えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
『路傍の反骨、歌の始まり 姜信子 × 中川五郎 往復書簡』を読みました。
読みながら、この本を少なからぬ人数の歌いつづける人生を選んだぼくの友だちに回覧をしたい、などとも思ってしまう。
この本は、近ごろは語りべを始められ、たくさんの著作もある姜信子さんと、半世紀以上も歌い続けてきたシンガー、中川五郎さんのとても深い内容の公開された往復書簡集で、熊本で大きな災難をもたらした地震のあった、およそ一か月後の2016年5月31日に石牟礼道子さんの童話『水はみどろの宮』の話に始まる姜信子さんの手紙は、何通ものやりとりがあり、それはいつしか「「無縁」の場」のこととなり、新型コロナウィルス禍に世界が席捲されてしまう前夜のような2020年2月1日、中川五郎さんの姜信子さんへの新しい旅への誘いで幕を閉じる。ぼくもその旅の席にどこかにいて、同じ列車の中にいれればいいな、と思った次第。
さて、姜信子さんの手紙に出てきた「「無縁」の場」とは脚注によればこんなこと。
「無縁の「場」 無縁はもともと村社会や寺社から切り離された場所や状態を指す言葉だが、中世日本の研究者網野善彦が著書『無縁・公界・楽』において、世俗から切り離された特殊な空間で権力から自由や平等が確保され、いきいきとした人間性が発揮されていたことを指摘し、その概念を捉え直した。また、権力の及ばないそのような自由なエリア、聖域はヨーロッパや中国でもアジール等と呼ばれる特別な場として歴史的に社会内に確保されていたことも指摘された」
そうか、無縁の場は何度も立ち現れて消えていくもので、ぼくが惹きつけられるものは、人を縛る「絆」ではなく「無縁」ではなかったのか? いくつかの場所も思い浮かびもする。今、ウィルス禍の中、そのような場が奪われて、失われつつあるのかもしれないけれど、何度でもそれはこれからの未来に立ち現れるのだろう。旅の途中のそのような無縁の場で、ぼくは、また、きみと再会したいのです。
ひさしぶりにBob Barley & the Wailersのアルバム"Burnin'"を聴いていたら、この前、空の向こうに旅立ったBunny Wailerの歌声が、こんな夜に、ぼくの部屋に響きはじめた。"Pass It On"、音楽は、とてもすばらしくて聞き入ってしまう。詞を意訳してみました。おやすみなさいZZZzzz.....
♪♪♪
きみが何を手にしようが
自分の目で見るんだよ
じぶんのしたことがどうなのか、ちゃんとわきまえて
すると、いいことがもどってくるのさ
すると、きみに残っているのはきみの良心で
きみを裁くのは他の誰でもないきみ自身の心だけ
もう自分のことばかり考えるのはやめて
次に渡そう
自分のためだけに生きているのなんて虚しいだろう
自分のもっているささやかなものを次に渡そう
必要な時に兄弟を助けよう
次に渡そう
自分のためにだけに生きるなんてつまらない
だれかのために生きよう もう一度、生きてみるのさ
そうすれば、そこは神様の治める王国なのさ
次に渡そう
暗闇の中にいたとしても
光があばいてくれる
善と悪を区別し裁くためにぼくたちはここにいるんじゃない
けれど、正しいことをすれば
暑くうなされる日も
日陰が救ってくれる
けれど、日が過ぎていき
太陽の下、だれもきみを見つけられはしない
自分勝手はやめて
次に渡そう
必要な時に兄弟を助けよう
次に渡そう
自分のためにだけに生きるなんてつまらない
だれかのために生きよう もう一度、生きてみるのさ
そうすれば、そこは神様の治める王国なのさ
次に渡そう♪♪♪
♪♪♪
きみが何を手にしようが
自分の目で見るんだよ
じぶんのしたことがどうなのか、ちゃんとわきまえて
すると、いいことがもどってくるのさ
すると、きみに残っているのはきみの良心で
きみを裁くのは他の誰でもないきみ自身の心だけ
もう自分のことばかり考えるのはやめて
次に渡そう
自分のためだけに生きているのなんて虚しいだろう
自分のもっているささやかなものを次に渡そう
必要な時に兄弟を助けよう
次に渡そう
自分のためにだけに生きるなんてつまらない
だれかのために生きよう もう一度、生きてみるのさ
そうすれば、そこは神様の治める王国なのさ
次に渡そう
暗闇の中にいたとしても
光があばいてくれる
善と悪を区別し裁くためにぼくたちはここにいるんじゃない
けれど、正しいことをすれば
暑くうなされる日も
日陰が救ってくれる
けれど、日が過ぎていき
太陽の下、だれもきみを見つけられはしない
自分勝手はやめて
次に渡そう
必要な時に兄弟を助けよう
次に渡そう
自分のためにだけに生きるなんてつまらない
だれかのために生きよう もう一度、生きてみるのさ
そうすれば、そこは神様の治める王国なのさ
次に渡そう♪♪♪
吉祥寺のアップリンクでジョン・コニー監督の『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』を見た。
この映画は、昔、レンタル・ビデオで見たことがあったな。レンタルビデオ店がつたや以外にも、昔はあって、どこかの変わった個人経営のお店で借りたのだと思う。その時は、わけのわからない映画だと思い、けれど、サン・ラーはぶっ飛んでいてかっこいいな、と思ったものでした。今、改めて、書籍「サン・ラー伝」を監修した湯浅学さんの日本語字幕付きで、少しは分かりやすいけれど、それでも、なんだかよく分からない映画で、けれども、かっこよかったし、サン・ラーの音楽は最高です。
サン・ラーが宇宙からやって来るUFOというかフライングソーサーというか空飛ぶ円盤が、おっぱいの形をしていて、その奇妙さに笑ってしまう。
冒頭のシーンが昔の1940年代のジャズクラブでサン・ラーがピアノを弾いていいると、テーブルの上のコップが割れ、ありたあらゆるものが壊れてしまうといいのは、サン・ラー自身がインタビューで、こんなことがあったと答えていた話でもあります。
この映画は、場面のありとあらゆるところにサン・ラーのアストロノミーの秘密が記号がちりばめられ、隠されているに違いない。それを解き明かすために、ぼくは再びサン・ラーの音楽を聞かねばなるまい。
映画『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』公式サイト
佐木隆三の『身分帳』を読んだ。
この前に見た西川美和監督の映画『すばらしき世界』の原案となった、あくまでも事実に基づいた小説であることは、この講談社文庫版の同じ本に所収されている『行路死亡人』で明かされる。「行路死亡人」とは「行き倒れになった人」の意味の法律用語で、この短編『行路死亡人』は、『身分帳』の主人公の死の知らせを作者が受けて、その行き倒れになった人との作者の思い出を綴ったものであった。『身分帳』の中で登場する、刑務所帰りの主人公に何かと世話をする、映画の中では六角精児さんの演じていたスーパーの店長など、このような気さくな人格者、大人物が市井に本当にいるのだろうか、とぼくは思ってしまっていたのだけれど、本当にモデルとなる人物がいたことを知りました。
小説を読みながら、主人公、山川一、映画の中での三上正夫に人に惹きつけられ、『行路死亡人』を読み終わったら、あいつは本当におもしろい、いいところのあるやつだったな、となんだか思い出されるようで、本当に寂しく感じ、ぼくの心に悲しみが染みてしまっていくようであった。
長い小説のその読後感は素晴らしく、佐木隆三の言葉を書き述べる力に圧倒される思いがしました。
西川美和監督×六角精児 特別対談
故・佐木隆三の描いた『身分帳』から辿る、旭川刑務所を出所した元殺人犯の衝突と挫折 『すばらしき世界』原案の復刊に寄せて