えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
ディーン・フライシャー・キャンプ監督の『リロ&スティッチ』を見ました。ディズニーの子ども向けアニメを実写化したものだそうです。
テーマは「OHANA」。「家族」のハワイ語が「OHANA」だそうで、宇宙の遠くの星で遺伝子操作で作られた知能の高い動物が宇宙船を自ら操って、ハワイに不時着し、いろんな騒動をまきおこし、父親と母親を亡くした姉妹と家族となるという物語。主人公の妹のリロを演ずるマイア・ケアロハの自然児ぶりがかわいい。それにもまして、奔放な犬みたいな暴れ者の宇宙の動物のスティッチがかわいい。そのスティッチがあるとき目覚め、心という不思議なものをを獲得するかのようなのです。そんな二人にあたふたとする姉のナニを演ずるシドニー・アグドンはシンガーのアリシア・キースにどことなく似ているのが気になります。
ハワイってこんなところでもあるのかと、旅に心が誘われるかのようでもあります。そして、素敵なハッピーエンドに、映画館につめかけたたくさんの小学生と同じく、ぼくの心はうばわれたかのようなのです。
実写映画『リロ&スティッチ』公式サイト
早川千絵監督の『ルノワール』を見ました。こういう映画を見ると、フランソ・トリフォーの『大人は判ってくれない』を思いだしてしまう。『ルノワール』と『大人は判ってくれない』のラストは真逆なのだけれど、どこか同じような気もするのです。
お父さん役をリリー・フランキーさん、お母さん役を石田ひかりさんが演じています。石田ひかりさんがいい。小学生の子役の鈴木唯ちゃんがさらにいい。
舞台となっている時代は1980年代の初めのほうだというのは、林間学校でみんなでYM0の「ライディーン」をかけて踊るシーンから分かります。
子どもの頃、誰もがこの映画のような喪失を経験するような気もするのだけどどうだろう? その喪失感こそが、なぜか、これからの人生を人間らしく生きていく糧となるような気もするはどうしてだろう?
映画『ルノワール』公式サイト|絶賛公開中
ジョン・クローリー監督の『We Live in Time この時を生きて』を見ました。直球の恋愛ドラマでした。時間が過去、現在、未来へと錯綜しても、何だか分かってしまいます。ついには「バイバイ」という言葉に収斂しつつも、爽やかな語り口でありました。ヒロイン役のフローレンス・ピューの体当たりの熱い演技が素晴らしい。ぼくもこんなピュアな恋愛をしたかったけれど、人生、実らぬ恋ばかり、今ではいまさらの夢のようですな。
映画『We Live in Time この時を生きて』公式サイト
李相日監督の『国宝』を見ました。出入りで父親を殺されたヤクザの息子が歌舞伎役者の名門にあづけられ、名役者となっていく約半世紀の一代記。
主役のヤクザの息子役が吉沢亮くん、歌舞伎の家の跡取り息子役が横浜流星くん、主役のヤクザの息子の父役の永瀬正敏さん、歌舞伎の家の芸にきびしい父役が渡辺謙さん、母役が寺島しのぶさん、ヤクザの息子の恋人役が高畑充希さん、歌舞伎の女形の重鎮の役に田中泯さんであったりして、オールスターキャストです。歌舞伎の家の出の寺島しのぶさんはインタビューで、昔の我が家を思い出した、などとおっしゃっておられました。
歌舞伎の舞台のシーンはとても美しいけれど、血とか親子の葛藤やら伝統が混ざりあい、物語はどこか暗く、重い。その重さが心地よい感動をよぶかのようです。昔の日本映画にこのようなものがたくさんあったような気もします。もちろん、事実に基づく物語ではなく、吉田修一さんによる小説です。かさねがさね、いくつも出てくる歌舞伎の舞台のシーンは素晴らしく、あー、歌舞伎の本ものの舞台を一度、見てみたいものです。エンドロールを見ながら、胸がじーんとなり、芸の道に魅入られということは悪魔に魅入られということであろうか、などと考えていました。
映画『国宝』公式サイト
VODで小津安二郎監督の『風の中の牝雞』を見ました。何度目か再見。1948年の日本映画です。
住宅街の中に大きな化学プラントのような建物があるのが何か気になります。車は道を走っていない。
戦後、田中絹代の演ずる夫の戦場からの復員を待つ妻が、病気となった子どものために一夜だけ身体を売るということをし、子どもは回復するが、佐野周二演ずる後に復員となった夫と確執となる、そんな話でした。日本と日本人にとって、この頃が一番、苦しかった時かもしれません。
小津自身、この映画を失敗作と認めている。カンヌ映画祭でグランプリをとった『スパイの女』の黒沢清監督はこの映画を小津の映画の中で異色のカルト的なもっとも重要な映画としている。
さて、ウィキペディアから三つの批評を紹介します。映画評論家の佐藤忠男の批評。
「若い娼婦が隅田川沿いの空き地で弁当を食べるシーンを引いて「敗戦で日本人は娼婦のごときものとなった、しかしそれでも、空き地で弁当を食べる素朴さは保持しようではないか」」
アメリカの作家・批評家であるジョーン・メレンの批評。
「夫婦の子どもの名前がヒロ(浩)であることを挙げ「この名前が天皇から取られたのは偶然ではない」とした上で「彼女は日本人の生活のすぐれた点を守るために身を売ったのである。小津は日本人に向かって、すぐれた点、つまり占領によって汚されることのないと彼が信じる日本人の生活の貴重なものを守るために、新しい社会を受け入れるべきだと語っている」」
フランスの映画評論家・映画プロデューサーのユベール・ニオグレの批評。
「戦後日本の道徳的雰囲気についてのもっとも素晴しい要約のひとつであり、小津作品のなかで戦争の時代を締めくくり、今日もっとも知られた後期作品に先立つ転回点としての作品でもある」
ぼくは、妻の不貞を許せない夫への、笠智衆の演ずるその夫の同僚の言葉が、小津安二郎自身の言葉としてどこか響いているような気もしました。
小津安二郎はこの映画の反省として、二度と戦争にまつわる否定的なことは映画にしない、とインタビューで答えていたけれど、後の映画にも被害、加害の両方を深めた戦争の何某かは、小津の映画に隠れて表出されることとなるのです。
VODで黒澤明監督の『酔いどれ天使』を見ました。1948年の日本映画で日本映画史上に残る名作です。米兵こそ出てはきませんが、米国占領下の日本が生々しく描かれております。敗戦の日本の当時の人たちは、何かに苛立っていたようでもあるのです。そのささくれは何度も映される水たまりの汚泥に象徴されているようなのです。
黒澤映画に欠かせない志村喬と三船敏郎という二人のスターが共演しております。この映画の題名である「酔いどれ天使」とは志村喬の演ずる飲んだくれの町医者のことを指していることに改めて気づきました。三船敏郎の演ずる若いヤクザと医者との奇妙でもある友情の話でもあります。ヤクザの情婦役の木暮実千代の悪役ぶりもなかなかいい。肺病から回復する少女役を久我美子が演じていて、可憐でいい。汚泥に咲く一輪の花のごとしなのです。久我美子は戦後、廃位となった華族の出で、本当のお嬢さんでもありました。
それにしても、ダンスホールで「ジャングル・ブギー」を歌う笠置シヅ子はあまりに強烈で、演奏するスィング・バンド、クラック・スターも本物の素晴らしさです。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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