えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
病気になってしまっていた。今は専門医の言うことに従って、爽快ですが、病気が直ったということはありません。酒を飲むなとは言われなかったけれど、毎晩の晩酌はやめました。今の爽快感を感じて、健康な時ってこんな感じなんだと発見する。あぁ、おれって病気だったんだなぁ、と痛感する。おれの体は壊れてしまったんだなぁ、とも思う。直接、生死に関わる病気ではくて、まだまだ生きれるんだ、とほっとする。いい気になって生きてきた自分への神様からの戒めかね。心は、多分壊れても折れてもいないから、これはこれでありがたいことだ、とも思う。おれってスーパー・ポジティブ。曲を書こう。
そうです、ぼくの人生、二幕目が閉じて、三幕目が始まりました。今日は二箇所に歌いにいきます。
さて、みなさん、これは大事なことです。調子悪い時は病院にすぐに行って、診てもらいましょう!!
ライブ情報
『きららフェス』 OPEN 14:00-
ひまわりヨガどころの『きららフェス』の中の「出たとこ勝負ライブ」で何曲か歌います。出店とかも多数あり。夕暮れ時、ヨガの先生、きららさんが川辺で舞います。
ひまわりヨガどころのページ
http://www.walls-and-bridges.com/kirara/index.html
http://www.walls-and-bridges.com/kirara/himawariyogadokoro.htm
スクールオブロック 20:00-
そして、この日の夜、わしゃ、また、スクール・オブ・ロックで弾き語るぞ。見にきて、歌、聴いて、いっぱいお酒飲んでくんろ。タイバンはジャイブする歌謡弾き語り歌手、チャーリー坂本さんやら、ロックな歌謡のミケマドカさんに、なぜか、歌謡臭のしないぼくがまじってしまう。
スクール・オブ・ロックのブログ
http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine
そうです、ぼくの人生、二幕目が閉じて、三幕目が始まりました。今日は二箇所に歌いにいきます。
さて、みなさん、これは大事なことです。調子悪い時は病院にすぐに行って、診てもらいましょう!!
ライブ情報
『きららフェス』 OPEN 14:00-
ひまわりヨガどころの『きららフェス』の中の「出たとこ勝負ライブ」で何曲か歌います。出店とかも多数あり。夕暮れ時、ヨガの先生、きららさんが川辺で舞います。
ひまわりヨガどころのページ
http://www.walls-and-bridges.com/kirara/index.html
http://www.walls-and-bridges.com/kirara/himawariyogadokoro.htm
スクールオブロック 20:00-
そして、この日の夜、わしゃ、また、スクール・オブ・ロックで弾き語るぞ。見にきて、歌、聴いて、いっぱいお酒飲んでくんろ。タイバンはジャイブする歌謡弾き語り歌手、チャーリー坂本さんやら、ロックな歌謡のミケマドカさんに、なぜか、歌謡臭のしないぼくがまじってしまう。
スクール・オブ・ロックのブログ
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眠れない夜に、この二週間ほどでいろんな本を読みました。中沢新一著「鳥の仏教」、飯田史彦著「生きがいの創造」、ブライアン・L. ワイス著「前世療法」、ハロルド・シャープ著「ペットたちは死後も生きている」、シルビア・ブラウン著「天国にいったペットたち」、田中マルコ著「ある日、犬の国から手紙が来て」。お薦めは、中沢新一著「鳥の仏教」、ハロルド・シャープ著「ペットたちは死後も生きている」、田中マルコ著「ある日、犬の国から手紙が来て」で、この三冊は本のすべてが詩のようであります。
魂とか精霊のようなものが不滅であることようなことが、本当なのだろうか、と思案する。答えは出ないけれど、ぼくは、なぜかボ・ガンボズのどんと(http://www.songstar-donto.com/)が歌っていた「おめでとう」という歌を聴いて、それを信じてもいいのかな、と思った。こんな詞です
「君がこの世に生まれてきたのは
深い深い不思議なわけがあるんだよ
もしも君がここにいなくなったら
この星もぶっこわれてみんな消えてしまう
長い間 きみは土の中にしゃがみこんで
じっと待っていた
さあ今日は君の誕生日だよ
君は今日ここに生まれてきたんだよ
長い冬が終わって 目もくらむほどの
まぶしい光に包まれて君は泣いていた
もう大丈夫 なにも恐くないよ
本当によく来たね おめでとう
遠いところから君はヘトヘトになってやってきた
体はキズだらけ
もう君には旅はいらないよ
もうどこへも 行かなくていいんだよ」
始まりと終りの歌は、終りが始まりの歌のようで、胸が静かに騒ぐ。あちらはこちらで、こちらもあちらなのかな。レオ、残された写真の中の普通の犬とは思えない聡明そうな顔を見ながら、きみは神が遣わされた賢者のようであったから、そんなことは生まれた時からわかっていたのかな、と思い出す。
おやすみZZZzzz.....
魂とか精霊のようなものが不滅であることようなことが、本当なのだろうか、と思案する。答えは出ないけれど、ぼくは、なぜかボ・ガンボズのどんと(http://www.songstar-donto.com/)が歌っていた「おめでとう」という歌を聴いて、それを信じてもいいのかな、と思った。こんな詞です
「君がこの世に生まれてきたのは
深い深い不思議なわけがあるんだよ
もしも君がここにいなくなったら
この星もぶっこわれてみんな消えてしまう
長い間 きみは土の中にしゃがみこんで
じっと待っていた
さあ今日は君の誕生日だよ
君は今日ここに生まれてきたんだよ
長い冬が終わって 目もくらむほどの
まぶしい光に包まれて君は泣いていた
もう大丈夫 なにも恐くないよ
本当によく来たね おめでとう
遠いところから君はヘトヘトになってやってきた
体はキズだらけ
もう君には旅はいらないよ
もうどこへも 行かなくていいんだよ」
始まりと終りの歌は、終りが始まりの歌のようで、胸が静かに騒ぐ。あちらはこちらで、こちらもあちらなのかな。レオ、残された写真の中の普通の犬とは思えない聡明そうな顔を見ながら、きみは神が遣わされた賢者のようであったから、そんなことは生まれた時からわかっていたのかな、と思い出す。
おやすみZZZzzz.....
今夜はレオの追悼パーティーだとのたまい、町田のウェストボックスでのセッションで、禁を破るかのように、オリジナルの楽曲「レオ」を歌ってしまった。この歌は十数年前に作った歌で、こんなことがレオにも起きるのかなと何故か不安になりながら作った歌で、十数年前のぼくが、今のぼくとレオに贈りものをしたかのような不思議さを持っている。こんな詞です。
「ひどい悪夢にうなされて、明け方3時に目を覚ました
泣きながら夜空を見上げると、レオが月に向かって走っていた
何匹もの仲間の犬たちも
月に向かって走っていた
何匹もの繋がれていた犬たちも
月に向かって走っていた
さよなら、レオ、またどこかで会おうぜ
今や君は銀色に輝いて
伝説の気高い狼だよ
いつまでも死ぬことのない
永遠の命を得たのさ
月の光と朝日を浴びて
どこまでも、どこまでも走っていけよ
君が吠えるのは正しかった、遠吠えするのは正しかった
今や町じゅう遠吠えして、俺の胸に響きわたっている
とめどもない痛みがやってきた
草木や土に逆流していった
世界の色を変えるみたいな
涙がさらさら流れてきたのさ
さよなら、レオ、またどこかで会おうぜ
今や君は銀色に輝いて
伝説の気高い狼だよ
いつまでも死ぬことのない
永遠の命を得たのさ
月の光と朝日を浴びて
どこまでも、どこまでも走っていけよ」
歌い終わったあとライブハウスでテキーラトニックか何かを飲みながら、ぼくの隣に人間の姿をしたレオを想像し、レオが確かにいるように思え、レオはぼくに語りかけた。
「こんな楽しいところがあるなんて知らなかったよ。みんな、楽しそうでいいところだね」
犬の姿のレオが散歩し、知っているところは、せいぜいぼくの家のまわり、半径1キロメートル以内であった。小さな世界しか知らなかったかもしれないレオ、けれども、いいじゃないかとも思う。そんなことは、幸せとは関係ないことなんだ。
おやすみZZZzzz.....
「ひどい悪夢にうなされて、明け方3時に目を覚ました
泣きながら夜空を見上げると、レオが月に向かって走っていた
何匹もの仲間の犬たちも
月に向かって走っていた
何匹もの繋がれていた犬たちも
月に向かって走っていた
さよなら、レオ、またどこかで会おうぜ
今や君は銀色に輝いて
伝説の気高い狼だよ
いつまでも死ぬことのない
永遠の命を得たのさ
月の光と朝日を浴びて
どこまでも、どこまでも走っていけよ
君が吠えるのは正しかった、遠吠えするのは正しかった
今や町じゅう遠吠えして、俺の胸に響きわたっている
とめどもない痛みがやってきた
草木や土に逆流していった
世界の色を変えるみたいな
涙がさらさら流れてきたのさ
さよなら、レオ、またどこかで会おうぜ
今や君は銀色に輝いて
伝説の気高い狼だよ
いつまでも死ぬことのない
永遠の命を得たのさ
月の光と朝日を浴びて
どこまでも、どこまでも走っていけよ」
歌い終わったあとライブハウスでテキーラトニックか何かを飲みながら、ぼくの隣に人間の姿をしたレオを想像し、レオが確かにいるように思え、レオはぼくに語りかけた。
「こんな楽しいところがあるなんて知らなかったよ。みんな、楽しそうでいいところだね」
犬の姿のレオが散歩し、知っているところは、せいぜいぼくの家のまわり、半径1キロメートル以内であった。小さな世界しか知らなかったかもしれないレオ、けれども、いいじゃないかとも思う。そんなことは、幸せとは関係ないことなんだ。
おやすみZZZzzz.....
レオという名前の犬を飼っていたのでけど、数日前、なくしてしまった。安らかに眠ってしまった。ぼくは、寂しくて眠れなくなってしまった。泣いた。
レオが遠いところに旅立つ前にぼくはある本を買っていた。中沢新一さんの著した「鳥の仏教」という本だった。寂しさに眠れないぼくは、数日前に買っていた本を思い出し、読み始めた。読み始めると眠くなって、眠ろうとすると、寂しさに眠れない。それでまた読んだ。そんな夜がつづき、読み終えた本が「鳥の仏教」で、それはぼくにとって「犬の仏教」でもあり、「レオの仏教」と言いかえてもいい。
レオがぼくに教えてくれたのは愛と命。「鳥の仏教」は誰が書いたともわからないチベットの本「鳥のダルマのすばらしい花輪」の翻訳と中沢氏の書いた解説の「人間界の仏教から生命圏の仏教へ」からなる。その解説から一文だけ引用しよう。
「動物には人間と同じように心があり、その心にはしばしば人間を凌駕する徳性が宿っている。『ジャータカ』の作者は、そういう動物の心に宿る徳性が、人間の理想とする菩薩の徳性と、本質において同じものだと主張している」
レオもそうだったんだよ。そしてレオとぼくは結ばれた友だちだったのです。また、会おう・・・レオ・・・輪廻で・・・
レオが遠いところに旅立つ前にぼくはある本を買っていた。中沢新一さんの著した「鳥の仏教」という本だった。寂しさに眠れないぼくは、数日前に買っていた本を思い出し、読み始めた。読み始めると眠くなって、眠ろうとすると、寂しさに眠れない。それでまた読んだ。そんな夜がつづき、読み終えた本が「鳥の仏教」で、それはぼくにとって「犬の仏教」でもあり、「レオの仏教」と言いかえてもいい。
レオがぼくに教えてくれたのは愛と命。「鳥の仏教」は誰が書いたともわからないチベットの本「鳥のダルマのすばらしい花輪」の翻訳と中沢氏の書いた解説の「人間界の仏教から生命圏の仏教へ」からなる。その解説から一文だけ引用しよう。
「動物には人間と同じように心があり、その心にはしばしば人間を凌駕する徳性が宿っている。『ジャータカ』の作者は、そういう動物の心に宿る徳性が、人間の理想とする菩薩の徳性と、本質において同じものだと主張している」
レオもそうだったんだよ。そしてレオとぼくは結ばれた友だちだったのです。また、会おう・・・レオ・・・輪廻で・・・
友だちのカップルが農業を始めた。リュックにジャージを入れて、ぼくは農作業の手伝いに行った。住んでいる市から借りている農地も就農という言葉にふさわしい広いところ。じゃが芋を収穫したり、種をまいたり、雑草を農具で引っかいて取ったり、鹿よけの網を張ったりする。ものを言わない植物や土を相手にした仕事なのだった。なんて静かな仕事なんだろう。
普段は都会で会社員をしている自分のその生活が違うのじゃないのかというのが頭に思い浮かび、さらに、自分がミレーの名画「晩鐘」や「種まく人」、「落葉拾い」の中の登場人物になったような気もするのだった。
畑の中のこの静かさはとても素敵だ。静かさの向こうに実りがもたらされる。瞑想すら来るような気がした。
このカップルに言葉ではない静かなエールを送りたいと思います。
普段は都会で会社員をしている自分のその生活が違うのじゃないのかというのが頭に思い浮かび、さらに、自分がミレーの名画「晩鐘」や「種まく人」、「落葉拾い」の中の登場人物になったような気もするのだった。
畑の中のこの静かさはとても素敵だ。静かさの向こうに実りがもたらされる。瞑想すら来るような気がした。
このカップルに言葉ではない静かなエールを送りたいと思います。
子どもの頃には何かそうなりたいものというのが漠然とあって、人はそれを夢と言うらしいけれど、ぼくにも確かその夢があって、それはまずはミュージシャンになることであったり、次が作家になることであったりした。今思うと、現実感のない夢だなーと、思う。しかしです。そんな夢もほとんど叶っているのではないかと気がついた。ときたま、ライブハウスやバーでバンドや弾き語りをして歌っていたりするし、その音源をMySpaceっていうインターネットのサイトで公開してるし、実は昔、CDも出したことがあるのです。昔出したCDなどを今聴くと、ぼくの歌が今よりも更にへたっぴで微笑ましかったりする。足すに、小説家の書くエッセイような文章をブログに書いて、知らない人に読んでもらったりしている。
だけれども、悔しくもあるけれど、そのミュージシャンとか何とかについては、無収入のようなものなのな。それで、歌っりする以外のことの方が収入があるので、仕事と言ったりする。人間の頭の中には「仕事」と「遊び」という二項対立があって、たくさんの日本人は「仕事」の方が「遊び」より大事だと考えているらしい。仕事してお金をもらっていたりして、けれど、ぼくはお金は困らない程度にあればよい。
わしゃ、「遊び」でいいような気がしてきておるよ、「遊び」で。
話を元に戻して夢についてだけれど、それは叶うものなのかもしれない。
夢を忘れずに、遊びを大切に。
ぼくのMySpaceのページ
http://www.myspace.com/eikiyotaka
だけれども、悔しくもあるけれど、そのミュージシャンとか何とかについては、無収入のようなものなのな。それで、歌っりする以外のことの方が収入があるので、仕事と言ったりする。人間の頭の中には「仕事」と「遊び」という二項対立があって、たくさんの日本人は「仕事」の方が「遊び」より大事だと考えているらしい。仕事してお金をもらっていたりして、けれど、ぼくはお金は困らない程度にあればよい。
わしゃ、「遊び」でいいような気がしてきておるよ、「遊び」で。
話を元に戻して夢についてだけれど、それは叶うものなのかもしれない。
夢を忘れずに、遊びを大切に。
ぼくのMySpaceのページ
http://www.myspace.com/eikiyotaka
あー、失職中の間を、今、思い返してみると、それは神様がくれたほんの短い夏休みのようだったと、思う。楽しいとか、楽しくないとかを抜きにして、本当に短い、ちょっと変わった時間をぼくはもらったのだろうか?
さらに思い描けば、人生がそのフィナーレを迎える時、ぼくはそれを短い夏休みのようだったと、感じるのかもしれない。想いの翼は広がり、肉体は生きて、数十年、百数十年だけれど、魂は無限に限りなく近い有限を生きることができ、この地球での肉体での人生が終われば、人はそれぞれの果てしない遠くへ帰ってゆく。地球で出会った友だちやら、親やら兄弟とは、その果てしない向こうでは、もう会えなくなってしまう。それぞれの魂は、果てしない遠くの別々のところからやって来ているからである。
ぼくたちはかけがえのない夏休みを生きている。そして、夏休みを思い出すでしょう。
さらに思い描けば、人生がそのフィナーレを迎える時、ぼくはそれを短い夏休みのようだったと、感じるのかもしれない。想いの翼は広がり、肉体は生きて、数十年、百数十年だけれど、魂は無限に限りなく近い有限を生きることができ、この地球での肉体での人生が終われば、人はそれぞれの果てしない遠くへ帰ってゆく。地球で出会った友だちやら、親やら兄弟とは、その果てしない向こうでは、もう会えなくなってしまう。それぞれの魂は、果てしない遠くの別々のところからやって来ているからである。
ぼくたちはかけがえのない夏休みを生きている。そして、夏休みを思い出すでしょう。
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えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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