えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

このアルバム最高だわ。あの嘉手苅林昌さんも並に思えるほど、渋い唄者がこれでもか、これでもかと出てくるわ、出てくるわなのだけど、ぼくは林昌さんをけなしているのではもちろんなくて、沖縄の1950年代、1960年代の唄の世界、琉球民謡の世界、ディープなのです。そして、林昌さんと言うと、初めてで最後に日比谷野外音楽堂で見たあのお姿、おの圧倒的な本物のカントリー・ブルーズ・マン的オーラを聴きながら思い出してしまう。
さてと戻ってこのアルバム、このゆるっと島のブルーズの数々に浸って、島らっきょう、食いてー、オリオン・ビール、飲みてー。この「マルタカ」というインディーレーベルを営んでいた高良時計店って、たしかまだ那覇にあるのかしら? たしか、あるんだよ。そう言えば、沖縄を旅した時、牧志公設市場のはずれに見かけた気がする。行きてーなー。
このアルバムの12曲目に聴けるのは知名定繁さんの「ゼンゼン駄目」。すげーおもろい唄だ。本土のお偉いさん「ゼンゼン駄目」、アメリカのお偉いさん「ゼンゼン駄目」とは唄っていないのだけど、おれは沖縄が何か最近、気になって、気になってしかたなく、この前、知らない庭にブーゲンビリアの真っ赤な花が鈴なりに咲いている夢すら見たのはどうしてだろうか? 沖縄のどんなところを歩いても、おれはものすごいデジャヴ(既視感)を感じたし、そんな不思議さすら思い出し、精神衰弱気味のおれは、あんなところはどこにもなかったとひとりごち、高良時計店の作ったマルタカのこのアルバムをもう一度初めから聴くのです。


昔は本屋にたくさんあったバグワン・シュリ・ラジネーシの本。またの名を和尚ともOSHOともいう彼の本は、今はめったに見られなくなった。悪い噂も絶えなかったこのインドの宗教指導者の本を何冊か読んだこともあった。その大胆なレトリックに不思議な感銘を受けたこともあったのだが、今は読み返そうとは思わない。そのラジネーシの音楽レーベルから出された"NEW CHILD Rehabilual"というCDはたまに聴きたくなる。ボーカルや作詞作曲にあの小川美潮さんが加わっている。エスニックでジャージーでスリリングなこのアルバムは美潮さんの隠れた名作だと思う。
このCDの2曲目"Nataraji Bungawan Solo"はインドネシア民謡だと思われていたのだが、その作者であるGesang Martohartonoさんが昨日亡くなったというニュースを新聞で見た。享年九十三歳のインドネシアでの人生はどのようなものだったのだろうか? 美潮さんは初めにインドネシア語で歌い、そして、次に日本語の詞をこのように歌っている。
「かわらぬ ソロの流れ
いわれを秘めて 今日も流れる
かれどきは 水かわけど
雨期は豊かに あふれ流れる
みどりの深山にかこまれた みなかみ
流れてついには海にそそぐ
過ぎし日を語るように
あきないの舟今日もこぎゆく」
今、ジャケットを見ると、子どもが瞑想している写真に妙な違和感を感じたりする。けれど、音楽は素晴らしい。すると、このCDを西荻窪のホビット村の本屋で買ったことをふいに思い出す。ぼくの友だちがこのホビット村のレゲエを演奏する人とけんかをしたと話していたのも思い出す。
さて、海にそそいだソロの川の水はどうなるのか? このアルバムのラストの曲「水」のように海にそそいだ水は空にのぼる。雲になって、雨を降らす。雨は地に吸われ、種を芽吹かせる。そうだよ、水ってもちろん、いいものでもある。だから、水の旅はつづく。ぼくはおいしいお水の夢を見よう。チャオ。では、おやすみなさい。Zzzzzzz......


Ry Cooderというとヴィム・ヴェンダーズ監督の名作の「パリ、テキサス」のすすり泣くスライド・ギターを思いだすのだが、その原型は弾き語りのテキサス生まれのゴスペル・シンガー、Blind Willie Johnsonの"Dark Was the night-Cold was the ground"であったのだけど、デビューアルバムに演奏されたインステュルメンタルのギターを聴くと、彼は、アメリカの中や周辺にある異端を始めから追い求めていたようなミュージシャンであったと思う。
名盤の誉れ高い"Paradise And Lunch"や"Chicken Skin Music"ではアメリカ合衆国の国境線、ハワイやメキシコをさ迷い、そのような音楽を探索し、"Jazz"では1920年代の忘れかけられていたジャズ音楽を追求した。サウンド・トラック、"Paris, Texsas"では、心に染みるようなメキシコの歌すら演奏していた。それは"Cancion Mixteca"。映画「パリ、テキサス」で主演のハリー・ディーン・スタントンが鼻歌を歌っていた歌で、そのハーリー・ディーン演じるトラヴィスとナターシャ・キンスキーの演じるジェーンがのぞき部屋での二度目の再会の時に、インステュルメンタルで流れる忘れがたき曲。その再演もあるアイルランドのチーフタンズと共演した新しいアルバム"San Patricio"が素晴らしい。アメリカとメキシコとの間の戦争で負けたメキシコの側のアイルランド移民の側に立った歌曲集、コンセプト・アルバムで、多数のメキシコのミュージシャンも参加している。スペイン語でのLinda Ronstadtの歌声も素晴らしい。敗れ、称えるられることのない英雄たち、Unsung Heroesへの胸に迫る賛歌。
Ryは世界の果てまでも旅するように、アメリカ合衆国と正式の国交のないキューバまで行ってしまったことがあったし、その時、キューバのミュージシャンと共演した"Buena Vista Social Club"はドキュメンタリーとしてヴィム・ヴェンダーズ監督の手により映画にまでなりヒットした。もちろん音楽も素晴らしかった。そして、今度の"San Patricio"を聴き、ぼくはRy Cooderの音楽は叛アメリカであるところのアメリカ音楽の精髄のような気もするのです。


最近、鬼籍に入ってしまう好きなミュージシャンが多いなー。Rock'n' Rollもたくさんの過去を持って豊かになって、さらに未来もきっと、多分、きっとあるのだろう。
Bobby Charlesも今年の一月に遠いところへ旅立って行ったようだ。このアルバム"Timeless"は遺言のようになってしまったラストの1枚で、ほんわかと楽しくて幸せな歌が空の向こうから響いてくるようだ。1972年に出されたBearsvilleレーベルから出された"Bobby Charles"というアルバムは大好きで本当によく聴いたっけ。しかし、それ以前に十年以上のキャリアがあって、なんとNew OrleansのPaul Gayten楽団をバックに十八歳のころからリズム・アンド・ブルースを歌っていて、そのシングル発売されたレコードは少しは売れたのか? Dr. Johnと同じぐらい、古く1950年代に早くも人種の壁を超えて、リズム・アンド・ブルースという音楽を奏でた、その歌は二十歳かそこいらの若さに似あわぬ黒人のような渋さもあった。"Bobby Charles"というファースト・アルバムはThe Band周辺の連中とレコーディングした傑作だったけれども、ライブ活動もやらず、隠者のような生活をし、忘れたころにアルバムを届けてくれるような人だった。ここ最近は病気がちだったそうだけど、朋輩Dr. Johnとがっぷり組んで作ったこのラスト・アルバム"Timeless"(多分、日本語訳すると「永遠に」)は、ファースト・アルバムを凌ぐかのような傑作だと思う。
Bobby、とぼくは呼びかける。雲の上、空の上のベッドでゆっくり休んで、楽しい夢をたくさん見てください。


町田のボックスというライブ・ハウスのセッションでWilson Picketの"In The Midnight Hour"を歌ったのだけど、この曲、キーがEのブルースみたいなシンプルな曲なんだが、いい曲なんだ。この曲の入った"In The Midnight Hour"というアルバムも素晴らしく、コーラスグループFalconsでのPicketの熱い名唱が聴ける"I Found A Love"も入っている。さて、"In The Midnight Hour"だけれど、いきがった不良が見せる限りなく熱いロマンチックを感じるのです。作詞作曲Wilson Pickettご本人のこの詞を訳してみました。
「おれは真夜中まで待っているよ
そのころには、おれの愛が転がり始める
真夜中まで待っているよ
そのころには誰もいなくなるのさ
きみを導き、抱きしめるだろう
すべてのいいことを話してあげよう
あの真夜中に
星たちが輝くまで待っているよ
きみの瞳がきらきらするのを見て
真夜中まで待っているよ
おれの愛が輝き始める
本当に愛せるのはきみだけ
あの真夜中に
真夜中まで待っているよ
そのころには、おれの愛が転がり始める
真夜中まで待っているよ
おれの愛が輝き始める
きみとぼく、おまえとおれ、ただそれだけ」
まぶしく熱い愛です。


おれは人から怒らない人かと思われているらしいかもしれないのだが、自分が怒っている夢をしばしば見る。
今朝も見た。おれは、前に務めていた会社で取引していたある営業マンに、おまえのところのシステムはなぜ、まともに動かないのかと、怒っていたのだった。夢の中で、売る時にはいいことばかり並べて言って、いざ導入すれば、異常停止してばかり、何度、夜中に会社に臨時で出社したことか、おまえの言っていたいいことはみんな嘘かと、怒っていた。あのころ、そんなことがあったけ? 今でもあの人の顔を思い出すとムカムカ腹が立ってくる、そんな人がいたかもしれないなぁ。誠実のかけらもなかった。おれはその時、平気で嘘を並べ立て、高い商品を売りつける、嘘つきの営業マンがいることを知った。おれはそういう人を軽蔑を込めて「モノウリ」と呼ばさせてもらうことにした。
ロックは怒りの音楽とも言われるけど、数年前、あの大御所のRolling Stonesがアルバム"A Bigger Bang"の中で"Sweet Neo Con"という曲を演奏していて、それは、おまえは自分のことをクリスチャンだと思っているが、おれに言わせれば、ただの偽善者、おまはは自分を愛国者と呼ぶが、おれにはおまえはクソみたく無能と、歌われるけれど、"Neo Con"とはまさしくネオコンのことで、ネオコンとは新保守主義と呼ばれる自由競争万歳、資本主義万歳みたいな連中のことで、彼らのことをMick Jaggerが怒りにかられて皮肉まじりに歌っているようなのだ。
今、イギリスのパンク・バンドTHE CLASHの"SANDINISTA!"を聴いていて、このアルバムのリリースされた1980年当時の時代や状況、社会に対しての怒りがぶちまけられ、それがラフにとっちらかったままのようなところが、生々しくてかっこいい。昔、見たドキュメンタリー映画の中でTHE CLASHのリーダーのJoe Strummerは、資本主義より社会主義の方がましだと答えていたけれど、Joeにはそう答える理由があり、彼のお兄さんは、ばりばりの右翼の活動家、ナオ・ナチだった。その兄ちゃんが自殺してしまい、その死に衝撃を受け、いろいろ考えるようになったと言う。このアルバムはニカラグアのサンディ二スタ革命に捧げられたもので、音の方はパンク・ロックというより、レゲエ・ロックという感じで、カリプソみたいな曲もあるし、ゆるい混沌としたスウィングに乗って、社会と個人の間をよろめき、地面に這いつくばってほふく前進するような詞が、その暗喩と象徴によって想像を羽ばたかせてくれる。その想像の羽ばたきによって、悪夢、nightmareは、夢、dreamに変わる。


一度聴いたら忘れられないような歌声があるものだけど、それがこのCandi Statonなのだ。マイクとかスピーカーのコーン紙が破れたような声なののだが、それがかっこいい。変声期の男子のようにも聞こえてしまう。濁った音が美しいではないか。破れた声が美しいではないか。アラバマからの風に乗って破れたハートの歌が聞こえるではないか。忘れられなくなっっちゃうのよ。
このアルバムでは、その彼女の歌声のバックであのアラバマ州マスクル・ショールズの白人と黒人の混成部隊のFameレーベルのサウンドが支えている。管楽器、ベース、ギター、キーボード、ストリングス、ドラムスが緻密に混ざり合い、そして、そこからもたらされる幾層にも重なったディープさと柔らかくはねるリズムが最高なんだ。このレーベルのオーナーのRick Hallってのも、凄いやつだと思うよ。メンフィスにStaxがあれば、マスクル・ショールズにはFameがあると言われ、Staxに並ぶ、南部の最も重要なインデペンデント・ソウル・レーベルだったのだな。
1960年代のアメリカ南部の産んだ奇跡の歌と音ですな。


カレンダー


カテゴリー


最新コメント
[05/19 Pg Soft]
[05/04 ペコ]
[12/23 ロンサム・スー]
[07/27 gmail account]
[08/29 えいちゃん]


最新記事
(07/14)
(07/14)
(07/11)
(07/11)
(07/11)
(07/07)
(07/07)


プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


ブログ内検索


最新トラックバック
