えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
中堅のぼくの大好きなもっともあぶらの乗りきった二人の咄家、春風亭一之輔師匠と古今亭文菊師匠が出演するというので、上野の鈴本演芸場に馳せ参じました。
寄席が始まり、しばらくして、三味線と浮世節の立花家橘之助姉さんの後の桃月庵白酒師匠の「代書」あたりから笑いのグルーヴに会場はつつまれはじめておりました。そして、中入りにはいり、再び幕が上がり、ニックスの姉さん二人の漫才の後、江戸衆の呑気で純朴な笑いの世界に突入してゆきます。古今亭文菊師匠の「親子酒」、春風亭一朝師匠の「湯屋番」の定番に笑い、林家楽一師匠の紙切りでほんわかして、春風亭一之輔師匠の「富久」でめでたくしまいとなりました。「富久」で大笑いながら、その噺にちなんで、おいらも年末宝くじかなんか、当たるといいなとかって思ってしまいます。嫌なことばかりの世の中ではありますが、落語は残された心のオアシスです。
小田急相模原のエルトピートでの三雲参龍さん(「参龍」と書いて「しんりゅう」と読むそうです)の主催する「月にポエロ第四話」というポエトリーリーディングの会で詩を朗読しました。最近作った十の俳句を読みました。
秋桜は小さな棚田の畦に咲く
秋晴れに苗木の並ぶ籠の中
植樹祭新藁渡すみなの笑み
秋釣りも悪いニュースは遠ざけず
空に溶け少しが残る鰯雲
柿の実の歩道に落ちし痕ありき
秋の午後バトミントンの羽根の飛ぶ
晴れ着の子銀杏の下の七五三
狂い咲き桜朝顔秋いずこ
鱒の子は紅葉の小舟かくれんぼ
そして、パレスチナの国民的詩人、Mahmoud Darwishの"In Jerusalem"という詩を(よく訳せていないとは思うのだけれど)自ら訳して読みました。言葉が平和に生きるためのことに何か通ずるものであることを微かに信じつつ、まだ会ったこともないパレスチナの友人らの安寧を祈りながら、詩を読む。
エルサレムにて - ムハマンド・ダルウィッシュ
エルサレムで、私は古代の壁の中にいるのが気がかりだ
思い出もなしに私はある時代からもう一つの時代へと歩いている
私は導かれる。予言はいたるところにあり分け与えられている
聖なる歴史は、、、天国へと上昇し
ほんの少しの落胆と憂鬱で帰還する、愛ゆえに
平和は聖なるもので、町にやってくる
私は坂道を降りて自ら問う、どのようにして
語りべは一つの石についての光に同意できないのか
戦争が発火させたほの暗い石からのものだろうか
私は眠りの中を歩く。私は眠りの中で見つめている。私は理解する
私の背には誰もいない。私の前に誰も見えない
すべての光は私のためのもの。私は歩く。私は光になる。私は飛ぶ
そして、私は別のものになる。変容する。言葉は
イザヤ書から草のように芽吹く
口は語る。信じなければおまえに安全はない
私は別のものであるかのように歩く。白い私の傷は
聖書の薔薇。そして私の手は二羽の鳩で
交差しつつ空に浮かび、地を運ぶ
私は歩かず、空を飛び、別のものになる
変容する。場所もなく、時もない。私は誰なのだろう?
私は何ものでもなく上昇する存在である。しかし、私は
一人こう思う。一人、預言者のムハマドは
古いアラビア語で、そしてそれからどうなる?
それからどうなる? 一人の女の兵士が叫んだのだ
またそうするの? 私があなたを殺せないとでも?
私は言った。あなたは私を殺した、もう忘れよう、あなたのように、死ぬことを
秋桜は小さな棚田の畦に咲く
秋晴れに苗木の並ぶ籠の中
植樹祭新藁渡すみなの笑み
秋釣りも悪いニュースは遠ざけず
空に溶け少しが残る鰯雲
柿の実の歩道に落ちし痕ありき
秋の午後バトミントンの羽根の飛ぶ
晴れ着の子銀杏の下の七五三
狂い咲き桜朝顔秋いずこ
鱒の子は紅葉の小舟かくれんぼ
そして、パレスチナの国民的詩人、Mahmoud Darwishの"In Jerusalem"という詩を(よく訳せていないとは思うのだけれど)自ら訳して読みました。言葉が平和に生きるためのことに何か通ずるものであることを微かに信じつつ、まだ会ったこともないパレスチナの友人らの安寧を祈りながら、詩を読む。
エルサレムにて - ムハマンド・ダルウィッシュ
エルサレムで、私は古代の壁の中にいるのが気がかりだ
思い出もなしに私はある時代からもう一つの時代へと歩いている
私は導かれる。予言はいたるところにあり分け与えられている
聖なる歴史は、、、天国へと上昇し
ほんの少しの落胆と憂鬱で帰還する、愛ゆえに
平和は聖なるもので、町にやってくる
私は坂道を降りて自ら問う、どのようにして
語りべは一つの石についての光に同意できないのか
戦争が発火させたほの暗い石からのものだろうか
私は眠りの中を歩く。私は眠りの中で見つめている。私は理解する
私の背には誰もいない。私の前に誰も見えない
すべての光は私のためのもの。私は歩く。私は光になる。私は飛ぶ
そして、私は別のものになる。変容する。言葉は
イザヤ書から草のように芽吹く
口は語る。信じなければおまえに安全はない
私は別のものであるかのように歩く。白い私の傷は
聖書の薔薇。そして私の手は二羽の鳩で
交差しつつ空に浮かび、地を運ぶ
私は歩かず、空を飛び、別のものになる
変容する。場所もなく、時もない。私は誰なのだろう?
私は何ものでもなく上昇する存在である。しかし、私は
一人こう思う。一人、預言者のムハマドは
古いアラビア語で、そしてそれからどうなる?
それからどうなる? 一人の女の兵士が叫んだのだ
またそうするの? 私があなたを殺せないとでも?
私は言った。あなたは私を殺した、もう忘れよう、あなたのように、死ぬことを
国立能楽堂へ狂言・和泉流「岩橋」と能・金剛流「雪」を見に行きました。
狂言を見るたびに、これは落語のルーツかと思ってしまう。「岩橋」でも、落語の与太郎みたいな無粋ものの夫が出てきて和歌が覚えられなく、やっと覚えて、新婚の妻に詠むと、という話。
能の「雪」についてはプログラムから「あらすじ」を引用したい。
諸国一見の旅僧が摂津国(現在の大阪府)の天王寺を訪れる途中、野田の里に通りかかると、突然大雪が降り始めます。晴れるのを待っていると、雪中から美しい女人が現れ、己の迷いを晴らしてほしいと僧に頼みます。
女人の正体は雪の精でした。雪の精は月光の下でたおやかな舞を舞い、夜明けとともに姿を消します。
美しいのう。美しい日本人の死生観、自然観だと思う。劇と舞い、音曲がすべておしまいになり、何もかも去り、鏡板の松の絵のみ残されております。余情、余韻。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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