えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
松崎町の旅の帰りに池田20世紀美術館に行きました。この美術館は現代美術のコレクションが1,300品もあるという1975年に開設された私設美術館。そのほんの一部が常設展で公開されております。
ピカソやシャガールの絵に惹かれてしまいます。絵のキャプションを見ながら、ピカソは92歳、シャガールは98歳まで生きたことに気づく。それにしても、実物の絵は本ものの迫力があります。
ピカソの最晩年の作品「近衛兵と鳩」を見ながら、ピカソの描く鳩の絵はいいな、と思う。このピカソに描かれた近衛兵はピカソ本人であるような気がして、守っているのは平和に違いない。
常設展の展示替えも楽しみで、また来たい。
企画展は「第7回 伊豆ビエンナーレ2021」で、静岡県東部や伊豆地区の作家が中心の無審査、無賞、自由出品のアンデパンダン形式。具象、抽象、さまざまなどの絵にも心がこもっていて、楽しい。
絵は心で描くもので、歌は心で歌うものだ。
その後、池田20世紀美術館近くの伊豆の美しい瞳とも呼ばれる一碧湖でぼーっとしておりました。
公益財団法人池田20世紀美術
近衛兵と鳩
イサジ式さんの新しいアルバム『水は誰のもの 土は誰のもの』の発売記念のコンサートがあるというので下北沢のラカーニャに見に行きました。『水は誰のもの 土は誰のもの』は既にぼくは聴いていて、このアルバムが素晴らしかった。
社会批判を内に含み、きわめて個人的な場所から歌を歌っているイサジさんは「フォーク者」を自称していて、なるほどともぼくは思ってしまいます。ぼくの好きな今は亡き平岡正明さんは「ジャズ者」という言葉を使い、「ジャズ」を「恋のように甘く、地獄のように熱く、夜のように黒いものは何? ジャズさ!」と定義していたが、さて、「フォーク者」のイサジさんにとっての「フォーク」の定義とは何だろう?
二―ル・ヤングが好きだというイサジさんで、アルバム『水は誰のもの 土は誰のもの』は、古くならない、むしろいつまでも新しいような、古いロックという音作りもされているけれども、歌はフォークで、その歌は、最近、こんなことがあったよ、こんなことを思っているよ、と喫茶店やバーで語りかけてくれているようで、とてもリアルで、なぜか心地よいのです。
素晴らしい音楽と楽しいコンサートをありがとう。
ひさしぶりにBob Barley & the Wailersのアルバム"Burnin'"を聴いていたら、この前、空の向こうに旅立ったBunny Wailerの歌声が、こんな夜に、ぼくの部屋に響きはじめた。"Pass It On"、音楽は、とてもすばらしくて聞き入ってしまう。詞を意訳してみました。おやすみなさいZZZzzz.....
♪♪♪
きみが何を手にしようが
自分の目で見るんだよ
じぶんのしたことがどうなのか、ちゃんとわきまえて
すると、いいことがもどってくるのさ
すると、きみに残っているのはきみの良心で
きみを裁くのは他の誰でもないきみ自身の心だけ
もう自分のことばかり考えるのはやめて
次に渡そう
自分のためだけに生きているのなんて虚しいだろう
自分のもっているささやかなものを次に渡そう
必要な時に兄弟を助けよう
次に渡そう
自分のためにだけに生きるなんてつまらない
だれかのために生きよう もう一度、生きてみるのさ
そうすれば、そこは神様の治める王国なのさ
次に渡そう
暗闇の中にいたとしても
光があばいてくれる
善と悪を区別し裁くためにぼくたちはここにいるんじゃない
けれど、正しいことをすれば
暑くうなされる日も
日陰が救ってくれる
けれど、日が過ぎていき
太陽の下、だれもきみを見つけられはしない
自分勝手はやめて
次に渡そう
必要な時に兄弟を助けよう
次に渡そう
自分のためにだけに生きるなんてつまらない
だれかのために生きよう もう一度、生きてみるのさ
そうすれば、そこは神様の治める王国なのさ
次に渡そう♪♪♪
♪♪♪
きみが何を手にしようが
自分の目で見るんだよ
じぶんのしたことがどうなのか、ちゃんとわきまえて
すると、いいことがもどってくるのさ
すると、きみに残っているのはきみの良心で
きみを裁くのは他の誰でもないきみ自身の心だけ
もう自分のことばかり考えるのはやめて
次に渡そう
自分のためだけに生きているのなんて虚しいだろう
自分のもっているささやかなものを次に渡そう
必要な時に兄弟を助けよう
次に渡そう
自分のためにだけに生きるなんてつまらない
だれかのために生きよう もう一度、生きてみるのさ
そうすれば、そこは神様の治める王国なのさ
次に渡そう
暗闇の中にいたとしても
光があばいてくれる
善と悪を区別し裁くためにぼくたちはここにいるんじゃない
けれど、正しいことをすれば
暑くうなされる日も
日陰が救ってくれる
けれど、日が過ぎていき
太陽の下、だれもきみを見つけられはしない
自分勝手はやめて
次に渡そう
必要な時に兄弟を助けよう
次に渡そう
自分のためにだけに生きるなんてつまらない
だれかのために生きよう もう一度、生きてみるのさ
そうすれば、そこは神様の治める王国なのさ
次に渡そう♪♪♪
吉祥寺のアップリンクでジョン・コニー監督の『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』を見た。
この映画は、昔、レンタル・ビデオで見たことがあったな。レンタルビデオ店がつたや以外にも、昔はあって、どこかの変わった個人経営のお店で借りたのだと思う。その時は、わけのわからない映画だと思い、けれど、サン・ラーはぶっ飛んでいてかっこいいな、と思ったものでした。今、改めて、書籍「サン・ラー伝」を監修した湯浅学さんの日本語字幕付きで、少しは分かりやすいけれど、それでも、なんだかよく分からない映画で、けれども、かっこよかったし、サン・ラーの音楽は最高です。
サン・ラーが宇宙からやって来るUFOというかフライングソーサーというか空飛ぶ円盤が、おっぱいの形をしていて、その奇妙さに笑ってしまう。
冒頭のシーンが昔の1940年代のジャズクラブでサン・ラーがピアノを弾いていいると、テーブルの上のコップが割れ、ありたあらゆるものが壊れてしまうといいのは、サン・ラー自身がインタビューで、こんなことがあったと答えていた話でもあります。
この映画は、場面のありとあらゆるところにサン・ラーのアストロノミーの秘密が記号がちりばめられ、隠されているに違いない。それを解き明かすために、ぼくは再びサン・ラーの音楽を聞かねばなるまい。
映画『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』公式サイト
佐木隆三の『身分帳』を読んだ。
この前に見た西川美和監督の映画『すばらしき世界』の原案となった、あくまでも事実に基づいた小説であることは、この講談社文庫版の同じ本に所収されている『行路死亡人』で明かされる。「行路死亡人」とは「行き倒れになった人」の意味の法律用語で、この短編『行路死亡人』は、『身分帳』の主人公の死の知らせを作者が受けて、その行き倒れになった人との作者の思い出を綴ったものであった。『身分帳』の中で登場する、刑務所帰りの主人公に何かと世話をする、映画の中では六角精児さんの演じていたスーパーの店長など、このような気さくな人格者、大人物が市井に本当にいるのだろうか、とぼくは思ってしまっていたのだけれど、本当にモデルとなる人物がいたことを知りました。
小説を読みながら、主人公、山川一、映画の中での三上正夫に人に惹きつけられ、『行路死亡人』を読み終わったら、あいつは本当におもしろい、いいところのあるやつだったな、となんだか思い出されるようで、本当に寂しく感じ、ぼくの心に悲しみが染みてしまっていくようであった。
長い小説のその読後感は素晴らしく、佐木隆三の言葉を書き述べる力に圧倒される思いがしました。
西川美和監督×六角精児 特別対談
故・佐木隆三の描いた『身分帳』から辿る、旭川刑務所を出所した元殺人犯の衝突と挫折 『すばらしき世界』原案の復刊に寄せて
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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