えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

entry_top_w.png
COVID-19ウィルス禍の中、高齢の母と暮らしていることもあり、自分自身も一生つきあっていかなくてはいけない病持ちでもあり、もともとがちゃがちゃしたところを好む方でもなく、いつのまにかごみごみした人混みは避けたい、行きたくないなどと思ってしまいます。毎日の通勤列車が苦痛なのはあたりまえで、けれども、なじみの小さな店がなくなるのは、とても、とてもさみしい。

夏目漱石は「自己本位」と説き、「則天去私」を理想としておりました。相反するこの二つがいつか両立するような時がくるような気もしてきたこのごろではあるのです。

日本政府はウィルス禍に10万円とも20万円とも30万円ともいわれる額のお金を国民に配布するというニュースを聞いて、みんなに同額に配れという意見もたくさん見ますが、そうだろうか? もともと薄給だけれど、何も収入など減っていないぼくは、本当に困っている人に集中的に援助すべきだとも思うのですが。

右派のイギリス首相のボリス・ジョンソンは、このウィルス禍の下での演説の中で、本当に社会というのはあると気づいたと言ったとか。その社会というのはSocialの社会で、社会主義のSocialismの社会なのです。新自由主義には、おさらばですよ。ボリス・ジョンソンの尊敬する政治家は、ぼくが歴史上の政治家の中でとても偉大だと一目置く嫌われ者だったウィンストン・チャーチルだとか。日本の首相は古い使い物にならない腐った軍国主義を夢見る安倍晋三で、昔の悪夢の再来のようで、歴史は繰り返しているかのよう。

「自己本位」と「則天去私」が頭をかけめぐり、早く嵐が過ぎ去るのを祈っています。

Let's survive!

とりとめもなくなりましたが、みなさま、手洗いはこまめに行いましょう。
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png

20年以上も乗った車を買い換えました。ニッサン・サニーからニッサン・ノート・ニスモ・Sに。父が日産にずっと勤めていたので、やっぱりニッサンなのです。天井の塗装は劣化しつつあったのだけれど、ステレオのスピーカーから音が出にくくなる以外は、まったく故障はありませんでした。あー、技術の日産。

クラッチのマニュアル車に乗り続けて、しまいには、ぼくとサニーは人馬一体ならぬ人車一体のようであったけれど、ぼくはいつのまにやら、アーサー・ケストラーの「機械の中の幽霊」やらフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」をまったく信じてしまっていて、どこか、この乗り換えが寂しくもあるのです。ふと夢みたいなことを思い浮かべます。サニーの幽霊がノートに転生し、ぼくに、やっぱ、えいちゃんとドライブしたくてここに来ちゃったよ、というのを。十分ありえることですぞ。

ゆめゆめうたがふことなかれ

(来週の土曜日、日曜日にはノートで山梨の山奥までドライブしにいくんだ。ノートの話はその後にでも。で、このピクチャーはサニーなのです。)
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png
土曜日の3月28日は相模大野のアコパで、日曜日の3月29日は小田急相模原のエルトピートで歌っています。アコパは夜の6時に開演でエルトピートは夕方4時に開演です。

自粛要請が政府や自治体から出されていて、少しは考えてしまいますが、自分の心の声に従い、出かけて歌うことにしました。アコパもエルトピートもそれほど混みあわなく、毎日乗っている通勤電車の方がよほど危ないような気がします。平日、遠い会社に電車に乗って惰性でお金のために労働するよりも、土曜日や日曜日に近くに歌いに出かける方がぼくにとって大切で切実なことと思えるこのごろです。

政府はこの時期、和牛の商品券を配ると報道されていますが、それは和牛の生産農家がこの前に結ばれた日米貿易協定の関税引き下げによって打撃を受けているからではないでしょうか? 政府による本質かくしの愚かな政治がつづきます。

みなさま、どうかご自愛くださいませ。
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png
左足のふくらがぎの肉離れで合氣道の道場に行けていません。来週こそは復活するぞの願いを託し、この英語のナレーションの合氣道のムービーを紹介いたします。

Koichi Tohei - Principios conceptuales fundamentales y Curso elemental

去年の道場の忘年会でぼくがうっかり「試合」という言葉を口にしてしまい、道場のみんなに、合氣道には「試合」はない、「演武」があるのみ、と諭されました。そう、勝ち負けもない、相手を尊ぶ、なんという武道の美しさよ。
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png
この前、段差のあるところでつまずいて、左足の親指から思いっきりぶつけて、ころんで、足の指は何てことないのだけど、左足のふくらはぎが歩けないほど痛い。近所の整形外科医の町医者、クリニックに行くと肉離れと診断されて、その時、ベテランの医師に触診された。つーっとふくらはぎを指で触っていくと、この変で切れてるねー、断裂まではしていないけれど、肉離れかなというのです。神の指です。百戦錬磨のその道の達人かととても感心しました。

安静にして動かさないことが一番とのことで、家でエラとルイのバラッドを聞きながら、たまに読みかけの本を読みつつ、寝ています。そのうち痛くなんくなるだろう。あー、“Ella and Louis”、これ最高! おやすみZZZzzz.....

Ella Fitzgerald and Louis Armstrong - Ella and Louis
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png
雨宮処凛さんの対談本「この国の不寛容の果てに」を読んでいて、熊谷晋一朗さんがこんなことをおっしゃっておりました。

「「障害者にも生産性がある」という言い方では、優生思想の枠組みの中でしか反論できていないことになるので。年商1億円はもちろん事実なのですけれど、べてるの家が大事にしているのはそこではないでしょう。彼らの働き方を見ていて私が思い出すのは、政治哲学者ハンナ・アーレントが言った、労働・仕事・活動の三類型なんですね。アーレントは、人間の活動には三つあって、労働(Lavor)、仕事(Work)、活動(Action)だと。そのうち労働(Lavor)は、衣食住を満たすためにために不可欠な、ある意味で仕方なくする作業のことで、基本的には動物もしていることです。対して仕事(Work)は、それまでに存在していない作品を生み出して後世に残し、人間の文化に何かを付け加えること。そして、活動(Action)は、政治的なコミュニケーションです。人と人が集まって自分に見える世界を表現しあい、共有された現実をつくりだすこと。アーレントは、この「仕事」と「活動」こそが人間の人間たる条件だと言ったのです」

この次に本では、精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点「べてるの家」で何が本当に大事にされていて、それがいかに画期的かを論じられているのだが、みなさまにはそれはこのすばらしい本で読んでいただきたく伏せておきます。

ぼくもこれからは、生産性がないといわれようとも、労働は少しづつ減らし、仕事や活動を充実させていく道を選ぶぞ。まずは自分のために書いておきます。

ハンナ・アーレントの「エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告」はいつか読みたい。





entry_bottom_w.png
entry_top_w.png

めずらしく破顔一笑しているあちきですが、手の位置とギターの位置が不思議にずれている。どいうことなんだろう? 誰か、光学的に説明してくれんだろうか?
entry_bottom_w.png
<< 前のページ   HOME   次のページ >>
[2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11]  [12
plugin_top_w.png
カレンダー
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 5
6 8 9 10 12
13 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
えいちゃんのお奨め

ライブのお知らせ

ぼくのTwitter

plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
最新コメント
[05/19 Pg Soft]
[05/04 ペコ]
[12/23 ロンサム・スー]
[07/27 gmail account]
[08/29 えいちゃん]
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
ブログ内検索
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
最新トラックバック
plugin_bottom_w.png
Copyright えいちゃん(さかい きよたか) by えいちゃん All Rights Reserved.
Template by テンプレート@忍者ブログ