えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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ギャレス・エドワーズ監督の『ジュラシック・ワールド 復活の大地』を見ました。前回でおしまいだと喧伝されていた「ジュラシック」シリーズが復活です。

今回は「ジュラシック・パーク」だか「ジュラシック・ワールド」だかの動物園ならぬ恐竜園が崩壊し、生き延びた恐竜は赤道直下の海とか陸に集まって生息し、そこは立ち入り禁止になっているという設定。そこでは人為的な遺伝子操作によって作られた恐竜も生息していて、心臓病の治療に劇的に役立つという、海の恐竜、陸の恐竜、空の恐竜のDNAを持つ血液を求めて、三人が危険な旅に出る。一人は食いつぶした女傭兵、一人は薬学の学者、一人は恐竜オタク。女傭兵役のスカーレット・ヨハンセンがかっこいい。そこに南海の寂れたリゾートを経営する男とその部下も船員として加わる。船員のボスを演じているのはマハーシャラ・アリで、『グリーン・ブック』で主役のピアニスト役を演じた人ではないか。正義漢のこの船員が『ジュラシック・ワールド 復活の大地』でも大活躍で、かっこいい。そこに、たまたま恐竜に会ってしまい遭難してしまい、助けられた四人の家族とその家族の娘の恋人の五人が加わるのです。その家族の小さなの女の子になつく小さな恐竜は『風の谷のナウシカ』のキツネリスの「テト」みたいだ。さて行く末はいかに? 続きは映画をご覧ください。

最近のアメリカの映画はこんな大仰なスペクタクルなのばっかりだな、などと思いながら、ハラハラドキドキしてしまい、とても面白かったのです。

祝、復活「ジュラシック」シリーズですな。

映画『ジュラシック・ワールド/復活の大地』公式サイト
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平一紘監督の『木の上の軍隊』を見ました。

この映画の基は井上ひさしさんの戯曲。同じく井上ひさしさんの戯曲を基にした黒木和雄監督の『父と暮せば』が父を演じた原田芳雄さん、娘を演じた宮沢りえさんで、とてもいい映画だったことを記憶しています。

『木の上の軍隊』は、事実を基にした物語ということで、沖縄の小さな島を舞台にした銃撃戦と白兵戦の長いプロローグから始まります。全滅した日本の部隊に二人、上官と初年兵のみ生き残り、ジャングルの木の上に身を隠し、援軍の来るのを待つちますが、いつまでたっても、援軍は来ず、終戦を知らずに二人の孤絶した戦争が続いていきます。褐色と灰色、渋い緑の色落ちしたような背景もあいまって、全編、とてもリアルです。

上官を堤真一さんが演じていて、初年兵を山田裕貴さんが演じています。二人とも素晴らしい熱演。軍国主義に心を狂わされたヤマトンチュの上官とぎりぎりの一戦で正気を保っているウチナンチュの初年兵の行く末は映画をご覧ください。

こんなことも思い出しました。日本軍には「戦陣訓」というものがあって、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」という有名な一節があります。それは、失われなくてもよかった命を奪った、愚劣なもののようにも思えるのです。

沖縄戦によって県民の四人に一人が命を亡くしました。事実であった歴史を改竄することは許されない。戦争は二度と行なってはならないのです。

映画『木の上の軍隊』公式サイト
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VODで木下恵介監督の『カルメン故郷に帰る』を見る。1951年の映画です。

都会でストリッパーとなったリリイ・カリメンことおきんが生まれ浅間山麓の故郷の北軽井沢の田舎に帰ってきて、騒動を起こすというお話。おきんを高峰秀子が演じているのだが、おきんは大きな木の下で牛に蹴られて、頭が悪くなったという設定は、今の時代、ポリコレとかコンプライアンスとかでアウトかもしれない、などとふと思う。近年、舞台で藤原紀香主演で再演されていて、そんなことないか。コンプライアンスでアウトとなると、落語の与太郎ものなどは、全部、アウトだもんな。

映画を見ながら、演技派の高峰秀子は踊りも歌も超一級なのに驚く。さらに驚くべきは、この映画は日本で初めての総天然色映画なのだ。別荘という文化の入る前の北軽井沢の景色が美しい。こんなにのんびりしたいいところだったんだ、と驚いてしまう。とても楽しい映画でした。
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松本准平監督の『長崎―閃光の影で―』を見ました。長崎での原爆投下後の町と病院での菊池日菜子さん、小野花梨さん、川床明日香さんの演ずる、三人の看護師のシスターフッドものの物語でした。

原案となった本は『閃光の影で 原爆被爆者救護 赤十字看護婦の手記』で、映画で表された陰惨な地獄のような光景の細部は、ほぼ事実であるだろう、とぼくは思う。恐ろしいことには、この前に川崎市岡本太郎美術館で見た広島の原爆直後の記憶画の方が更に陰惨であることだ。映画では表し難い地獄であったのだろう。被爆者たちは急性の放射線障害で血を吐きながら、ぼろぼろになり、ばたばたと死んでいき、病院の庭で焼かれていく、まさに地獄。

戦争を終わらせるために原爆を使ったという、あたかも原爆を肯定するかのような、アメリカの大統領の発言や、核武装が最も安上がりと発言した前の参議院選挙で当選した国会議員は、ぼくにはまったく許し難い。

映画に戻り、敗戦となった翌日、看護師長が若い看護師にやって来る危険な米兵から貞操を守るためにいざという時はこれを使いなさい、と青酸カリを配るシーンがある。昔、李香蘭であった山口淑子さんの自伝『李香蘭 私の半生』読むと、敗戦の日に元陸軍軍人の憲兵、満洲映画協会の理事長であった甘粕正彦から女性たちに日本女性を貞節を守るためにと青酸カリが配られたという。配られて、それを使った人は誰もいなかったが、青酸カリを使ったのは甘粕自身、ただの一人であった。ぼくは甘粕も看護師長も卑怯で愚劣だと思う。『長崎―閃光の影で―』でのその後はいかに?それは 映画をご覧ください。

さて三人のシスターフッドと書いたが、その中で、大河ドラマ『べらぼう』にも出ている小野花梨さんがなかなかよかったです。ヒロインは菊池日菜子さんなのだが、小野花梨さんの演技が映画を推進させ、引っ張っていたように思います。あたかも、小津安二郎監督の映画の原節子が菊池日菜子さんならば、杉村春子が小野花梨さんであるかのようにです。

八十年前に日本が敗戦した夏がやってきました。これから何があっても、勝っても負けても、日本は戦争をしてはいけない。

映画『長崎―閃光の影で―』公式サイト
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パヤル・カパリーヤー監督の『私たちが光と想うすべて』を見ました。去年のカンヌ映画祭のグランプリはインドの大都会のムンバイを舞台に淡々とした日常を描いた映画でありました。

三人の女性たちのいわゆるシスターフッドもので、なぜか日本の成瀬巳喜男監督の映画などを思い出します。『私たちが光と想うすべて』の後景にぼんやりと映し出されるものが、ヒンズー教とイスラム教の間の見えない壁のようなものであったり、カースト制であったりするのだけど、成瀬巳喜男の映画では戦争とそれにともなう敗戦であったりするのだと思います。

後半、『私たちが光と想うすべて』で舞台は変わり、どこかの海辺の村となるのですが、そこでのできごとは、夢なのか、現なのか、釈然としない曖昧さで、穏やかな多幸感すらあるのです。

エンドロールを見ながら、ぼくは映画という物語の中の三人の女たちのこれからの平和と安寧の人生の道行きを願わずにはおられませんでした。

映画『私たちが光と想うすべて』公式サイト
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VODで小津安二郎監督のの『宗方姉妹』を見ました。1950年の映画です。「宗方姉妹」と書いて、なぜか「むなかたきょうだい」と読むそうです。原作は大佛次郎による小説の『宗方姉妹』。

ダブル主演で姉の三村節子を田中絹代が、妹の宗方満里子を高峰秀子が演じています。姉妹の父の宗方忠親を演じ、三村節子の夫の三村亮助を山村聰が演じているているのだけれど、この山村聰の怪演が、悪魔に取り憑かれているかのような凄さです。映画の中では多くは語られない三村亮助(山村聰)は満州の大連でドイツ哲学か何かを教えていた大学教授で、日本の敗戦の後、公職追放となり、職も見つからず、飲んだくれて、すさんだ暮らしを送っている、のだとぼくは想像してしまいます。三村節子(田中絹代)の経営するバーの雇われバーテンダーを堀雄二が演じていて、特攻隊の生き残りなのだけれど、酔っぱらった宗方満里子(高峰秀子)から、おまえみたいのが特攻隊だったから日本は負けたんだ、とこっぴどく罵られる。

この映画の前景には昔風の考えの三村節子(田中絹代)と現代的な宗方満里子(高峰秀子)の対立があるのだけれど、後景の方が生々しく、敗戦後の五年後の日本人のいかんしがたい心の内側であるような気もするのです。
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黒澤明監督の『羅生門』をVODで見ました。1950年の日本映画です。

原作は芥川龍之介の『羅生門』ではなく、芥川の『藪の中』。ラストの捨てられた赤ん坊を志村喬の演じる杣売りが自ら育てると受け取るシーンは映画化により付け足された話であると思い、そこはいかにもヒューマニストの黒澤らしい。それ以外のこの映画の話はまったく芥川龍之介らしく、事件の当事者の三船敏郎の演じる盗賊の語ることも、森雅之演じる武士の語ることも、京マチ子演じる武士の妻の語ることも、本質的には交わらず、誰もが孤立した夢の中にいるように思えるのはどうしてだろう? このような話を書いた天才の小説家は、悲劇の最期を遂げるしかなかったようにも思えたのです。

松竹の雨はしとしと降り、大映の雨はざーざー降るといわれたらしいけらど、一級の演出家である黒澤明が『羅生門』に降らせた雨はまったくの豪雨で、曖昧なハッピーエンドでは小雨になっている。

京マチ子は妖艶で、志村喬は悩み、それは後の黒澤作品の『生きる』を先行するかのようだ。そして、盗賊の三船敏郎は『七人の侍』の千代丸を思わせるところもある。

ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞に輝く名作です。この映画は敗戦国の日本に日本人であることへのある種のプライドを感じさせたというのです。ここから豊穣の日本映画の1950年代が始まったのかもしれません。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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