えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
この前、友だちと会って居酒屋に行きお酒を飲みながら、いろいろ話をした。その中でぼくは友だちにとめどもなく狂っていく僕の部屋にあるクオーツ時計の話をし、その狂っていく時計が、失職から抜けだして、勤めはじめたころに、ひとりでに時刻が合いだして、今は三分遅れているだけだというような話をした。ぼくは時計は実は狂ってはいなくて、自分の頭が狂っていたのではないかと、少し疑っていた。友だちは、それは、ケストラーの"Ghost in the Machine"、「機械の中の幽霊」だと解説した。とどのつまり、世界は共鳴しあい、機械すら意識に共鳴するのいだと、友だちは言う。時計は実際、遅れたり進んでいたりしたのだという友だちの説にぼくは疑心暗鬼にもなった。そして、友だちは、今三分遅れているというのは、ぼくの今の意識に共鳴しているのだと付け加えた。
ニューエイジの先駆であったそんなアーサー・ケストラーという名の異端の哲学者がいたことを思い出しもし、ぼくは家に帰り、翌朝、三分遅れたクオーツ時計を正確な時刻に合わせた。数日後の夜の今、時計を見ると、三分遅れている。ぼくは軽い戦慄のようなものをおぼえた。もう一度、時計を見ると、やはり三分遅れている。
ニューエイジの先駆であったそんなアーサー・ケストラーという名の異端の哲学者がいたことを思い出しもし、ぼくは家に帰り、翌朝、三分遅れたクオーツ時計を正確な時刻に合わせた。数日後の夜の今、時計を見ると、三分遅れている。ぼくは軽い戦慄のようなものをおぼえた。もう一度、時計を見ると、やはり三分遅れている。
不思議なことがあった。失職中にぼくの部屋にある時計なのだが、なぜだか、どんどん狂っていく。1日で何時間も遅れるのか進むのか、狂っていってしまうのだった。直しても直しても、正確のはずのクオーツのしかも電池で動くのではなく、家庭用の電源から電気を取る液晶の時計が狂ってしまう。ついには、どこか壊れたのだろうと諦めて、そのままにしておいた。時はたち、仕事も見つかり、普通の、けれど、普通がどういうことなのだかわからないのだが、そんな生活に戻ると、時計は、いつの間にか、正確な時刻を示していた。
時間とは何だろう? 光の速度で移動すると時は止まるというのだけど、どういうことだろう? ぼくは光の速度に近づいていたのだろうか? はたまた、夢のなかでは時間はどう進んでいるのだろうか? 夢の中では時間は進んでいるのだろうか? ぼくの頭は狂ってしまったのかと疑い、それはそれで幸せでもあるみたいだ。
昔、アイルランドの作家、ジェームス・ジョイスの「死者たち」という小説を読んだことがある。雪に閉ざされた冬のダブリンでのホーム・パーティーで女性の主人公は子どものころ死に別れた友だちの男の子を思い出す。純粋なまま死んだその子を思い出し、しかも、外では雪がさらにしんしんと降り積もっていく。主人公も年をとり、永遠のものなど何もないように感じ、けれども、あの男の子は、あの死んだときのままで、永遠に何も変わらず、降っている雪はなにもかもを真っ白に変えてしまうだろう。時というと、そのジェームズ・ジョイスの物語の中の降り積もる雪を思い出してしまう。
時が止まってしまったような絵もある。マグリットの「光の帝国」やルソーの「眠れるジプシー娘」。
いつかぼくに時の塊がやってきて、ぼくも世界も変容してしまうだろう。
おやすみ。
あるところで、ばったり見かけてしまった人がいた。黒っぽい礼服のような服を着た人が多いそこで、太田さんはジーンズとラフな黒いシャツ姿でビールを飲んでいたのだ。あたりに不良の空気を漂わせて。
最後にお見かけしてから20年はたっているのに、赤銅色にに日焼けし、酒で顔を赤らめ、またっく変わらない不敵な笑顔だったのだけど、ぼくはなぜか気後れしてしまい、声をかけられなかったのだった。その人は『Bad Codition』やら『無限水路』といったバンドでボーカルを取っていた太田ノブと言う。太田さんは赤い星のロッカーだった。あの変わらぬ表情からすると今でもそうなのだろう。
昔、こんなことがあった。
マイルス・デイビスが西口にあった広場のような公園でコンサートを開いたのだった。公園の中に入らなければ、その公園は窪地のようになっていたから、ただでマイルスが見られる。ビールだか、ワンカップ大関だかを飲みながら、数人で無料の高見から見物していたら、警備員に声をかけられた。
「そこで立ち止まって見ないでください」
太田さんはこう答えた。
「歩道で立って、酒、飲んでるだけだよ、何が悪い」
「困るんですけど」
ぼくたちは無視していた。すると、警備員はこう牽制してきた。
「警察、呼びますよ」
すると、太田さんはこう答えた。
「あー、呼んできなよ」
数分して警備員はこう声をかけてきた。
「そこに立たれると、テレビカメラにもろ入ってしまうんですよ。数メートルだけ移動してくれませんか」
ぼくたちは数メートルだけ移動してマイルスのコンサートをアンコールまで見た。
太田さんは赤い星なのだった。今でも赤い星だろう。ロッカーだった。今でもロッカーだろう。不良の空気を漂わせている。
時間があの頃に引き戻され、今の自分がしゃらくさくなるぜ。
高円寺のロックンロール居酒屋『宮川』でよく呑むと聞いたことがある。そこでばったり会わなかったのはなぜだろう。今度会った時は「久しぶりです」と声をかけてみよう。
(宮マスに合掌。ロックンロール居酒屋『宮川』よ、永遠なれ)
最後にお見かけしてから20年はたっているのに、赤銅色にに日焼けし、酒で顔を赤らめ、またっく変わらない不敵な笑顔だったのだけど、ぼくはなぜか気後れしてしまい、声をかけられなかったのだった。その人は『Bad Codition』やら『無限水路』といったバンドでボーカルを取っていた太田ノブと言う。太田さんは赤い星のロッカーだった。あの変わらぬ表情からすると今でもそうなのだろう。
昔、こんなことがあった。
マイルス・デイビスが西口にあった広場のような公園でコンサートを開いたのだった。公園の中に入らなければ、その公園は窪地のようになっていたから、ただでマイルスが見られる。ビールだか、ワンカップ大関だかを飲みながら、数人で無料の高見から見物していたら、警備員に声をかけられた。
「そこで立ち止まって見ないでください」
太田さんはこう答えた。
「歩道で立って、酒、飲んでるだけだよ、何が悪い」
「困るんですけど」
ぼくたちは無視していた。すると、警備員はこう牽制してきた。
「警察、呼びますよ」
すると、太田さんはこう答えた。
「あー、呼んできなよ」
数分して警備員はこう声をかけてきた。
「そこに立たれると、テレビカメラにもろ入ってしまうんですよ。数メートルだけ移動してくれませんか」
ぼくたちは数メートルだけ移動してマイルスのコンサートをアンコールまで見た。
太田さんは赤い星なのだった。今でも赤い星だろう。ロッカーだった。今でもロッカーだろう。不良の空気を漂わせている。
時間があの頃に引き戻され、今の自分がしゃらくさくなるぜ。
高円寺のロックンロール居酒屋『宮川』でよく呑むと聞いたことがある。そこでばったり会わなかったのはなぜだろう。今度会った時は「久しぶりです」と声をかけてみよう。
(宮マスに合掌。ロックンロール居酒屋『宮川』よ、永遠なれ)
ぶつぶつつぶやいてしまう。ぶつぶつ・・・
昨日の夜、お久しぶりのバンドでのスタジオでの練習であった。家から遠いスタジオに半年ぶりに来ると、待合室の机とか椅子とかが変わっていたな。ところで、このバンドでまたライブすることがまたあるのかな。いつになるんじゃろ・・・
自分としては6のテンションコードが2個出てくる曲を作ったらうまくギターが弾けん。この曲、ジョルジ・ベンみたいなアフロ・サンバかな。練習しなきゃな・・・
「朝まで生テレビ」見ていたら、威圧的な喋り方のうるさい男の人が出ていた。あの人はバカなんだろう・・・
最近、聴く音楽が昔帰りしておる。トロピカル時代の細野晴臣をよく聴く。進歩ないなー。「トロピカル・ダンディー」、「泰安洋行」、「はらいそ」、「イエロー・マジック・オーケストラ」。それにザ・バンド。ザ・バンドはロビー・ロバートソン抜きになってもかなりいいアルバム出しとるな。ロビー・ロバートソンのソロアルバム、「ストーリーヴィル」はロバートソンのボーカルが悲しいほど弱い。ザ・バンドに復帰してこのアルバムを作ったら大傑作となったであろうに。残念じゃな・・・
ぼくが生きている意味ってなんじゃろ・・・
今夜は雨かな。アノコは雨女、オイラは雨男。それは雨人間。アメ・ニンゲン。ジョアン・ジルベルトが歌っているのはマリア・ニンゲン。マリア・ニンゲンはMaria Ninguemでそれは他の誰でもないマリア・・・
今夜(2010/5/29 21:00-)、小田急相模原のバー、SCHOOL OF ROCKで歌っています。よろしくね・・・
SCHOOL OF ROCKのページ
http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine
昨日の夜、お久しぶりのバンドでのスタジオでの練習であった。家から遠いスタジオに半年ぶりに来ると、待合室の机とか椅子とかが変わっていたな。ところで、このバンドでまたライブすることがまたあるのかな。いつになるんじゃろ・・・
自分としては6のテンションコードが2個出てくる曲を作ったらうまくギターが弾けん。この曲、ジョルジ・ベンみたいなアフロ・サンバかな。練習しなきゃな・・・
「朝まで生テレビ」見ていたら、威圧的な喋り方のうるさい男の人が出ていた。あの人はバカなんだろう・・・
最近、聴く音楽が昔帰りしておる。トロピカル時代の細野晴臣をよく聴く。進歩ないなー。「トロピカル・ダンディー」、「泰安洋行」、「はらいそ」、「イエロー・マジック・オーケストラ」。それにザ・バンド。ザ・バンドはロビー・ロバートソン抜きになってもかなりいいアルバム出しとるな。ロビー・ロバートソンのソロアルバム、「ストーリーヴィル」はロバートソンのボーカルが悲しいほど弱い。ザ・バンドに復帰してこのアルバムを作ったら大傑作となったであろうに。残念じゃな・・・
ぼくが生きている意味ってなんじゃろ・・・
今夜は雨かな。アノコは雨女、オイラは雨男。それは雨人間。アメ・ニンゲン。ジョアン・ジルベルトが歌っているのはマリア・ニンゲン。マリア・ニンゲンはMaria Ninguemでそれは他の誰でもないマリア・・・
今夜(2010/5/29 21:00-)、小田急相模原のバー、SCHOOL OF ROCKで歌っています。よろしくね・・・
SCHOOL OF ROCKのページ
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今日の昼、本屋で売られていた占いの本を手にとって立ち読みすれば、今年のぼくにめぐって来たのは「整理」の年で、来年には「出発」の年がめぐってくるそうだ。占いの本を手に取って見てしまうのなんて、最近はなんだか、心が弱っているのかしらなどと考えるけど、今年の「整理」というのは、もっと簡単な言葉にすれば、「かたづけ」ということであるように思え、そういえば、今年は、かたづけしてしまったのだなぁと、しみじみ思う年の瀬です。
占いというのは、自分勝手に都合よく信じたいものを信じればいいような気がして、ならば、来年の「出発」とは、「はじまり」ということに相違なく、偶然に手にして、しかも買わずに、立ち読みした本の中の来年のぼくがそうである「出発」の年、この「はじまり」ということに、妙なシンクロニシティ、ポジティブな意味のある偶然の一致を感じてしまうのだった。
この本の作者である下ヨシ子という人のホームページがあって、なんでも、霊能力者なんだそうな。なんか、テレビ番組で除霊というのをしているのを見たことがあるような気がする。
霊能力と言えば、今年の夏、和歌山の山奥の真言密教の町である高野山を旅したことを思い出す。お寺に見学していたぼくに女の坊さんは、不思議に爽やかにこんな言葉を聞かせてくれた。
「わたしには全く霊能力というようなものは、ありません。
・・・
この曼荼羅をご覧なさってください。真ん中の荘厳な仏様から、一番外の周りには、蛇や犬のようなものもおります。けれど、真ん中の仏様の方が蛇や犬より偉いということはございません。みんな、それぞれに輝いております」
占いというのは、自分勝手に都合よく信じたいものを信じればいいような気がして、ならば、来年の「出発」とは、「はじまり」ということに相違なく、偶然に手にして、しかも買わずに、立ち読みした本の中の来年のぼくがそうである「出発」の年、この「はじまり」ということに、妙なシンクロニシティ、ポジティブな意味のある偶然の一致を感じてしまうのだった。
この本の作者である下ヨシ子という人のホームページがあって、なんでも、霊能力者なんだそうな。なんか、テレビ番組で除霊というのをしているのを見たことがあるような気がする。
霊能力と言えば、今年の夏、和歌山の山奥の真言密教の町である高野山を旅したことを思い出す。お寺に見学していたぼくに女の坊さんは、不思議に爽やかにこんな言葉を聞かせてくれた。
「わたしには全く霊能力というようなものは、ありません。
・・・
この曼荼羅をご覧なさってください。真ん中の荘厳な仏様から、一番外の周りには、蛇や犬のようなものもおります。けれど、真ん中の仏様の方が蛇や犬より偉いということはございません。みんな、それぞれに輝いております」
最近、久しぶりにEXCELのVBAで家にいながらプログラミングをしている。こんなことをやっていると、よくもまぁ、長い間、こんな仕事を続けてきたものだと思う。始めてしまったことは、なかなかやめられないというのは、ぼくの性分なんだが、例えば、車もめったに乗り換えない。
コンサートに行ったり、展覧会で絵を見たり、居酒屋でお酒を飲んだり、温泉に入ったり、知らない町をぶらついたり、歌を歌ったり、ギターを弾いたり、コースでゴルフをしたり、自転車で遠くまで行ったり、それらのぼくの好きなことは、ぼくにエモーショナルな感動を与えてくれるけれど、プログラミングすることには、そういう感動はあまり感じなくなってしまった。大切な誰かのためにソフトウェアを作っているのだったら、できあがった時に、エモーショナルな感動もあるだろうなぁ。
プログラミングというのは棋士が将棋を指すことに似ている。将棋盤ではなく、プログラマーはディスプレイを見ながら、自分が組んだソース・コードがどう振舞うかを考え続けている。そういやって、作られたシステムが銀行のATMで、携帯の中で、CDプレイヤーの中でなど、生活のありとあらゆる場所で使われているのを人はあまり意識しない。
プログラミングしていると、個人事業主という生き方もあるかもしれないとふと思う。けれど、ありとあらゆるところで使われているコンピュータ・システムだけど、初めてそれらを作ること、プログラミングすることが、ふと退屈に思えてしまった。それは、この前、ある農業を始めた友だちに案内されて、色んな野菜が育つ畑の中をたたずんだからかもしれない。土と太陽と水が野菜を育てていて、それはまさしく恵みだと思った。
失業状態からいつ脱するのだろうか? 今日も不採用通知が届いていたなぁ。まっ、おれは大丈夫か。
コンサートに行ったり、展覧会で絵を見たり、居酒屋でお酒を飲んだり、温泉に入ったり、知らない町をぶらついたり、歌を歌ったり、ギターを弾いたり、コースでゴルフをしたり、自転車で遠くまで行ったり、それらのぼくの好きなことは、ぼくにエモーショナルな感動を与えてくれるけれど、プログラミングすることには、そういう感動はあまり感じなくなってしまった。大切な誰かのためにソフトウェアを作っているのだったら、できあがった時に、エモーショナルな感動もあるだろうなぁ。
プログラミングというのは棋士が将棋を指すことに似ている。将棋盤ではなく、プログラマーはディスプレイを見ながら、自分が組んだソース・コードがどう振舞うかを考え続けている。そういやって、作られたシステムが銀行のATMで、携帯の中で、CDプレイヤーの中でなど、生活のありとあらゆる場所で使われているのを人はあまり意識しない。
プログラミングしていると、個人事業主という生き方もあるかもしれないとふと思う。けれど、ありとあらゆるところで使われているコンピュータ・システムだけど、初めてそれらを作ること、プログラミングすることが、ふと退屈に思えてしまった。それは、この前、ある農業を始めた友だちに案内されて、色んな野菜が育つ畑の中をたたずんだからかもしれない。土と太陽と水が野菜を育てていて、それはまさしく恵みだと思った。
失業状態からいつ脱するのだろうか? 今日も不採用通知が届いていたなぁ。まっ、おれは大丈夫か。
この前久しぶりに会った友だちから、えいちゃんは文章がうまいんだから、もうどっかに就職なんかせずに、独立して生きていったらどうかなどと言われた。その友だちは偶然、ぼくのブログを発見して読んだりしているらしい。もう人に使われて仕事をすりのなんて馬鹿らしいだろう、やりたいことを言ったり、語ったりする人間は山ほどいるが、実際にやってみる人間はほとんどいないなどと言う。なるほどと思いブログでアマゾンのアフィリエイトとかいうのをしてみることにした。
ブログに趣味の音楽や読んだ本の紹介などを書いているのだが、そこにネット販売のアマゾンのリンクを付けておいくのね。実際、クリックして、買ってもらったら、チャリーンとお金が入るらしい。しかし、ぼくに紹介できるものは本とかCDで、ものすごく薄利多売となります。どうやら多売はありそうもないので、薄利ですなぁ。売らんがために無理して本とかCDを紹介する気もない。ブログに「えいちゃんのお奨め」というのを左の上から4つ目、カテゴリーの下に作ったのだが、これは、まじお奨めです。
インターネットのバーチャルなリンクよりも、やっぱ、フェース・トゥ・フェースのつながりの方がやっぱり頼りになるわけで、ぼくの友だちは、そのフェース・トゥ・フェースのつながりから、棚からぼた餅的に(?)とある老舗ジャズ喫茶を引き継ぐこととなった。こんなこともあるのかと関心した。やっぱ、リンクよりも人とのつながりですな。
なんか風邪を引いてしまって調子悪いのだが、仕事さがしだなぁ。高田渡の「仕事さがし」を替え歌でも歌おうか?
「ハローワークにも行ったよ
インターネットも見たよ
仕事にありつきたいから」
忌野清志郎の歌も最近、頭の中でリフレインする。たしか、こんな詞です。
「きままにやれんのも今のうちだぜ
そのうち、お尻に火がつくぞ」
人とのつながりって、それこそ神さまからの贈り物だと思うよ。年末に向けて、いろいろがんばってみるぞ。
ぼくのブログのページ
http://kysakai.blog.shinobi.jp/
ジャズ喫茶マサコのページ
http://bit.respace.jp/jazz-masako/index.html
ブログに趣味の音楽や読んだ本の紹介などを書いているのだが、そこにネット販売のアマゾンのリンクを付けておいくのね。実際、クリックして、買ってもらったら、チャリーンとお金が入るらしい。しかし、ぼくに紹介できるものは本とかCDで、ものすごく薄利多売となります。どうやら多売はありそうもないので、薄利ですなぁ。売らんがために無理して本とかCDを紹介する気もない。ブログに「えいちゃんのお奨め」というのを左の上から4つ目、カテゴリーの下に作ったのだが、これは、まじお奨めです。
インターネットのバーチャルなリンクよりも、やっぱ、フェース・トゥ・フェースのつながりの方がやっぱり頼りになるわけで、ぼくの友だちは、そのフェース・トゥ・フェースのつながりから、棚からぼた餅的に(?)とある老舗ジャズ喫茶を引き継ぐこととなった。こんなこともあるのかと関心した。やっぱ、リンクよりも人とのつながりですな。
なんか風邪を引いてしまって調子悪いのだが、仕事さがしだなぁ。高田渡の「仕事さがし」を替え歌でも歌おうか?
「ハローワークにも行ったよ
インターネットも見たよ
仕事にありつきたいから」
忌野清志郎の歌も最近、頭の中でリフレインする。たしか、こんな詞です。
「きままにやれんのも今のうちだぜ
そのうち、お尻に火がつくぞ」
人とのつながりって、それこそ神さまからの贈り物だと思うよ。年末に向けて、いろいろがんばってみるぞ。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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