えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

ころんで足をねんざし、歩くのもままならなくなってしまった。ころんで、こんなになるのなんて、自分がよいよいのおじいさんみたいだ。
病院の待合室にすわり、スマホにイヤホンで細野晴臣さんのFM放送「Daisy Holiday」を聞いていると、高橋幸宏さんがゲストでおしゃべりをして、幸弘さんは近ごろ、転んで顔を打ち、四針も縫う大怪我をしたそうだ。細野さんもよく転んだりするそうだ。好々爺のお二人は、年には勝てるわけないよ、とおっしゃり、ラジオを聴きながら、ぼくもうなずいてしまう。
ちなみに、幸弘さんのガンは良くも悪くもなっていないそうで、悪くなっていないってことは、普通ってことで、いいことだよ、と細野さんはさりげなく励ましておられました。細野さん、いい人。
調剤薬局で処方された貼り薬をもらう時、薬剤師の女の人から、どうなされましたか、と聞かれ、ぼくは、ころんでしまって、足をねじりました、と答える。薬剤師さんは、加齢もありますね、おっしゃっておられました。またしても、ぼくはうなずくしかありません。
心は自由になっていって、老いていく自分が少し楽しみに思います。
病院の待合室にすわり、スマホにイヤホンで細野晴臣さんのFM放送「Daisy Holiday」を聞いていると、高橋幸宏さんがゲストでおしゃべりをして、幸弘さんは近ごろ、転んで顔を打ち、四針も縫う大怪我をしたそうだ。細野さんもよく転んだりするそうだ。好々爺のお二人は、年には勝てるわけないよ、とおっしゃり、ラジオを聴きながら、ぼくもうなずいてしまう。
ちなみに、幸弘さんのガンは良くも悪くもなっていないそうで、悪くなっていないってことは、普通ってことで、いいことだよ、と細野さんはさりげなく励ましておられました。細野さん、いい人。
調剤薬局で処方された貼り薬をもらう時、薬剤師の女の人から、どうなされましたか、と聞かれ、ぼくは、ころんでしまって、足をねじりました、と答える。薬剤師さんは、加齢もありますね、おっしゃっておられました。またしても、ぼくはうなずくしかありません。
心は自由になっていって、老いていく自分が少し楽しみに思います。


さて、人は人に恋愛ということをすることがあって、うまくいくことも、うまくいかないこともございますな。うまくいった時はいいのだが、うまくいかなかった時は、ふられた人はふった人をあれこれと恨みがましく悪口のようなことを言ったり、小説ならば文を書いたり、シンガーならば歌を歌ったりするものです。そんなところに出くわすと、ぼくもそうようであったらしいはるか昔に友だちに言われた一言ことを思い出すのです。
「おまえはただたんに振られただけだよ」
恋愛の果てに失恋病にかかって人の悪口とかそのようなことを言ってしまう時には、ぼくはオーティス・レディングのファースト・アルバムを聴くことにしておりますよ。オーティスの歌は失恋病と診断されてドクターから処方箋を書いてもらって出される薬のような音楽でもあるのです。お腹が痛い時は正露丸、胸が痛い時はオーティスのソウル・バラード。涙が癒してくれる…
「おまえはただたんに振られただけだよ」
恋愛の果てに失恋病にかかって人の悪口とかそのようなことを言ってしまう時には、ぼくはオーティス・レディングのファースト・アルバムを聴くことにしておりますよ。オーティスの歌は失恋病と診断されてドクターから処方箋を書いてもらって出される薬のような音楽でもあるのです。お腹が痛い時は正露丸、胸が痛い時はオーティスのソウル・バラード。涙が癒してくれる…
Otis Redding - Pain in My Heart - Vintage Music Songs




秦野のひまわりヨガ道場で出会ったまーちゃん。楽しい思い出ばかりをぼくに残してくれました。舞踏や音楽、いろいろな芸術について造詣の深い人でもありました。
ある時、フランク・ザッパの演奏するラヴェルの「ボレロ」をかけながら、これ最高、とまーちゃんはぼくに教えてくれました。この「ボレロ」の音楽に合わせて、ゆうゆう大股で歩きながら、振り返りもせずに、片手をおげて、またな、と挨拶をし、笑顔で青空にかけられた階段を天まで登ってゆくまーちゃんを、昨日、ぼくは見たような気もするのです。
ある時、フランク・ザッパの演奏するラヴェルの「ボレロ」をかけながら、これ最高、とまーちゃんはぼくに教えてくれました。この「ボレロ」の音楽に合わせて、ゆうゆう大股で歩きながら、振り返りもせずに、片手をおげて、またな、と挨拶をし、笑顔で青空にかけられた階段を天まで登ってゆくまーちゃんを、昨日、ぼくは見たような気もするのです。


最近、新聞やらテレビで見るに新型コロナウィルスの感染者が増えています。すでにあの頃の2倍です。前の春に緊急事態宣言が出されたころ、ぼくはたいして自粛もせず、けれども人ごみは避けていました。あのころとは大きく異なり、世間には自粛ムードはあのころほどには、あまりありませんが、ぼくは、極端に走らずとも、自分の危険を感じるのをまず信じて、自分の判断で、右へならへをせずに、ある種の人ごみは避けた方がいいのかな、と思っています。ひ弱い自分のため、身近な人のため、新型コロナウィルスの感染者を受け入れて、日々奮闘している、医師や看護師の方々のためなのです。
伊丹十三の父であった戦前の映画監督、伊丹万作の「戦争責任者の問題」をなんとなく思い出し、読み返してみたところです。平易に書かれていながら、今でもこの伊丹万作の「戦争責任者の問題」は有効で、考えてしまいます。
伊丹万作 戦争責任者の問題 - 青空文庫
日本の季節はめぐるもので、そのうち春になるさ。
伊丹十三の父であった戦前の映画監督、伊丹万作の「戦争責任者の問題」をなんとなく思い出し、読み返してみたところです。平易に書かれていながら、今でもこの伊丹万作の「戦争責任者の問題」は有効で、考えてしまいます。
伊丹万作 戦争責任者の問題 - 青空文庫
日本の季節はめぐるもので、そのうち春になるさ。




神社仏閣巡りが好きで、この前、上野の東叡山寛永寺に行きました。御朱印をいただくのですが、その時、御朱印帳に「天台ブックレット」という小さな冊子も差し挟まれていました。その「天台ブックレット」をつらつら読んでいて、阿純章さんの書いた「ふぞろいの野菜たち」に共感を覚えました。その文を読むと、野菜の種にはF1種と固定種というのがあるらしく、今、スーパーなどで売られている野菜や果物のほとんんどが一代限りしか育たないF1種からの植物で、その形はほとんど同じに揃っていて、見た目の品質はほとんど均質なのだそう。それに対して、固定種から育てられた植物は見た目の多様性の富んでいて、味は濃い。京野菜や鎌倉野菜ってそうなのかな? おいしいですよね。土地土地で自家採取で代々育てられ、土地土地の土になじみ、そろっていないけれど、おいしい野菜や果物となっていく。むしろ均質でないふぞろいの方が自然のありようで、人も型にはまらなくい方が、あたりまえのまっとうな有り様ではなかろうかと阿純章さんは書いており、天の法則として、良寛さんの詩を引用しています。
花、無心にして蝶を招き
蝶、無心にして花を尋ね
花、開くとき、蝶来り
蝶、来るとき、花開く
吾れも亦人を知らず
人も亦吾を知らず
知らずして帝の則に従う
花は咲くときに咲く、蝶は舞うときに舞う、人は人でただ生きる、そこに何が美しいとか誰が凄いということはなく、それぞれがそれぞれにただ生きて、知らぬままに天の法則にしたがって調和して生きている、ということだそう。
ふぞろいの野菜たち、万歳!


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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