えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
「原発、いのち、日本人」というインタビュー集を読む。各界のいろんな人がインタビューで原発のこと、いのちのこと、日本のことを語っています。
いろんなインタビューの中で、例えば、小説家の浅田次郎さんが日本ペンクラブの視察で見たチェルノブイリの灰色のマトリョーシカの話が重く恐ろしくもあった。浅田さんというと三島由紀夫を尊敬する元自衛隊員の小説家。そんな彼の戦時中の児童疎開の話に日本人の劣化が実感される。
その他の人のインタビューも読みつつ、利権とお金がすべてという考え方が日本を狂わしてしまったのかと思う。
最後に出てくる詩人の谷川俊太郎さんのインタビューもおもしろかった。谷川さんは「鉄腕アトム」の歌の作詞家で、アトムの動力は原子力なのです。谷川さんは年をとったアトムを思い浮かべインタビューでこう述懐する。
「今、アトムとかウランちゃんは逆に攻撃されているわけでしょう。昔はあんなに人気があったのに、あの当時は、原子力っていうものは平和利用、すばらしいという時代だったからね。
・・・
今、アトムに「原子力、今もう、ちょっと問題なんだよ」って言っても、あの方、「そうですか」って言って何かにこにこ笑ってそうな」
同席した女優の木内みどりさんはこんなことを言っている。
「私は今日教わりました。やっぱり群れないで、一人で、自分の耳で聞いて、自分の頭で考えて、自分が決めた方に向かって歩いていくことが大切なんですね」
詩人はこうしめくくる。
「一人ひとりがそれをやると、そうとう変わると思うんだけど、みんなやっぱりメディアに左右されちゃうんですね。僕なんか、ずっと一人で家にいたい。デモには行きません。歩くなら一人で歩きたいです」
高名な尊敬すべき詩人に僭越ながらも、デモの中にでも、一人で歩き始めている人もいっぱいいると思いますよ。
いろんなインタビューの中で、例えば、小説家の浅田次郎さんが日本ペンクラブの視察で見たチェルノブイリの灰色のマトリョーシカの話が重く恐ろしくもあった。浅田さんというと三島由紀夫を尊敬する元自衛隊員の小説家。そんな彼の戦時中の児童疎開の話に日本人の劣化が実感される。
その他の人のインタビューも読みつつ、利権とお金がすべてという考え方が日本を狂わしてしまったのかと思う。
最後に出てくる詩人の谷川俊太郎さんのインタビューもおもしろかった。谷川さんは「鉄腕アトム」の歌の作詞家で、アトムの動力は原子力なのです。谷川さんは年をとったアトムを思い浮かべインタビューでこう述懐する。
「今、アトムとかウランちゃんは逆に攻撃されているわけでしょう。昔はあんなに人気があったのに、あの当時は、原子力っていうものは平和利用、すばらしいという時代だったからね。
・・・
今、アトムに「原子力、今もう、ちょっと問題なんだよ」って言っても、あの方、「そうですか」って言って何かにこにこ笑ってそうな」
同席した女優の木内みどりさんはこんなことを言っている。
「私は今日教わりました。やっぱり群れないで、一人で、自分の耳で聞いて、自分の頭で考えて、自分が決めた方に向かって歩いていくことが大切なんですね」
詩人はこうしめくくる。
「一人ひとりがそれをやると、そうとう変わると思うんだけど、みんなやっぱりメディアに左右されちゃうんですね。僕なんか、ずっと一人で家にいたい。デモには行きません。歩くなら一人で歩きたいです」
高名な尊敬すべき詩人に僭越ながらも、デモの中にでも、一人で歩き始めている人もいっぱいいると思いますよ。
このまえ見た映画「ライフ・オブ・パイ」の原作であるヤン・マーテル著「パイの物語」を読了した。メルヴィルの「白鯨」という小説を思い出した。「パイの物語」も「白鯨」も海洋の物語で百科全書的だと思ったのです。「白鯨」は鯨捕りについてのありとあらゆることが書いてあるとするならば、「パイの物語」は漂流ということについてのありとあらゆることが書かれているような気がした。しかも、一頭のリチャード・パーカーと名づけられたベンガル虎と漂流するのです。そして、謎を残す読後感に、記憶ということは、あったことも、本当はなかったことも、等しく人の人生にとっての真実なのかもしれない、と思い、目眩のようなものも、ぼくは感じたのです。いつか、パイはあのリチャード・パーカーに再びまみえる時が来るような小さな予感を残して本をとじた。
山梨県身延の下部温泉から西に少し行ったところにある富士川切り絵の森美術館に寄ってみた。小さな美術館に飾られた切り絵を見て回ったのだけど、素晴らしかったです。光と影の絵が連想させる懐かしいそのようなものに静かにたたずんだ。そして、幻燈のような酒井淳美さんの切り絵にいつまでも見とれていたのです。田舎の小さな美術館にいるのは、ぼく一人で、あたりまえのように時間はゆっくりにしか流れなかった。
http://hikari-no-kirie.main.jp/index.html
http://hikari-no-kirie.main.jp/index.html
下部温泉にはよく行くのだけど、そのあたりの観光地には足をのばしたことがないと思い、身延山久遠寺まで出かけてみた。
日蓮宗の総本山は人里離れた、山奥にあって、まわりには山村しかないような地なのであった。長く急な石の階段を息を切らせながら登ると、そこに大きな寺があって、日蓮上人の入滅のところだという。寺の中に入れば華美な黄金の伽藍が数人のアメリカ人かイギリス人の観光客と数人の参りに来たおばあさんのみいて、静かさが広がっていた。
日蓮上人というと、その生きた鎌倉時代でも一種の異端と呼ばれていて、その理由は他宗を批判、攻撃していたこと、もう一つは現世の社会改革というようなことを積極的に唱えていた、ということらしい。畢竟、日蓮は時の権力と鋭く対立し、弾圧を受け、佐渡ヶ島への流刑の話は有名で、そのような人がこのようなひっそりとした山奥で最期の時を迎えたことが、不思議なことでとともに、何か納得できるようなこととも感じた。そして、寺の脇の古びた社務所のようなところで、おばあさんから御札を授けてもらったのだけど、その物腰のやわらかい、やさしくおだやかな表情に数百年の時の流れも感じたのです。
さて、日蓮宗というと、「銀河鉄道の夜」を著した宮澤賢治の信心した宗教でもあるわけだけど、賢治の入会した日蓮の教えから端を発した国柱会の説いたは「八紘一宇」は日本のアジアへのある人は進出といい、ある人は侵略ともいい、ある人はアジアの欧米からの防衛ともいう、それを後押しした思想めいたものの大きな一つであることに、驚いたりもする。賢治のコスモポリタニズムと国粋主義は賢治自身の中でどう矛盾し、統合されもするのだろうか。
鎌倉時代の仏教といえば、日蓮上人よりも一遍上人に惹かれたりするのだけど、一遍や時宗、踊り念仏の話は、いつかまた別項に。
そんなことを考え、思い、山寺を歩いていたのです。
東京国立博物館の「飛騨の円空 千光寺とその周辺の足跡」展を見に行った。円空というと片手に乗るぐらいの小さな木の仏像を想像していたのだけど、人の丈以上もある大きな仏像は迫力満点でした。木がそのまま神や仏に化身したかのような像に森や山を崇拝し、そして、目覚め、仏陀となるというようなことを思ってしまった。とても簡素、素朴な彫り方は、彫らないことで、何か自然の命を表しているかのようなのです。生涯、山や森を旅した円空の足跡は、例えば、岐阜を旅すれば、そこかしこにある。托鉢のお礼にとみんなの幸せを祈りに込めて木の仏像を置いていったそれは数え切れないらしい。
ぼくの心は昔の飛騨の山の森に入ってゆく。
http://enku2013.jp/
経済小説の大家の小説家、城山三郎の異色作「辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件」を読む。あたかも、明治時代の終りのころに起こった足尾鉱山の鉱毒事件の栃木の谷中村の被害民の霊が城山さんの筆のりうつったかのようなな鬼気迫る小説であった。今は無き谷中村の人たちのために尽くした田中正造の最期の数年間と田中亡きその後の数年間を描いているのだけど、物語は何の光明も解決も見いだせずに、唐突に終焉し、ぼくは戦慄した。不正をはたらく天下国家に挑み戦うことのみが、その悲惨さを射止める光の矢であるかのようだ。
このような事件は時を越え、忘れたころに蘇ったかのように昭和にもあったし、さらに、今でも、と思う。水俣病の被害民を聞き書きした「苦海浄土」を著した石牟礼道子さんは尊敬する人として田中正造をあげていたことを思い出した。今を生きるぼくは、怖がってばかりもいられない。彼らの千分の一、もしくは万分の一としてでも、ぽつねんと声をあげます。
田中翁の短歌を一つ、
「少しだも 人のいのちに 害ありて 少しくらいは よいと云ふなよ」
このような事件は時を越え、忘れたころに蘇ったかのように昭和にもあったし、さらに、今でも、と思う。水俣病の被害民を聞き書きした「苦海浄土」を著した石牟礼道子さんは尊敬する人として田中正造をあげていたことを思い出した。今を生きるぼくは、怖がってばかりもいられない。彼らの千分の一、もしくは万分の一としてでも、ぽつねんと声をあげます。
田中翁の短歌を一つ、
「少しだも 人のいのちに 害ありて 少しくらいは よいと云ふなよ」