えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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二年前に亡くなられた今野雄二さんがミュージック・マガジンで映画評を連載していたのだけど、その連載の中で絶賛していて見逃した映画を見た。新鋭のニール・ブラムカンプ監督の「第9地区」。

SFものなのだけど、舞台が南アフリカのヨハネスブルグで、設定が宇宙からやってきたエイリアンの宇宙船が難破し、地球で座礁していてて、そのエイリアンが難民化して、ある地域に閉じ込められ、虐げられているというもの。と同時にハードなアクション映画でもあり、もう一つのテーマとして、異文化をどうやって受け入れるか、それは可能なのか、というようなこと。

南アフリカ的な状況を描いた映画でもある、とこの映画を撮影した監督自身が言っていた。ふと、パレスチナとかイスラエルとか呼ばれている地域のことを思ってしまった。もちろん、日本の中にも様々な異質がひしめきあっているのではなかろうか。こんな映画を作れてしまう南アフリカ共和国はアパルトヘイトを乗り越えた歴史を持ち、だから、ますます素敵な国になっていって欲しいし、そうなるだろう。あまっちょろいことって言われるかもしれないけれど、みんな、仲良くした方が良いよ。

ぼくも宇宙人とかってよく呼ばれたりするのだけど、宇宙人、万歳。


「第9地区」のホームページ
http://d-9.gaga.ne.jp/
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座禅ってどうするのかな、と思い、コンビニで偶然に見かけて読んだ曹洞宗のお坊さん、中野東禅さんの著した「心が大きくなる座禅のすすめ」を読みました。

実践的な座禅のいろんな仕方がたくさん書いてあったのだけど、禅のエッセンスを絵で表現した十牛図の解説も載せられていた。その十牛図の解説の中で八番目の牛の絵に「人牛倶亡」というのがあるのだけど、無があれば有もあって、空とはそれらを超える、というようなことが書かれているのだが、よくわからん。悟ろうとすれば、悟れず、わかろうとする心はわかることはない、と言われても、わからないので、とにかく座れということでしょうか。そこで、キッチンタイマーに10分をセットして座ってみると、雑念が次から次へとわいて、おもしろおかし。

和尚さん、雪がふっていますよ。おやすみなさいZZZzzz.....
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予告どおり「ALWAYS 三丁目の夕日'64」を見に行きました。予告って何だ? まぁ、いいです。舞台は1964年の東京の東京タワーが間近に見える町。1964年って確かに東京オリンピックの年で、いろんな意味で日本の分岐点だったのかもしれない。これ以上、時代が今に近づくと、映画としての「三丁目の夕日」は成立しずらいのかもしれない、とも思った。なぜだろう? この年以降、日本人は身近なコミュニティーを失いつづけていっている気もする。茶川家に生まれた赤ん坊が、まるで自分であるような気がし、戻せない時と風景を感じ、ラストのシーンは切なくブルーにもなりました。感動しました。

3Dで見たのだけど、3Dというより、懐かしの飛び出す映画という感じ。これはいい意味なんです。あぁ、ノスタルジー。


「ALWAYS 三丁目の夕日'64」のページ
http://www.always3.jp/
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西岸良平の漫画「三丁目の夕日」が好きである。コンビニとかで売っていると、よく買って読んでしまう。その漫画の映画となった山崎貴監督の「ALWAYS 三丁目の夕日」は劇場で数年前、見た。近々、その最新作の映画「ALWAYS 三丁目の夕日 '64」が公開されるというので、ふと旧作の「ALWAYS 三丁目の夕日」を見たい、と思い、つたやに行ってみると、「ALWAYS 三丁目の夕日」の続編「ALWAYS 続・三丁目の夕日」が作られていたのを知って、見たのです。CGと緻密なセットで再現された1960年代の風景のディテイルに目が行ってしまう。そして、これもいい話。

あぁ、やはりノスタルジーとは未来のための夢のようなのだ。

「ALWAYS 三丁目の夕日 '64」も楽しみです。


「ALWAYS 続・三丁目の夕日」のページ
http://2.always3.jp/07/
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ぼくの好きな現代の日本の画家に草間彌生という人がいるのだけど、その人は、絵を描かなければ生きていけないような、そんな人ではないのか、と彼女の展覧会を見て、いつも思ってしまう。今日、この人も、そのように絵を描かなければ生きていけないのではないか、と横浜美術館で「松井冬子展 世界中の子と友達になれる Fuyuko MATSUI Becoming Friends with All the Children in the World」を見て思ったのだった。

彼女は新進の日本画家で展覧会の絵を見ながら、ぼくは、鳥肌が立つような驚きの感動すらおぼえた。日本画家というより、その絵は世界的なもので、確かに日本画の形式で描いているのだけど、普遍的な今をすら表しつつ、いつまでもの絵であるつづけるだろう。そして、この新しい画家が今の時代と今の世界によりそい、併走し、どこにいくのか、とても楽しみです。

それから絵というのは、ネットとか本で見るより、実物を見ると、ぜんぜん違いますね。

松井冬子さんのホームページ
http://matsuifuyuko.com/index.html
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劇場で見たいと思いつつ見損なって、数年後にレンタルビデオやらDVDで見るというようなことは、あることだと思うのだが、ヒット作を遅れて見ました。それは三谷幸喜監督の「ザ・マジックアワー」。古き横浜らしきところをモデルにした架空の街を舞台にした2時間以上ものコメディーなのだった。

昔、横浜に勤めていたのだけど、やはり横浜って独特の雰囲気があって、横浜の人って、みんな、横浜が好きらしいことを思い出したりもした。

この映画、ドラマがテンポよく進み、セリフがウィットとユーモアに富んでいておもしろく、あきさせない。それから、絵が昔のカラーになったばかりのころの映画みたいでノスタルジックなんです。そして、今の時代、ノスタルジックがもっともラジカルであるような気もするのだった。どうしてだろうか? ノスタルジーはマジックアワーで、日没後の薄明の一日のうちの最も美しい時間帯のようなことかもしれない。
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こんな夢を見た。ぼくは居間でこたつに入って昼寝をしている。ふと隣を見るとレオ(飼っていた犬です)が隣に寝そべっている。ぼくは、生き返ったのか、とひとりごち、レオを撫でてやる。足のもものところが丸く小さく毛がはげているところがあるだけで、元気そうだ。ぼくは、レオに吠えてごらん、と声をかける。レオは口を大きくあけて、吠えようとするが、小さな声しか出ない。そうか、今ここにいるレオは霊なのかもしれず、だから、声が出しにくいのかな、と思う。そのあとレオは立ち上がり、玄関の方に小走りリをして、ぼくはレオのあとについていく。レオが玄関のドアのところで、いきなり消えてしまう。ぼくはあわてふためく。すると、母が後ろのほうで、ぼくに、どうしたのか、と声をかけてくる。ぼくは取り乱し、レオの幻覚を見た、レオの幻覚を見た、と訴え、自分の気が狂っているのではないかと疑う。母は、そんなこともあるよ、とぼくに言う。

そこで目が覚めた。レオの夢をよく見るなと思いもし、レオのいない寂しさが明けやらぬ静かな未明にやってきた。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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