えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
世田谷美術館で『土方久功と柚木沙弥郎―熱き体験と創作の愉しみ』と『雑誌に見るカットの世界』を見ました。
『土方久功と柚木沙弥郎―熱き体験と創作の愉しみ』での土方久功は戦時中にパラオ諸島の孤島、サタワル島に渡り、7年間、民族学的なフィールドワークをしつつ、島の人々と生活をともにし、生涯、その経験から創作し続けたという。ユーモラスでもある彫像やレリーフが楽しいです。「猫犬」という彫像がかわいいなぁ。柚木沙弥郎さんは100歳でまだ存命であられ、柳宗悦の民藝の思想と訪れたメキシコやインドに触発された巨大な染色作品を創作し続けた。ぼくも含めて、なぜ、人は異文化に憧れながら、ここに戻って来てしまうのだろう?
『雑誌に見るカットの世界』は岩波書店の思想誌『世界』のカット(口絵)の図画と暮しの手帖社の生活総合誌『暮しの手帳』のカットの図画が展示されていて興味深い。昔の『世界』の目次が展示されていて、昔の文学青年、今のなりかけの文学老人のぼくはわくわくしてしまいます。1950年代に、『世界』に三島由紀夫の「女形」を発表しているのを見て、少し驚く。『暮しの手帳』のカットはすべては編集長の花森安治が描いていた。花森安治は『暮しの手帳』の発行を一つの政治的で社会的な運動として見ていたというけれど、その美しいカットの原画を見ながら、こういう芸術もあるのかとも思う。ミュージアムショップで売っていた本『花森安治のデザイン』を買ってしまいました。
『土方久功と柚木沙弥郎―熱き体験と創作の愉しみ』での土方久功は戦時中にパラオ諸島の孤島、サタワル島に渡り、7年間、民族学的なフィールドワークをしつつ、島の人々と生活をともにし、生涯、その経験から創作し続けたという。ユーモラスでもある彫像やレリーフが楽しいです。「猫犬」という彫像がかわいいなぁ。柚木沙弥郎さんは100歳でまだ存命であられ、柳宗悦の民藝の思想と訪れたメキシコやインドに触発された巨大な染色作品を創作し続けた。ぼくも含めて、なぜ、人は異文化に憧れながら、ここに戻って来てしまうのだろう?
『雑誌に見るカットの世界』は岩波書店の思想誌『世界』のカット(口絵)の図画と暮しの手帖社の生活総合誌『暮しの手帳』のカットの図画が展示されていて興味深い。昔の『世界』の目次が展示されていて、昔の文学青年、今のなりかけの文学老人のぼくはわくわくしてしまいます。1950年代に、『世界』に三島由紀夫の「女形」を発表しているのを見て、少し驚く。『暮しの手帳』のカットはすべては編集長の花森安治が描いていた。花森安治は『暮しの手帳』の発行を一つの政治的で社会的な運動として見ていたというけれど、その美しいカットの原画を見ながら、こういう芸術もあるのかとも思う。ミュージアムショップで売っていた本『花森安治のデザイン』を買ってしまいました。
茅ヶ崎市美術館に『小津安二郎の審美眼』展を見に行きました。茅ヶ崎市美術館が今年で25周年、今年で小津安二郎監督の生誕120年、没後60年だそうで、世界中でいろななことが催されています。この展覧会では小津の映画のちゃぶ台に置かれている湯呑が工芸品の逸品であったりして、それらや小津自身の絵、映画に出てくる岸田劉生の絵が本物のオリジナルの絵画だったり、そして、映画公開当時のポスターが展示されていれ、わくわくします。ぼくは小津安二郎の映画が大好きなのです。小津安二郎自身がかぶっていたあの有名な白いピケ帽のありましたよ。さて、この項は小津自身の有名な言葉で締めくくりたいと思います。
「どうでもよいことは流行に従い、 重大なことは道徳に従い、 芸術のことは自分に従う」
そして…
「永遠に通じるものこそ常に新しい」
ちひろ美術館・東京に『谷内こうた展 風のゆくえ』を見に行きました。谷内こうたさんの絵は、この前、見た荒井良二さんの絵とは真逆の絵で、静逸な美しい詩情をたたえております。谷内こうたさんの伯父にあの谷内六郎さんがいて、どこか共通する世界があるようでもあるです。谷内こうたさんは自らの絵本を俳句みたいなものだといい、「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」が、柿を食って、鐘が鳴ったからってなんなのって言われてもなんでもないんだけど、という。展覧会には谷内こうたさんの生前(2019年に71歳で亡くなられております)使っていたカフェオレボウルとコーヒーカップが展示されていていかにも谷内こうたさん絵を連想させるような、それらしいものでした。谷内こうたさんが奥様の谷内富代さんにおっしゃった言葉。
「心に芽生えたものは、大事に温めていかないと。壊れやすいからね」
さて、ちひろ美術館の「ちひろ」は「いわさきちひろ」の「ちひろ」であります。もちろん、いわさきちひろの絵もたくさん展示されてあって、彼女の子どもの遊ぶのを描いた絵を見ていると、何か胸のつかえがすーっとほぐれていくようであります。夏休み、お母さんに連れられて来た子どもとたちもちらほらといる小さな美術館でした。
気になることがあって寒川神社でお参りして、その足で茅ヶ崎市美術館に行き、『イギリス風景画と国木田独歩』展を鑑賞しました。19世紀の風景を描いたイギリスの絵画とそれに影響を受けた同じ時代の日本の絵画が展示されておりました。
なんだか、国木田独歩の『武蔵野』の初版本が展示されていて、昔、柄谷行人さんの『日本近代文学の起源』という本をよんだことがあるのを思い出しましたが、あまりどのような内容であったかは思い出せません。日本という国が近代国家に変容するとともに、日本人が内面を発見し、それによって、疎外された風景を発見した時に日本近代文学が確立されたとか、そのような内容だったであろうか?
絵を見れば、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの白黒のリトグラフや鉛筆画が展示されてあって、ターナーの絵はモノクロでも光や空気を感じさせるな、などと思います。そうだ、これらの絵は『嵐が丘』を書いたエミリー・ブロンテと同時代ではないか。絵のどこかに『嵐が丘』がたたずんではおるまいか、とぼくは探してしまいます。
明治時代の日本を描いた風景画を見ると、妙に懐かしく、胸がざわつきます。思春期とか青春を越えて、年をとった人にはノスタルジーこそが最強の芸術の感動の発現の源なのかもしれません。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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