えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
2011年3月11日から5年が過ぎました。ふと過去の震災の時の自分のブログを見てみた。昔から、なにかとあれこれブログには書いているのだけど、2011年3月11日から2011年3月19日までの間、あれほど大きなことであったのに何も発信していなかった。どうしていたのだろうか。ぼくは、多分、意識せずに心の中で喪に服していたのかもしれない。それで、その震災直後、ある歌が、夢だか白日夢からか自然に生まれもした。めったに歌わないその歌を、1日過ぎているのだけど、今夜のアコパでは歌おうかな、と思います。よろしければ、聞きに来てくださいな。
http://kysakai.lovemebaby.net/nk-20160312.html
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この前、万象房で出会った森山邦男和尚のお寺、簗田寺に、友だちの誘いもあり、座禅をしに行きました。
むずかしいことはさしおいて、はじめての座禅でのざっくばらんな感想です。板の棒で肩を叩かれる警策ですが、痛いような、痛くないような、やっぱ痛いのです。けれど、和尚は寸止めしているのでしょう。あの板で全力で振り下ろせば、肩の骨が肉がひどく傷つくか、板が折れるか、そのどれもでしょう。その打たれた時は全身と心のすべてがビクンとなります。そのビクンの一瞬が大事なのかなと思いました。座禅している時、ぼくの意識にありとあらゆることが去来します。そのありとあらゆることは、もしかして、婦女子のことばかりかと思いましたが、それもありましたが、そんなことばかりではなかったのです。例えば、どこで、警策を求めればいいのかな、鳥の声が聞こえてのどかだな、いつこの座禅は終わりになるんだろ、今日はいい天気だな、隣の人のおなかの鳴る音が聞こえたぞ、もういろんな小さなことが次から次へと泡粒のように浮かんでは消えていきます。ぼくは悟りを得ようとも思わず、必死ににもなっていないので、自分の心をなすがままにしておきましたが、足がしびれて痛くなるのは、けっこうまいりました。それから、嫌いな人のことが思い浮かばなかったのは不思議によかったです。御仏の御功徳でしょうか。感謝、感謝で、ありがたいです。
座禅の後、トイレ掃除をしました。この時の方が頭がからっぽになりました。おっ、雑巾でみがくときれいになるぞ、もっとみがいてやれとか。
それから、歩き方ひとつにしても作法があり、ご説明をいただいてもなかなか動作として身についたものとして動けません。そんな自分がいかにもお落ち着きのないお猿のような人にも思えました。
僭越ながらも、ぼくは、座禅のようなことが、精神を落ちつけるためのプラクティスとかテクニックのようにとらえるような考え方には疑問があります。生きとし生きるもの救うために、座るというようなことがなくては、とも思うのです。ほんのちょっぴりだけ、そんなことにも思いをめぐらし座りました。
それから、座禅の美しい女の人はほんとうにすべて美しいのではないか、などと想像してしまいました。すると、和尚の分別をいましめる「喝」の一言とともにぼくの肩に警策が打たれそうでありますな。
むずかしいことはさしおいて、はじめての座禅でのざっくばらんな感想です。板の棒で肩を叩かれる警策ですが、痛いような、痛くないような、やっぱ痛いのです。けれど、和尚は寸止めしているのでしょう。あの板で全力で振り下ろせば、肩の骨が肉がひどく傷つくか、板が折れるか、そのどれもでしょう。その打たれた時は全身と心のすべてがビクンとなります。そのビクンの一瞬が大事なのかなと思いました。座禅している時、ぼくの意識にありとあらゆることが去来します。そのありとあらゆることは、もしかして、婦女子のことばかりかと思いましたが、それもありましたが、そんなことばかりではなかったのです。例えば、どこで、警策を求めればいいのかな、鳥の声が聞こえてのどかだな、いつこの座禅は終わりになるんだろ、今日はいい天気だな、隣の人のおなかの鳴る音が聞こえたぞ、もういろんな小さなことが次から次へと泡粒のように浮かんでは消えていきます。ぼくは悟りを得ようとも思わず、必死ににもなっていないので、自分の心をなすがままにしておきましたが、足がしびれて痛くなるのは、けっこうまいりました。それから、嫌いな人のことが思い浮かばなかったのは不思議によかったです。御仏の御功徳でしょうか。感謝、感謝で、ありがたいです。
座禅の後、トイレ掃除をしました。この時の方が頭がからっぽになりました。おっ、雑巾でみがくときれいになるぞ、もっとみがいてやれとか。
それから、歩き方ひとつにしても作法があり、ご説明をいただいてもなかなか動作として身についたものとして動けません。そんな自分がいかにもお落ち着きのないお猿のような人にも思えました。
僭越ながらも、ぼくは、座禅のようなことが、精神を落ちつけるためのプラクティスとかテクニックのようにとらえるような考え方には疑問があります。生きとし生きるもの救うために、座るというようなことがなくては、とも思うのです。ほんのちょっぴりだけ、そんなことにも思いをめぐらし座りました。
それから、座禅の美しい女の人はほんとうにすべて美しいのではないか、などと想像してしまいました。すると、和尚の分別をいましめる「喝」の一言とともにぼくの肩に警策が打たれそうでありますな。
平塚の前鳥神社に詣で、お参りをし、願いごとをし、御神籤をひきました。ここは「前鳥神社」とかいて「さきとりじんじゃ」と読みますが、こんな言葉をいただけたのです。神さまにも励まされ、がんばります。
「第二十番 御神籤
いそしみし
しるしはみえて
ゆたかにも
黄金(こがね)なみよる
小山田(おやまだ)のさと
運勢 大吉」
ゆめゆめうたがうことなかれ
「第二十番 御神籤
いそしみし
しるしはみえて
ゆたかにも
黄金(こがね)なみよる
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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