えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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こんな夢を見た。

どこかの帰りにどこかの県民ホール、もしくはどこかの市民ホールの前を通る。そうだ、今夜、ここで〇〇さんがコンサートをしているんだっけと思い、中に入ってみる。劇場のような席の並びになった待合室があり、そこに〇〇さんがいる。そうか、やっぱコンサートなんだと思う。まわりには〇〇さんの親族一同がたくさんいる。自分はこういう仕事をしていますという披露の意味もこめての今夜のコンサートなのだろうかと思う。遠くから見るに数十人はいそうだ。

今夜は家に帰ってアルバイトをしなければと思っていると、〇〇さんに見つかってしまい、やー、見に来てくれたの、時間が押していて、うちらの出番は夜の十一時からだよと言われる。アルバイトをしにすぐに家に帰りたかったのだが、コンサートを見に来たのだとぼくは言ってしまう。さて、十一時からだと終えるのが多分十二時過ぎで、その時間に電車で家に帰れるのだろうかと思いながら、今夜は見て帰ろうと決心する。多分、ここのキャパシティーは大きくて、こんな大きなホールで演奏するようになったのかと驚く。

そこで目が覚めた。これは現実にありそうな夢でもあるよ。ある夢占いによると、コンサートに誘われる夢は、多くの友人を得るということだそうな。本当かしら? ゆめゆめうたがうことなかれ!
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DOORS末期の凄まじいライブです。1970年4月10日のボストン・アリーナでの2つのショウを完全キャプチャーしたこのアルバムを聴くと、Jim Morrisonは、自ら"Shaman's Blues"で歌った歌詞にあるように、祈祷師であり、呪術師でもあり、そこで召喚されるのは土地を汚され奪われたアメリカ・インディアンやリンチされ吊るされた黒人でもあり、それ以上に、ベトナムから帰ることのできなかった名も無き若い兵士の霊であるのかもしれない。

永遠と途切れることもなくアドリブ的に演奏され、それは、エイトビートの激しいジャズのようでもあるけれど、Jimによる朗読と歌すらも、さらにアドリブで歌われることによって、コンサートは禍々しい儀式のようになっていく。音と歌が地を這い、天に舞い上がる中、セカンド・ショウの後半ともなると、オーディエンスが静まりかえっているのだ。永遠に続くかのようなこの夜の祭りは、主催者による電源断によって唐突に終り、戸惑う客席の声に混じり、Jimが怒気荒く、捨て台詞に"Cock sucker!"と吐き捨てて終わる。怖えー。






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いつでもその人がライブとかする日は雨になる、そのような人を知っている。その人が司会をしているセッションによく顔を出すのだが、毎回、雨が降っていて、この日も雨だった。そのセッションでは滅多に演奏されることないレゲエというジャンルの音楽の歌を歌ったのです。Cultureというコーラスグループの"Love shines brighter"という曲で、その人、雨女さんに少し似つかわしいかもしれないなどと思いもしつつ、その曲の詞はこんなリフレインを持っている。

Love shines brighter than the morning sun
Love shines brighter everyday
Love shines brighter than the morning sun
Love shines brighter everyday

高校生のころ知ったルーツ・ロック・レゲエの名曲が忘れがたく、いつか歌ってみたいと思っていたのだが、もちろんCultureのリードボーカリスト、Joseph Hillのようには歌えなかったのだけど、詞をなんとか訳してみました。もしかして間違っているかも。パトワと呼ばれるジャマイカ独特の英語がかなり聞き取りしずらいのです。意訳ということで。

「愛って、朝のお日様よりも明るくて輝いている
愛って、毎日、さらに明るく輝いている
愛って、朝のお日様よりも明るくて輝いている
愛って、毎日、さらに明るく輝いている

朝、目覚めて外に飛び出すと
愛が心の鼓動のような初めにやってくる
緑の木が上を伸びていっている
父なるものに感謝しようと仰ぎ見る

愛って、朝のお日様よりも明るくて輝いている
愛って、毎日、さらに明るく輝いている (それを信じた方がいいよ)
愛って、朝のお日様よりも明るくて輝いている
愛って、毎日、さらに明るく輝いている (ジャーに感謝しなきゃあ)

庭の花々を眺めてみなよ
なんて美しいのを近くで感じられるだろう
松の木すら高く天に伸びていき
かわいい小鳥たちがさえずり歌っている

愛って、朝のお日様よりも明るくて輝いている
愛って、毎日、さらに明るく輝いている
愛って、朝のお日様よりも明るくて輝いている
愛って、毎日、さらに明るく輝いている」

実なぼくも雨男。だからかもしれないけど、この歌、好きだなー。Joseph Hillは二年前に帰らぬ人となったのだけど、愛は輝きつづけていると思う。

Culture - Africa Stand Alone - Love Shines Brighter

http://www.youtube.com/watch?v=xez3ZvSU0B0

(Wikipediaより
ジャー=Jah:ジャー(Jah)は、ラスタファリズムにおける神を表す語。ラスタファリズムとはジャマイカの国民的英雄とされるマーカス・ガーベイに端を発する宗教運動である。「ラスタファリ」とはエチオピア帝国の皇帝ハイレ・セラシエ1世の幼名である。多くは奴隷時代にアフリカから西インド諸島に連れて来られた人々の子孫で、アフリカ回帰の願望が強烈に表明されている。ジャーは旧約聖書(欽定訳聖書の詩篇第68篇4節)の「YHWH」の短縮形「ヤー(JAH、「ヤハ」とも)」が、英語読みされるため、このように発音される。ラスタファリ信奉者(ラスタファリアン)は普通名詞の神ではなく、好んでこの語を用いる)






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富めるものはさらに富み、貧しいものはもっと貧しくなる。強いものはさらに強くなり、弱いものはもっと弱くなる。日本の社会も、近頃では本当にそうなってしまったような気がするこの頃です。けれど、数年前リヴァイヴァルして再び読まれるようになったという「蟹工船」の船底やら、映画創生期のドイツの名監督フリッツ・ラングの名作「メトロポリス」で描かれる地底のようなところにこそ、暖かい日の光はさしているようなのだ。

立川市のX-AREAと呼ばれる米軍ハウスのある、もしくはあった区域で開かれた"House de Musica"とタイトルされたイベントに行ってきた。友だちのスカやらジャズの風味する無国籍的映画音楽のような演奏をするKidlatも出演するという。ぶらぶらと音を聴きながらその小さな区域を歩きまわり、ビールを飲み、野菜とチキンの串焼を食べ、明るく暖かい五月の日の光を浴び、そこは、富んではいないものたち、強くないものたちのパーティーの広場のようなものだとも思った。

最後に出演したバンド、Orquesta de Wild Think/V.S.O.Pも最高でした。このバンド、カリプソやサンバ、サルサのような演奏に乗せて、女の人が日本語の歌を歌うのだが、ラテンのリズムが歌に溶け合い、日本の日常の日々の暮らしの空気が吸い込まれていくようだった。あとに残るのはハッピーな青い空の色で、この幸せのマジックは何だろう? 古い映画で見た東京キューバンボーイズとかを思い出したのはどうしてだろう? このマジックは何だろう?

Orquesta de Wild Think/V.S.O.Pのmyspace
http://www.myspace.com/vsopvsop

Kidlatのページ
http://kidlatsound.com/
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棚の奥からある詩集が出てきた。それは「チャー坊遺稿集」という。チャー坊とは、昔、「村八分」という放送禁止用語をバンド名に冠した日本のロック・バンドがあって、その村八分のヴォーカリストであった人で、本名を柴田和志という。村八分は1960年代にダイナマイツのギタリストであった山口冨士夫が、アメリカを旅しローリング・ストーンズのオルタモント駐車場でのフリー・コンサートを見て帰国したチャー坊を誘い、1971年に結成したバンドであった。村八分は1973年までにシンプルなブルース・ロックを演奏し、歌詞はチャー坊のオリジナル日本語詞で、その詞もヴォーカルも本当にオリジナルで素晴らしく、冨士夫のシンプルなギター・リフが音楽を滑空させていた。1973年に2枚組のライブ・アルバムを発表し、休止状態になる。山口冨士夫と柴田和志が協同して初めて作った曲が「くたびれて」という楽曲で、柴田和志は石川啄木やフランスの詩人、ランボーが好きだったらしく、こんな詞であった。

「あるいても あるいても
はてどなく はてどなく
にぎりしめた手のひらは
あせばかり あせばかり

あるいては 立ちどまり
目を閉じて ふりかえる
心にしまった宝は
さみしさばかり

あるいては くたびれて
ふりかえり くたびれて
にぎりしめた手のひらは
くたびれて くたびれて」

チャー坊はバンドがなくなったあと、旅に出る。1973年から1975年ぐらいまで、世界中を旅し、あらゆるメディシン、ドラッグを経験したという。帰国後の1975年、薬物中毒と統合失調症(旧名:精神分裂病)を発症。度重なる入退院を繰り返す。1977年と1979年に山口冨士夫と村八分を再結成している。1979年のライブ音源がCDとなり公式にリリースされているのだけど、モータウンのスタンダードなども山口冨士夫のボーカルで演奏している。この1979年の再結成はあまり評判が良くなかったらしいのだけど、今、聴くとこの時のライブは本当に素晴らしい。この時に「Red Letter(思想犯の手紙)」という曲を英語の詞で新曲として披露しているのだけど、もともとの日本語の詩はこう。

「帰りたい君の住む家へ
なんて遠くまできちまったんだろう
はやく はやくたどりつきたい

君の住む家へ帰りたい
あなたを愛してるから
今 赤い手紙を書いている

今から海を見にいくんだ
流れ星を見たことあるかい
何かいい事があるぜ

思想犯の手紙 悲しい手紙だぜ
ガンバレ赤軍 赤い星 人は殺すな
東大闘争の人たち覚えているかい

銀色の涙を流す老母よ 元気を出すんだ
銀色の涙を流す老母よ 海は近い
今 赤い手紙を書いている

帰りたいあなたの住む家へ
もう帰れないのだろうか
はやく帰りたい」

その後、再び、入退院の繰り返しとフラッシュ・バックとの戦い。1990年に山口冨士夫抜きで村八分を再始動。年に数本のライブをする。1994年に逝去。死の直前に書かれた題名の無い詩がある。

「このなげき 悲しみを 誰がわかるというのかい
このなげき 悲しみを 誰がわかるというのかい
生や死 どうすればいいんだい 自殺しろというのかい
おれはそんな勇気はもうないぜ 動機もないぜ
そりゃー昔は自殺にあこがれたもんだぜ
だけど今 おれには生きるよろこびが生まれてきたんだ
ステージがあるぜ ずーっと闘病生活だった
天に星 地に花 人に愛
おれは生きるよろこびを認識していきたいぜ
たしかなものにしたい 生きててよかった
そう思いたい
誰にも邪魔されたくない
おれはひっしでみつけたんだ
おれには音楽や美術があるってね
わかってくれよ おれの事
麻薬でだめになったおれの事を
はいじんを

このなげき悲しみを誰がわかるというのか
友よ 友がほしい おれはしょうしょう気ちがいだけど
この苦しみ苦悩を誰がわかってくれるのか
誰かわかってくれよ
わかってくれよ 麻薬ではい人になったおれの事を

オレにはステージがあるぜ!
オレにはステージがあるぜ!

オレが死んでも時々思い出してくれるかい
オレが死んでも時々思い出してくれるかい」

思い出すさ。この心やさしき革命的な詩人にレスペクト! そして、ロック・シンガー、ダンサー、パフォーマー。命日は四月二十五日であった。






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本の帯にこんな言葉がある。

「中上健次は、そこを路地と呼んだ 「路地」とは被差別部落のことである」

この帯の文がちょっとショッキングかもしれない上原善広さんの著した「日本の路地を旅する」という本を読んだ。東京近郊の新興住宅地に育ったぼくは被差別部落と言われても、はなはだピンとこず、中上健次の小説を読んでも、「路地」が被差別部落であることを長い間、気付かなかったほどなのだ。この著者である上原善広さん自身がそのような所の出身であるらしい。「それは、自らのルーツをたどる旅でもあった」ともう一つの帯の言葉にあるのだけど、過去に犯罪を犯した兄を沖縄に訪ねる終章を読み終わって、心の中のモヤモヤの澱が、出口を求めてたまってしまう。

知らないことがいっぱい書かれていた。デモ登校と言って、子どもに「差別反対」と書いたゼッケンのようなものを着せて登校させるようなことや教室の中で「ぼくは被差別部落出身です」と啓蒙の意味を込めて宣言するというようなことが大阪では行われるのか? 驚いてしまう。

昔、白土三平の「カムイ伝」という漫画を読んで、そういう被差別部落とかって、不謹慎かもしれないが、かっこいいんじゃないかと思ったこともある。

中上健次曰く「異族」という人たちもぼくたちの社会にも身近にいるのだが、同じ時代を生きていく仲間として、仲良くやっていった方がいいのではないかと思うぼくは、甘いのだろうか? けれど、人の幸せよりも、まずは自分の幸せだな。





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1966年のロイヤル・アルバート・ホールでボブ・ディランと聴衆の一人との間でこんなやり取りがあった。一人がディランにこうヤジる。"Judas!"(ユダヤ野郎)。"I'm never listening to you again, ever!"(二度とお前の歌なんて聞かないぞ)。ディランはこう答える。"I don't believe you."(おまえのことなんて信じない)。"You're a liar."(おまえは嘘つきだ)。"Play it fuckin' loud."(爆音でぶちかましてやれ)。そして荒々しく"Like A Rolling Stone"がフルテンで演奏される。この時、何かがぶち壊され、新しく生まれたものがあった。ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョップリンやドアーズが登場する前のリハーサルを繰り返しているころのこと、何か爆発が起こったのだった。そんなボブ・ディランのギグをこの前、二十一世紀の東京で見た時も、ぼくはその変わらぬ自由に感動したのだった。信じられるかい?

その興奮は後を引き、本屋である本を見かける。「現代思想 5月臨時増刊号 総特集ボブ・ディラン」。20人以上の人がディランについて書いている。例えば、音楽評論家の平井玄氏の言うように、何かを求めて永遠に吃りながらずれていく問いと発見とさらなる問いの永久運動がボブ・ディランなのだろうか? アメリカ文学の研究者である堀内正規氏はこの前の日本公演を見て、こんなことを書いている。

「二四日のライブではたまたまディランの表情、唇の動きまで見える場所に立つことができたが、最後に"like a rolling stone!"と唄い終えた瞬間、ディランがにやっと笑ったのが見えた。混沌の中でニヤリと笑う人間-それは六〇年代からずっと続く、ディランのシンボリックなしぐさである。それは「ブルーにこんがらがって」いる人たち(だがこんがらがることのない人がうるだろうか?)にとって励ましとして働き続ける」

ひるがえって、この本にも書かれることのない日本の音楽シーンについて思う。ディランが"Play it fuckin' loud."と言って演奏し、ぶち壊し、産声をあげた何かは日本では根付くことはなかったのか? 壊滅的? 兄貴や姉貴だと慕う何人もが去り、何人もの仲間が地下や周縁に潜行してしまったのか? その地下や周縁に潜った何かが爆発前夜ではないのか? 死んだものすら生き返るのではないか? 南の国境線から吹く調べにのって、ボブおじさんがにやりと笑ってこう歌うのが聞こえる。

The answer my friend is blowin' in the wind.
The answer is blowin' in the wind.





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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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