えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ



そういえば白塗りの暗黒舞踏って一度もちゃんと見たことなかったな、と思い、麿赤児率いる大駱駝艦の『おわり はじまり』の『おわり』を見に、世田谷パブリックシアターに行きました。
見て、「白塗り」とか「暗黒」とか、そいう言葉は門切り型の言葉は大駱駝艦には要らないな、と思いました。それは、それはエモーショナルでエロチックでドラマチックな舞踏で、麿赤児さんが宇宙のおわりを想像して作劇したものだそうです。作劇といっても舞踏には言葉はないですけど、確かに物語が男や女の肉体で語られており、素晴らしかったです。公演『おわり』が終わり、劇場のロビーを歩いていると、誰かが誰かの友だちに話す声が聞こえてきて、あたし、おしまいの方は感動して、泣いちゃったわよ、と話しておりました。ぼくは泣かなかったけれど、同感し、本当に素晴らしかった、もっと早く大駱駝艦の舞踏を見ていれば、よかったと思いました。
唐十郎の状況劇場から分派して大駱駝艦ができて、今年で五十年、おめでとうございます。来週は『おわり はじまり』の『はじまり』を見に行きます。
大駱駝艦・天賦典式 創立50周年公演 『おわり』『はじまり』


新宿末廣亭へ落語を聴きに行きました。この前、浅草演芸ホールに行ったのだけど、ならば、もう一つのぼくの行く寄席の末廣亭に行かねば、と思ったしだいです。
末廣亭は浅草演芸ホールより少しこぶりの昔の芝居小屋の風情の寄席で畳敷きの桟敷席があるのがうれしい。ここであぐらをかいて芸を見るのを楽しむ。浅草演芸ホールではアルコール類の飲料を飲むことが可なのだが、末廣亭では禁止。昔、ぼくはこの末廣亭の桟敷席で缶のチューハイを飲みながら、落語を聴いていた記憶があるのだけれど、その後、場所柄か、たちの悪い酔客が多くて、こうなってしまったのかもしれない。
志ん生も談志も生では見たことのないぼくだけれど、きっと、古い芸能の伝説となるだろう何かを見てもいるのかもしれません。
末廣亭は浅草演芸ホールより少しこぶりの昔の芝居小屋の風情の寄席で畳敷きの桟敷席があるのがうれしい。ここであぐらをかいて芸を見るのを楽しむ。浅草演芸ホールではアルコール類の飲料を飲むことが可なのだが、末廣亭では禁止。昔、ぼくはこの末廣亭の桟敷席で缶のチューハイを飲みながら、落語を聴いていた記憶があるのだけれど、その後、場所柄か、たちの悪い酔客が多くて、こうなってしまったのかもしれない。
志ん生も談志も生では見たことのないぼくだけれど、きっと、古い芸能の伝説となるだろう何かを見てもいるのかもしれません。




初台にある新国立劇場のオペラパレスでワーグナーのオペラ『さまよえるオランダ人』を見ました。感動しました。
ぼくは、生きているうちに二つのオペラをいつか見たいと思っていて、一つはガーシュインの『ポギーとベス』、一つはワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』なのです。この『さまよえるオランダ人』はその前哨戦かもしれない。
昔、中上健次がインタビューで「物語の復権」ということを唱えていて、貧血症状の昨今の日本の小説を批判しつつ、ワーグナーの歌劇みたいに何回もたたみかけるような物語を作りたいと言っていたことを思い出したりした。そんな風にラストは怒涛の展会で、ぼくの目頭は熱くなる。さすが、クラシック愛好家の世界にワーグネリアンという人たちがいるわけだと納得。
ガーシュインの『トリスタンとイゾルデ』はニューヨークのメトロポリタン劇場での劇をそのまま撮影したのを映画館で見たことがあるのだけど、ガーシュインもワーグナーの影響を受けていそう。
やっぱり、三島由紀夫の小説もなんだか思い出した。そして、悲劇は高まり、究極の救いとなる。
決して、ルートの音にもどらない無限旋律ですか。催眠効果があるんじゃないのか。三幕目の一幕目は眠くなったりしたよ。
舞台美術がモダンでとてもかっこいい。
見どころ満載のオペラでした。
いつか見る『トリスタンとイゾルデ』がますます楽しみ。
さまよえるオランダ人 - オペラ - 新国立劇場


新宿末廣亭に行ってきました。今年初の寄席です。一日中いることもできたのですが、昼前の十一時から午後の二時半までの第一部を楽しみました。おいらは紙切りや手品のいろものも見れる寄席が好きよ。
トリというか、主任は笑点の大喜利の司会の春風亭昇太師匠。お正月興行だし、枕とちょっとした小話で笑わせてという感じかなと思っていたのだけど、ちゃんと落語を噺してくれました。やっぱ、落語芸術協会の会長、油のっているわ。それに声がでかいわ、活舌いいわ。あと五年かすると、これに枯れた渋みが加わり芸の高みに達しそう。
昇太師匠の前の前に登場したのは笑福亭鶴光師匠。今や、深夜のエロいラジオ番組で名をはせた鶴光も上方落語の重鎮。上方落語って、見台という講談の時の机みたいな台を置いて、扇子みたいな板でバチバチ叩くんだね。知らなかった。笑った、笑った。大阪に行ったら、上方落語を生で存分、見てみたい。
西であれ、東であれ、笑うところに福来る。間違いねーや。


横浜能楽堂で狂言と能を見ました。狂言の演目は「二千石」、四十分、能は「井筒」、一時間半。
初めての狂言の観劇で寝てしまって、終わりよければすべてよしの話になっていたよ。すみません。
能は二回目の観劇でした。一回目は相模女子大学で薪能を見たことがあったのです。その時は舞台から遠く、なんだかよくわからないうち、話が進んでいました。今回の方がじっくり見れて、その幽玄、霊妙、神妙な世界を堪能しました。世界広しといえども、このような音楽、劇、芸術は、まったく日本にしかないもので、驚きです。
何の動きもない般若の能面がなんとももの悲しく見えてくる。見ていると、ななめ後ろの席から女の人のすすり泣く声が聞こえてきます。どのような人なのかは憚られて、後ろを振り向けず、分かりませんが、霊となっても恋をし、恋焦がれている、そんな物語で泣いている人の心は美しい。このような能を創作した日本人の心は美しい、と思いました。
