えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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リタイアしたら、どう過ごそうかと、近ごろはよく考えます。したいこと。最近、始めたフライフィッシング。合気道をもっと極めたい。寄席通い。そして、旅をして、いろんなところのライブバーで弾いて、歌いたい。旅は急がず、列車でも車でもいいさ。好きなこと、楽しいことばかりで、過ぎていったら、どんなに素敵でしょう。苦あれば楽ありじゃないんだよ。楽、楽、楽!

昔、リオデジャネイロにカルトーラというサンビスタがいた。ブラジル最古のサンバ学校の作詞・作曲家であったのだが、ささいなことで、そこから離れ、流浪するような人生を歩いていた。(サンバ学校とは"Escola de samba"のことで、阿波踊りの連のようなものです。)左官をして糊口をしのぐ。レコードデビューしたのが六十歳を過ぎてからのこと。ブラジルにサンバ・リバイバル・ブームを巻き起こし、大人気に。レコードは売れに売れ、テレビにも出演し、一気に国民的歌手となり、時の大統領の会食にも呼ばれた。身寄りのないたくさんの子どもを引き取り、愛妻のジカとともに育てた。カルトーラ自身、大逆転の信じられないような素晴らしい人生だった、と述懐する。

そして、ぼくはたび重なる不運から返り咲いた、遅れてやってきたロックンローラー、ロイ・オービソンのことも思い出し、名曲「ブルー・バイユー」を口ずさむ。これは静かなる楽園の歌。

さて、終わりは始まり。おいらはどうしよう? 楽しいことしかやらないさ。もちろん、楽、楽、楽!



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また、うらたんざわ渓流釣場に行ってきた。三匹、釣れました。始めたばかりのフライフィッシングはキャッチ・アンド・リリースをむねとしているのだが、今日、釣れた一匹は、釣り針を深くまで飲み込んでいて、なんとか針をはずそうとして弱ってしまった。このまま放しても川のモクズとなりそうで切なくて、使うはずのない、けれど、買っておいたビクにいれて、家に持ち帰って、食べることにした。鱒の塩焼きはおいしい。

ぼくは日本人が食事の前に言う「いただきます」を思い出していた。「いただきます」は「いのちをいただきます」の「いただきます」だそう。時々、このことは思い出したほうがいいのさ。

もう、かなり昔のこと、井の頭公園で、友だちで集まって、焚火を燃やして、ビールやワインや食べ物をもちよってパーティーみたいなことをしたことがあった。あのころは牧歌的な時代でもあったことよ。今じゃおまわりさんがくるよね。焚火の炎って見ていて、ぜんぜん飽きないね、とみんなで同意する。そこにNON BANDのドラマーのタマガキくんもいた。誰かが焼き鳥を持ってきていた。ぼくはタマガキくんに、タマガキくんはベジタリアンとかにならないの、などと訊いた。その答えにタマガキくんは、生きものを殺して食うことはいいことだ、と言った。いただきますと言って、焼き鳥をガブリ。あの日の焚火はいつまでもおぼえているよ。

いただきます
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ころんで足をねんざし、歩くのもままならなくなってしまった。ころんで、こんなになるのなんて、自分がよいよいのおじいさんみたいだ。

病院の待合室にすわり、スマホにイヤホンで細野晴臣さんのFM放送「Daisy Holiday」を聞いていると、高橋幸宏さんがゲストでおしゃべりをして、幸弘さんは近ごろ、転んで顔を打ち、四針も縫う大怪我をしたそうだ。細野さんもよく転んだりするそうだ。好々爺のお二人は、年には勝てるわけないよ、とおっしゃり、ラジオを聴きながら、ぼくもうなずいてしまう。

ちなみに、幸弘さんのガンは良くも悪くもなっていないそうで、悪くなっていないってことは、普通ってことで、いいことだよ、と細野さんはさりげなく励ましておられました。細野さん、いい人。

調剤薬局で処方された貼り薬をもらう時、薬剤師の女の人から、どうなされましたか、と聞かれ、ぼくは、ころんでしまって、足をねじりました、と答える。薬剤師さんは、加齢もありますね、おっしゃっておられました。またしても、ぼくはうなずくしかありません。

心は自由になっていって、老いていく自分が少し楽しみに思います。
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さて、人は人に恋愛ということをすることがあって、うまくいくことも、うまくいかないこともございますな。うまくいった時はいいのだが、うまくいかなかった時は、ふられた人はふった人をあれこれと恨みがましく悪口のようなことを言ったり、小説ならば文を書いたり、シンガーならば歌を歌ったりするものです。そんなところに出くわすと、ぼくもそうようであったらしいはるか昔に友だちに言われた一言ことを思い出すのです。

「おまえはただたんに振られただけだよ」

恋愛の果てに失恋病にかかって人の悪口とかそのようなことを言ってしまう時には、ぼくはオーティス・レディングのファースト・アルバムを聴くことにしておりますよ。オーティスの歌は失恋病と診断されてドクターから処方箋を書いてもらって出される薬のような音楽でもあるのです。お腹が痛い時は正露丸、胸が痛い時はオーティスのソウル・バラード。涙が癒してくれる…

Otis Redding - Pain in My Heart - Vintage Music Songs






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毎年、同じところに初詣に行きます。こういうことはあまり変わらない方がいいような気もします。どこかというと、大沼神社、大山寺、阿夫利神社の二社一寺で、大沼神社は氏神様、大山寺と阿夫利神社は関東随一の修験道の古くからの聖地のであった大山にあらせられます。


とてもいい天気で気持ちがよかった。

あけましておめでとうございます

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秦野のひまわりヨガ道場で出会ったまーちゃん。楽しい思い出ばかりをぼくに残してくれました。舞踏や音楽、いろいろな芸術について造詣の深い人でもありました。

ある時、フランク・ザッパの演奏するラヴェルの「ボレロ」をかけながら、これ最高、とまーちゃんはぼくに教えてくれました。この「ボレロ」の音楽に合わせて、ゆうゆう大股で歩きながら、振り返りもせずに、片手をおげて、またな、と挨拶をし、笑顔で青空にかけられた階段を天まで登ってゆくまーちゃんを、昨日、ぼくは見たような気もするのです。

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最近、新聞やらテレビで見るに新型コロナウィルスの感染者が増えています。すでにあの頃の2倍です。前の春に緊急事態宣言が出されたころ、ぼくはたいして自粛もせず、けれども人ごみは避けていました。あのころとは大きく異なり、世間には自粛ムードはあのころほどには、あまりありませんが、ぼくは、極端に走らずとも、自分の危険を感じるのをまず信じて、自分の判断で、右へならへをせずに、ある種の人ごみは避けた方がいいのかな、と思っています。ひ弱い自分のため、身近な人のため、新型コロナウィルスの感染者を受け入れて、日々奮闘している、医師や看護師の方々のためなのです。

伊丹十三の父であった戦前の映画監督、伊丹万作の「戦争責任者の問題」をなんとなく思い出し、読み返してみたところです。平易に書かれていながら、今でもこの伊丹万作の「戦争責任者の問題」は有効で、考えてしまいます。

伊丹万作 戦争責任者の問題 - 青空文庫

日本の季節はめぐるもので、そのうち春になるさ。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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