えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
ロバート・ナイトホークの最晩年の名演集を収録したアルバムがこの"Masters Of Blues"です。1曲目から11曲目まではロバート自らのボーカルとギターで、12曲目がジョニー・シャインズのボーカル、13曲目から20曲目までヒューストン・スタックハウスがボーカルを取っています。12曲目から20曲目まではロバートは歌は歌わずギターのみ。このアルバムで深く妙なる土臭いブルーズを聞かせてくれるヒューストン・スタックハウスはなんとロバートのいとこで、ロバートにギターを教えた人だそうです。
放浪の人だったロバート・ナイトホーク、ここで聴かれる彼のギターと歌にはアメリカ南部の彷徨う霊とか魂みたいな風と土がすっかり染み込んでいるみたいだ。南部を彷徨う夢を見ながら、もしくは、うなされるようにしてロバートの名曲"Kansas City"をつたなく訳してみます。ぼくはカンサス・シティーにはまだたどり着けないのだけれど、ロバート、どうしてそこは許されないんだい?
朝おきて、ひどい気分で
昔の楽しかったころを思ったよ
おれはカンサス・シティーに行くだろう、カンサス・シティーに
そう、おまえには許されない地、あのカンサス・シティーに
ビールって名の表通りでおっぱじめるのさ
ルシールって呼ばれる女をさがすのさ
彼女ははカンサス・シティーに行くだろう、カンサス・シティーに
そう、おまえには許されない地、あのカンサス・シティーに
ブルドッグを手に入れ、シェパードも手に入れ、二匹の猟犬も手に入れた
二つはごきげんな黄色で、三つの黒と一つの茶色
やつらはカンサス・シティーに行くだろう、カンサス・シティーに
そう、おまえには許されない地、あのカンサス・シティーに
さあ、おれの桃を気に入らないなら、おれの桃の木を揺らすなよ
おまえの女を追っているんじゃなくて、おまえの女がおれを追う
カンサス・シティーに行くのさ、カンサス・シティーに
そう、おまえには許されない地、あのカンサス・シティーに
"T"は"Texsas"の"T"で"Tennssee"の"T"でもあって
じぐざくころがり"Mississippi"でいい女を見つける
カンサス・シティーに行くのさ、カンサス・シティーに
そう、おまえには許されない地、あのカンサス・シティーに
杉井ギサブロー監督のアニメ映画「グスコーブドリの伝記」を見た。横浜の港北のワーナー・マイカル・シネマで見たのだけど、ぼくを含めて4人の観客というがら空きでした。けれど、内容的には素晴らしく、宮沢賢治原作の童話の映画化、アニメ化なのだった。
杉井監督は1985年に「銀河鉄道の夜」を撮っていて、それと同じ猫のようなキャラクタのファンタジーで、前作の「銀河鉄道の夜」は原作に対してある程度の忠実さはあったと思うのだけど、今作の「グスコーブドリの伝記」はさらに原作をはみ出し、「グスコーブドリの伝記」の物語を借りた杉井ギザブロー監督による宮沢賢治の世界へのオマージュ、憧憬をアニメーションにした趣を持ち、かなり大胆に自由で前衛的でもあった。映画の自由、アニメの自由を感じました。そして、何より動く絵がとても美しい。とくに前半のイーハトーブの山の森を舞台にしたシーンは目が洗われるようだ。
ラストのエンドロールで、この美しい動く絵、動画が上海などの中国のアニメーションの作画を行う会社、人たちによって作られているらしいことを知った。世界の人たちと手をつなぐとはどういうことだろう? どうしたらいんだろう?
ぼくはこのアニメ映画を見て、この映画の主人公、グスコーブドリや宮澤賢治がかぶっているみたいな帽子が欲しくなったのです。
二十歳前後のころ、友だちと合うと、挨拶がわりの言葉として、最近、どんなの聴いている、と言い合っていたのを思い出す。こんな感じ。
「最近、どんなの聴いてる?」
「マジック・サムの二枚組のライブ聴いてるよ」
「暑いのに、よくそんな熱苦しいブルース聴いてるな」
「これでこの夏をのりきるのよ。やっぱ暑い時は熱いもんだろ」
「夏は、やっぱビーチ・ボーイズだろ」
「そんな軟弱なもん聴くか」
「軟弱じゃないぜ。「ペット・サウンズ」とかアバンギャルドだよ」
「どこが?」
「リーダーのブライアン・ウィルソンとか、がいきちっていうぜ」
「へー」
「プールの中でわけわからないひとりごと言ってたんだってよ」
「ラモーンズってビーチボーイズの影響受けてんのかなー」
「そういえば、コーラスとか似ている気がする」
「来日した時、見に行ったなー」
「で、どうだった?」
「カマキリのお祈りだった」
「ボーカル、背が高いもんなー」
この調子で毎回毎会永遠と続きます。あのころは、いつだって、飽くことも知らずこんな話ばかりしていたものだけど、奈良美智の「ナラ・ライフ」という文集を読みながら、そのあのころを思い出しもした。なんかこの本を読んでいると、古い友だちに久しぶりに会った気がしたのです。実際に奈良さんはかなりの音楽通で、もしかして、彼はぼくよりも少し年上な兄貴分なのだけど、こんな会話すら成り立つのかもしれない。
「奈良くん、最近、何、聴いてる?」
「昔買ったダン・ペンのレコードが押入れのすみから出てきて、聴き直しているんだ」
「おー、メンフィスソウルの影の立役者」
「白人だけどいいよ。おまえは肌が黒い人間の音楽しか聞かないんじゃない」
「そんなことないよ。おれはロキシー・ミュージックにソウルを感じるね」
「ねとねとしたブライアン・フェリーの歌い方はかっこいいとか」
「デビッド・ボウイの「ステーション・トゥ・ステーション」なんかもろソウル」
「グラム・ロックといえばマーク・ボランとか嫁さんが黒人だぞ」
「リトル・フィートのローウェル・ジョージの嫁さんも黒人だ」
などと話し始めて、こうなるのです。
「ところで奈良くん、何して食っているの?」
「絵とか書いているんだ」
「よく、食っていけるなー。そういえば、絵とかよく描いていたっけ」
「ロック以外に絵画とかの芸術もおれのテーマだったんだよ」
「芸術ねー。漫画みたいなもんか」
「そうかもしれないなー」
「もしかして銀座のつぶれかかったギャラリーで奈良くんの絵とか二束三文で売ってたりして」
「見つけたら買えよなー」
「買う、買う、三十円で」
「三百円ぐらいは出せよな。ところで、おれ、今度、展覧会、開くんだ」
「すごいじゃん。どこで」
「横浜美術館だよ」
「へっ?」
失礼しました。これは、すべてぼくのつくり話の会話ですが、この本を読みながら、そんな再会感すらあった。昔話は好きじゃないけど、みんな、どうしているのかねー。バンド、やろーぜ。ぼくは最近あいかわらず、近所のバーで自分で作ったロックとかリズム・アンド・ブルーズみたいなのを弾き語りで歌っているよ。
この「ナラ・ライフ」という本、絵でも音楽でも詩でも小説でも方法は何でもいいのだけど、何か表現していきたいと思っている人には、本当にお薦めの本です。
勤め先が赤坂にあり金曜の会社帰りにはよく首相官邸前のデモというか抗議集会に参加するのだが、そこで奈良美智さんの"No Nukes"のポスターをよく見る。どんなアーティストなんだろうと思い、開催し始めた展覧会「奈良美智:君や僕にちょっと似ている」を見に、横浜美術館に行ってきた。
時流に乗った現代アーティストなんて、ろくでもないものかもしれないとも思い、あまり期待もせずに出かけたのだけど、ぼくの予想は大きく外れる結果となってしまった。昨今、子どもの自殺がニュースを賑わしていることも思い出し、その自殺した子が、おばあちゃん、ぼく死にたいんやともらしていたらしいことに、やりきれなさも感じていたのだけど、奈良美智の描く子どもは、ぼくにあの時のイノセンスを、みるみるうちに甦らせたらしい。ぼくは感動した。
しかも奈良さん、パンクロックを筆頭とするロック・ミュージックが大好きらしいのだ。この展覧会に小さなオブジェをたくさん展示してる部屋があるのだけど、そこに、まわりのオブジェとすっかり馴染んだラモーンズのポスターが貼ってあった。奈良さんは青森の生まれというから、ボアダムズのアイさんの兄貴分というところだろうか。そうだ、ぼくも奈良さんといっしょになって、絵の中の子どもたちとともにロックン・ロールを前にして雄叫びをあげよう。
Hey! Ho! Let's Go!
国旗って見ていて見あきないと「世界が見える国旗の本」を読みながら思う。世界にはこんなにいろんな国があり、国旗があったのか、と思う。ソビエト連邦が崩壊していろんな国が生まれたことを知る。アフリカや中南米には知らない小さな国がたくさん。で、日本の国旗がわが国の国旗なので対象外とし、特に印象に残った国旗というか、これはいいなぁ、好きだなぁ、と思う国旗を三つ紹介します。
では、お隣の韓国の国旗。韓国の国旗の由来はこういうことだそうだ。
「「太極旗(テグッキ)」と呼ばれるこの旗は赤(陽)と青(陰)を組み合わせた中央の円が宇宙を表し、相反するものとの調和を表す。太極の周囲には易経で用いられる4つの記号が配置され、それぞれ天・水・火・地を意味している」
深淵なる東洋思想の奥義が韓国の国旗には表されているのですな。
アフリカのガーナの国旗はかっこいい。
「イギリスからの独立を機に、汎アフリカ色(赤・黄・緑)の横三分割旗を採用している。中央に配置された黒い星はアフリカの解放と統一、希望を象徴していて、国歌でも「希望と栄誉の黒い星」と歌われている」
おー、これはレゲエミュージックに多大な影響を与えたジャマイカの思想家、マーカス・ガーベイの商船会社、ブラック・スター・ライナーの記章そのままではないか。
ブラジルの国旗も強烈に印象に残ります。
「中央の天体は王政から共和制に移行1989年11月15日のリオデジャネイロの夜空を表す。緑は自然、黄色は資源を表し、白帯の文字には「秩序と進歩」の文字が記されている」
夜空を国旗にするのなんか、なんか素敵ではありませんか。
番外編として日本の国旗も世界の国旗の中に並べて見ると、とても個性的。
「中央の赤い円は太陽をモチーフにしたもので千年以上も前から日本のシンボルとなっているが、1999年の国旗及び国歌に関する法律によって正式に国旗に制定された」
日本の国旗と国歌の法制化とその後の大阪府や東京都を始めとする行政の取り扱いについて、右翼団体の最高顧問である鈴木邦夫さんの意見になるほどと思い、腑が落ちた。
「しかし、不思議だね。国旗・国歌が法制化された時「これは強制するものではありません」と政府や(当時の)文部省は言っていた。つまり、「日本の旗は日の丸ですよ。日本の歌は君が代ですよ」と確認するだけだ、と言っていた。しかし、法律を作ると、急にそれを拡大解釈しようとする人が出る。
「じゃあ、国旗・国歌にふさわしい扱いをしよう」 「じゃあ、公立の中学・高校では生徒に歌わせよう」となる。さらには、「全員で歌った方がいい」となる。全員が立ち上がり、全員が口を開けて歌う。そこに「統一美」を感じるんでしょうな。また、それが「愛国心」だと錯覚する。いかんですな。
さらに、「歌わない人間は困る」 「処分しろ」という発想になる。いやいや立っても「歌ってないじゃないか」と責める人がいる。「あら探し」が始まる。都内の高校で本当にあった話で、「実際に口を開けて歌っているかどうか」を写真に撮って歩いている人間がいるという。教育委員会や保守派の議員だ。やだね。法律ができるとこんな人間が出てくる。でも、写真を撮っている人間は少なくとも歌っていない。じゃあ、そいつが一番「君が代」を侮辱している「国賊」だよ。違いますかね。
さらに「口を開いて、歌っているフリだけしている人間がいる。だから、本当に声を出しているかどうかを調べよう」という人もいる。つまり、音声を計るわけだ。いやだね。よくこんなことを考えつくもんだ。
これじゃあ、君が代がかわいそうだ。ただ「強制」の道具にされているだけだ。左翼教師や「内心の自由」を持った教師を苛めるための道具にされている。「国歌」として大事にされていない。尊重されていない。まるで「拷問の道具」だよ。「踏み絵」だよ。
それに「何でもいいから歌え!」と言っているだけだ。いや「何でもいいから」なんて言っていない、と「強制派」の人は言うかもしれない。しかし、違う。「君が代」を今まで5000回は歌ってきた私が言うのだから間違いない。
・・・・・・・
ここで思った。よし、私は、これから教師になってやる。今から大学に入り直し、教職課程をとり、公立高校の教師になる。それで、入学式や卒業式の時、君が代で起立しない。当然、処分される。しかし、今まで5000回、君が代を歌ってきた「愛国者」である私を、誰が処分できるのか。そう言ってやりますよ。「じゃあ、あなたは何回君が代を歌いましたか?」と。20回ですか? 30回ですか?その程度で「君が代を愛していると言えるんですか」。20回しか歌わん人が、5000回歌った私を処分できるんですか? と。」
日本社会の同調圧力に怖さすら感じることがあるのだけど、「日本中の学校にですね、国旗を挙げて、国歌を斉唱させるというのが、私の仕事でございます」を受けての園遊会での天皇陛下のおっしゃっていたことを思い出します。
「やはり、あの、あれですね、その、強制になるというようなことでないほうがね、望ましい」
二十世紀はたくさんの国が生まれ、国旗が生まれ、国と国との間で戦争も繰り返され、民族が国を求めての争いもたくさん起きて、本当にたくさんの人たちが死んだ。二十一世紀もそれが続いているのだけれども、未来の歴史はそれをどう見るのだろう?
さて、ロンドン・オリンピックが始まりますね。がんばれ、ニッポン!
ユングの心理学や夢の占いに昔から興味があって、本をたくさん読んだ。昨日は、詳細は忘れたけれど、白い犬、多分大きな白い秋田犬が出てくる夢を見た。インターネットで調べると、白い犬についての夢の占いや解釈はこんなことだそうだ。
夢占いです。
「○白い犬が登場する夢
白い犬が登場する夢というのは吉夢です。あなたが苦しみのなかにいるのであれば、その苦しみからも解放され、仕事も恋愛も順調に行くことでしょう」
西洋の神話ではこんなことだそう。
「(これは飼い主に限ったことはありませんが)犬は死者の霊魂を冥界(あの世)に安全に導くための水先案内人の役目を果たします。 西洋の神話において魂の導き手には、ほぼ例外なく犬の顔がつけられています。たとえばケルト神話では、赤い耳をした白い雌犬が魂を冥界へと駆り立てます」
中米での古い習慣です。
「古代の中米には死体と一緒に白い犬を埋葬する生贄(いけにえ)の習慣がありました。上述のように犬には死者の魂を冥界に導く働きがあると信じられていますので、これは故人の魂を無事を願う供養の気持ちの現れと思われます」
さて、中国ではこんな話もあります。
「中国の昔話、神話では、五穀の穂をくわえて戻り神農へ渡したのは白い犬であったという」
わが日本の言い伝えです。
「日本武尊の受難を助けたと言われている「お犬様」は白い犬だったという」
空の向こうに守り神の白い犬が走っているのではあるまいか? 今日は七夕ですね。
夢占いです。
「○白い犬が登場する夢
白い犬が登場する夢というのは吉夢です。あなたが苦しみのなかにいるのであれば、その苦しみからも解放され、仕事も恋愛も順調に行くことでしょう」
西洋の神話ではこんなことだそう。
「(これは飼い主に限ったことはありませんが)犬は死者の霊魂を冥界(あの世)に安全に導くための水先案内人の役目を果たします。 西洋の神話において魂の導き手には、ほぼ例外なく犬の顔がつけられています。たとえばケルト神話では、赤い耳をした白い雌犬が魂を冥界へと駆り立てます」
中米での古い習慣です。
「古代の中米には死体と一緒に白い犬を埋葬する生贄(いけにえ)の習慣がありました。上述のように犬には死者の魂を冥界に導く働きがあると信じられていますので、これは故人の魂を無事を願う供養の気持ちの現れと思われます」
さて、中国ではこんな話もあります。
「中国の昔話、神話では、五穀の穂をくわえて戻り神農へ渡したのは白い犬であったという」
わが日本の言い伝えです。
「日本武尊の受難を助けたと言われている「お犬様」は白い犬だったという」
空の向こうに守り神の白い犬が走っているのではあるまいか? 今日は七夕ですね。