えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

オープンマイクに歌いに行って、ちかごろいつも思い出す二つの言葉です。
「一期一会」
一期一会とは、一生に一度だけ出会うこと。一生に一度の貴重な出会い。
安土桃山時代、茶人の千利休の弟子である山上宗二が言った「一期に一度の会」という言葉に基づく。
本来は茶道の心得から出た言葉であり、その日の茶会での出会いは一生に一度しかないのだから、それを大切にして誠実な心で人と接するべきだということ。
「一期」は、仏教用語で生まれてから死ぬまでという意味。
「一会」は、主に法要などで一つの集まりや会合のことをいう。
「袖振り合うも多生の縁」
知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁であるということ。
人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えに基づく。
「多生」とは、六道を輪廻して何度も生まれ変わるという意味。
「多生の縁」は、前世で結ばれた因縁のこと。
オープンマイクが好きです。
貴重な出会いをぼくにもってきてくれるライブ・ハウスやライブ・バー、主催してくれる人、カウンターの向こうのおいしい料理を作ったり、お酒を出してくれり人たち、歌ったりのパフォーマーの人たち、見に来てくれている人たちにありがとう。


会社員というのも大変な仕事だけど、昔、上司と呑んでいて、こんなことを言われたこともある。
「いろいろ大変なこともあるだろうけれども、おれは部下のみんなが気持ちよく働けるようにしてあげることが一番の仕事だと思っているよ」
別の上司から呑んでいていてこんなことを聞いたこともある。
「おれはもう年だからよ、働くなら、楽しく働きたいだけなんだよな、楽しくよー」
なるほど。
「いろいろ大変なこともあるだろうけれども、おれは部下のみんなが気持ちよく働けるようにしてあげることが一番の仕事だと思っているよ」
別の上司から呑んでいていてこんなことを聞いたこともある。
「おれはもう年だからよ、働くなら、楽しく働きたいだけなんだよな、楽しくよー」
なるほど。


8月11日、山の日ぐらいから、風邪か何かで調子悪い。ほっておけば治るさと思っていたのも悪かった。症状はひどくなり、喉が痛くなり食事も受け付けないほどに。
医者に行くべきだと考え、さて、今はお盆休みかもしれないと、行きつけの町医者のホームページを調べると、やはり休みだった。
近頃、最寄りの駅近くにできたクリニックのホームページを調べると、夏休みも取らずに開業していているではないか。ふらふらと熱のある体を動かし、その新しいできだはわかりのクリニックに行く。若い医師がおり、解熱鎮痛剤と咳止めと抗生物質を処方され、一週間後、熱も下がり、顔にできた吹き出物のようなものも薄くなっていたのだが、まだ喉に痛みを感じるので、また駅近くのクリニックに再び行き、症状を話す。医師は別の薬をぼくに処方したのたが、そこからが恐ろしい経験であった。
新しく処方された薬を飲み始めると、痰と唾液がどしゃ降りの雨のごとく出てきて、一時間に一回は吐いてしまい、何度もうがいせずにはいられず、布団と洗面所の間を行ったり来たり、食事もまったく喉を通らなくなり、二晩ぐらい眠れなかった。
もしかして、とぼくは思い、薬を飲むのを控えると、少しは症状は収まる。三度、駅近くのクリニックへ訪問し、あらましを伝える。ぼくの話を聞いた医師は、痰が出るのはいいことですよ、などと言う。薬には当たり外れがあるからとも言われ、そんあものなのか、と思う。更には、薬の処方には段階があるだの、薬を試して合う薬に当たるだの、次は漢方で行ってみるかなどと言う。ぼくは、いろいろ試してください、とか、次は漢方で行ってみてください、などとは言えないのだよ、と心の中で思った。
数日して、ぼくはそのクリニックの診察券をゴミ箱に捨てた。駅近くのそのクリニックの前を通ると、そこが病院とは絶対に思えななくなっていたのだ。
医療に携わる皆さま、江戸時代の本草学者、儒学者、貝原益軒の『養生訓』にあるこんな言葉があるのを知っているかい? 知らなければ知っていた方がいいよ。忘れていたなら、思い出した方がいい。
「医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし。わが身の利養を専ら志すべからず。天地のうみそだて給える人をすくいたすけ、萬民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命という、きわめて大事の職分なり」
「醫は仁術なり。人を救ふを以て志とすべし」
(一カ月で7キロ痩せて、今年の夏はビールもほとんど飲まなかった)
医者に行くべきだと考え、さて、今はお盆休みかもしれないと、行きつけの町医者のホームページを調べると、やはり休みだった。
近頃、最寄りの駅近くにできたクリニックのホームページを調べると、夏休みも取らずに開業していているではないか。ふらふらと熱のある体を動かし、その新しいできだはわかりのクリニックに行く。若い医師がおり、解熱鎮痛剤と咳止めと抗生物質を処方され、一週間後、熱も下がり、顔にできた吹き出物のようなものも薄くなっていたのだが、まだ喉に痛みを感じるので、また駅近くのクリニックに再び行き、症状を話す。医師は別の薬をぼくに処方したのたが、そこからが恐ろしい経験であった。
新しく処方された薬を飲み始めると、痰と唾液がどしゃ降りの雨のごとく出てきて、一時間に一回は吐いてしまい、何度もうがいせずにはいられず、布団と洗面所の間を行ったり来たり、食事もまったく喉を通らなくなり、二晩ぐらい眠れなかった。
もしかして、とぼくは思い、薬を飲むのを控えると、少しは症状は収まる。三度、駅近くのクリニックへ訪問し、あらましを伝える。ぼくの話を聞いた医師は、痰が出るのはいいことですよ、などと言う。薬には当たり外れがあるからとも言われ、そんあものなのか、と思う。更には、薬の処方には段階があるだの、薬を試して合う薬に当たるだの、次は漢方で行ってみるかなどと言う。ぼくは、いろいろ試してください、とか、次は漢方で行ってみてください、などとは言えないのだよ、と心の中で思った。
数日して、ぼくはそのクリニックの診察券をゴミ箱に捨てた。駅近くのそのクリニックの前を通ると、そこが病院とは絶対に思えななくなっていたのだ。
医療に携わる皆さま、江戸時代の本草学者、儒学者、貝原益軒の『養生訓』にあるこんな言葉があるのを知っているかい? 知らなければ知っていた方がいいよ。忘れていたなら、思い出した方がいい。
「医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし。わが身の利養を専ら志すべからず。天地のうみそだて給える人をすくいたすけ、萬民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命という、きわめて大事の職分なり」
「醫は仁術なり。人を救ふを以て志とすべし」
(一カ月で7キロ痩せて、今年の夏はビールもほとんど飲まなかった)


職場でのささやかな納会。共通の話題のない二人は人の悪口になる。
相手「○○さんって居眠りしているんですよ」
おれ「おれも昼ごはんの後、もうれつに眠くなって、たまに眠ってしまっているよ」
相手「○○さんってキーボード打つ時、ブラインドタッチできないんですよ」
おれ「おれもブラインドタッチできないんだよな」
困ったもんです。
相手「○○さんって居眠りしているんですよ」
おれ「おれも昼ごはんの後、もうれつに眠くなって、たまに眠ってしまっているよ」
相手「○○さんってキーボード打つ時、ブラインドタッチできないんですよ」
おれ「おれもブラインドタッチできないんだよな」
困ったもんです。


小田急相模原のドラゴンフライが大晦日の前の日の十二月三十日に店じまいするそうです。なんだかとても寂しい。
ここ数年、大晦日の夜はこのお店で過ごし、年が明けるころ店をあとにし、大山寺と阿夫利神社に初詣をすることを習わしとしていた。
こんな思い出もある。まだ、このバーがドラゴンフライではなくスクール・オブ・ロックだったころの大晦日の夜、ここでお酒を飲んでいた。数人いた常連客が年が明けるのに近づくにつれ、一人帰り、二人帰りしていく。除夜の鐘が聞こええ来て、年が明けるか明けないかのそのころバーにいるのはお客さんのぼくとマスターの龍史さんのみとなった。すると、見知らぬおじいさんがそこに入ってきたのです。バーボンをちびりちびりやりながら、おじいさんはこんな身の上話をし始めた。
「戦争のころはよ、おれは兵役から逃げ回っていたんだよ。軍隊に入って殴られたりするのが嫌でよ。ずっと逃げ回っていたんだよ。
友だちはどんどん兵役にとられて死んでいったよ。特攻隊に入ったやつもいたな。それで死んでいったよ。
楽しかったのは戦争が終わっての数年間かな。おれはすごく英語がうまかったんだよ。それで米軍に通訳で雇われて、こんな国と戦争していたのかと思ったよ。かなわないと思ったね。
今、やりたいことは特攻隊になって死ぬことだね。いまごろになって、おれは特攻隊になってお国のために死にたいよ」
そのおじいさんとぼくと龍史さんの三人でお店で流していたラジオで年が明けたのが告げられたのを聞いた。三人で明けましておめでとうと声をかけあった。おじいさんは二宮神社で初詣してから帰ろうかなと言って、スクール・オブ・ロックを出て行った。
戦争で得られる教訓ってあるのかな?
戦争はだめ! 絶対にだめ!
ここ数年、大晦日の夜はこのお店で過ごし、年が明けるころ店をあとにし、大山寺と阿夫利神社に初詣をすることを習わしとしていた。
こんな思い出もある。まだ、このバーがドラゴンフライではなくスクール・オブ・ロックだったころの大晦日の夜、ここでお酒を飲んでいた。数人いた常連客が年が明けるのに近づくにつれ、一人帰り、二人帰りしていく。除夜の鐘が聞こええ来て、年が明けるか明けないかのそのころバーにいるのはお客さんのぼくとマスターの龍史さんのみとなった。すると、見知らぬおじいさんがそこに入ってきたのです。バーボンをちびりちびりやりながら、おじいさんはこんな身の上話をし始めた。
「戦争のころはよ、おれは兵役から逃げ回っていたんだよ。軍隊に入って殴られたりするのが嫌でよ。ずっと逃げ回っていたんだよ。
友だちはどんどん兵役にとられて死んでいったよ。特攻隊に入ったやつもいたな。それで死んでいったよ。
楽しかったのは戦争が終わっての数年間かな。おれはすごく英語がうまかったんだよ。それで米軍に通訳で雇われて、こんな国と戦争していたのかと思ったよ。かなわないと思ったね。
今、やりたいことは特攻隊になって死ぬことだね。いまごろになって、おれは特攻隊になってお国のために死にたいよ」
そのおじいさんとぼくと龍史さんの三人でお店で流していたラジオで年が明けたのが告げられたのを聞いた。三人で明けましておめでとうと声をかけあった。おじいさんは二宮神社で初詣してから帰ろうかなと言って、スクール・オブ・ロックを出て行った。
戦争で得られる教訓ってあるのかな?
戦争はだめ! 絶対にだめ!


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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