えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

これは1966年ぐらいに発表される発売されるはずだったBeach Boysのアルバム"Smaile"の録音を2011年に当時のリーダだったBrian Wilsonがテープを再リミックス、再プロデュースしたもので、1967年のこのアルバムの制作中にBrianは精神的におかしくなり、音楽の世界から消えることなりと曰くつきのもの。この2011年発表の"Smile Session"を聴いていると、アバンギャルドで美しいコーラスのこれでもか、これでもかという洪水かのような音楽に圧倒されます。アメリカのはみ出し物のダテ貴族かのようなVan Dyke Parksの詞もわけわからない。これは1967年という時代とBrian Wilsonという天才とBeach Boysという最高のコーラスグループの邂逅の生んだ稀代の音楽だと思うのだけど、このアルバムに入っている唯一のヒット曲、"Good Vibration"を聴いて、ちょと、ほっとするのでした。




夏が暑いからレゲエなのかよと、思想的レゲエマニアからは怒られてすまうかもしれないが、一服の清涼剤のようでもあるビブラフォン奏者Lennie Hibbertの"CREATION"というアルバムは放射能ただようかもしれないこの夏の日本国首都の南にある県で、何度でもよくぼくは聴き、それは邪気祓いのような摩訶不思議な音のパワーすら感じたのだった。そして、この音楽はあまりジャマイカっぽくレゲエでありながら、ジャンルなんて越えていて、けれども、もしかして、もしかして、いきおいあまって、クールに"Jah Rsstafari!"と叫んでしまおうかと、思う。なんか、ぼくの感じ方が違うかもしれないけれども、愛聴盤になってしまったのです。


ドアーズのジム・モリソン在籍時のスタジオ盤が6枚組で二千いくらで売られていて、買って聴いている。しかしCDとか安くなったものだ。高校生のころはドアーズのレコードをライブ2枚組も含めて、全部揃えて、毎日、聴いていたものだった。パンクとかオルタナティブの元祖はストゥージス、MC5、ベルベット・アンダーグランドと並んで、ドアーズが入るに違いない。ドアーズは今だにおれにとってのアイドルだしカリスマだから聴き直して、やっぱかっこいいなぁと思うのです。その、6枚とはこれです。
1. 1967年1月リリース"THE DOORS"
2. 1967年10月リリース"STRANGE DAYS"
3. 1968年7月リリース"Waiting for the Sun"
4. 1969年7月リリース"The Soft Parade"
5. 1970年2月リリース"Morrison Hotel"
6. 1971年4月リリース"L.A. Woman"
ファースト・アルバムはガレージ・バンドの風情を残しつつもやっぱ"The End"は圧巻。コッポラ監督の「地獄の黙示録」で効果的に使われていた。2枚目"STRANGE DAYS"では"When The Music's Over"の詞は村上龍の芥川賞受賞作「限りなく透明に近いブルー」に引用されていた。高校生のころのぼくが最も愛聴したのがこのアルバム。3枚目の"Waiting for the Sun"は小粋でブルーな小唄集。ぼくの好きな曲"Yes, The River Knows"、ジム・モリスンの作詞ではなく、ギタリストのロビー・クリガーの作った曲で、ジムとその恋人、パメラ・カースンのイメージで作ったものだそうだ。4枚目の"The Soft Parade"はポップだねぇ。今、高校生の昔聴いていたころの印象より、今聴いた印象の方が格別にこのポップさがかっこいいと思った。5枚目"Morrison Hotel"はハード・ロック・ブルースで"Ship Of Fools"や"Land Ho!"の詞は先端の現代詩のようだ。ちなみに大学生のころのジム・モリソンは図書館に古いブルースのレコードを聴くために通いつめるほどの古いブルースのマニアだったそうだ。そして・・・
ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョップリンを追うようにして若くして逝ってしまったジム。今、聴くと最後の"L.A. Woman"が一番好きです。渋い大人なブルース・ロック・アルバムのこの路線であと数枚はシンガーとしてのジムとドアーズを聴きたかったと思うのですが、ジムは帰らぬ人となってしまった。ジムは短い人生を人の何倍もの質で生きて、だから、すべてはオーライなのかもしれないのだけれど・・・


小田急相模原のバー、School Of Rock(http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine)でブルースナイトというイベントに出させてもらって、たくさんブルースを歌わせてもらった。で、僭越ながら、ブルーズの名盤の紹介をしようと思うのです。
シカゴ・ブルーズといえば、南部から一旗あげようとと思ってシカゴに来た人たちが、チェス・レコードのチェス兄弟の経営するシカゴのサウスサイドのブルースクラブ「マコンバ・クラブ」を母体に生まれ育ったものだったようだ。独特のスウィングするリズムでブルーズがモダンなサウンドとなって、そこから、マディー・ウォータズやら、ハウリン・ウルフらのスターが育ったのだけど、シカゴブルースのノリとは何かと問われれば、ぼくは"Jimmy Rogers with Little Walter, Muddy Waters Chicago Bound"をあげます。このアルバムのクレジットを見ると、このノリはドラマーのFred Belowの存在が大きかったのかななどとも思う。このアルバム見過ごされがちなエバーグリーンではなかろうか。いつ聴いても、何度聴いても、素晴らしいです。


先日、町田のVOXのセッションで"Love In Vain"を歌ってしまった。いわずもがな、最も偉大で素敵なブルーズマン、Robert Johnsonの名曲です。
Robert Johnson生誕100周年だそうだ。まずは、Bob、100歳のお誕日、おめでとう。
20世紀に音として残っている最高の芸術がRobert Johnsonの弾き語りブルーズだと信じるぼくは、再び、毎晩の夜のしじまにBobの100周年のCD、"Robert Johnson The Cential Collection"をターンテーブルにのせるのです。ところで、ブルース&レコード誌の100号記念はRobert Johnson特集号には発見された3枚目のBobの写真が掲載されています。驚きです。Bobの細くて長い指はブルーズを弾くためにあるかのよう。そして、毎晩、Bobの歌を聴いて感じたことは、最高の歌手だということ。しかも、ブルースというジャンルなんて越えてしまっていて、最高のギター弾きで、詩人(そうだ、歌詞カードを読みながらBobの歌を初めて聞いた高校生の時の衝撃を思い出しすもする)でもあって、メロディーメイカー、ブギマン、ストンパーであり、ロックンローラー。そして、やっぱブルーズマン。
Bobは、ぼくにとって、アルファでありオメガでもあるのです。


David Bowieのアルバムの中でなぜか、特別に好きなのがこのアルバム"LOW"。最近、中古CD屋さんで700円で買ってよく聴いています。アンログレコード盤は押入れの奥にあります。
アナログ盤、いわゆるレコードで発表されたのが1977年で、ロンドンやニューヨークでパンクムーブメントはなやかしきころではないか。そのころBowieは西ベルリンのハンザスタジオで、この"LOW"というアルバムを録音するのだけど、同時期、Iggy Popのプロデュースなどもしているのであった。音楽好き変化自在宇宙人、David Bowieの面目躍如であるかな。この"LOW"のA面はファンキーな黒っぽいソウルフルなロックンロール。ティーンエイジャーのころから、ぼくは黒っぽいリズムが好きであったのだろうか? B面は暗ったいアンビエント・ミュージック。この暗さもよし。プロデュースは麗人、Brian Eno。詞は一時期のJohn Lennonのように簡素な深みを持つ短歌や俳句のようであるよ。日本盤のCDの帯にはテクノと紹介されていたが、そんなことなない、打ち込みなしの傑作だと思います。
