えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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今夜はレオの追悼パーティーだとのたまい、町田のウェストボックスでのセッションで、禁を破るかのように、オリジナルの楽曲「レオ」を歌ってしまった。この歌は十数年前に作った歌で、こんなことがレオにも起きるのかなと何故か不安になりながら作った歌で、十数年前のぼくが、今のぼくとレオに贈りものをしたかのような不思議さを持っている。こんな詞です。

「ひどい悪夢にうなされて、明け方3時に目を覚ました
泣きながら夜空を見上げると、レオが月に向かって走っていた
何匹もの仲間の犬たちも
月に向かって走っていた
何匹もの繋がれていた犬たちも
月に向かって走っていた

さよなら、レオ、またどこかで会おうぜ
今や君は銀色に輝いて
伝説の気高い狼だよ
いつまでも死ぬことのない
永遠の命を得たのさ
月の光と朝日を浴びて
どこまでも、どこまでも走っていけよ

君が吠えるのは正しかった、遠吠えするのは正しかった
今や町じゅう遠吠えして、俺の胸に響きわたっている
とめどもない痛みがやってきた
草木や土に逆流していった
世界の色を変えるみたいな
涙がさらさら流れてきたのさ

さよなら、レオ、またどこかで会おうぜ
今や君は銀色に輝いて
伝説の気高い狼だよ 
いつまでも死ぬことのない
永遠の命を得たのさ
月の光と朝日を浴びて
どこまでも、どこまでも走っていけよ」

歌い終わったあとライブハウスでテキーラトニックか何かを飲みながら、ぼくの隣に人間の姿をしたレオを想像し、レオが確かにいるように思え、レオはぼくに語りかけた。

「こんな楽しいところがあるなんて知らなかったよ。みんな、楽しそうでいいところだね」

犬の姿のレオが散歩し、知っているところは、せいぜいぼくの家のまわり、半径1キロメートル以内であった。小さな世界しか知らなかったかもしれないレオ、けれども、いいじゃないかとも思う。そんなことは、幸せとは関係ないことなんだ。

おやすみZZZzzz.....
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レオという名前の犬を飼っていたのでけど、数日前、なくしてしまった。安らかに眠ってしまった。ぼくは、寂しくて眠れなくなってしまった。泣いた。

レオが遠いところに旅立つ前にぼくはある本を買っていた。中沢新一さんの著した「鳥の仏教」という本だった。寂しさに眠れないぼくは、数日前に買っていた本を思い出し、読み始めた。読み始めると眠くなって、眠ろうとすると、寂しさに眠れない。それでまた読んだ。そんな夜がつづき、読み終えた本が「鳥の仏教」で、それはぼくにとって「犬の仏教」でもあり、「レオの仏教」と言いかえてもいい。

レオがぼくに教えてくれたのは愛と命。「鳥の仏教」は誰が書いたともわからないチベットの本「鳥のダルマのすばらしい花輪」の翻訳と中沢氏の書いた解説の「人間界の仏教から生命圏の仏教へ」からなる。その解説から一文だけ引用しよう。

「動物には人間と同じように心があり、その心にはしばしば人間を凌駕する徳性が宿っている。『ジャータカ』の作者は、そういう動物の心に宿る徳性が、人間の理想とする菩薩の徳性と、本質において同じものだと主張している」

レオもそうだったんだよ。そしてレオとぼくは結ばれた友だちだったのです。また、会おう・・・レオ・・・輪廻で・・・
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友だちのカップルが農業を始めた。リュックにジャージを入れて、ぼくは農作業の手伝いに行った。住んでいる市から借りている農地も就農という言葉にふさわしい広いところ。じゃが芋を収穫したり、種をまいたり、雑草を農具で引っかいて取ったり、鹿よけの網を張ったりする。ものを言わない植物や土を相手にした仕事なのだった。なんて静かな仕事なんだろう。

普段は都会で会社員をしている自分のその生活が違うのじゃないのかというのが頭に思い浮かび、さらに、自分がミレーの名画「晩鐘」や「種まく人」、「落葉拾い」の中の登場人物になったような気もするのだった。

畑の中のこの静かさはとても素敵だ。静かさの向こうに実りがもたらされる。瞑想すら来るような気がした。

このカップルに言葉ではない静かなエールを送りたいと思います。
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子どもの頃には何かそうなりたいものというのが漠然とあって、人はそれを夢と言うらしいけれど、ぼくにも確かその夢があって、それはまずはミュージシャンになることであったり、次が作家になることであったりした。今思うと、現実感のない夢だなーと、思う。しかしです。そんな夢もほとんど叶っているのではないかと気がついた。ときたま、ライブハウスやバーでバンドや弾き語りをして歌っていたりするし、その音源をMySpaceっていうインターネットのサイトで公開してるし、実は昔、CDも出したことがあるのです。昔出したCDなどを今聴くと、ぼくの歌が今よりも更にへたっぴで微笑ましかったりする。足すに、小説家の書くエッセイような文章をブログに書いて、知らない人に読んでもらったりしている。

だけれども、悔しくもあるけれど、そのミュージシャンとか何とかについては、無収入のようなものなのな。それで、歌っりする以外のことの方が収入があるので、仕事と言ったりする。人間の頭の中には「仕事」と「遊び」という二項対立があって、たくさんの日本人は「仕事」の方が「遊び」より大事だと考えているらしい。仕事してお金をもらっていたりして、けれど、ぼくはお金は困らない程度にあればよい。

わしゃ、「遊び」でいいような気がしてきておるよ、「遊び」で。

話を元に戻して夢についてだけれど、それは叶うものなのかもしれない。

夢を忘れずに、遊びを大切に。

ぼくのMySpaceのページ
http://www.myspace.com/eikiyotaka
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あー、失職中の間を、今、思い返してみると、それは神様がくれたほんの短い夏休みのようだったと、思う。楽しいとか、楽しくないとかを抜きにして、本当に短い、ちょっと変わった時間をぼくはもらったのだろうか?

さらに思い描けば、人生がそのフィナーレを迎える時、ぼくはそれを短い夏休みのようだったと、感じるのかもしれない。想いの翼は広がり、肉体は生きて、数十年、百数十年だけれど、魂は無限に限りなく近い有限を生きることができ、この地球での肉体での人生が終われば、人はそれぞれの果てしない遠くへ帰ってゆく。地球で出会った友だちやら、親やら兄弟とは、その果てしない向こうでは、もう会えなくなってしまう。それぞれの魂は、果てしない遠くの別々のところからやって来ているからである。

ぼくたちはかけがえのない夏休みを生きている。そして、夏休みを思い出すでしょう。
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この前、友だちと会って居酒屋に行きお酒を飲みながら、いろいろ話をした。その中でぼくは友だちにとめどもなく狂っていく僕の部屋にあるクオーツ時計の話をし、その狂っていく時計が、失職から抜けだして、勤めはじめたころに、ひとりでに時刻が合いだして、今は三分遅れているだけだというような話をした。ぼくは時計は実は狂ってはいなくて、自分の頭が狂っていたのではないかと、少し疑っていた。友だちは、それは、ケストラーの"Ghost in the Machine"、「機械の中の幽霊」だと解説した。とどのつまり、世界は共鳴しあい、機械すら意識に共鳴するのいだと、友だちは言う。時計は実際、遅れたり進んでいたりしたのだという友だちの説にぼくは疑心暗鬼にもなった。そして、友だちは、今三分遅れているというのは、ぼくの今の意識に共鳴しているのだと付け加えた。

ニューエイジの先駆であったそんなアーサー・ケストラーという名の異端の哲学者がいたことを思い出しもし、ぼくは家に帰り、翌朝、三分遅れたクオーツ時計を正確な時刻に合わせた。数日後の夜の今、時計を見ると、三分遅れている。ぼくは軽い戦慄のようなものをおぼえた。もう一度、時計を見ると、やはり三分遅れている。
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不思議なことがあった。失職中にぼくの部屋にある時計なのだが、なぜだか、どんどん狂っていく。1日で何時間も遅れるのか進むのか、狂っていってしまうのだった。直しても直しても、正確のはずのクオーツのしかも電池で動くのではなく、家庭用の電源から電気を取る液晶の時計が狂ってしまう。ついには、どこか壊れたのだろうと諦めて、そのままにしておいた。時はたち、仕事も見つかり、普通の、けれど、普通がどういうことなのだかわからないのだが、そんな生活に戻ると、時計は、いつの間にか、正確な時刻を示していた。

時間とは何だろう? 光の速度で移動すると時は止まるというのだけど、どういうことだろう? ぼくは光の速度に近づいていたのだろうか? はたまた、夢のなかでは時間はどう進んでいるのだろうか? 夢の中では時間は進んでいるのだろうか? ぼくの頭は狂ってしまったのかと疑い、それはそれで幸せでもあるみたいだ。

昔、アイルランドの作家、ジェームス・ジョイスの「死者たち」という小説を読んだことがある。雪に閉ざされた冬のダブリンでのホーム・パーティーで女性の主人公は子どものころ死に別れた友だちの男の子を思い出す。純粋なまま死んだその子を思い出し、しかも、外では雪がさらにしんしんと降り積もっていく。主人公も年をとり、永遠のものなど何もないように感じ、けれども、あの男の子は、あの死んだときのままで、永遠に何も変わらず、降っている雪はなにもかもを真っ白に変えてしまうだろう。時というと、そのジェームズ・ジョイスの物語の中の降り積もる雪を思い出してしまう。

時が止まってしまったような絵もある。マグリットの「光の帝国」やルソーの「眠れるジプシー娘」。

いつかぼくに時の塊がやってきて、ぼくも世界も変容してしまうだろう。

おやすみ。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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