書いた「遠野物語」の第九十九話の時を隔てた補遺なのかもしれない。それは科学の網では掬えない魂の物語でもあるかのよう。

この前、読んだ大城道則さんが編著した「死者はどこへいくのか 死をめぐる人類五〇〇〇年の歴史」にもあるような、日本人の彼岸観、あの世に対する見方を思う。日本人にとってあの世とは、空の上の天国にあるのではなく、大きな河に隔てられているところでもなく、三本川の草履でも履いて、小石をつたって渡れそうな近くにあるところのようなのだ。

ぼくも震災の年に人ではないけれど、その年の十月に愛犬を亡くし、その犬に再会するたくさんの夢も見たのだけど、あのレオも遠いところに旅立ってしまったのではなく、ちょっと散歩に出て、帰りが遅れているだけなのかもしれない。そして、そのうちぼくも散歩に出かけるように会いにいくのだけなのかもしれない。

その近しさは、昔、読んだアイルランドの小説家、ジェイムズ・ジョイスの短編「死者たち」に出てくる描写「死者たちにも生きている人たちにもひとしく雪は降っていて、この世界を白くおおいつくす」にあるような近しいそれで、それは「魂でもいいから、そばにいて」の書かれなかった「冬の旅」の章ではなかろうか。

奥野修司さんのいうように、人とは物語を生きる生きもので、多くの東北の人が死んでしまった人と生きている人をわけ隔てない、そんな物語を生きていて、それは愛のことのよう。「愛」は「遭い」や「会い」や「合い」のことでもあるのではないかしら。






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Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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