えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

会社が赤坂にあり歩いて行ける距離ということもあり、金曜の夜は会社帰りによく首相官邸前あたりやら国会議事堂前やらに脱原発のための抗議集会に行ってみる。近ごろは人も少なくなったがちゃんと続いています。
抗議の人たちのその人ごみにまぎれていると、ぼくも含めてのみんなが砂粒の集まりのように見えてきて、ぼくは、昔、見たフェデリコ・フェリーニ監督の「道」という映画のあるシーンを思い出した。ジュリエッタ・マシーナ演じるジェルソミーナがリチャード・ベイスハート演じる綱渡り芸人に、私に生きている意味はあるのかな、と問いかける。綱渡り芸人は道に落ちていた石をひょいと拾い上げ、こんな石でもそこにある価値はあるんだよ、と答える。その石をわたされたジェルソミーナは輝く瞳でその石を見つめる。そんなシーンだった、と思う。この映画は必見です。
その石が金曜の夜の人たちにあわさり、一つ一つでは力のない砂粒にも、むしろそこにある価値はあって、それが集まっているのだ、と思う。綱渡り芸人が言うようにすべてのものが価値があるとしたならば、東京からは見えないところにある原子力発電所の価値とは、電気を作ることではないのではないか、ましてや核爆弾の元を作ることなどでもなく、何か別のことではないか、と思いをめぐらすと、言葉にならない答えが近づいているようにも感じるのです。
さて、明日(2012年11月11日(日))の午後三時からの国会周辺での抗議集会はいろんな人が集まってくるだろう。集まろう! そんな人たちの胸の奥で歌われるとうれしい歌がぼくの心に空から降りてきて、それに「砂つぶと石ころ」という題を付けた。こんな詞を初期のボブ・ディランやウッディー・ガスリーを聴きながら読んでみてください。
-砂つぶと石ころ-
みんな砂粒みたいだよ
おじいちゃんとおばあちゃんがいて
パパやママや子どもたち
叫び声はいつのまにか
誰かを呼ぶ声になった
そして、ちりぢりになって
夜ふけの街なみに消える
ぼくは石ころになった
石ころだからころがるよ
でこぼこ道に雲が出て
坂道、夜道、遠回り
だけど、打ちつけないでおくれ*
こなごなになってしまった
真夜中の森の中、消える
ぼくたち、空に放ってもいいよ
きっといくつも星になって
暗いこんな夜空も輝く
誰も迷子にならないよ
みんなは遠くに光っている
どこからだって聞こえるよ
遠い夜空から歌う
みんな、砂つぶみたいさ
石ころみたくころがった
みんな、ひとりぼっちみたいさ
友だちがいるよ
きっと、きみのすぐそばにいるよ
明日の朝になったなら
また、満員電車にゆられている
きみはみどりのタクシーを流し
知らない誰かを乗せている
いつも大丈夫、大丈夫だよ
今度の土曜の朝には
ま新しい歌を歌ってあげる
★11.11反原発1000000人大占拠
http://coalitionagainstnukes.jp/?p=1275
抗議の人たちのその人ごみにまぎれていると、ぼくも含めてのみんなが砂粒の集まりのように見えてきて、ぼくは、昔、見たフェデリコ・フェリーニ監督の「道」という映画のあるシーンを思い出した。ジュリエッタ・マシーナ演じるジェルソミーナがリチャード・ベイスハート演じる綱渡り芸人に、私に生きている意味はあるのかな、と問いかける。綱渡り芸人は道に落ちていた石をひょいと拾い上げ、こんな石でもそこにある価値はあるんだよ、と答える。その石をわたされたジェルソミーナは輝く瞳でその石を見つめる。そんなシーンだった、と思う。この映画は必見です。
その石が金曜の夜の人たちにあわさり、一つ一つでは力のない砂粒にも、むしろそこにある価値はあって、それが集まっているのだ、と思う。綱渡り芸人が言うようにすべてのものが価値があるとしたならば、東京からは見えないところにある原子力発電所の価値とは、電気を作ることではないのではないか、ましてや核爆弾の元を作ることなどでもなく、何か別のことではないか、と思いをめぐらすと、言葉にならない答えが近づいているようにも感じるのです。
さて、明日(2012年11月11日(日))の午後三時からの国会周辺での抗議集会はいろんな人が集まってくるだろう。集まろう! そんな人たちの胸の奥で歌われるとうれしい歌がぼくの心に空から降りてきて、それに「砂つぶと石ころ」という題を付けた。こんな詞を初期のボブ・ディランやウッディー・ガスリーを聴きながら読んでみてください。
-砂つぶと石ころ-
みんな砂粒みたいだよ
おじいちゃんとおばあちゃんがいて
パパやママや子どもたち
叫び声はいつのまにか
誰かを呼ぶ声になった
そして、ちりぢりになって
夜ふけの街なみに消える
ぼくは石ころになった
石ころだからころがるよ
でこぼこ道に雲が出て
坂道、夜道、遠回り
だけど、打ちつけないでおくれ*
こなごなになってしまった
真夜中の森の中、消える
ぼくたち、空に放ってもいいよ
きっといくつも星になって
暗いこんな夜空も輝く
誰も迷子にならないよ
みんなは遠くに光っている
どこからだって聞こえるよ
遠い夜空から歌う
みんな、砂つぶみたいさ
石ころみたくころがった
みんな、ひとりぼっちみたいさ
友だちがいるよ
きっと、きみのすぐそばにいるよ
明日の朝になったなら
また、満員電車にゆられている
きみはみどりのタクシーを流し
知らない誰かを乗せている
いつも大丈夫、大丈夫だよ
今度の土曜の朝には
ま新しい歌を歌ってあげる
★11.11反原発1000000人大占拠
http://coalitionagainstnukes.jp/?p=1275


オリンピックやっていますね。中学生のころバレーボール部だったからか、バレーボールだけは見てしまう。このスピード感がたまりません。
注目してしまうポジションはセッター。あぁ、昔なつかしの猫田勝敏選手、今をときめく竹下佳江選手。二人とも世界を代表する努力の名選手、そして、コートの中のボールを扱う魔法使いで、自分では打たずにチームの仲間にトスを渡します。
このスポーツ、いろんなフォーメーションがあるけれど、そのほとんどを日本のチームがあみだしたことを、みんさん、ご存知ですか。
昔はリベロなんてポジションはなかったなぁ。これはいいことだと思います。サッカーのキーパーみたいなものだろうか? ちがうか?
がんばれ、日本! がんばれ、女子バーレー! 復活、男子バレー! あと1本、あと1本! いけー!
注目してしまうポジションはセッター。あぁ、昔なつかしの猫田勝敏選手、今をときめく竹下佳江選手。二人とも世界を代表する努力の名選手、そして、コートの中のボールを扱う魔法使いで、自分では打たずにチームの仲間にトスを渡します。
このスポーツ、いろんなフォーメーションがあるけれど、そのほとんどを日本のチームがあみだしたことを、みんさん、ご存知ですか。
昔はリベロなんてポジションはなかったなぁ。これはいいことだと思います。サッカーのキーパーみたいなものだろうか? ちがうか?
がんばれ、日本! がんばれ、女子バーレー! 復活、男子バレー! あと1本、あと1本! いけー!


昨日までが松の内だということで、箱根神社に参ってきた。ぼくの大好きな神社です。その隣にある九頭竜神社にも参ってきた。後から知ったのだけど、九頭竜とは病気を食べてくれる守護神でもあるらしい。ゆめゆめうたがうことなかれ。
それから、夕方、町田の万象房のオープンマイクに歌いに出かけた。少し遅れていったら、いっぱいの人が既に集っていた。着いてビールを飲んだ。最近、晩酌をやめたからか、酔うということをとてもよく感じます。すぐに、あー、酔っ払ったとなります。でも、さめるのもなんか早くなったな。おっと、脱線。
いろんな人の歌を聴き、ぼくも歌いました。近頃作った「赤いリムジン」という歌でこんな詞です。この前までキーをGで歌っていたのですが、なんかしっくり来なくて、DOORSの"L.A. Woman"がAの曲なので、Aに変えました。なんか、よくわからない理由ですが、"L.A. Woman"はJim Morrisonの自伝的な曲だということをどこかで見た記憶があって、Jimの詞を見てもどこが自伝的であるかはうまく諒解できないのですが、ぼくの「赤いリムジン」は確かに自伝的だろう。こんな詞です。
「まっかなリムジン
いかしたリムジン
いかれたリムジン
ごきげんなリムジン
おいら、まっかなリムジンに乗っていた
みんなを乗せてドライブしたよ
どこまでもいつでもぶっとばしたぜ
まっかなリムジン
いかしたリムジン
いかれたリムジン
ごきげんなリムジン
真夜中まで眠らず働いて
朝になるまで歌いつづけた
あのおいらのドライブするまっかなリムジン
あーあー、月の裏側まで歌が届く
あーあー、月の裏側までリズムが響く
真夜中まで眠らず働いて
朝になるまで歌いつづけた
あのおいらのまっかな、まっかなリムジンは、
あれは、黒い、黒いリムジンだったのさ
おれの体は壊れてしまった
もうリムジンなんかでドライブしないぜ
あーあー、銀河の向こうまで歌は届く
あーあー、銀河の向こうまでてくてく歩く
走らされていたよ
歩いていくよ、歩いていく
走らされるより歩いていくぜ」
そうだ、リムジンなんかやっつけてやる。そして、次に歌った歌は去年、友だちの二人のために作った"Garden Of Love"という歌です。
「小さな庭に、小さな種を
うえましょう
小さな種から、小さな花が
いっぱい咲くでしょう
小さな鳥たち、歌っているよ
ああ、雨や風、お日様もあたる
きみとぼくとのいつまでもGarden of love
小さな庭に、小さな花を
咲かせましょう
愛の庭で、愛の花が
いっぱい咲くでしょう
お月さまさえ歌っているよ
ああ、嵐に負けない、お日様がのぼる
きみとぼくとのいつまでもGarden of love
さあ、愛の庭で、愛の花を
いっぱい咲かせましょう
いつまでも咲いているよGarden of love
いつまでも咲いているよGarden of love」
気がつけば、2012年の歌い始めだったのです。
万象房のページ
http://musictown2000.sub.jp/banshowboh/open_cafebanshowboh.htm


病気になってしまっていた。今は専門医の言うことに従って、爽快ですが、病気が直ったということはありません。酒を飲むなとは言われなかったけれど、毎晩の晩酌はやめました。今の爽快感を感じて、健康な時ってこんな感じなんだと発見する。あぁ、おれって病気だったんだなぁ、と痛感する。おれの体は壊れてしまったんだなぁ、とも思う。直接、生死に関わる病気ではくて、まだまだ生きれるんだ、とほっとする。いい気になって生きてきた自分への神様からの戒めかね。心は、多分壊れても折れてもいないから、これはこれでありがたいことだ、とも思う。おれってスーパー・ポジティブ。曲を書こう。
そうです、ぼくの人生、二幕目が閉じて、三幕目が始まりました。今日は二箇所に歌いにいきます。
さて、みなさん、これは大事なことです。調子悪い時は病院にすぐに行って、診てもらいましょう!!
ライブ情報
『きららフェス』 OPEN 14:00-
ひまわりヨガどころの『きららフェス』の中の「出たとこ勝負ライブ」で何曲か歌います。出店とかも多数あり。夕暮れ時、ヨガの先生、きららさんが川辺で舞います。
ひまわりヨガどころのページ
http://www.walls-and-bridges.com/kirara/index.html
http://www.walls-and-bridges.com/kirara/himawariyogadokoro.htm
スクールオブロック 20:00-
そして、この日の夜、わしゃ、また、スクール・オブ・ロックで弾き語るぞ。見にきて、歌、聴いて、いっぱいお酒飲んでくんろ。タイバンはジャイブする歌謡弾き語り歌手、チャーリー坂本さんやら、ロックな歌謡のミケマドカさんに、なぜか、歌謡臭のしないぼくがまじってしまう。
スクール・オブ・ロックのブログ
http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine
そうです、ぼくの人生、二幕目が閉じて、三幕目が始まりました。今日は二箇所に歌いにいきます。
さて、みなさん、これは大事なことです。調子悪い時は病院にすぐに行って、診てもらいましょう!!
ライブ情報
『きららフェス』 OPEN 14:00-
ひまわりヨガどころの『きららフェス』の中の「出たとこ勝負ライブ」で何曲か歌います。出店とかも多数あり。夕暮れ時、ヨガの先生、きららさんが川辺で舞います。
ひまわりヨガどころのページ
http://www.walls-and-bridges.com/kirara/index.html
http://www.walls-and-bridges.com/kirara/himawariyogadokoro.htm
スクールオブロック 20:00-
そして、この日の夜、わしゃ、また、スクール・オブ・ロックで弾き語るぞ。見にきて、歌、聴いて、いっぱいお酒飲んでくんろ。タイバンはジャイブする歌謡弾き語り歌手、チャーリー坂本さんやら、ロックな歌謡のミケマドカさんに、なぜか、歌謡臭のしないぼくがまじってしまう。
スクール・オブ・ロックのブログ
http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine


眠れない夜に、この二週間ほどでいろんな本を読みました。中沢新一著「鳥の仏教」、飯田史彦著「生きがいの創造」、ブライアン・L. ワイス著「前世療法」、ハロルド・シャープ著「ペットたちは死後も生きている」、シルビア・ブラウン著「天国にいったペットたち」、田中マルコ著「ある日、犬の国から手紙が来て」。お薦めは、中沢新一著「鳥の仏教」、ハロルド・シャープ著「ペットたちは死後も生きている」、田中マルコ著「ある日、犬の国から手紙が来て」で、この三冊は本のすべてが詩のようであります。
魂とか精霊のようなものが不滅であることようなことが、本当なのだろうか、と思案する。答えは出ないけれど、ぼくは、なぜかボ・ガンボズのどんと(http://www.songstar-donto.com/)が歌っていた「おめでとう」という歌を聴いて、それを信じてもいいのかな、と思った。こんな詞です
「君がこの世に生まれてきたのは
深い深い不思議なわけがあるんだよ
もしも君がここにいなくなったら
この星もぶっこわれてみんな消えてしまう
長い間 きみは土の中にしゃがみこんで
じっと待っていた
さあ今日は君の誕生日だよ
君は今日ここに生まれてきたんだよ
長い冬が終わって 目もくらむほどの
まぶしい光に包まれて君は泣いていた
もう大丈夫 なにも恐くないよ
本当によく来たね おめでとう
遠いところから君はヘトヘトになってやってきた
体はキズだらけ
もう君には旅はいらないよ
もうどこへも 行かなくていいんだよ」
始まりと終りの歌は、終りが始まりの歌のようで、胸が静かに騒ぐ。あちらはこちらで、こちらもあちらなのかな。レオ、残された写真の中の普通の犬とは思えない聡明そうな顔を見ながら、きみは神が遣わされた賢者のようであったから、そんなことは生まれた時からわかっていたのかな、と思い出す。
おやすみZZZzzz.....
魂とか精霊のようなものが不滅であることようなことが、本当なのだろうか、と思案する。答えは出ないけれど、ぼくは、なぜかボ・ガンボズのどんと(http://www.songstar-donto.com/)が歌っていた「おめでとう」という歌を聴いて、それを信じてもいいのかな、と思った。こんな詞です
「君がこの世に生まれてきたのは
深い深い不思議なわけがあるんだよ
もしも君がここにいなくなったら
この星もぶっこわれてみんな消えてしまう
長い間 きみは土の中にしゃがみこんで
じっと待っていた
さあ今日は君の誕生日だよ
君は今日ここに生まれてきたんだよ
長い冬が終わって 目もくらむほどの
まぶしい光に包まれて君は泣いていた
もう大丈夫 なにも恐くないよ
本当によく来たね おめでとう
遠いところから君はヘトヘトになってやってきた
体はキズだらけ
もう君には旅はいらないよ
もうどこへも 行かなくていいんだよ」
始まりと終りの歌は、終りが始まりの歌のようで、胸が静かに騒ぐ。あちらはこちらで、こちらもあちらなのかな。レオ、残された写真の中の普通の犬とは思えない聡明そうな顔を見ながら、きみは神が遣わされた賢者のようであったから、そんなことは生まれた時からわかっていたのかな、と思い出す。
おやすみZZZzzz.....


今夜はレオの追悼パーティーだとのたまい、町田のウェストボックスでのセッションで、禁を破るかのように、オリジナルの楽曲「レオ」を歌ってしまった。この歌は十数年前に作った歌で、こんなことがレオにも起きるのかなと何故か不安になりながら作った歌で、十数年前のぼくが、今のぼくとレオに贈りものをしたかのような不思議さを持っている。こんな詞です。
「ひどい悪夢にうなされて、明け方3時に目を覚ました
泣きながら夜空を見上げると、レオが月に向かって走っていた
何匹もの仲間の犬たちも
月に向かって走っていた
何匹もの繋がれていた犬たちも
月に向かって走っていた
さよなら、レオ、またどこかで会おうぜ
今や君は銀色に輝いて
伝説の気高い狼だよ
いつまでも死ぬことのない
永遠の命を得たのさ
月の光と朝日を浴びて
どこまでも、どこまでも走っていけよ
君が吠えるのは正しかった、遠吠えするのは正しかった
今や町じゅう遠吠えして、俺の胸に響きわたっている
とめどもない痛みがやってきた
草木や土に逆流していった
世界の色を変えるみたいな
涙がさらさら流れてきたのさ
さよなら、レオ、またどこかで会おうぜ
今や君は銀色に輝いて
伝説の気高い狼だよ
いつまでも死ぬことのない
永遠の命を得たのさ
月の光と朝日を浴びて
どこまでも、どこまでも走っていけよ」
歌い終わったあとライブハウスでテキーラトニックか何かを飲みながら、ぼくの隣に人間の姿をしたレオを想像し、レオが確かにいるように思え、レオはぼくに語りかけた。
「こんな楽しいところがあるなんて知らなかったよ。みんな、楽しそうでいいところだね」
犬の姿のレオが散歩し、知っているところは、せいぜいぼくの家のまわり、半径1キロメートル以内であった。小さな世界しか知らなかったかもしれないレオ、けれども、いいじゃないかとも思う。そんなことは、幸せとは関係ないことなんだ。
おやすみZZZzzz.....
「ひどい悪夢にうなされて、明け方3時に目を覚ました
泣きながら夜空を見上げると、レオが月に向かって走っていた
何匹もの仲間の犬たちも
月に向かって走っていた
何匹もの繋がれていた犬たちも
月に向かって走っていた
さよなら、レオ、またどこかで会おうぜ
今や君は銀色に輝いて
伝説の気高い狼だよ
いつまでも死ぬことのない
永遠の命を得たのさ
月の光と朝日を浴びて
どこまでも、どこまでも走っていけよ
君が吠えるのは正しかった、遠吠えするのは正しかった
今や町じゅう遠吠えして、俺の胸に響きわたっている
とめどもない痛みがやってきた
草木や土に逆流していった
世界の色を変えるみたいな
涙がさらさら流れてきたのさ
さよなら、レオ、またどこかで会おうぜ
今や君は銀色に輝いて
伝説の気高い狼だよ
いつまでも死ぬことのない
永遠の命を得たのさ
月の光と朝日を浴びて
どこまでも、どこまでも走っていけよ」
歌い終わったあとライブハウスでテキーラトニックか何かを飲みながら、ぼくの隣に人間の姿をしたレオを想像し、レオが確かにいるように思え、レオはぼくに語りかけた。
「こんな楽しいところがあるなんて知らなかったよ。みんな、楽しそうでいいところだね」
犬の姿のレオが散歩し、知っているところは、せいぜいぼくの家のまわり、半径1キロメートル以内であった。小さな世界しか知らなかったかもしれないレオ、けれども、いいじゃないかとも思う。そんなことは、幸せとは関係ないことなんだ。
おやすみZZZzzz.....


レオという名前の犬を飼っていたのでけど、数日前、なくしてしまった。安らかに眠ってしまった。ぼくは、寂しくて眠れなくなってしまった。泣いた。
レオが遠いところに旅立つ前にぼくはある本を買っていた。中沢新一さんの著した「鳥の仏教」という本だった。寂しさに眠れないぼくは、数日前に買っていた本を思い出し、読み始めた。読み始めると眠くなって、眠ろうとすると、寂しさに眠れない。それでまた読んだ。そんな夜がつづき、読み終えた本が「鳥の仏教」で、それはぼくにとって「犬の仏教」でもあり、「レオの仏教」と言いかえてもいい。
レオがぼくに教えてくれたのは愛と命。「鳥の仏教」は誰が書いたともわからないチベットの本「鳥のダルマのすばらしい花輪」の翻訳と中沢氏の書いた解説の「人間界の仏教から生命圏の仏教へ」からなる。その解説から一文だけ引用しよう。
「動物には人間と同じように心があり、その心にはしばしば人間を凌駕する徳性が宿っている。『ジャータカ』の作者は、そういう動物の心に宿る徳性が、人間の理想とする菩薩の徳性と、本質において同じものだと主張している」
レオもそうだったんだよ。そしてレオとぼくは結ばれた友だちだったのです。また、会おう・・・レオ・・・輪廻で・・・
レオが遠いところに旅立つ前にぼくはある本を買っていた。中沢新一さんの著した「鳥の仏教」という本だった。寂しさに眠れないぼくは、数日前に買っていた本を思い出し、読み始めた。読み始めると眠くなって、眠ろうとすると、寂しさに眠れない。それでまた読んだ。そんな夜がつづき、読み終えた本が「鳥の仏教」で、それはぼくにとって「犬の仏教」でもあり、「レオの仏教」と言いかえてもいい。
レオがぼくに教えてくれたのは愛と命。「鳥の仏教」は誰が書いたともわからないチベットの本「鳥のダルマのすばらしい花輪」の翻訳と中沢氏の書いた解説の「人間界の仏教から生命圏の仏教へ」からなる。その解説から一文だけ引用しよう。
「動物には人間と同じように心があり、その心にはしばしば人間を凌駕する徳性が宿っている。『ジャータカ』の作者は、そういう動物の心に宿る徳性が、人間の理想とする菩薩の徳性と、本質において同じものだと主張している」
レオもそうだったんだよ。そしてレオとぼくは結ばれた友だちだったのです。また、会おう・・・レオ・・・輪廻で・・・
