えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

エドワード・ベルガー監督の『教皇選挙』を見ました。「教皇選挙」とは近頃、新聞などもにぎわしたあのこと、カトリック教徒、14億万人の信者のいるキリスト教カトリックのローマ教皇を枢機卿が選ぶ、選挙のことで、「コンクラーベ」などと称されるものであるらしい。
さすが、アカデミー賞の脚本賞に選出されただけのことはあるストーリーの面白さで、ラストの展開にはあっと驚かされました。舞台はシスティーナ礼拝堂のみで、登場するのは神父と修道女ばかりです。知らない世界をのぞく面白さもありますな。
この映画を見ながら、日本での天皇の代替わり、昭和から平成、平成から令和の時に皇居の中では何が行われたのだろう、などと、ぼくは想像してしまいます。『教皇選挙』は決して事実を基にしてはいないのだけれど、そのあまりに人間的な話の中に、この映画は確かに伝統とは何か、現代に継承するとは何かというにこともテーマになっているような気もします。そして、日本の皇室の行く末なども案じつつ、伝統とその今への継承とは何だろうか、変わらないことと変わることとは何だろう、とぼくは考えずにはおられません。
映画『教皇選挙』公式サイト|2025年3月20日(木・祝)全国公開


丸の内TOEIで安田公義監督の『大魔神』を見て、本多猪四郎監督の『ゴジラ』を見ました。
『大魔神』は1966年の大映の映画でカラー作品。戦国時代の話で、いいものな武家の娘、花房小笹を演じた高田美和が可憐、純情でよかったです。鉄杭を打たれ、憤怒の表情で歩き始める大魔神が、すごくリアル。勧善懲悪の面白さ。
『ゴジラ』は1954年の東宝の映画でモノクロ作品。ゴジラの出現に懊悩する古生物学者を演ずる志村喬がいい。この映画の作られ、上映された1954年は日本の捕鯨船の第五福竜丸がビキニ環礁で行ったテラー・ウラム型水素爆弾実験場の付近に居合わせたことにより、被爆している。前々年の1952年に米国、GHQによる占領が終結し、日本の独立が回復し、1954年には自衛隊が発足しているのだけど、まだ戦争の記憶な生々しかったはず。ゴジラの踏み荒らし、破壊した後の東京は、東京大空襲の直後であるかのようです。わだつみと化した皇軍の魂ののりうつったかのようなゴジラは、皇居を迂回しつつ、東京を灰燼にし、街にはテレビを通じて「平和への祈り」が流れる。NHKによるテレビ放送開始は1953年であった。なにより、ゴジラが殺され、海に沈んでいくのが、ぼくには悲しかった。この映画は異様な傑作だとも思うのです。
日本は地震や台風など災害が相次ぐ国であって、だいだらぼっちからコジラ、大魔神、『風の谷のナウシカ』の巨神兵まで、日本人のエートス(土地による習慣)とか民俗には破壊の後に清浄をもたらす巨大な神がいるような気もします。「ゴジラ」の英語表記も「GOD」を含む「GODZILLA」らしい。怪獣を映画の中で発明した日本人にとって、怪獣には何か特別な秘密も隠されていそうで、こうなったら、映画館で『モスラ』や『大怪獣ガメラ』も見てみたい。


近々、閉館となる丸の内TOEIで川島雄三監督の『幕末太陽傳』を見ました。1957年の日活の映画。もともとの話は落語の「居残り佐平次」で、一部に落語の「品川心中」も入り、さらにふくらませて、品川の遊廓を舞台とした群像劇にして、グランドホテル形式の映画となっております。
主人公の居残り佐平次を演ずるフランキー堺がいい。南田洋子が女郎こはるを演じていて、こんなきれいな人だったとは知りませんでした。それから、高杉晋作役の石原裕次郎とか、高杉の都々逸「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」が基底の唄として効いています。
佐平次は肺病病みという設定で、だんだん苦しげになる咳の音が切ないです。この映画には幻の原案のエンディングがあって、それは佐平次が江戸時代のセットを駆け抜けて、現代の品川まで行ってしまうというもの。その大胆な発想はスタッフからの反対で採用されなかったのが口惜しい。
肺病を患う佐平次は筋萎縮性側索硬化症であった川島雄三自身の分身なのかもしれません。川島は1963年に齢四十一歳で病没しているのです。佐平次の「生きて生きて生きるんでい」のセリフが胸にせまります。
「サヨナラだけが人生だ」の言葉を残した川島雄三ってアナーキストだな、と思う。『幕末太陽傳』は反乱の1960年代を用意した一つだとも思うのです。
いつもぼくは幻のエンディングを夢想する。


近頃、閉館するという「丸の内TOEI」という映画館で山中貞雄監督の1935年公開の映画『丹下左膳余話 百万両の壺』を見て、小津安二郎監督の1953年公開の映画『東京物語』を見ました。いわずもかなの師弟のような二人の大監督であります。山中貞雄は戦争に従軍し、中国で亡くなってしまう。小津安二郎は年下の山中の夭折ともいえる無念の死を忘れることはなかったらしい。
『丹下左膳余話 百万両の壺』は小気味いい、エンターテイメント作品で、のんびりした話なのだけれど、幕間の現代的なモンタージュによって退屈させない。丹下左膳を演ずる大河内傳次郎もいいが、丹下左膳の居候する茶屋の三味線を弾き、唄う女将のお藤を演ずる新橋喜代三が元芸者の風情ある美人なのがいい。山中貞雄監督の映画はほとんど戦災によって焼失していて残っているのは、この『丹下左膳 百万両の壺』、1936年公開の『河内山宗俊』、遺作の1937年公開『人情紙風船』で、ぼくは『河内山宗俊』はまだ見ていないが、『人情紙風船』は悲哀に満ちた芸術性の高い名作であって、戦後の小津安二郎の映画の一つの手本ともなったような素晴らしさなのだ。山中の早折が惜しまれ、戦争が憎い。
小津安二郎監督の1953年公開の『東京物語』は、ぼくは繰り返し何度も見ている世界の映画に影響を与えた傑作なのであった。小津というとカメラのローポジションが有名だが、それよりも、相対する人物の視線を結んだ線をイマジナリー・ラインといい、それをまったく無視した人物を正面から撮る独特のカメラアングルこそが小津安二郎の撮影技法の独特なもので、ぼくはそこで映される、ある生々しい何かにいつも当惑してしまう。1953年というと戦争が終結した8年後で、東京という都市のある種の回復力にも驚いてしまう。1952年公開の『お茶漬の味』をはさんで、1951年公開の『麦秋』と同じく、何の活劇もないうちに、家族が静かに崩壊し、無常の中に消え行くかのようだ。『東京物語』の中で原節子の演ずる紀子のセリフの「仕方ないのよ、みんなそうなっていくのよ」は情緒を破り捨て、深く、重い。繰り返すけれど、日本映画の誇る傑作だと思う。


柿崎ゆうじ監督の『陽が落ちる』を見ました。凛として緊張した場面の続く時代劇は、静かなようでいて、凄まじきドラマを裏にはらんでおります。ラストは明るい解決とはほど遠く、闇の中に沈むようで、ぼくの気が滅入らす。イタリア・ネオ・リアリズムなどと称された、ぼくが学生の頃に見たミケランジェロ・アントニオーニ監督の1957年の映画『さすらい』を思い出します。
大江健三郎は自らの小説『みずから我が涙をぬぐいたまう日』のあとがきで日本という天皇が存在している国について、それがあるのと、ないということについて、想像力をめぐらしてほしい、というようなことを批判的な文脈で書いていたけれど、日本に武士道が存在していたことについて、どういうことなのか、ぼくの思考力ではなんとも結論が出ずに考えこんでしまう。たしかに武士道の時代は過ぎ去ったけれど、その武士道の一面のみを見て、美化することなかれ。美化できない残酷なそれはこの『陽が落ちる』も強く教えてくれていて、それはもう一つのありのままの現実のようなのだ。そして、その美しさと残酷さは三島由紀夫の例の事件のように忘れられたころに亡霊のように立ち現れるのかもしれません。静かで美しいけれど、共感とはほど遠い、万人にはお奨めできない衝撃的な映画であります。
映画『陽が落ちる』公式サイト


成瀬巳喜男監督の『女の座』を渋谷の映画館で見ました。1962年の白黒映画。1962年は、NHKラジオの戦争行方不明者の捜索を呼びかける番組「尋ね人の時間」が打ち切りになり、小津安二郎の最後の監督作品『秋刀魚の味』が封切りになり、初めての首都高速道路が開通した。
『女の座』は女系大家族のホーム・ドラマ。その家長である父を笠智衆が演じ、母を杉村春子が演じている。女系家族の娘たちを演ずるのは、高峰秀子、三益愛子、草笛光子、淡路恵子、司葉子、星由里子。高峰秀子や草笛光子がうまい。髪結いの亭主のような役で加東大介が出てくるのだけど、ぼくは、敗戦国の元臣民兵士の悲哀を感じてしまう。ストーリーはとりたててなく、会話劇によって表されるのも庶民の悲哀で、ユーモアの笑いをさしはさみつつ、しかも、その中に見え隠れするものはエゴイズムの残酷さなのだ。どこか、小津安二郎監督の『東京物語』のようでもある。ラストは序破急の破が起こり急となり、涙を誘う。どこか毒を含みつつも、日本のいい映画なのだった。
帰りにムルギーによりカレーライスを食べました。おいしかった。


ギンツ・ジルバロディス監督の『Flow』を見ました。ラトビア発のアニメーション映画。大洪水の後の人類のいなくなった世界を黒い猫が小さな廃船に乗ったりして、漂い、彷徨います。その旅をする仲間は、犬、テナガザル、鷺、カピパラ。猫をあわせてのこの五者は何かの隠喩だろうか? 主人公の黒い猫がかわいい。犬、テナガザル、鷺、カピパラもかわいい。黒い猫は擬人化された猫ではなくて、しかも人のような知恵がありそうだが、人の言葉はしゃべらない。ストーリーはあまりない。ときおり眠くなりつつ、ぼくは眠りませんでした。絵が息をのむような美しさです。そういえば、昔あったコンピューター・ゲームの『MYST』みたいな雰囲気もありますな。猫好きの人にお薦めの映画です。
映画『Flow』公式サイト


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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