えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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近々、閉館となる丸の内TOEIで川島雄三監督の『幕末太陽傳』を見ました。1957年の日活の映画。もともとの話は落語の「居残り佐平次」で、一部に落語の「品川心中」も入り、さらにふくらませて、品川の遊廓を舞台とした群像劇にして、グランドホテル形式の映画となっております。

主人公の居残り佐平次を演ずるフランキー堺がいい。南田洋子が女郎こはるを演じていて、こんなきれいな人だったとは知りませんでした。それから、高杉晋作役の石原裕次郎とか、高杉の都々逸「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」が基底の唄として効いています。

佐平次は肺病病みという設定で、だんだん苦しげになる咳の音が切ないです。この映画には幻の原案のエンディングがあって、それは佐平次が江戸時代のセットを駆け抜けて、現代の品川まで行ってしまうというもの。その大胆な発想はスタッフからの反対で採用されなかったのが口惜しい。

肺病を患う佐平次は筋萎縮性側索硬化症であった川島雄三自身の分身なのかもしれません。川島は1963年に齢四十一歳で病没しているのです。佐平次の「生きて生きて生きるんでい」のセリフが胸にせまります。

「サヨナラだけが人生だ」の言葉を残した川島雄三ってアナーキストだな、と思う。『幕末太陽傳』は反乱の1960年代を用意した一つだとも思うのです。

いつもぼくは幻のエンディングを夢想する。
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近所の郵便局にとある郵便物を出しに行ったところ、その郵便局から出てきた人に「リョウくんのお兄ちゃんですよね」と、声をかけられた。ぼくはリョウなどという弟はいないので、すげなく「違います」と答えたのだった。後で、ぼくの聞き間違えで、「リョウ」でなく「レオ」であったことに気づいた。声をかけてくれた人にも申しわけなく、ふと寂しさを感じた。犬のレオが亡くなって、いつの間にか十三年という年月が過ぎた。たまに、豆柴でも飼おうかな、と思う。けれども、小さな豆柴といえども生きものの世話は大変だ。命を守る強い責任感をともなった勇気が必要なのです。
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保阪正康さんの著した『平成の天皇皇后両陛下大いに語る』がとても面白く、一気に読んでしまいました。

ある時、保坂さんのところに友人の半藤一利さんからこのような電話がかかってきたそうなのです。

「保坂君、雲の上の人に会う気はあるか」

さらに半藤一利さんはつづけたそうです。

「両陛下にお目にかかって雑談するんだよ。昭和史のことをお聞きなりたいとおっしゃって、君の名前が挙がったんだ」

以来、保坂さんは半藤さんと皇居を訪れ、計六回の平成の天皇皇后両陛下が今生の天皇と皇后であったころに、面会する機会にめぐまれ、御進講という形ではない、雑談という形で両陛下と話をする機会となり、本書は記憶のままに書きつづったものであるというのです。昭和の天皇陛下の戦争期の生々しい話もときおり出てもきて、平成の天皇陛下の心がどのようなところにあるのかも察せられ、とても面白く、一気に読んでしまった次第です。

平成の天皇陛下というと、とある学校に訪問された際に、国歌の斉唱や国旗の掲揚について、強制ではない方が望ましい、と発言されたり、私的な旅行として高麗神社を訪問された際に、天皇制の成立について秦氏の役割の大きさについて言及されたり、などということから、ぼくの天皇陛下への親しみと敬意はけっして小さいものではありません。この『平成の天皇皇后両陛下大いに語る』にも、天皇陛下自身が、桓武天皇の母方の祖先が韓半島、朝鮮半島の百済の武寧王にルーツをもつことについて熱く語っておられたということだそうで、それも、これも天皇陛下が、民族や国の仲たがいによる戦争はあってはならぬ、という御心を表されたことだとも思われるのです。

平成の天皇陛下が求められたことが、正式な大学の教授からの御進講ではなく、保阪正康さんや半藤一利さんらの市井の歴史研究家との雑談、対話であったことも、何かとても意義深いことのように思われます。

僭越ながらも、無私の祈りということが、その人を至上へと高めるというのがあるのではないかしら。その平成の天皇陛下の作られた道行きの方向が令和の天皇陛下にも受け継がれていることに、ぼくはほっと胸をなでおろすかのような安堵の心もちをおぼえるものであります。

平成の天皇皇后両陛下大いに語る 保阪正康 - 本の話
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青山の根津美術館で『財団創立85周年記念特別展 国宝・燕子花図と藤花図、夏秋渓流図 光琳・応挙・其一をめぐる3章』を見ました。この私設の美術館に重要文化財や国宝がごろごろあります。附設の広大な庭といい、この美術館を開設した明治から大正、昭和にかけて古美術を収集した実業家の根津嘉一郎ってどれだけ金持ちなんだよ、などと思う。まっ、いいか。

鈴木其一による十九世紀の屏風画の重要文化財「夏秋渓流図」はポップな名品といった風情。

円山応挙による十八世紀のに描かれた屏風画の重要文化財「藤花図」は筆使いも生々しい、見惚れるような絵でございます。

尾形光琳の十八世紀の屏風画「燕子花図(かきつばた)」が遠くから見えはじめたとこらから、その圧倒的な存在感に鳥肌がたってきます。この「燕子花図」は能の「杜若(かきつばた)」から着想を得たと聞けば、さらに情趣も高まります。

企画展の部屋以外にも、その他の「中国の小金銅仏」の部屋、「古代中国の青銅器」の部屋、「能「杜若」に寄せて」の部屋、「若葉どきの茶」の部屋があり、そこにも重要文化財やそれに次ぐ文化財がごろごろ展示されていて、しかも、今回は展示されていない国宝が残り六点もあるそうです。根津嘉一郎ってどれだけ金持ちなんだよ、などと思う。まっ、いいか。根津美術館には展示替えするたびに見に来なくてはなりますまい。

日本の美の吉祥にめでたし、めでたし。
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四方田犬彦さんの訳されたマフムード・ダルウィーシュの『パレスチナ詩集』を読了した。この詩集の中の訳文で90頁にもわたる長編詩「壁に描く」は、魂の血によって太古からある建造物に刻まれた言葉の群のようなのだ。それは今の言葉で書かれつつ、古い言葉の祈りの言葉すら召喚するかのようでもあるのは、四方田犬彦さんの本書のすぐれた「訳者解説」によって知った。マフムード・ダルウィーシュは、アラブ語圏のもっとも有名なベストセラー作家であるのだが、もっとも有名な詩の四方田犬彦さんによる訳文を引用しつつ、パレスチナの解放と平和をぼくは祈るのみ。

 地がわれらを圧迫して、とうとう最後の路地にまで追い詰めてゆく。
 われらは何とか通り抜けようと、自分の手や足まで捥ぎ取ったというのに
 地はわれらを締め付ける。小麦だったら死んでもまた生まれることができるだろうが
 地が母親だったら、慈しみでわれらを癒してくれるだろうに
 われらが岩に描かれた絵であったなら 鏡のように夢が運び去ってくれるだろうに。
 魂の最期の戦いのとき、われらの中で最後に生き残った者が
 殺そうとしている者の顔を一瞥する。
 われらは殺戮者の子どもたちのお祝いパーティーを想像し悲しむ。
 われらは見た、この最後の場所に開く窓から、われらの子どもたちを放り投げた者の顔を。
 星がひとつ、われらの鏡を磨いてくれるだろう。
 世界の果てに辿り着いたとき、われらはどこに行けばよいのか。
 最後の空が終わったとき、鳥はどこで飛べばよいのか。
 最後の息を吐き終えたとき、草花はどこで眠りに就けばよいのか。
 われらは深紅の霧でもって自分の名前を記すのだ!
 みずからの肉体をもって聖歌を終わらせるのだ。
 ここで死ぬのだ。この最後の路地で死ぬのだ。
 やがてここかしこで、われらの血からオリーブの樹が生えてくることだろう。

マフムード・ダルウィーシュ - パレスチナ詩集
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近頃、閉館するという「丸の内TOEI」という映画館で山中貞雄監督の1935年公開の映画『丹下左膳余話 百万両の壺』を見て、小津安二郎監督の1953年公開の映画『東京物語』を見ました。いわずもかなの師弟のような二人の大監督であります。山中貞雄は戦争に従軍し、中国で亡くなってしまう。小津安二郎は年下の山中の夭折ともいえる無念の死を忘れることはなかったらしい。

『丹下左膳余話 百万両の壺』は小気味いい、エンターテイメント作品で、のんびりした話なのだけれど、幕間の現代的なモンタージュによって退屈させない。丹下左膳を演ずる大河内傳次郎もいいが、丹下左膳の居候する茶屋の三味線を弾き、唄う女将のお藤を演ずる新橋喜代三が元芸者の風情ある美人なのがいい。山中貞雄監督の映画はほとんど戦災によって焼失していて残っているのは、この『丹下左膳 百万両の壺』、1936年公開の『河内山宗俊』、遺作の1937年公開『人情紙風船』で、ぼくは『河内山宗俊』はまだ見ていないが、『人情紙風船』は悲哀に満ちた芸術性の高い名作であって、戦後の小津安二郎の映画の一つの手本ともなったような素晴らしさなのだ。山中の早折が惜しまれ、戦争が憎い。

小津安二郎監督の1953年公開の『東京物語』は、ぼくは繰り返し何度も見ている世界の映画に影響を与えた傑作なのであった。小津というとカメラのローポジションが有名だが、それよりも、相対する人物の視線を結んだ線をイマジナリー・ラインといい、それをまったく無視した人物を正面から撮る独特のカメラアングルこそが小津安二郎の撮影技法の独特なもので、ぼくはそこで映される、ある生々しい何かにいつも当惑してしまう。1953年というと戦争が終結した8年後で、東京という都市のある種の回復力にも驚いてしまう。1952年公開の『お茶漬の味』をはさんで、1951年公開の『麦秋』と同じく、何の活劇もないうちに、家族が静かに崩壊し、無常の中に消え行くかのようだ。『東京物語』の中で原節子の演ずる紀子のセリフの「仕方ないのよ、みんなそうなっていくのよ」は情緒を破り捨て、深く、重い。繰り返すけれど、日本映画の誇る傑作だと思う。
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相模大野のアコパで野口亜妃子さんのライブを見ました。歌あり、器楽曲ありの楽しいコンサートでありました。昭和の古い歌謡曲が、ぼくにはとても嬉しい選曲でございました。そこで、図々しくも、亡き父がレコードでよく聞いていたある曲のリクエストをするのをお許しください。それは佐藤惣之助の作詞、古賀政男の作曲による、ディック・ミネの歌った「人生の並木道」でございます。次回、歌ってくれましたなら、ぼくは拍手を止められません。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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